本家[蒼見鳥]  >  もう一つの世界  >   SS  > 【死合いの街角-後編】


SS:黒熊

 

 

 

 今日もこの都市で誰かが消える。人知れず。ひっそりと。それを知るのは消した本人と、消すのを手伝ったわずかな人間だけ…。今日もこの都市は新しい朝日を迎えて始まってゆく。

 

 

 

 スラム街のボロ宿の一室。三人のむさ苦しい男たちが一人の少女を犯していた。そのベッドは少女の汗と涙と悲鳴を吸い込んで、なおもギシギシ揺れ続けている。窓にはカーテンが引かれ、差し込む日光が舞い上がる埃をキラキラと照らしていた。

 バンッ!!!
突然響いた大きな音に、三人の男は一斉にその音がした方へ顔を向ける。しかし何かを確認するより先に、彼らの目に何かが飛び込んできて、全員の視力は奪われてしまった。一番ドアに近かった男は悲鳴をあげる暇さえなかった。首が裂かれ、血が音を立てて噴き出していた。残りの二人も、右手の短剣、左手のナイフで同時に首を掻っ切られる。

 静かになった部屋に残されたのは、全身に血を浴びて真っ赤になった全裸の少女と、三つの死体。そして、フゥと短く息を吐く、アンリだった。アンリは目を見開いたまま硬直している少女にちらっと目をやると、ドアに向かって歩き出した。彼女にかけてやる言葉なんて、アンリには分からなかったからだ。

 「ご苦労様です」
宿を出ると、そこには小柄で胡散臭い男、ボブが待っていた。どうぞ、とアンリに渡された袋には金貨九枚が入っていた。彼らはそのまま連れ立ってスラム街を歩いてゆく。周りには子供の声や、子供を叱る母親の声が響いている。通りを歩く人も少なくない。

 アンリはあれだけの殺し方をしても、染み一滴も返り血を浴びていなかった。―――最近、技が冴えてきている。返り血のことを考えて相手を殺す余裕が出てきていた。

 「アンリさんのあの殺し方…なんとかなりませんか?」
ボブはそんなことを言って、彼を見上げる。アンリもそこまで背の高いほうではないが、ボブはアンリの肩ほどしかない。
「あの飛び散った血を始末するのって、骨が折れるんです。始末屋から苦情が来てますよ」
「…そりゃスマンね……。そこまで気が回らなかったよ。今度からはなるべく刺殺にする」
「…まぁ、貴方がやりやすいようにやってもらうのが一番なんですがね……。――どうです、そこで昼食でも」
ボブが通りに面したオープンテラスを指差す。いつの間にか、スラム街を抜けて商店街まで来ていた。

そこはアンリが以前のままの姿だったら、確実に入店拒否されるような店だ。しかし今アンリが身につけているのは、いかにも町人です、といった小奇麗な服だ。

 アンリはその誘いをやんわりと断る。
「悪いね。昼食はミーアと食べる約束をしてるんだ」
「そうですか…。ではまたの機会に」
ボブはにっこり笑って歩いてゆく。彼はその後姿を見送って、小さくため息をついた。

 

 

 

 アンリは商店街を一人歩く。冬の日差しでも、昼のうちはとても柔らかく彼を包んでくれた。

彼は一軒の飲食店の前で足を止めた。そこは以前ミーアと出会った店だ。彼はためらうことなくそのドアを開いた。

カラン、カランとドアベルの音が響いて、さざめき立つ店内に消えてゆく。昼時はさすがに客が多い。彼は店内を見渡すと、すぐに手を振っているミーアに気がついた。

 アンリが向かいに座ると、ミーアは嬉しそうに微笑んでメニューを渡してくれる。とはいっても雰囲気で彼女が笑っていると分かるのだ。ミーアは家の外ではいつも、フードを目深に被っている。彼女の着ているそれも、ちょっとは値の張る淡い紫のローブだ。その下には相変わらず足まですっぽりと隠れるスカート。こればっかりはどうしようもない。

「いらっしゃい」
厨房から顔を出したのは、いつか彼らを怒鳴ったあのコックだ。コイツってそういや俺らにとってのキューピッドになるのかね…。包丁もったキューピッド…。…ヤダな〜。なんてくだらないことを考えながら、メニューに目を落とす。

 注文をすると、あいよっと威勢のいい声を残して厨房に引っ込む。彼らのことは覚えてないようだ。
(根はいいヤツなんだろうな……)
彼は店内をぐるりと見回す。ここにいる奴等もみんな…。今まで自分たちに白い目を向けてきた連中だが、こうして見ていると恨む気にはとてもなれなかった。

