本家[蒼見鳥]  >  もう一つの世界  >   SS  > 【生尾人、妖しの蠱術師に出会うのこと】


SS:ヴーク


 
 幾筋かの白い煙が、地上から立ち昇っている。
 か細く、薄い煙であった。

 ここは、遮るものとてない広大な平野だ。
 その平野の至る所に、無数の屍体が転がっていた。

 ここで、大規模な戦闘があったのだ。

 その証拠に、屍体は全て、鎧を身に着けていた。
 胸を割られた屍体もあれば、首のない屍体もある。
 矢が突き刺さった屍体。
 剣を握り締めたままの屍体。
 虚ろに、眼を見開いた屍体もあれば、はらわたが零れている屍体もある。

 しかし、それらがどう言った様相を呈しているにせよ、全て、冷たくなった骸であった。

 立ち昇る煙は、火矢の燃えかすだろうか。
 或いは、火炮でも使われたのかもしれなかった。

 胸の悪くなる臭気が、辺りに充満している。

 時刻は、もう、日が沈もうかという頃合であった。

 その黄昏色に染まる戦場跡を、頼り無げに歩く影がある。

 小さな人影であった。
 フードのついたマントを羽織っているのだが、それが、不釣合いに大きい。
 いや、マント自体は、普通の大きさなのだが、持ち主の体格と比べると大きく見えてしまうのである。
 それぐらい、その人影は小柄であった。
 子どものように見えるが、フードに隠れて顔が見えないため、実際のところは分からない。

 身に付けているマントは、ひどく古ぼけていた。
 元は、もっと明るい色だったのだろうが、今は、茶色く汚れて、煤けている。

 その人影が、屍体の側に寄って、ごそごそと何かをやっていた。
 屍体が握り締めている、剣を取ろうとしているようだった。
 きつく巻き付いている指を、苦労して剥がす。

 少しよろめきながらも、血糊の浮いた剣を持ち上げた。
 それを、自分の背後の地面にそっと置く。
 見れば、そこには穴の開いた板切れがあって、刃の欠けた剣や、折れた剣が何本か既に乗っていた。
 板には、縄が結び付けられていて、それをその人影は引っ張っているのだ。

 びょう、と生温い風が吹く。
 血や、肉や、吐瀉物の臭いが混じった、凄まじい風だった。
 その風に煽られて、人影のフードが捲れ上がる。

「あ」

 小柄な人影が、声を上げた。
 小さな体格に相応しい、小さな声である。
 女の、と言うよりは、少女の声であった。

 菫色の、やや癖のある髪が覗いた。
 空色の瞳が、何かに怯えるように周囲を見渡す。
 慌てて、フードを被り直そうとしていた。

 少女が、フードで隠そうとしていたもの――。
 それは、自分の耳だった。
 菫色の髪から見える少女の耳は、人のものとは違う形をしている。
 獣のそれと同じ、茶色い獣毛に覆われた耳であった。
 ある種の犬と同じように、下に向かって垂れている耳である。

 少女は、人ではなく亜人であった。
 もぞもぞと、マントの下で何かが動いているが、多分、少女の尾だろう。

 この地は、亜人への差別意識が強い。
 ただ、亜人であると言うだけで、殺されることもあり、それを咎めるものも居ない。
 だから、この少女にとって、生きていくことはかなり辛いものであった。

 それでも、日々の糧は必要である。
 戦場で拾い集めた剣や鎧を持っていけば、幾許かの金に換えてくれる冶金師もおり、そのために、少女はここにいるのであった。
 どれ程集めても大した稼ぎにはならないが、きちんと取引に応じて貰えるだけでも僥倖である。
 物だけ奪われて、暴行を受けたり、殺されたりした亜人の話など、珍しくもなかったのだ。

 少女がフードの縁を両手で掴み、眼の位置までそれを下ろす。
 板に結んだ縄を掴んで、引っ張ろうとした。
 そこへ、何か囁き声のようなものが、少女の耳に届いた。
 最初は、錯覚かと思えたが、段々とその音が近付いてくる。

 明らかに、複数の声が混じっていて、叫び声や笑い声までが聞こえた。
 少女と同じ目的で戦場を漁るものは多く、中には野盗や追い剥ぎ同然のものもいる。
 そうでなくても、こんな所で幸運な出会いなどあるわけもなく、少女は逃げ出す算段を決めた。

 ほつれかかった縄を握り締め、声が聞こえる方向とは逆方向へ、身体の向きを変える。
 くるりと踵を返すと、目の前に、鎧姿の騎士らしき人間が立っていた。
 何時の間にか、誰もいなかった筈の彼女の背後に、それは現れたのだ。
 しかし、問題はそんなことではなかった。

