本家[蒼見鳥]  >  もう一つの世界  >   SS  > 【月は紅玉を愛でる】


SS:白銀れみゅう



空が緋色に染まりゆき、太陽は徐々に姿を隠していく。
杉林が夕焼けの光を拒み、いち早く静寂を迎え入れようとしていた。
動物の声しか聞こえない林を、淡い桜色の着物を着た少女は慣れた足取りで歩く。華奢な身体で、透き通った白い肌が余計に彼女の儚さを湛えていた。
そう。とても儚いのだ。今にも空気に溶けてしまいそうなほどに。憂いを帯びた表情も、整った顔立ちも、静かな立ち姿も…。
しかし、溶けたくとも溶けきれないのが、少女の持つ『色』であった。腰ほどまでに伸びた長く真っ直ぐな美しい髪は、深紅の色をしていた。その丸い瞳も、髪と同じ深紅の色をしていた。
薄暗い中でも、はっきりと浮き彫りにされたその深紅…。彼女は、それが痛いほど分かっているのだろう。視線は遥か彼方を見つめるように揺らいでいた。
彼女は、人間だ。人間のはずなのだ。しかし、自然界の摂理に反して生まれ持ったものは、確実に彼女の人生を狂わせた。
村の人々は罵りの言葉を吐き捨て、道を通るものは慄いて悲鳴をあげる。たまに、小石を投げつけてくるものさえいる。
―好きで手にした色ではない。こんな、血のような色。
望んで手にした色ではない。生まれたら、このような色だったのだ。彼女がどんなに心で叫んでも、視線で訴えかけても、人々は気付かない。寧ろ、鬱陶しいように冷たい視線で見下した。
ああ、私が生きる世界というものは、こんな冷たいものなのか…。
幾度となく寂しさに襲われたが、それでも、必死になって生きてきた。生きていれば、何か良いことが必ず訪れると信じて。…しかし、十数年経った今、絶望と悲しみだけがやってきた。時間を経て変わったのは、容姿と身体つき…それくらいだった。
その悲しい運命を、彼女―葉月はずっと背負い込んできた。だがもう…その運命と向き合うのが…辛くなってきた。

歩き慣れた杉林を抜ければ、葉月の瞳には長く続いた石の階段と古ぼけた鳥居が映った。葉月はゆっくりと見上げ、石段を上った。幼い頃からいつも訪れている神社。村から外れた所にあり、また林の中で静かに時を刻んでいたためか、人々から忘れ去られてしまったのだろう。古ぼけた鳥居と社、雑草の生い茂る境内がその現実を如実に物語っている。
この辺りにも、度々物の怪が現れている。一人で歩くのは危険ではあるが、生憎葉月に自分の身を案じてくれる人はいない。生きようが死のうが関係無いのである。葉月自身も、そんなことの心配などしていなかった。生きればそれでいいし、死ねば楽になれる。…私は、人ならざる人、だからね…。深紅の髪を風に遊ばせて、自嘲した。

社の前に立ち、静かに手を合わせた。幼い頃から、この場所が好きだった。ここに来るだけで、何故か心が軽くなった。永い時間を生きて古くなったけれど、それでも神社そのものが持つ神聖で静かな雰囲気は決して消え去ることはない。
何かを特別に祈るわけではない。ただ手を合わせるだけで、もう少し頑張ってみようかな、と思えるのだ。
穏やかな気持ちで顔をあげる。儚さは消えてはいないが、それでも先程よりは幾分顔色が良くなっている。深紅の髪が、穏やかに揺れた。桜色の唇が、微笑を結んだ。

葉月は社へ礼をし、背を向けた。淡い桜色の着物を翻す。
しかし、その刹那、ガタリと不気味な音がした。
ビクリと震え、足を止めた。いや、正しくは止まってしまった。まるで何かに足を捕らわれたように。急激に背筋が冷たくなるのを感じ、葉月は紅い髪を揺らして辺りを見た。高く背を伸ばした杉の木、風で揺れる木の葉、その間から零れている夕焼けの光…。幼い頃から見ていたその光景が、時を止まったように感じた。
得体の知れない何かがいることは、頭の何処かで反応していた。不気味な恐怖が全身を駆け巡り、ただ辺りを見た。
そして、深紅の瞳がある一転に止まった。幼い頃から、静かに合掌をし、帰る時には礼をした、あの古びた社である。
褪せた色をした木の戸の奥に、何かを感じた。今まで踏み入れたことの無い、その神聖な社の中に。
鼓動が大きく波打ち、冷や汗が背を伝うのが分かる。しかし、葉月は足を動かした。その社の戸へと。何故か動いたのだ。理由は見当たらないが、そうしろと心が命じていた。
古い板張りの床が、彼女が歩くたびに不気味な声をあげた。葉月は、社の戸の前へと立った。恐怖が上回っているが、その背筋はピンと伸びていた。戸に手をかけ、ゆっくりと開けた。心の奥で「土足でごめんなさい」と謝りながら。

戸を開けた奥にいたものに、葉月は声を失った。
薄暗い中で蠢く何か…それは、金色の色を持っていた。力無く横たわる身体は、荒い息遣いで震えていて、三本の尾がフワリフワリと揺れている。…狐だった。ただの狐ではなく、永い時間を生きて物の怪となった『妖狐』だ。…そう、人間が最も恐れている妖怪だった。
葉月の身体が、初めて見た妖狐の姿によって震えだした。幾度と無く妖怪の話は聞いてきたが、実際に見たことなど無かったからだ。いつか出会うだろうと覚悟はしていたが、所詮は覚悟だけであって、意識は恐怖に捕らわれた。力無く横たわる妖狐の身体がピクリと揺れ、閉じられていた瞳がゆっくりと開いた。勿論、葉月の存在によって。
妖狐の金色の瞳が葉月の姿を映した。その瞬間、止まりかかっていた思考が機能を取り戻し、葉月は着物を翻してその部屋から出ようとした。しかし、彼女はそこで足を止めてしまった。視界の片隅に紅いものが映ったのだ。また、鼻腔を刺激する錆びた鉄の匂いにも気付いた。突然の違和感に、彼女は震えている身体の向きを変えて部屋の中を見た。
光によってキラキラと輝く金色の毛が、所々に紅い斑点を残していた。…否、それは斑点ではなく、血液だった。力無く伸ばされた四肢からはそれが流れ出ていた。何らかの形で動いたので、身体全体に飛び散ったのだろう。
妖狐は「あっちに行け」と言わんばかりに、低く唸り声をあげた。剥き出した牙は鋭く、彼女など容易く殺められるだろう。葉月は踵を返そうとしたが、その妖狐から目が逸らせなかった。こうしている間にも、妖狐の身体から血液は流れ出ている。いずれ、妖狐の命は朽ち果ててしまうだろう。彼女の心に、恐怖心を上回る何かが浮かんできた。細く白い指を握り締める。