 料理が運ばれてくる。ここの味はゴミ箱でチェック済みだ。さて、頂きますっ!…と思ったが思わず手が止まってしまう。

 ミーアはさすがに食べにくいので、フードを外す。その髪には飾りのついたカチューシャがついている。それは彼女の綺麗な紫の髪によく似合っていた。真っ白な包帯が、顔の右の上半分を覆っていて、それが少し残念だ。なんとかならないかなぁ、アレ…。ミーアはアンリが見つめているのに気がつき、少しはにかむと、頂きます、と料理を食べ始めた。

 ……俺もミーアに見とれてばかりいないで食べるとしますか、思い出の味を。

 

 

 

 こうしてミーアを連れて町まで出てこられるようになったのは、実はボブのおかげなのだ。

 アンリはあの後、ボブに手を貸すことを約束した。ミーアの安全を確約させて。

 ドアの前に置かれた金貨を見たとき、彼は安全にこの街で生きていくことの困難さを思い知った。この国に、この都市にいる限りこの大きな嵐を、ただしゃがんでやり過ごすことはもうできない。嵐に巻き込まれた上で、生き残らなくてはならない、と悟ったのだ。

 彼は自分から標的を探す、ということはせずに、ただひたすら指定される標的を殺していった。また、彼自身が他のゴロツキに狙われることもあった。そのほとんどは金貨クラスのヤツばかりで、ミーアと二人で食べていくには十分だった。それに最近ではかなりの貯えまでできている。

 アンリが仕事をしている間は絶えずボブの仲間がミーアについて、影ながら守ってくれる。おかげでミーアは一人で街まで出てこられるようになっていた。

 楽しく喋りながら料理を平らげてゆく。やはりおいしかった。こうやって、街なかのレストランで、ミーアと一緒に食事する。夢のようだった。三ヶ月ほど前には想像もできなかったくらいに。―――――たとえそれが、誰かから奪ってきた物の上に成り立つ夢だとしても―――。

 

 

 

 ミーアと連れたって街を歩く。穏やかな陽気のせいか、いつもより街は活気付いているように思えた。客を呼ぶ威勢のいい声や、人々のざわめき。その中をゆっくりと二人で歩いてゆく。

 「最近、暖かくなってきたよなぁ…。そろそろ池で思いっきり水浴びできるようになるよ」
横を歩くミーアの顔は見えないが、楽しそうに歩いている。たまにキョロキョロと辺りを見回して、道行く人を見ていた。やはり、まだ慣れないのか…。
「フフっ、それなら一緒に泳ぎましょうよ?泳げるんでしょ?」
彼女は辺りを気にするのは止めて、アンリの方を向く。
「……泳げるけどさ。せめて夏ぐらいまで待ってくんない…?春先の水でも俺にとってはキビシイんですけど……」
「大丈夫よ、凍えることは無いんだから。…楽しみにしてたの……。アンリと一緒に泳ぐのを………。思いっきり引っ張って、水の中を爆走してあげる」
ニッコリ笑顔で、怖いコト言ってくれる……。始めは、水中をミーアと一緒に優雅に泳ぐイメージをしてたのに、それは恐怖の水中スピード地獄のイメージに変わってしまう。
「あはは…、お手柔らかにね……」

 春はもうすぐそこまでやって来ていた。最近は街から浮浪者、特にゴロツキの姿がめっきり減り、街の人の間には安心感が広がりつつあった。街の噂は、『神隠し』の話題からゴロツキ同士の決闘が夜な夜な行われている、という話題に変わっていた。血生臭い話ではあるが、彼ら町人にとってはあくまでも関係の無い話として、気軽な話の種になっている。むしろ厄介者同士が殺しあって、勝手にいなくなってくれるのだから、ありがたい話だという感じでもある。

 それに対して、浮浪者たちにとってはたまった話ではなかった。問答無用で殺される上に、どこにも文句を言うことができないのだ。都市拡張工事も完成が目前に迫り、街での仕事は確実になくなってゆく。ゆえに、この都市から離れる人間が続出した。さらに先日この国を襲った寒波のせいで、街には、特に難民居住区では凍死者が数多く出た。浮浪者の数は冬の初めから比べて、短期間のうちに激減した。残っている難民や貧しい者たちは、以前に増して生きる気力を失い、その目に絶望の色を強くたたえて日々を過ごしている。

 アンリはその変化の様子を、ごく間近に、生々しく見せつけられていた。力の無い者が、バタバタと倒れてゆく。奪った者もいずれはさらに強い者に奪われる。誰も手を差し伸べてくれない。そんな現実はアンリの心に重くのしかかってきた。