「ひ」

 少女は、悲鳴を上げかけ、それを呑み込む。
 何故なら、その鎧姿の人間には、首から上が無かったのだ。
 首の、丁度、喉の辺りからばっさりと切り取られており、鮮血が溢れ続けている。

「おう、小娘がおる」

 その首なしの騎士が、言葉を発する。
 見れば、左手に何かを抱えており、それは干乾びた人間の首であった。
 それが、黒い割れ目のような口から、声を出しているのだ。

「真に、小娘がおる」

 別の声が、少女の足元からする。
 それは、子牛ほどもある蟇蛙であった。
 眼が、両生類のそれではなく、人のものであった。

「小娘じゃ」
「小娘じゃ」

 口々に言いながら、様々なものが少女の周りに集まってくる。

 犬の頭をした、法衣姿の神官。
 馬ぐらいの大きさの蜘蛛。
 目玉が幾つも集まった塊。
 髪が、炎で包まれた女。
 おぼろげに、身体を光らせながら、宙を泳ぐ魚。

 その他、この世のものとは思えない輩が、無数に居た。
 かたかたと、少女は身体を震わせる。

「丁度良い、腹が減っておったところよ。喰ろうてしまおう」
「喰おう」
「喰おう」

 首なしの騎士が言うと、周囲のものたちも、一斉に和す。
 少女は生きた心地も無かった。

「いや、待て」

 犬の頭をした神官が、唸り声と共に言った。
 ひくひくと、長い鼻面をひくつかせる。

「こやつ、亜人ぞ」
「何」
「何」

「亜人はいかん」
「うむ、亜人はいかん」

「肉が、不味いからな」
「血が、臭いからな」

 真中に赤子の顔がついた車輪が言うと、眼のない蛇が応えた。
 にたにたと嗤いながら、髪が燃えている女が、少女のフードを払う。

「ああ、本当だ、汚らしい獣の耳がついているよ」

 そう言って、耳障りな甲高い声で嗤った。
 人の目玉や、腕や、歯が、浮かんだり沈んだりしている泥の塊が、しゅう、と音を立てて、人の言葉を紡ぐ。

「では、どうする」

 一瞬、辺りが静まり返る。
 また、首なしの騎士が言葉を発した。

「殺してしまおう」

 首なし騎士が、言う。
 人の眼をした、巨大な蟇蛙が口の端を吊り上げた。

「おう、殺してしまおう」
「殺そう」
「殺そう」

 腕を千切ろう、脚を?ごう、腹を割こう。
 眼を抉ろう、はらわたを掻き出そう、骨を折って口から取り出そう、胸を割って心の臓を引き抜こう。
 恐ろしいことを言いながら、異様な姿のもの達が、少女に迫ってくる。

 少女は思わず、地面にへたり込んだ。
 腰が抜けてしまったのだ。
 震えて、叫びだしたいのに、声が出ない。

 もし、叫ぶことが出来たら。

 そうしたら、その声が切っ掛けとなって、この異形のものたちが、一斉に襲い掛かってくるのではないか。
 そういう恐怖もある。
 しかし、じわりじわりと迫ってくる彼らに耐えるよりはましだ。

 叫びたい。
 狂ったように叫びたかった。
 しかし、声は出ない。
 ひゅうひゅうと、壊れた笛のような音が、喉から漏れるだけだ。

「おい、おまえら」

 不意に、場違いな程に気軽な口調の声が、降ってきた。
 首なしの騎士も、巨大な蟇蛙も、それ以外のものたちも、動きを止める。

 少女も、何事かと思ったが、顔を上げることが出来なかった。
 顔を上げれば、あの、不気味なものたちを見なければならないからだ。
 眼を伏せて、地面だけを見詰めている。
 かたかたと、全身の震えを止められずに、地面だけを見ていた。

「そいつ、殺すのかよ」

 緊張感の無い声が、言葉を続ける。
 異形のものたちが、ざわめいた。

「おう」

 声に、異形のものが応える。
 首なしの騎士だろうか。

「止めとく、てのは、なしか」
「何」
「おまえら、そこのちっこい娘に喚ばれたんだろ? 俺は、その娘に用があるのさ」
「ふざけおって」

 異形のものの声が、怒気を含んだ。
 がちがちと、牙が鳴る音がする。

「多少の功力はありそうだが、出しゃばるな、人間め」

 別の声が、また、した。
 泥を煮るような、低い声である。
 く、く、く、と笑いを噛み殺す気配が、少女の耳に届いた。

「俺が、人間に見えるのか、おまえら」
「ぬ」
「ぬ」

 呻く。
 異形たちが呻いている。
 何かに気付いたように、あ、と声を上げた異形がいた。

「こやつ、蠱術をやっておるぞ」
「何」
「何」

「蠱術はいかん」
「蠱術はいかん」

「関わると、面倒じゃ」
「たちが、悪い」
「うむ」
「うむ」

 そういう声が、幾つも上がって、ざわざわとした気配が去っていく。
 最初に少女が感じたのと逆に、はっきりとした声がどんどん遠ざかり、囁き声のようになって、遂には何も聞こえなくなった。