…そうだ。私だって、化け物なんだ。こんな紅い色をした人間なんて、この世で二つといる訳が無い。化け物が化け物を恐れる理由なんて…無い。

意を決したように深く呼吸をすると、彼女は着物を翻し部屋に背を向け走った。
草の上に無造作に転がっていた桶を手に取ると、社の裏にある湧き水を汲み上げた。そして素早く、また社の中へと戻った。

葉月の姿を見た妖狐は、目を見開いていた。そして次の瞬間には、その表情が威嚇になった。葉月がゆっくりと近づく度に、妖狐は唸り声をあげた。しかし、やはり動けないのだろう。葉月に鋭い爪を向けることは無かった。
恐怖もやはり残っていた。何で私はこんなことをしているのだろう、という疑問もあった。しかし、それを上回るのが、この妖狐を助けたいという想いだった。ただ純粋に、そう心に浮かんだ。妖怪を助けるなんて馬鹿げている。いつ自分に噛み付くか分からないのに。彼女も十分に理解はしていた。しかしそれでも、この金色の身体が血で染まっているのは…見ていたくは無かった。自分とは違う、その美しい金色の毛が…。
震える足で妖狐の前に立つと、妖狐は一層怒りを露にした。口元がピクピクと震えていて、怒りが今にも爆発しそうだった。逃げ出したい衝動に駆られたが、意志のある深紅の瞳は真っ直ぐに妖狐を見ていた。キッと一度睨むと、彼女は妖狐のすぐ前に膝を立てて座り、水の入った桶を置いた。立って見ていたら身体の大きさなど気にならなかったが、こう間近で見てみるとこの妖狐が普通の狐よりも大きいか分かった。葉月の華奢な身体を覆いかぶさることなど簡単だろう。
形良い桜色の唇を固く結ぶと、懐から真っ白な布を取り出して、桶の水につけた。その行動を、妖狐は監視するかのようにずっと見ていた。
「私は貴方を殺したりはしないわ。傷を診たいだけなの。」
真剣に、誠実に伝えた。彼女の綺麗な声は、妖狐の耳に届いただろう。ピクリと耳を揺らして、彼女をずっと見ていた。深紅の髪と瞳と、整った顔を。
たっぷりと水を吸い込んだ布を、傷口にゆっくりと置いた。妖狐が僅かに鳴声を漏らした。まるで、苦痛に耐えるような。葉月はハッとして、反射的に手を引っ込めた。ちょっと痛かったのかな…?労わるように優しく撫でて、先程よりも優しく布を置く。ビクリと震えたが、妖狐は何もせず、葉月にされるままで大人しくしていた。
チラリと横目で見れば、妖狐はジッと葉月を見ていた。怒りらしいものは見えなかったが、警戒心は解けていない。何時でも殺せるように、身体には力が入っていた。それでも今は、葉月の好きにさせていて、彼女の存在を受け入れたのだ。その事実が、嬉しかった。端正な顔に薄っすらと笑みが浮かぶ。
それを見た妖狐は益々怪訝な顔になるが、彼女の微笑みを食い入るように見つめていた。当の本人は、必死に妖狐の傷を診ていたので気付かなかったが。
「綺麗にして…それから、包帯を巻くわね。」
答えてくれる訳が無いが、葉月は声を掛け続けた。少しでも、意識を現実に戻してくれるよう。生きて、くれるよう。
おびただしい血液の量に戸惑ったが、思いのほか傷口は酷く無かった。しかし、失った血液はすぐには戻らないし、体力もまた同じだ。妖狐の身体は衰弱していて、葉月を威嚇したあれが最後の力だったのだろう。そう思うと、早く手当てをしなければならないという念が襲ってくる。この時、すでに葉月から妖狐への恐怖心は無くなっていた。自分の手が紅く染まるのも気にしないで、ただ一心に手当てに集中した。そんな彼女の姿を、妖狐はジッと見つめていた。

妖狐の両手足に薬草と包帯を施した時、辺りは漆黒の闇に覆われていた。銀色の月が静かに、大地へと光を捧げる。
月明かりは社の中へと差し込んで、まるで昼間のようだった。葉月は夜になった事を分かってはいたが、それでも妖狐の傍に居た。身体にこびり付いている血液を丁寧に拭き取り、白い指で時折優しく撫でたりした。妖狐も、葉月に害は無いと判断したのだろう。警戒を解いて、ただジッとしていた。
静かに響く妖狐の呼吸が、葉月には安らぎの鼓動のように聞こえた。それは何故か。初めて、受け入れられたからである。自分が近くに行こうものなら、大抵の人々は逃げるか、あるいは罵声をあげるかのどれかであった。しかし今、自分は傍にいる事を許された。許したのではなく、威嚇を諦めただけかもしれない。だが、自分という存在を受け入れたのだ。理由が何であれ、その確かな真実に葉月は心を震わせた。ああ、私のような人間でも、受け入れてくれるものは居るのだ。喜びに、涙が溢れそうだった。