 彼はこの国を近いうちに離れることを考えていた。この事件には十中八九、国の高位にある意思が絡んでいる。アンリはそう考えている。ボブを問い詰めても、答えてはくれないが、これだけ大掛かりに動けるからには、かなりの力を持った者が背後にいるのは確実だ。どこの誰かは知らないが、そんなヤツが仕切っているこんな国には住んでいたくはなかった。

 それにこの街を出る目的もある。アンリは以前の仲間の、魔術師たちに会いに行こうと思っていた。どこにいるのか見当もつかないが、もう一度会いたかった。そして、それはミーアのためでもある。彼女はキメラであるがゆえに、街に出られるようになっても、気軽に人と話すことなど出来ない。彼女が進んで話すのは、アンリしかいなかった。ボブや、彼の仲間にはまだ心を開いていない。

 彼女には友達が必要だとアンリは考えている。そしてその相手は彼女と同じキメラである、あの魔術師のパートナーしか思い浮かばない。彼女たちを引き会わせてやりたかった。彼女ならミーアのいい友達になってくれる。彼はそう考えていた。

 だが、それらのことを実行するためには、上手くこの騒動を乗り切らなければならない。なんとか生き延びて、なんとか上手くボブや、その背後にいる連中と手を切る。かなり難しいだろうが、やってみるしかなかった。そのためには手も汚すし、危険も覚悟の上だった。

 

 

 

 道の向こうの方が、急に慌しくなる。喧嘩だ、と叫ぶ声が聞こえた。みんな何事だ?といった感じでそっちに集まってゆく。アンリとミーアも顔を見合わせ、とりあえずそっちに行ってみることにした。

 そこは商店街を抜けたところにある、噴水のある広場だ。その一角に人だかりができている。その人だかりの中に、二人は紛れ込んだ。そこで彼らが見たのは、一人の男を取り囲んでいる五人の男たちの姿だった。

 取り囲んでいるのは、いずれも人相の悪い盗賊風の男たちだ。そしてそのうちの一人は一回り体の大きい熊系の獣人だった。獣人以外はいずれも手に武器を持って、殺気を放っている。

 そしてその中心にいるのは、これまた奇妙な男だ。見たこともない汚れた服を着て、腰には―――刀だ…―――『刀』という異国の剣を差していた。そして、頭にはボロボロの草で編みこんだような三角の帽子?を被っていて、男の顔は見えなかった。
(あれは……『刀使い』か?)
アンリは、話には聞いていたが実物を見るのは始めてだった『刀使い』を見つめる。

 細い体だ…。余分な肉を全て削ぎ落としたような体つきをしている。一見全然強そうには見えないが、どこか不気味な雰囲気がある。殺気は全く感じられず、その代わり何かがじんわりと体から滲み出している、そんな印象だ。

 「キサマ……、よくも俺らの仲間を殺ってくれたなっ!」
「あのときは不覚を取ったが、今日はコイツもいるからな!ボロ布みてーにしてやるゼっ!!」
男たちはますます殺気だって痩躯の男に食って掛かる。獣人もさっきから唸りっぱなしで、今にも飛び掛っていきそうな感じだ。それに対して痩躯の男は慌てる風でもなく、静かに刀を抜いた。それでもまったく殺気が無い。周りの観客から悲鳴が上がる。

 刀をだらり、と下げているだけの男に対して、徐々に輪を狭めていく五人。その場はいつしか静まり返っていた。

 痩躯の男の真後ろにいた男が、剣を振りかぶり打ちかかってゆく。―――まさに一瞬の出来事だった―――。振り下ろされたはずの腕が無くなっている。次の瞬間には男の肩から腰まで、ばっくりと切り下げられ、重みでだらりと垂れ下がる。紅い断面には白い玉模様が浮いていた。それは切断された骨だった。ガシャンと音を立てて、腕がついたままの剣がやっと地面に落ちてきた。

 痩躯の男は血が噴出す前に、すでに隣の標的に向かって間合いを詰めている。スゥー、と滑るように動く変わった動きだ。頭の高さが変わらない。慌てて剣を振りかぶる男に、そのまま無造作に近づき、今度は逆袈裟に切り上げていた。脇から胸まで深く裂かれた男は、剣を振り上げたまま固まっている。その顔は驚いたまま死んでいた。

 次の男はすでに動き始めていて、痩躯の男に向かって剣を振り下ろしていた。上段から降ってくる刃は、いとも簡単にかわされ、地面を削る。ヒュンと唸った刀は、男の首をするり、と通り抜ける。しばらく落ちるのを躊躇っていた首は、下から吹き出る血に押し上げられるように、ポロリと前に転がり落ちた。

 「ガァァァァァッ!!!」
雄叫びを上げて獣人が痩躯の男に突っ込む。その太い腕の先についた鋭い爪で切り裂こうというのだ。男も獣人に突っ込んでゆく。両者はすれ違い、獣人だけがそのままの勢いで地面に叩きつけられる。右足が腿のところから無くなっていた。