 辺りが静まり返っても、少女は顔を上げることが出来ずに、蹲っている。
 どうやら、あの怖いものたちは去ったようだが、彼らを追い払ったものが、何者か分からない。
 それが、恐ろしかった。

「おい」

 声を掛けられる。
 びくん、と震え、しかし、無視するわけにもいかず、少女は恐る恐る視線を上げた。

 そこに、一人の男が立っていた。
 背が高い。
 若い、男であった。
 年の頃は、二〇代の前半ぐらいだろうか。

 真っ黒な髪が、眉に掛かるぐらい、伸びている。
 余り、手入れをするほうではないのだろう、髪の先端が、好き勝手な向きに、尖っていた。
 奇妙なことに、その男は、右目を固く閉じている。
 傷があるわけでもないのだが、開いているのは左側の眼だけであった。

 その、開いているほうの目つきが、鋭い。
 薄い、灰色がかった瞳であった。
 抜け目の無い肉食獣のように、少女を見ている。
 しかし、その眼に溜まっている光には、好奇心の色が浮いていて、口の端が、僅かに上がってさえいた。

 腹が一杯のときに現れた獲物と、どう遊ぼうか思案している獣のような空気を、その男は纏っている。
 法衣のような、マントのようなものを、羽織っていた。
 だから、身体の輪郭は分かるのだが、その下に何を身に付けているのかは、分からない。

 その輪郭が何処か、歪だった。
 右腕がある筈の部分が、異様に盛り上がっている。

「ああ言うの、よく視るのか」

 男が、のんびりとした口調で尋ねた。
 ああ言うの、とは先刻の恐ろしい姿をしたもの達のことだろう。
 少女は、こくり、と頷いた。

「ま、街で、たまに視ることもあります……。その、あんなに、沢山ではないですけど」
「へえ」

 面白そうに、男が左目を細める。
 閉じた右の瞼の下で、何かがぐりぐりと動いた。

「視えたら、どうしてるんだ」
「え」
「ああ言うのが視えたらどうしてる」
「何も、しないようにと、言われました」
「へえ」

 男が、また言った。
 少女は、昔、自分が視えるものについて、教えてくれた人のことを思い出していた。
 その人は、少女と同じ亜人で、辻占いをしていた。
 亜人への風当たりが強いこの地を嫌って、旅立ってしまったが、今どうしているだろうか。

「あれだけのものが視えるんなら、おまえ、才があるぜ」

 唐突に、男が言った。
 口の端が吊り上っていて、明らかに面白がっている。
 しかし、そんなことを言われても、少女には何のことだか分からなかった。

「あの、どういうことですか……」

 だから、男に尋いてみる。
 そう言えば。
 男は、自分に用がある、と言ってはいなかったか。

「こう言う、血腥いところには、ああ言うたちの悪いのが出るのさ」
「……」
「普通の連中なら、気付かずに、憑かれて終わりだ。知らん間に魂魄まで喰われて、やつらの仲間入りをすることになる」

 そう言って、男は肩を竦めた。
 また、右の瞼が、ぐりぐりと動く。

「おまえは、あれが視えたからな。直ぐには憑かれなかったという訳だ。まあ、そういう才があるから、却って連中みたいなのを喚び込むんだがな」
「そう、なんですか」
「そうさ。あと、変な味付けもしちまったようだな」
「変な、味付け……?」
「あいつらが言ってただろ。亜人の肉がどうとか、血がどうとか、よ。あれはおまえが普段言われてることじゃねえのか」

 男が、見透かすような眼差しで言った。
 少女が、沈黙する。
 その通りだったからだ。

「……あれは、何なんですか」
「何とでも呼べばいいさ。死霊、悪鬼、ラールウァエ? 未だ形成らざる、死に行く物質か。まあ、兎も角」

 男は、右目を閉じたままで、少女の顔を覗き込む。
 暇潰しの相手を見つけた、肉食獣の眼差しだった。

「どうだ、俺と一緒に来ないか。ああ言う厄介な連中をどうしたら良いか、教えてやるぞ」
「えっ」

 突然の申し出に、少女が困惑する。
 目の前の男の表情には、特に悪意などは感じられなかった。
 しかし、少女はそう言うものを信じられるほど、幸福な人生を送っていない。