銀色の月が傾き始めた時、彼女はようやく安堵の息を吐いた。妖狐の両手足はしっかりと包帯で巻かれ、血がこびり付いていた身体も綺麗になり、美しい金色の毛が現れた。ほとんど応急手当のようなもので安心は出来ないが、妖狐の穏やかな呼吸が『無事』という事実を現していた。葉月の口元に笑みが浮かぶ。
「…よかった…」
自然と、言葉が零れた。鈴のような声には、満足感と安堵が溢れ出ていた。今なら、この妖狐に食べられようとも許せるだろう。それほどにまで、彼女の心には今までに無い安らぎが生まれていた。身体から一気に力が抜け、床へと完全に座り込んだ。静かに、瞼を下ろす。
「…どうして、助けたんだ?」
ふいに響いた青年の声に、葉月はハッとして瞳を開けた。きょろきょろと辺りを見渡し人影を探す。しかし、見つからない。木の格子の間からは杉の木しか見えないし、人影らしいものは何処にも無い。部屋の戸もしっかりと閉じられている事から、この部屋に誰か入ってはいない。可笑しいな…。彼女は首を傾げる。
「何処を見ている。こっちだ。」
「…え?」
「窓ではない。お前のすぐ目の前だ。」
ゆっくりと、首を戻していく。目の前では、今まで横になっていた妖狐が首だけを起こしていた。金色の瞳が、真っ直ぐに葉月の深紅の瞳を見つめている。きょとんとしていた葉月の表情が、徐々に驚愕へと塗り変わっていく。妖狐の金色の瞳が悪戯に笑い、三本の尾がふわりふわりと揺らす。
「…ようやく、理解したか?」
「あ、貴方…しゃ、喋って…っ?」
「一体いつ俺が『喋れない』と言ったんだ?」
狐の顎から、人語が飛び出してきた。動物は喋れない、という既定の概念が根付いていたためだろう。しかし忘れていた。目の前に居るのは妖狐…妖怪だ。普通の動物ではない。人を殺める能力も持っていれば、人間が持ち得ないものも持っている。妖怪という範囲に、人間の常識は通らない。葉月はすっかり忘れていた。
しかし、恐怖心が湧き上がる事は無く、寧ろ嬉しかった。最も初歩的な意思疎通をしている、と。
「…あ…怪我は…平気…?」
恐る恐る訊ねると、妖狐は「お前の、要らぬ節介のお陰で。」と答えた。葉月は喜びで胸が跳ねた。初めて会話をしている!その内心を隠し切れず、葉月は微笑んだ。すると妖狐は首を傾げ、怪訝な眼差しを向ける。
「…何故、助けた?人間に助けられるいわれは無い。」
妖狐の金色の瞳には、疑いの色があった。葉月もそれを理解していた。彼女は桜色の唇に笑みを残し、妖狐の瞳を見て答えた。
「私が、助けたいと思ったから。」
「答えになってないな。」
「これが理由なんだけれど…駄目、だったかしら?」
葉月は首を傾げて妖狐をうかがった。さらりと深紅の髪が流れる。彼女の瞳を暫く見つめてから、妖狐はまた床に寝転がった。
「…人間は、分からない。何が望みだ?…俺を殺して手に入る、名誉か?権力か?」
げんなりと、妖狐は確かに言った。静かな口調からは、哀愁のようなものが溢れていて、葉月は眉を下げた。…彼もまた、安らぎの無い生活を送ってきたのだと、その一言から容易に察することが出来たからだ。自分と、重なるものを感じた。
「…私は、そんなものを望んではいないわ。」
妖狐は首を動かし、葉月の顔を覗いた。その瞳を見れば、嘘か誠かすぐに分かる。桜色の唇は多く語らないが、深紅の瞳は幾度と無く訴えていた。名声など要らない、と。
「…貴方を手当てしたのは、私がしたいと思ったから。貴方が生きているなら…それでいいの。」
静寂の中で、葉月の優しい声が響く。妖狐の金色の瞳は、月明かりに照らされた彼女だけを見ていた。透き通った白い肌と、深紅の髪を。暫くして彼は「…そうか」と小さく呟き、再び瞼を下ろした。金色の身体が、呼吸に合わせて上下する。
葉月は、ふぅ…と息を吐き出し、自分の手を見た。妖狐の血が所々付着していた。桶の中へ手を入れ、静かに水で洗い流す。
―私の髪の色と、同じね。
水に溶けていく彼の血を見てそう浮かんだが、何故か嫌な気がしなかった。彼の血の色と同じなら、いいかな。
「…おい。いつまで居る気だ?」眠っていたと思っていた妖狐が口を開いた。
「やっぱり、居ちゃ駄目なの?貴方が心配なんだけど。」
「人間に心配されるほど、落ちぶれてはいない。」
妖狐は冷たく言い放ったが、葉月は生憎そういった扱いには慣れていたので平気だった。それに、両手足に巻いた包帯は、常に清潔にしていないといけないのだ。換えなければ、折角治っていた傷口が逆戻りになってしまう。葉月はその意をしっかりと妖狐に伝えた。妖狐は怪訝な目をしたが、葉月の姿勢があまりにも強情だったので、「…好きにしろ」と一言短く言い放った。不謹慎にもそれが嬉しくて、彼女は笑みを零した。ありがとう、と言った彼女の微笑みは、月明かりを受けて儚さを醸し出していた。あまりにも優しすぎたその笑みが。