 そのままの勢いで、最後の一人に接近してゆく。最後の男はもはや戦意を喪失している。構えた剣はガクガク震え、その顔は恐怖に歪んでいる。痩躯の男は刀を大上段に振り上げる。それはフェイントだ。男がつられて剣で防ごうとする。その瞬間、刀が横一線に奔り、痩躯の男は横にすり抜けていた。ぐらり、と男の上半身が倒れ、真っ二つにされていた。

倒れた男は起き上がろうともがいている。まだ自分がどんな状態にあるのか分からないのだ。その間に痩躯の男はギャフギャフ喚き、地面を転がり回っていた獣人に止めを刺すために近づいてゆく。その背後で、自分の下半身を見つけた男の、哀れな悲鳴が響き渡った。

 

 

 

 アンリの背筋は凍りついていた。―――疾い―――。疾いなんてもんじゃない…!あの身のこなし、あの反応、そして何より刀だっ!!見えなかったぞ、刀の動きがっ!!ヤツの切り終わった姿勢で、刀がどう動いたかがようやく分かる…。バケモンじゃないか。あんなヤツがこの街にいたのかっ!?

 辺りは静まり返ったままだった。あまりにも無造作に、そして流れるように美しく動いたせいだろう。これが殺人の一場面であることを忘れてしまっているようだ。みんな凍りついてしまったように動かない。痩躯の男は、その静寂の中で刀を拭っている。

 アンリは静かにミーアの腕を引く。
「……行こう…」
返事を待たずにその場を立ち去った。背中には冷や汗が滲んでいる。ミーアの腕を握る手にも知らず知らずのうち力が入っていた。ミーアは彼の後姿を見ながら、悲しそうな顔になり、やがてうつむいてしまった。

 

 

 

 それから五日後―――。スラム街の路地裏でアンリはボブと会っていた。次の標的を指示する、と言われて呼び出されたのだ。
「――――来ました。あれです…。さっきも言いましたが、非常に勘の鋭い男です。気をつけてください」
「……分かってる」
アンリはそれだけ言うと、そっと路地裏から顔を覗かせる。

 (―――――あぁ――ついに来た…か…)
通りの向こうからあの痩躯の男が歩いてくる。来ている服が、見慣れた普通の服になっているが、腰に刀を差しているし、なによりあの独特の雰囲気は忘れることが出来なかった。ついにあの男と闘わされるのだ。

今日は頭に何も被っていなかったので、男の表情が見て取れる。その見慣れない異国の顔立ちは、丹精だったが表情がまったく無い。まるで色で例えるなら、無色透明、といった感じだ。

 アンリはすぐに顔を引っ込めて、ボブに向き直る。
「…気づかれる。よそに行こう」
「はい」
二人は路地の奥へと消えていった。

 「―――で…。いつなんだ?」
「そうですね…。今夜には諸々の準備が整います。あの…、本当にやるんですか…?」
彼らは公園のベンチに腰掛けて、話している。辺りには子供たちの遊ぶ声が響いている。
「……あ?やって欲しいんだろ?」
「…そうですが……。貴方は彼の戦いぶりをご覧になったはずです。それでもおやりになるんですか?」
ボブは心配そうに尋ねる。だが本当にアンリの身を案じているのかは分からないが。
「まぁ、正直勝てる気はしないけど、逃げてもいいんだろ?ならやれることをやってみるさ」
これがアンリの答えだった。

 「―――そうですか…。では今回の仕事が上手くいった暁には、特別報酬をご用意いたしましょう」
「?」
「…いえね、あの男はかなりの手練です。金貨でお支払いすると、かさばってしまうでしょう?ですから今回は貴方の希望を何でも聞く…というのでいかがです?」
「なるほどね。…でも、何でもって言われても……」
アンリは戸惑う。
「…例えばですね…。この仕事を止めたい…とか…」

 「!!」
アンリが口を挟む前にボブは手でそれを遮って、続ける。
「例えば…、貴方とミーアさんに住民権を与える、とかです。今言った二つは、私の背後にいる何者か、の意見です。普通の手続きでは決して得ることが出来ないお二人に、住民権を与えて自由にする…と」
アンリは元盗賊という経歴があり、ミーアは人工の生命体であるキメラだ。彼らでは確かにこの国の住民権を得ることは出来ない。ボブたちは、彼らの過去のことまで調べ上げているのだ。