包帯を替えた時には、銀色の月が半分ほど傾いていた。
妖狐の手当てをした葉月は眠ることは出来なかったが、彼女には満足感があった。今まで、こんな風に誰かに尽くすことは無かったからだ。妖狐は迷惑がっているだろうが、彼女は彼が生きているならそれでよかった。
ふいに冷たい風が入り込んできて、葉月は身震いをした。冷たさが背筋を伝い、無意識のうちに身体を擦った。流石に上掛けが一枚も無いというのは、辛いものだと今更気付いた。しかし、いずれ朝になれば温かい光が入ってくるだろう。彼女は寒さを抑え込んで、木の格子から覗く月を見上げた。
ギシリと、床が突然声を上げた。ハッとして振り返れば、妖狐が両手足で起き上がっていた。悠々としてその立ち姿に思わず見惚れたが、彼女は慌てて近寄った。
「まだ足が治ってないのに立ったら…」
いけない、と言おうとした。しかし、その言葉を飲み下してしまった。葉月の華奢な身体に、妖狐が擦り寄ってきたのだ。
彼がそんな事をするとは全く予測していなかったために驚いたが、それ以上に驚いたのが、未だ感じた事の無い柔らかい毛並みと温もりが自分を包み込んでいた事だった。驚きによって身体の力が抜け、葉月は床に倒れこんでしまう。すると妖狐は、彼女の身体に自分の身体を密着させて座った。三本の尾が、彼女の身体を全て包み込んだ。まるで、寒さから守るように。
言葉が上手くでない。どうしようかと忙しなく身体を揺らし、困惑を隠せない深紅の瞳は、ただ妖狐の瞳を見つめた。
「…あ、あの…」そう問いかけても、彼はまるで聞こえていないかのように瞼を閉じた。しかしその代わり、彼女を包み込む尾に力が入り、金色の毛で覆われた身体に押し付けた。
じんわりと伝わってくる温もりが、身体を温めていく。こんな風に抱き締めてくれたのは、遠い昔この世を去った母親だけだったのを思い出した。
耳に伝わる彼の鼓動、生きている証の呼吸、包み込んでくれる温もり…。彼から直に伝わる全てが、彼女の心を震わせた。
ゆっくりと腕をあげ、恐る恐る金色の毛を撫でた。すると妖狐は低く喉を鳴らした。それは怒りではなく、安堵だった。
お返しとばかりに身体を丸めて、葉月との距離を縮めた。彼女はゆっくりと身体の力を抜いて、彼の首に凭れ掛かった。視線を動かせば、すぐに映る彼の横顔。瞼は閉じられているが、眠ってはいないだろう。
満たしていく温もりが、涙を誘うようだった。ぐっと耐えて飲み込む。彼の頭へ手を伸ばすが、触れる勇気が無かった。もしかしたら、嫌がるかもしれない。でも…、と彼女は迷い、その白く細い指は触れるか触れまいかで、空を彷徨う。
しかし次の瞬間、再び彼女は息を呑んだ。彷徨っていた白い手へ、妖狐自ら頭を差し出したのである。そろりそろりと手を動かし、毛並みに沿って撫でる。彼は気持ちよさそうに喉を鳴らした。
その刹那、今まで耐えていた想いが急激に溢れ出た。視界が水中にいるかのように歪み、頬を冷たいものが伝う。それが涙だと理解するのに、時間は要らなかった。まるで湧き水のように涙が溢れ出てきて、ついに嗚咽も零れた。今まで辛いことがあっても、決して彼女は泣かなかった。全て飲み込んで、小さな身体に溜め込んで生きてきた。そうしなければ、この世界では生きてはいけなかったから。自分の存在を受け入れてくれない、この世界では…。
しかし、すぐ隣にある温もりに触れたとき、今までの苦悩を全て吐き出すかのように涙が初めて溢れ出た。妖狐の身体にしがみついて、喜びと悲しみの入り混じった嗚咽を零し続けた。妖狐はただじっとして、彼女を包み込む身体に力を入れた。ふわりと、彼女の柔らかい甘い匂いが鼻を掠める。
互いが持つ寂しさを埋め合わせるかのような朝方の出来事。妖狐にとっても葉月にとっても、印象の残った一夜だった。

瞼の上から差す強烈な光に、葉月はゆっくりと瞳を開けた。格子の間からは銀色の月ではなく、太陽が見えた。どうやらあれから眠ってしまったようで、一夜明けたことになる。葉月はハッとして部屋の中を見渡す。
…金色の身体が、見当たらない。ずっと隣に感じていた温もりが、無い。
慌てて起き上がると、木の戸を開けて外へ飛び出した。
広がる光景は、普段見ていたものと一緒だった。古ぼけた鳥居も、長く生きた杉の木も、全て。
「…そっか…居なく…なっちゃったんだ…」
自分は人間で、彼は妖怪。向こうが嫌になって、きっと出て行ったのだ。いや、元々繋がりなど無かったし、自分が勝手に節介を掛けただけだ。関係など…無かったではないか。妖怪と人間は、相容れない存在なのだから。
そう頭で感じた。しかし、葉月の心にはぽっかりと穴が開いていた。何かが、欠けていた。何かが足りなく、隙間風が通り抜けていく。肌寒い風が、葉月の深紅の髪を弄んだ。
満たされない気持ちの正体が分からず、彼女は戸惑った。
しかし、葉月は最も気付かなくてはならない存在に、気付けないでいた。彼女のすぐ後ろで、下賎な笑みを浮かべる者が居たことに…。

パキリ、と木の枝が踏まれる音がした。瞬間、彼女の背筋が凍りついた。もしかしたら彼ではないかと一瞬よぎったが、突き刺さる視線には、明らかに冷たいものを感じた。…そう、道を歩くたびに浴びていた視線によく似ていた。
徐々に近づいてくる複数の足音に、彼女は振り返ることも逃げることも出来なかった。身体が恐怖で固まってしまったのだ。
すぐ背後に何かの存在を感じた時には、すでに彼女の細い腕を何者かが掴んでいた。蒼白になった顔をあげれば、其処に居たのは小汚い身なりをしていて腰に刀を差した男だった。その後ろにも同じような男が一人居た。彼らが何なのか…すぐに分かった。この辺りに住み着いた、山賊だ。彼らはその小汚い顔にニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべると、彼女の全身を視線で舐め回した。
「おい見ろよ、こいつの髪の毛と目の色。まるで化け物だ。」
「ああ。人間じゃねぇな、こりゃ。」
冷たく吐き捨てられたその言葉に、彼女は涙が溢れた。…そうだ。自分は人ならざる姿を持った人なんだ。こう言われるのが普通なんだ。しかし、分かってはいても、その言葉は彼女の心を十分過ぎるほど抉り、深い傷を残した。身体が絶望で重くなっていく。そんな彼女の内心など到底理解出来ない山賊達は、汚らしい笑みを浮かべたまま彼女の顔を無理矢理あげた。
「化け物だが…上等な女だぜ。こいつ。」
「最近はあの狐をずっと追っていたからな。女を見るのは久しぶりだぜ。」
野太い声が紡いだ言葉に、彼女は目を見開いた。今、この男は、何と言った?狐と言った?
ふいに浮かぶ、手負いの妖狐。今思い起こせば、あの傷口…自然に出来たものではなかった。鋭利な刃物で斬り付けられた痕跡だった。

…まさか、まさか、目の前にいる…この山賊達が…?

そう直感で感じ、胸の奥からふつふつと怒りが湧き上がってきた。しかし、彼女は腕を掴んでいた男によって地面へと押し倒された。華奢な身体は、簡単に押さえつけられてしまう。至近距離に感じる男の荒い息に、身体が恐怖で凍りついた。必死になって抵抗するが、細い腕では対抗出来る訳が無かった。それでもなお葉月は暴れた。何とかこの状況から逃げ出せないかと。しかし、その抵抗は男達の欲望を掻き立てるだけだった。屈強な腕は葉月の両腕を拘束して、彼女の頭の上で押さえつけた。その間には、空いている手が彼女の細い身体を撫で回した。恐怖が全身を駆け巡り、彼女は声をあげて抵抗した。
「大人しくしていろ、この化け物が!」
容赦無く、頬を打たれた。白い肌に赤く痣が残る。痛みで頭が朦朧とする。彼女の抵抗が緩くなった隙に、着物の帯を解きにかかった。耳には荒い息が掛かり、気持ち悪さだけを与えた。

痛みで朦朧とする中、彼女の頭には、昨夜のことが浮かんだ。
月明かりに照らされた手負いの妖狐が、しなやかで美しい身体で自分を温めてくれていた。安らぎと、睡眠を与えてくれた。
彼の横顔が、ただ脳裏に浮かぶ。彼女は其処で気付いた。この傷ついた心に欠けていた何かを。埋めなければならない存在を。

―私は…貴方が…――

透明な涙が一筋、頬を伝った。

その瞬間、境内の温度が急激に冷えた。全身を刺激する得体の知れない何かの存在に、男達は動きをぴたりと止めた。
その時葉月には、現れた存在が何なのかすぐに分かった。薄っすらと口元が緩んだ。

「な…何だ。この感じ…」
「お、おい。まさか…あいつじゃ…!」
冷や汗が全身を伝い、地面にぽたぽたと染みを残す。覚えのある雰囲気に、山賊達は身震いした。膝がカタカタと震えだし、屈強な顔が恐怖で歪んだ。木の葉が、はらりはらりと風に舞う。
男のうちの片方が腰にあった刀に手を伸ばす。その刹那、一陣の強い風が吹き抜けた。耳障りな風の音が、全てを攫って行った。攫って行ったもの…それは…
「っぎゃぁぁぁあああぁぁあ!!」
刀の柄に掛けていた手が、肩からごっそりと無くなっていた。勢いよく噴出す鮮血が、とめどなく溢れ出る。ごとり、と鈍い音を立てて落ちてきたのは、その男の腕だった。葉月は声にならない悲鳴をあげ、その場から遠のいた。
「ひっ!?」
情けない悲鳴をあげ、残った男は腰を抜かした。風を引き連れて現れた、その主を見て。葉月の端正な顔が、安堵で歪んだ。

三本の尾が風で揺らめく。美しくしなやかな金色の身体からは、圧倒的な殺意と威圧感が溢れ出ていた。怒りに染まった瞳が、山賊を睨み上げると、男は恐怖で顔が歪んだ。
妖狐が唸り声を咆哮へと変えた刹那、太陽の光が凍てついたものに変わった。突如青白い炎が大地を走り、四方を囲む。男が逃げる隙など与えず、青白い炎は一気に凝縮して男に牙をむいた。男に関わっていたもの全てを飲み込み、青白い火柱が天を高く仰いだ。

辺りが再び普段の空気に戻った時には、目の前に山賊の姿は無く、塵も残していなかった。
葉月は着物を直さず呆けて、妖狐の姿をじっと見つめていた。彼もまた、葉月を見つめていた。毅然とした足取りで葉月の前まで歩いてくると、彼は一言も話さず彼女を担ぎ上げ、あの社の中へと入っていった。葉月は、彼が今何を考えているのか分からなかった。ただ、直に感じる温もりに涙が流れたのは、偽りの想いからではなかった。

社の中では、葉月の嗚咽が響いていた。途切れ途切れに「ありがとう」という言葉が混じり、精一杯の感謝が溢れ出ていた。
妖狐は何も言わなかった。しかし、その代わりに彼女の傍から離れずに温もりを与え続けた。
空が緋色になりかけた頃、ようやく葉月の身体から凍てついた恐怖が溶けた。大きな安心感に包まれて、彼女の中からは山賊達の存在が消えかかっていた。
すると、今まで沈黙を守っていた妖狐がぽつりと呟いた。
「…二、三日前に、山賊どもに出くわした。その時しくじって、あいつ等の刃を避けきれなかった。」
葉月は、ただ妖狐の声に耳を傾けていた。心地良く響く彼の声からは、何処か困惑したものが含まれていた。
「…あれは、俺の首を狙ってきた連中だ。」
「…うん。」
「…それだけか?俺のせいでお前は危険な目に遭ったんだぞ?何故咎めない?」
酷く困惑していて、葉月を責め立てるように金色の瞳が揺らいだ。しかし葉月は、ただ優しく微笑んだ。妖狐はその笑みに、息を呑んだ。
「…もう、いいの。助けてくれたから。」葉月はその一言に、自分の想いを籠めた。
「…狐は騙すものだと、知っているだろう。いつまた危険な目に遭うか、分からないぞ。」
彼の問いただす言葉の中には、別の感情が含まれていた。まるで葉月の気持ちを確かめるような…。彼女はそれに気付き、ふわりと笑みを零した。
「…それでもいい。私は…」
最後まで言わず、言葉の代わりに彼女自身の温もりを妖狐に与えた。細い腕を彼の首に回し、彼の匂いを吸い込んだ。
妖狐は静かに瞼を下ろすと、彼女の身体を抱きしめるように包み込み床に横たわった。
緋色の光は、社の中を温かく照らした。銀色の月が現れるまで…あと少し。

世界が静寂に包まれたとき、葉月は瞳を開けた。暫く眠っていたのだろう。緋色の光は見えず、漆黒の闇さえ照らしてしまう月明かりが自分達を浮き彫りにしていた。銀色の月が、静かにこちらを見つめている。
すぐ隣には、妖狐が眠っていた。穏やかな呼吸が響いている。ちゃんといてくれたことに深い安堵を覚え、愛しがるようにその横顔を眺めていた。もぞもぞと身体を動かし向きを変えれば、彼との距離が縮まり、金色の手の上に深紅の髪が重なった。
「…眠れないのか?」
はっとして顔をあげれば、金色の瞳がこちらを窺っていた。先程動いた振動で、目が覚めたのだろうか。いや恐らく、最初から目が覚めていたのだろう。ふわりと微笑み、彼の身体にもたれかかった。その拍子に、彼女の甘く柔らかい匂いが妖狐の鼻を掠めた。
「…ううん。ただね、幸せだなーって思ったの。」
「…?しあわせ?」
「…今まで、こんな風に誰かと寝ることも話すことも出来なかったから。」長い睫毛が、彼女の瞳に影を落とす。