 「ナメた話だな…。今さら『自由』かよ…。それじゃあやっぱり俺は強制されてたんじゃねーか…」
「まぁ、そうなりますよね…。無言の脅迫をかけていたようなものですから。ですから、そういう意味での『自由』ですよ」
―――確実に何かが終わりに向かっている―――。
「それに、嘗めた話と言えば…。貴方を騎士団に入れようという動きもあります」
「…ハッ!確かに嘗めまくった話だ…」
アンリは空を仰いだ。最近はまた寒さが戻ってきていて、吹く風は冷たい。もうじき春だというのに……。

 「…で、どうなさります?」
「……人を探してもらいたい………」
アンリは上を向いたまま、ポツリと漏らす。
「人探し、ですか?」
「メノス=ナーバレックって魔術師と、アンナマリーってキメラの二人だ…」
アンリは例の魔術師と、パートナーのキメラのことを話した。ボブは黙って聞いていたが、やがてため息をついた。
「………難しいですねぇ…。手がかりが、名前と人相だけでは…。そうなると、貴方のいた盗賊団の壊滅した時点からの追跡調査となりますから、時間もかかりますよ?」
「…なんとかなんねぇ?」
「………いいでしょう。引き受けますよ。ただし、あまり期待しないで頂きたいですね…」
アンリは、あぁと短く返事をして、彼らのことを思い出す。今頃何してんのかな…?

 

 

 

 結局、アンリ自ら男を付け狙い、隙を見て殺す、という方針になった。ミーアにしばらく家に帰れないことを話すと、やはり悲しい顔をされた。

 「……もう危険なことは止めて、アンリ……。お願いよ…」
目に涙を浮かべて、初めてそうアンリにお願いをしてきた。今までは口に出さなかった想いだ。しかし、彼女は今回に限っては思うところがあったのだろう。
「―――これで最後なんだよ…。これさえ終われば俺たちは幸せになれる。だから俺からもお願いだ……。やらせてくれ…」

 結局、ミーアはアンリを止めることは出来なかった。独り残された家の中で、ミーアは泣いていた。テーブルに突っ伏して嗚咽を漏らす。もう用を成さない彼女の右目からも涙は溢れ、純白の包帯に染みを作る。

 アンリは『仕事』のことを何も話してはくれなかった。それにミーアの前ではいつも変わらない笑顔で過ごしている。しかし、彼が街で何をしているかは、大体検討はついている。

 本当は彼にはもう止めて欲しかった。自分のために手を汚す彼を見るのは辛かった。暮らしがいくら楽になっても、街に出てデートすることが出来ても、彼が辛い思いをして得られたものを、彼女は心の底から喜ぶことなど決して出来ないのだ。

 『笑っていて欲しい』。いつもアンリのために出来ることを探していた彼女は、彼のこの言葉を聞いてから、なるべくこの事を考えないようにしてきた。二人で笑っている間は本当に楽しい、それならそれでいいんだ、と自分に言い聞かせて。しかし心は偽れない……。

 街であの男を見たときから、彼女の心は揺れ続けていた。五人の男を一瞬にして殺してしまったあの男……。アンリが家を離れる、と言ったその瞬間。彼とアンリが闘うのだ、と感じた。いつも一人でアンリを待っていたときの不安、彼が帰ってこないのではないか、と積み重なってきた不安は限界に達した。―――アンリはあの男に殺されて帰ってこないかもしれない―――。

 想っていたことが口に出てしまった。彼に考え直してもらいたかった。でも、またアンリは言う。『一緒に幸せになろう』。アンリが傍にいてくれることが私の幸せなのに。その彼が居なくなってしまうかもしれない……。

 泣いてる場合じゃない…。私も何かしなくては……。彼と幸せになるために………。

 

 

 

 アンリは痩躯の男が住んでいる、スラム街にある宿の向かいの建物にいた。ここは個人所有の部屋だが、現在は使われていない。ここであの男を見張っていた。

 もう今日で十日目になる。アンリはあの男を知れば知るほど、勝てる気がしなくなってきていた。影から何度か男の闘いぶりを見てきた。今この街に残っているゴロツキは、この事件を生き抜いて、勝ち残ってきた猛者がそのほとんどだ。それらを全て一刀のもとに切り捨てている。その太刀筋はまさに凄まじい、の一言に尽きる。おまけに毎朝鍛錬を欠かさず、普段の生活にも隙と呼べるものが全く無かった。

 あの男は俺のことにとっくに気付いている……。それでもあえて放っているんだ。彼に不意打ちは通用しない。やるなら正面切って闘うしかない。しかしそれでは八・二で負ける。せめて五・五の勝負がしたかった。『切り札』を使えばそれも可能なんだが……。切り札そのもののリスクが高く、なかなか決心はつかない。

 窓の外は雪が降っていた。窓の枠にうっすらと積もり始めている。ボブたちはアンリを急かすようなことはしないが、こっちとしてものんびりやるつもりは無い。そもそもこっちにはもう新しく打てる手は無いのだ。