「…俺も、一人だった。」
妖狐の突然の告白に、彼女は目を見開いた。思わず身体を起こして、彼を見下ろした。妖狐はそれ以上何も言わず、ただ金色の瞳で彼女に語りかけていた。見つめ合う静かな時間が、通り過ぎた。
彼の真っ直ぐな瞳に恥ずかしくなり、彼女は瞳を逸らした。桜色に染まった頬は隠しきれず、月明かりに照らされた。
すると、金色の身体がしなやかな動きで起き上がり、彼女の目の前で再び座った。普段見ていた彼の金色の瞳の奥に、今まで感じたことの無い何かが見え、彼女は戸惑った。
しかしそんな事を考えた次の瞬間には、唇に温かな温もりが降りてきた。視界一杯に広がる金色に、彼女はすぐに理解した。
妖狐に、口付けられている、と。
突然の事で驚き慌てて離れようとしたが、妖狐はそれを許さず、彼自身の舌で彼女の唇を割った。入り込んできた温かい感触に、彼女の頬が赤みを増す。
妖狐は彼女の可愛らしい舌を捕らえると、激しく口内を犯した。
「んっんっ…っは…んぅ…っ」
息をする暇さえも与えず、執拗に舌を追い回す。ゾクゾクと背筋を痺れが走り、彼女は切なげに顔を顰めた。初めてした口付けは酷く荒々しく官能的で、彼女はどうすればいいか全く分からなかった。
「んん…っん…ぅん…っ」
くぐもった声が唾液と共に溢れ出て、苦しさと痺れが混ざり合い意識を朦朧とさせる。
葉月の強張っていた身体から力が抜けるのを察知した妖狐は、隙を見計らって彼女を床に押し倒した。そうしている間にも、彼は彼女の口内を犯し続けた。
互いの唇が離れれば、名残惜しそうに透明な糸が伝った。白い肌が桜色に染まっていて、深紅の瞳が熱っぽく彼を見つめていた。床に広がる深紅の髪が、彼女の肌の白さを余計に際立たせる。
あまりにも艶かしい女の表情を垣間見て、妖狐は自分の中で欲望が大きくなるのを感じた。
「っはぁ…な…んで…?」艶のある声が、妖狐の耳を刺激する。
「…欲しい。」
「…えっ…?」
ただ一言、妖狐はそう囁いた。しかしその一言に、彼のありったけの感情が込められていた。ざらついた熱のある低い声、彼女を見る目もまた欲望を隠せていなかった。相手は妖狐であっても、その表情は欲望に駆られた男そのもので、彼女の感覚が揺らいだ。彼が言う「欲しい」とはつまり…―。それを理解した時、彼女は身体を火照らせた。
「…っは…い…」
彼女は、視線を泳がせ顔を真っ赤にしてそう答えた。それを聞いた瞬間、彼の欲望が最高潮に達した。先程とは比べものにならない、しかしそれでいて優しさのある激しい口付けを贈った。
「んん…っはっ…で、でも…っ」
「…っ何だ…」
葉月の熱っぽい声に、妖狐の身体が震え上がる。口付けを止めて彼女の言葉に耳を傾けるが、その間も彼は耳の裏を舐めたり、耳朶を甘噛みしたりと休む暇無く身体に快楽を与えた。彼女は敏感に反応し、可愛らしい声を小さくあげる。
「あ…わ、私…は、初めてでどうしたらいいか…っん…」
真っ赤に染まった顔を手で隠しながら、彼女はそう呟いた。妖狐は一瞬目を見開いたが、すぐに穏やかに微笑んだ。彼女が体験した事の無い最高の快楽を自分が与える事が出来るのか、と妖狐は喜びを隠せなかった。
鼻先で白い指をつついて退かす。彼女の潤んだ瞳には、不安と期待が隠せないでいた。ぺろりと涙を舐めると、妖狐はざらついた声で囁いた。
「着物を脱げ。全部だ。」
「う…うん。」
震える手で、ゆっくりと着物を床へ落とす。その瞬間に、彼女の甘い体臭が妖狐の鼻腔を満たした。着物を着ていたために分からなかったが、彼女の身体は女そのもので、豊かな胸が妖狐の前に差し出された。月明かりは透き通った肌を照らし、柔らかそうな彼女の身体を照らす。
服を纏わない、生まれたままの葉月の姿に、妖狐はゴクリと喉を鳴らした。
素肌を晒した事により、彼女の羞恥心が身体を染めた。震える身体を隠すように、自らの腕を上半身に絡める。
すると妖狐は耐えきれなくなったように、その裸体を着物の上に再び押し倒し覆いかぶさった。
妖狐は音を立てて口付けをすると、首筋、鎖骨と徐々に下がってゆく。そして、女であることを主張するその柔らかそうな豊かな胸に目をとめる。
「は、恥ずかしい…あんまり見ないで…」
「何故だ?すごく柔らかそう…」
妖狐は囁くと、彼女の胸の先を舐めた。ビリリッと痺れが走り、彼女は「きゃっ」と嬌声をあげた。甘い声に妖狐の興奮は高まり、今度はそれを口に含んだ。牙が当たらないようにと舌で包み込む。ねっとりとした温かいものが刺激を与え続け、背筋をしならせた。身をよじってみるが、それは妖狐を煽るだけで終わり、彼はわざと音を立てて吸ったり、舐めたりした。
ぴちゃぴちゃと水音が鼓膜を突き、あまりの恥ずかしさに目元を手で覆った。
「あ、ぁあ…っや…ぁぁ」
抵抗の言葉を漏らすが、身体は素直だった。今まで感じた事の無い痺れに戸惑いながらも、本能のままに反応していた。
小さな身体を震わせて、彼の与えてくれるものを必死になって掴んだ。
「硬くなってきたぞ。」
「え…っやだ…」
思わず顔を上げれば、妖狐はまるでその反応を分かっていたように、その胸を肉球で押し上げて彼女の視界にいれた。硬くなって胸の先をわざと見せつけ、彼はもう片方の胸を口に咥えた。そのあからさまな光景に、彼女は恥ずかしくなって妖狐の耳を掴んで抵抗した。しかし力の入っていない手は、少し甘い痺れが走っただけで簡単に落ちてしまう。びくんびくんっと身体が震え、せめてもの抵抗に膝を立てる。
そんな愛らしい反応をしてくれる葉月に、妖狐は欲望が増すばかりだった。白い肌や広がった深紅の髪が、彼女のすらりとした裸体を儚く魅せた。
妖狐は豊かな胸から身体を下げると、美しい曲線を描く腰を擦り、熱を誘う。彼の身体が下がった事により、彼女はハッとして顔をあげた。だってそのままいくと…―。
葉月は足を固く閉じて抵抗をした。しかし妖狐が少し力を入れて押し開ければ簡単に開いてしまった。
妖狐の前には、きらきらと光る露が、髪と同じ色をした深紅の茂みを濡らしている光景が広がった。白い足を伝い、着物に染みを作っていく。それは、妖狐の愛撫に酔いしれていた事を如実に表していた。
「…髪の毛も赤ければ、下の毛も赤いのか」
「っ?!」
妖狐の口から出た言葉に、彼女は裏切られたような気分がした。脳裏に浮かぶ、人々の罵声と侮蔑の視線…。彼女の瞳に、快楽によって流れた涙とは違う種類のものが流れ出た。
そんな事…言わなくてもいいじゃない。
声にならない叫びを上げ、嗚咽を必死に飲み下した。しかし、妖狐はそれをジッとみて一言呟いた。
「綺麗だな」
葉月の瞳が見開かれた。今まで欲しかった言葉が、今、聞こえたような気がした。
「…今…なんて…?」
「…ん?綺麗だ、と言ったんだが。」
きょとんとして首を傾げる。しかし葉月は、上の空で呟いた。
「…私…綺麗なんかじゃ…」
「どうしてそう思う?」
「だって…村の人や他の人も…気持ちが悪いって…」
散々罵りの種にされてきたこの深紅の色が、綺麗な訳が無い。まるで血の色だと、人間ではないと、化け物だと、幼い頃から口々に言われ続けた。「綺麗」なんて言葉…言われる価値はないと、思ってきた。
しかし今、目の前にいる妖狐がそれを全て否定した。
「何処が気持悪い。綺麗じゃないか。」
「うそ…」
「紅玉のような髪と瞳、水晶のような透き通った肌、瑞々しい桜色の唇…お前自身がまるで宝石そのものじゃないか。」
彼の低い声は、美しい秘宝を慈しむかのようだった。
迷い無く言われたその言葉に、葉月の中にあった劣等感が消えかかった。本当に?私は、醜い生き物ではないですか?
「…本当…?」
「…どうもお前は悲観的になるな…」
「だ、だって…ほ、宝石みたいだなんて…い、言われたこと無いし…っきゃ?!」
突然、下半身から痺れが襲った。口付けよりも更に甘くとろけるような感覚に、彼女は背を弓にして嬌声をあげた。
妖狐の舌が、彼女の敏感な部分を這い、蜜壺の入り口をなぞるように口付けていたのだ。誰にも見せた事が無い、まして自分でさえ見た事が無い所を、私は彼に曝け出しているのだ。その事実がどうしようもなく恥ずかしくなり、白い手が空をもがく。彼の耳を掴めば、必死に止めてくれるよう懇願をした。しかし艶かしい切なげな表情や色のある声は、説得力など皆無で、逆に彼の欲望を煽り続けた。
とろとろと溢れ出てくる蜜を音を立ててすすりながら、彼はふいに口を開けた。
「…俺は確かに狐で、人を騙してきた。」
「んっな…に…っ?ひぅっ…はっぁあ…」
彼が喋るたびに舌は不規則な動きをして、彼女は吐息を漏らしながら身をよじった。初めて感じる快感が彼女の思考を鈍らせ、彼が言っていることがよく聞き取れなかった。首を起こして彼を見上げれば、金色の瞳はこちらをじっと見つめていた。
「…俺はお前に対して、嘘などつきたくはない。俺がいつ、お前の事を『気持悪い』と言った?」
葉月は其処で、ハッとして気付いた。彼と過ごした今までの記憶を呼び起こして振り返れば…一度も、言われていない。初めて会った、あの時ですら。
「んっ…本当に…気持悪くない…っ?っあ…っ」
「気持悪くなどない。お前は…最高に綺麗な女だ。」
その言葉に、彼女の今までの苦悩の日々が消えて無くなった。歓喜の涙が溢れ出て、彼女は嗚咽を漏らして泣いた。
疎んできた、この忌々しい深紅の色を、彼女は今この時から誇らしく思えるようになった。彼が、ただ『綺麗』と言ってくれただけで。
「…本当は…すぐに返せばよかったんだ。」
「え…?きゃぁ…っ?!」
妖狐がふいに漏らした言葉に首を傾げた直後、蜜が溢れ出るその入り口から、彼の温かい舌がするりと入り込んだ。僅かな痛みを伴いながら、彼女の身体は震えた。
「あぁ…っやめ…っ」
葉月は彼の耳を掴んだが、それ以上の抵抗は無かった。その事に妖狐は気を良くして、彼女の内側の柔らかい肉壁を堪能した。まるで、甘い水飴を舐めているかのような感覚だった。
ゆるゆると何度も擦り、その度に彼女は甘い声をあげ、身体を桜色に染めた。
葉月の内側が、彼の舌を柔らかく締め付ける。その変化を感じ取った妖狐は舌を引き抜いた。
突然なくなった彼の感触に、葉月は困惑した眼差しを向けた。その中には、快楽の物足りなさと、何をするのだろうという期待と不安が入り混じっていた。
妖狐は愛液にまみれた自分の口元を舌で拭い取ると、彼は華奢な身体の上に覆いかぶさった。全身を刺激するくすぐったい毛先に、彼女はぴくりと反応する。
震える白い足を、彼は金色の足で優しく広げた。すかさず足の間に身体を埋め、体勢を低くした。
葉月は、自分の蜜壺に宛がわれた熱いものを感じ取り、びくりと反応した。それが何なのかすぐに分かり、彼女の頬が赤みを増す。
「あ、ま、待って…」
「嫌だ。待てない。」
「そ…!」
グチュッと水音を立て、彼の猛った欲望の塊が入ってきた。十分過ぎるほどに濡れていたので、容易くそれを飲み込んでいく。熱く柔らかい、それでいてきつい締め付けに、彼は荒々しく息を吐いた。
動き出したい衝動に駆られるが、葉月は男性を受け入れた痛みと戦っていたのを察知し、暫くじっとしていた。
「…大丈夫か…っ?」
「んん…へ、平気…」
心配掛けまいと、無理矢理のどの奥から声を絞り出す。しかし実際は、平気などではなかった。人間のものとは大きさが違うだろうという事は、初めての葉月でも理解する。今までの快楽が消し飛んだのだから。
しかし、それ以上に葉月が感じているのは喜びだった。これほどまでに彼と身体が密着していて、尚且つ彼自身を受け入れて繋がっているのだから。身体全体で感じ取る、彼の鼓動と温もり、荒い呼吸…全てが愛しかった。
それに彼は、自分の身体を愛撫しながら、これほどまでに欲望を高ぶらせてくれていたのだ。中で感じる質量はそれの証拠。恥ずかしさもあったが、自分を求めていてくれた事実が、何よりも嬉しかった。
「…んっ…でも…お、大きくて…っあっ裂けちゃう…っ!」
甘く囁いた声に、妖狐はどきりと脈打った。官能的な言葉に、妖狐は柄にも無く照れた。
葉月が呼吸するたびに、内側の壁が収縮し、妖狐を刺激した。それに耐え切れなくなり、彼は腰を動かした。ぐちゅぐちゅと厭らしい水音が静寂を破り、激しい快楽が満たしていく。
「あっやっぁんっ!ぁあっ!」
その動きは獣そのもので、激しい運動に彼女の細い身体が揺れる。そのたびに彼女の嬌声が溢れ出て、余計に妖狐の欲望を煽った。激しく揺さぶり、がむしゃらに彼女を求め続けた。彼女もそれに応えるように、首にしがみついて腰を密着させた。
彼女に余裕が出来た時には、二人の熱は溶け合っていて、白い身体と金色の身体が激しく絡まっていた。
「…っ返せば、こんな想いしなかった…っ」
「ひゃあっ!んぁっな、何…あぁん!?」
葉月の胸に妖狐はしゃぶりつき、快楽を重ねた。頭が可笑しくなるような痺れに、彼女はただ喘いで応えるしかなかった。
「あんなに冷たく突き放したのに…お前は優しいから…っ!」
涙で歪んだ視界には、彼の切なげな表情が映った。低い官能的な声には、切なさが込められていた。身体を揺さぶられながら、葉月は彼の声を聞いた。
「…一緒に居たあの夜から…ずっと欲しかった…!」
その一言に、彼女は胸を弾ませて、温かい気持が満ちていくのを感じた。彼女の上気した頬に、嬉しそうな笑みが浮かんだ。
震える指で妖狐の頬を撫でると、ただ一言「嬉しい」と囁いた。
すると、妖狐は腰を小刻みに激しく動かした。敏感な深い奥を擦り上げ、更に快楽を誘う。繋がった箇所からは蜜がとめどなく溢れ、激しい水音を立てる。妖狐の猛っているものが大きくなっているのに気付き、また彼女自身の身体の奥からも何かが這い上がってきた。ぞくぞくした痺れが全身を刺激する。
「あっやぁっ!な、何か変…っ!ま、待って、何か来るっ!」
未知なる感覚に彼女は怯え、妖狐の胸にしがみついた。それと同時に彼女の内側の肉壁が収縮し、妖狐の欲望を締め付ける。
今までよりも強く腰を打ちつけると、妖狐の今までの欲望が弾けた。グッと身体に力を入れ、惜しみなくその熱いものを勢いよく流し込んだ。
急激に駆け巡ってきた熱いそれに、彼女は声にならない叫びをあげ、背中をしならせて達した。視界が、白く霞んだ。