 なんで逃げるということをしないのか、自分でも分からない。以前のアンリなら、この状況から間違いなく逃げ出していただろう。分の悪い勝負などは決してしなかった。

―――守りたいものができたからか?―――それなら逃げたほうが賢いじゃないか。―――でもそれじゃあ何も変わらない。―――何が?―――何だろう…、ミーアとの生活…かな?―――不満だったのか?変えてしまいたいのか?―――いや、そんなことは無い。変えたくは無いんだ。―――じゃあなんだ?―――勝ち取りたいんだ。―――何を?―――ミーアとの生活を、勝ち取って守りたいんだ。逃げ出して守るんじゃない。たとえ分の悪い勝負だろうと、アイツと闘って勝ち取りたいんだっ!!ミーアとの幸せを……。

 アンリは静かに目を開く。
(――結局は出たとこ勝負―――でも勝ってみせる!!)
決意は固まった。

 

 

 

 深夜。雪はついさっき止んで雲が流れてゆく。とても静かな、静かな夜だった。

 アンリは彼のいる宿の前に立つ。空気は冷たく、彼の肌を突き刺さそうとする。しかし、彼の体からはモヤのようなものが立ち上り、その空気を押し返していた。――殺気だ―――。彼は静かに、しかし激しく殺気を放つ。

 その殺気に応えるように、宿の二階から降りてくる微弱な気配。アンリは入り口から離れて、距離をとる。やがて入り口からヒョロリとした影が姿を現した。彼は入り口を出たところでこちらを向いて止まる。

 雲が晴れたのか、視界が急に明るくなる。月が雪を照らし、青白い光が辺りを染め上げる。その中で二人の男は対峙する。

 「ずいぶん待たせて悪かったな」
「……」
「俺のこと、気づいてたろ?オマエ」
「……」
アンリの声だけが通りに響く。痩躯の男は黙ったまま彼を見つめていた。その顔にはやはりどんな表情も浮かんでいない。ちゃんと聞こえてんのか…?
「……オイ、なんとか言えよ…」
「……」
男はキンっと鯉口を切った。そのままスゥっと刀を抜く。
「…おいっ!待てよ!!その前に聞きたいことがあるんだって!」
「…」
抜いた刀をだらんと下げたまま男は動かない。…続けていいのか…?

 アンリは気を取り直して男に尋ねる。
「オマエも今回この街で起きた事件に関わってるんだろ?殺し役として」
「ああ」
短く男が答えた。喋れるじゃねーか…。

「…なんで難民や、ただ生きてるだけの浮浪者まで殺すんだ?何考えて、人を斬ってるんだ?」
彼はこの十日間見ていただけで、かなりの人間を殺している。ただ彼の前を通り過ぎただけの浮浪者を。彼の横を駆け抜けた難民の子供を。そして彼に挑んでくるゴロツキを。まさに無差別。相手が一人で辺りに人が居なければ手当たり次第…といった印象だった。
「金になるからだ」
「……それだけか?」
「……」
その沈黙は肯定の沈黙だった。

 「…そっか。あんな殺し方するアンタって、何考えてるのかな〜って思って聞いてみたんだけど、どうも理解はできないみたいだ」
「……」
「…それだけだよ。聞きたいことは」
アンリがスッと足を開く。
「じゃあ、始めようか」
アンリは全身から殺気を解き放った。

 

 

 

 痩躯の男の体から滲み出ていた気配が、ぶわっと広がる。右の足を引き半身を切って、刀を右の腰に引きつける。アンリからは刀身が隠れて見えない。それは男の体の後ろでピンと地面と水平になっていた。

 ―――初めて見せる男の構え。さらにこの濃密な気配は、彼の殺気だ。首筋どころじゃない。アンリの前面全てに突き刺さってくる。これがあの男の本気か!!

 ――だが、そんな離れたところで構えてどうするっ!?アンリは素早く右手の石を投げる。同時に男は動いた。彼に向かって。
(!!?なめるなっ!!)
左手の石も投げる。合計六個。男の避ける先も見越した投石だった。

 しかし男の石のかわし方は、アンリの予想外だった。彼は広く横に展開するように飛んでくる石の、一番間隔の広いところに、迷わず一歩踏み込んでかわした。石は男の顔のすぐ両脇を飛んでゆく。完全に見切っているのだ。
(…!!どんな目してんだよ!!?)
そして勢いを殺さず、接近してくる痩躯の男。

 短剣で受けようなんて考えは無い。かわして、その上で距離をとるっ!!アイツの一撃目は切り上げか、切り払いだ。今まで見てきてそうだった。そして恐らくあの構えからもそうだろう。あの構えからの切り下げは僅かにタイムロスがでる。男の間合いに入った瞬間、アンリは男の踏み込んだ左足めがけ、頭から転がり込む。

 ヒュンッという鋭い音が彼の上から聞こえた。そのまま前転して、駆け抜ける体勢を作る。男はしゃがんだアンリに突きを放つべく、刀をすでに引いていた。そのとき突然、男の胸に何かが当たって、ボフッと粉が舞い上がる。それはアンリがしゃがんだ状態で、男の死角から投げた目潰しだった。卵の殻に灰を詰めた簡単なものだったが、男はまともにくらってしまった。目に灰が入ったのかその目が閉じられ、
「…ムっ!?」
と初めて焦りのある声を発した。

 その隙にアンリは猛然とダッシュして男から離れている。
「『術式開放』!!!」
走りながらアンリは短い呪文を唱える。とたんに彼の刺青が光を放ち始めて、服の上からでも透けて見えるようになった。右腕には魔方陣が四つ展開して、まるで彼の腕が魔方陣のリングを四つ連ねてつけているように見える。彼は振りむき様に『何か』を投げる。その瞬間にヂュインッ、という金属音と共に痩躯の男は、後ろにはじき飛ばされていた。

 これが彼の『切り札』だった。これは体に刻まれた術式があらかじめ決められた効果を出す、というだけの単純な魔法だ。アンリの呪文に反応して発動し、彼の中にある僅かな魔力を使って右手で投げる物を超加速させる。

この術式を書き上げ、彼に刻んだのがメノスだった。さらに彼はアンリに投げる物まで用意してくれた。それは小指の先くらいの小さな金属球だった。しかし重さは手の平大の鉄球と同じくらいある。メノスが精製した魔術金属だ。

アンリはさっきこれを投げたのだ。その小ささで高質量の物質が魔法で加速され、とんでもない速さと貫通力になるのだ。それは目に見える速さではなく、盾と鎧で防げる貫通力では無い。

―――しかし。男は立ち上がる。しかも無傷で。だが無傷なのは体だけで、刀は根元から折れてしまっていた。男の目は未だ閉じられたままだ。

 (…バカな…!間違いなく顔面に直撃だったはずだっ!!)
アンリは一瞬躊躇ったが、一気に男に向かって突っ込む。敵の得物は折れている。あの金属球は一つきりだ。普通の石では重さと空気抵抗の関係で真っ直ぐ狙えないので、ここからの狙撃には使えない。それに時間も無い。

彼は走りながら左手で短剣を抜き、右手をポケットの中に突っ込んで、そこに入れてある小粒な金属球を、手の平いっぱいに掴む。この日のために用意した、鉄屑から削り出した弾丸だ。それを散弾のように投つける。これは弾丸の重量の関係上、有効射程が短い。この状況なら、接近戦でも仕留められるっ!!

 時間が無い―――というのは、そのまま『切り札』の発動時間のことを指している。この魔法はせいぜい二十秒が限界だ。それで彼の魔力は底をついて、満足に動くことすら出来なくなる。魔力の消費は発動してから常に消費され続け、アンリの意思でコントロールは出来ない。そのための術式を追加しようとしたら、アンリの全身は刺青だらけになってしまう、とメノスは言っていた。

 アンリが接近する間に男はなんとか視力を取り戻していた。彼が光る右腕を大きく振りかぶって踏み込んでくる。男は右足を引いて、左手を前に突き出し構える。そして次の一瞬でアンリの右腕は顔の横で止められていた。男の左手によって。アンリには痩躯の男の踏み込みも、左手の動きも見えていなかった。
(……そんなっ…)
アンリの驚愕は一瞬で終わる。

 男の右の肘打ち、左のショートアッパーがそれぞれこめかみと顎に直撃して、アンリの意識は暗転した。同時に右手の光も消え、左手の短剣も雪の上に落ちる。彼は膝から崩れ落ちるように倒れていった。

 

 

 

 ―――声が聞こえる―――。遠くでミーアが叫んでいる。

 「!!?」
彼の意識は一瞬で覚醒する。頭を動かそうとして思わず呻いていた。視界が揺れてぼやける。目の前には男の足が見える。どうやら短時間の気絶だったようだ。

 「お願いしますっ!!アンリを殺さないでっ!!」
(ミーアっ!!?)
彼はとっさにミーアを探す。―――いた……。彼と痩躯の男から少し離れた所にいる。何でこんな所にっ!!
「ミ…ミーア……」
やっと出た声は思ったより小さく、彼女は気づかない。なおもミーアは叫び続ける。
「お願いですっ!!何でもします、だからアンリは……アンリだけは殺さないでっ!!!」