月明かりと妖狐の温もりに抱かれて、葉月はまどろんでいた。
激しい行為のため、身体はずっしりと重たかったが、自分の気持も身体も満たされて、これほどにない幸せを感じた。
熱の冷めない身体を妖狐に摺り寄せれば、彼もまた全身が熱かった。滑らかな素肌を密着させ、彼の匂いを吸い込む。
「…やはり、お前は良い女だ。」
「…え?」
「最高に、気持ちよかった。」
ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべれば、葉月は頬をぽっと赤く染めてそっぽを向いた。可愛らしい仕草に、妖狐は、くつくつと笑う。
「こういうのも、悪くないな。」
ふいに、真剣な声で紡いだ言葉に、葉月は顔を戻した。刹那、温かい感触が唇を包んだ。軽く触れるだけの、口付け。
「…何が?」
葉月がそう問えば、妖狐はふわりと微笑んだ。金色の瞳を細め、彼女を慈しむように見つめた。
「惚れた女の傍に、居ることも。」
その言葉に、彼女は目を見開いた。そして次には、すぐに歓喜に満ちた笑みを浮かべ、妖狐の首に抱きついた。
妖怪とか、人間とか、そういったものは一切関係なく、初めて自分を綺麗だと言ってくれた彼だからこそ嬉しかったのだ。
言葉にならない喜びを表現するため、彼女は妖狐の頬に口付けた。
頬に広がる温もりに妖狐はどきりとしたが、それが彼女なりの答えだと気付き、嬉しそうに三本の尾を揺らした。

妖狐はおもむろに立ち上がると、うつ伏せになっていた彼女の上に覆いかぶさった。背中に舌が這わされ、熱が再び湧き上がってきた。身震いし、妖狐を見上げた。彼女の瞳は潤んでいて、妖狐の瞳もまた情欲に満ちていた。
深紅の瞳と金色の瞳がぶつかると、二人の唇が重なる。それはまるで、華に魅せられた蝶のようだった。
ゆっくりと互いの唇を貪り、自然と入り込んできた温かい舌を絡めた。

お互いが持っていた寂しさも、欲しがっていた温もりも、求めていた言葉も、全て『幸福』によって満たされた。
種族が違っても、抱いた想いは同じで、其処に理屈は要らなかった。
幸福に浸る二人を祝福するように、銀色の月は静かに微笑んだ。

月さえも虜にした紅玉は、慈しんでくれる金色の獣の傍からずっと離れず、共に大地を歩いた。



【 fin 】


-モドル-

是非、作家さんの今後の製作意欲のためにも感想や応援を、拍手やBBSなどによろしくお願いします。 m(^о^)m

(拍手される場合作家さんの名前を始めに入れてくださると誰への拍手なのか特定できて尚嬉しいです♪)