 ―――――結局ミーアに出来ることといったら、相手に懇願することしかなかった。恐怖に震えだす体をなんとか押さえ込み、声を絞り出す。
「アンリは私の全てなんです……。彼を私から奪わないでっ!お願いします!!!」

 彼女はアンリの後をずっとつけていたのだった。彼は痩躯の男に全神経を向けていて、自分の後ろをついてくるミーアの存在には気づかなかった。当然、男の度重なる凶行も目にしてきた。そんな男に自分の言葉が届くかどうかは分からない。――いや、無理かもしれない…。それでも―――――。

 アンリと男の闘いを物陰から見ていた。凄まじい一瞬の攻防に見入っていた。アンリが望んであの男と闘っていることも、彼女は知っていた。彼は死を覚悟しているのかもしれない。そんな彼をミーアは止めることが出来なかった。――彼が死んだら、私も死のう―――。そう心に決めて二人の死闘を見つめていた。

 しかし、崩れ落ちるアンリを見た瞬間、彼女は咄嗟に飛び出していた。今まで考えていた事が全て消し飛ぶ。アンリはまだ生きているのだ!やはり彼だけは死なせたくない!そんな想いが彼女を突き動かしていた。

 やがてアンリの頭上から、
「分かった」
男の短い返事が聞こえた。そして踵を返してアンリから離れてゆく。ミーアは突然の男の反応に固まってしまっていた。あまりにも予想外だったからだろう。アンリは力を振り絞って上体を起こした。

 「…ま、待て……。なぜ………殺さない……」
「っ!!!アンリっ!!」
ミーアはこっちに気がついて駆け寄って来る。痩躯の男は立ち止まって答える。
「彼女に頼まれたからだ」
(訳わかんねーよ!!俺の命はつまりどうでもいいって訳か!?)
「…もう…ひとつ……。あの一撃は、どうやってかわした?」
喋っているうちに意識がはっきりしてきた。駆け寄ってきたミーアに抱き起こされる。
「お前の狙っていた場所が、私には分かったからだ。…だからそこに刀を持っていけた」

 男はアンリの殺気に反応したのだ。彼はアンリから発せられる気が、細く鋭く彼の顔めがけて伸びているように感じた。それはアンリが狙いをつけている最中だ。そして彼はその射線に対して刀を斜めに構えておいて、金属球を後ろに流し受けたのだった。

「……くそっ、完敗だな」
「あっ…あのっ、ありがとうございますっ!!」
男はそれを聞いて、静かに彼らの前から歩き去っていった。

 「…」
「…」
アンリとミーアは見つめあう。
「……ゴメン…」
色々言いたいことがあるのに、こんな言葉しか出てこなかった。ミーアはぶんぶんと顔をふる。紫の髪が踊る。涙が宙に散ってキラキラ光る。キレイだな、と思った。
「……言いたいことはいっぱいあるけど……、とりあえず家に帰ろうか…」
「………」
彼女はただ涙を流して頷くだけだった。でもその顔は笑っている。彼が心から愛している笑顔だった。

 二つの影が寄り添いながら純白の道を歩いてゆく。こうしてこの都市での最後の死合いの幕が下りてゆく――――――。

 

 

 

 それから暫く後。

 春の日差しの柔らかな日。アンリとミーアの二人はこの都市の入り口である巨大な門がある広場に来ていた。大勢の人間が行き交い、とても賑わいがある。しかしこの広場が目的地ではないので、いずれの人も慌しく歩き去ってゆく。

 アンリとミーアは旅姿でこの場所に立ち止まっていた。彼らの目の前にはボブがいる。なんと見送りに来てくれたのだ。

 ボブはアンリに封筒を手渡した。
「これがメノス=ナーバレックとアンナマリーの行方に関する報告書です。まだ行方は突き止めていませんが、途中までの足取りはそこに書いてあります」
「…ホントに調べてくれてたんだな…」
心底以外そうに言う。
「それにいいのか?受け取って…。これはあの男を倒した報酬のはずだろ?」
「そうなんですが、ここまで調べてそれを無駄にするっていうのも、調べてくれた方に対して失礼でしょう?貴方がきちんと役立ててください」
「……そっか。サンキューな…」
いえいえ、とボブは笑う。相変わらず信用の置けない笑い方だった。

 「……さてと、行くとしますか」
アンリは隣にいるミーアに笑いかける。
「ええっ」
被ったフードが柔らかく揺れる。
「どうぞお元気で」
ボブも笑顔で彼らを見送る。

 彼らが歩いてゆく門は巨大な城壁に開いた孔のような門だ。外から差し込む光と城壁の影のおかげで、見送るボブからはまるで、二人が光の中に溶けていくように見えた。

【fin】




-モドル-

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