「で、でも、わたしは亜人で……」

 口籠もりながらも、そのように言う。
 そこから先の言葉は、出て来なかったが。

「だから、何だ」
「そ、その、わたしは、亜人で、あなたは人間、ですから」

 そう言った。
 それは、何時も少女が言われている言葉である。

 おまえは亜人だ。

 だから、何も望むな。
 だから、何も願うな。
 何も思わず、何も考えず、虫のように生きて、死ね。
 それが、自分の生なのだと、少女は思っていた。

 く、く、く。

 笑いを噛み殺した声が、男の口から漏れる。
 見れば、男の口の端が吊り上って、そこから牙に似た白い歯が見えていた。

「俺が、人間に見えるのか」
「え」

 男が、ずい、と少女に近付いた。
 まるで、口付けをする寸前の恋人のように、或いは、喉笛を喰いちぎる寸前の獣のように、男の顔が近い。

「俺が、人間に、見えるの、か」

 言葉を、態とらしく区切って、男が言う。
 そして、男が右目を開いた。
 少女が、その眼を見て、全身を強張らせる。

 男の右目は、常人の倍ぐらいの大きさに、見開かれていた。
 しかし、問題はその大きさではない。

 男のその眼窩には瞳が三つも在ったのだ。
 それも、血が固まったような色合いの、真っ赤な瞳である。
 人間の瞳とは似ても似つかず、虫の単眼のような光沢を持った目玉であった。

 それが、ぐりぐりと眼窩の内を動き回っている。
 男が、自分の全身を覆う法衣をはねのけて、右腕を外気に晒した。

「ひ」

 今度こそ、少女が悲鳴を上げる。
 男の右腕。
 それは、余りに歪で巨大だった。

 全体が、白い外骨格で覆われている。
 手の甲や、肘や、肩に当たる部分から、牙のような、角のようなものが伸びていた。
 肘から手首までが、異様に長く、がっしりと太い。
 自然に垂らすだけで、地に、指の先端が着くほどの長さであった。
 その指も、太く尖ったものが三本きりである。

 く、く、く、く。

 男が笑う。
 取って置きのびっくり箱を披露する悪童のような貌で、男は笑い続けた。

「おまえが望まんのなら、俺は、無理強いはせんさ。帰る所があるのなら、帰るが良い。今日のことは忘れて、寝てしまうのも、手だろうよ」

 そう言うと、男は右目を閉じる。
 あの、長い腕も法衣の下に収めると、笑いの余波を留めたまま、少女を見遣った。
 その表情は、言外に、「さて、どうする?」と、少女に問うている。

 少女は、口を開いて言葉を発しようとした。
 勿論、男の申し出を断る言葉を、だ。
 しかし、その言葉が何故か出て来ない。

 この、目の前の男は確かに、不気味であった。
 あの眼や、腕は、どう見ても人間のそれではない。
 何もなかったことにして、このまま帰ってしまう方が、良いに決まっていた。

 いや。

 果たしてそうだろうか。
 男が言った、『帰る所』なんて、自分にあるのだろうか。
 勿論、ねぐらはある。
 雨露が凌げるだけの、廃屋だ。
 そこに戻って、また、物乞いをし、戦場跡を這いずり回る生活を繰り返す――。
 それが、良いことなのだろうか。

「あ、あの」

 少女が男に向かって呼び掛ける。
 男は黙って、少女の声に耳を傾けた。

 これも、少女には稀有のことだった。
 何時だって、彼女は、怒鳴られ、罵倒され、拒絶されてきたからだ。
 自分の言葉を待ってもらうと言うことが、彼女の人生には殆ど無い。

「い、一緒に……」

 恐る恐る、言葉を紡ぐ。
 男は、急かす訳でもなく、飽きている訳でもなく、少女の言葉の続きを待っていた。

「一緒に、行きます……」

 言ってから、少女は俯いた。
 自分が、途轍もなく愚かで、矮小に感じられる。

 く、く、く、とあの、笑いを噛み殺した声を、男が発した。
 口の端が吊り上って、獲物を仕留めた若い獣のような表情を浮かべている。

「そうか、一緒に来るか」

 自分が言い出したことであるのに、男はそういう言い方をした。
 そして、また、く、く、く、と笑う。

「立てるか?」

 男が、訊く。
 そう言えば、少女は自分が腰を抜かしていたことに気付いた。
 ふるふると首を振ると、それに合わせて、犬に良く似た耳が揺れる。
 すると、男が、あの巨大な右腕を差し出した。

 白い板金のような外殻で覆われた、異形の腕である。
 三本のごつい指に、そろそろと少女は自分の指を伸ばした。

 ぐい、と手首ごといきなり掴まれ、身体を引っ張り上げられる。
 元々、彼女は小柄だが、それでも恐るべき膂力がその腕には感じられた。
 ほとんど、浮き上がるようにして、少女は地に立つ。

「牙蟲」

 男が唐突に言った。
 少女がきょとんした貌をする。

「き、ば、む、し。俺の名だよ。おまえは?」
「え、あ、あ……」

 少女が狼狽える。
 自分の名を名乗るなんて、何時以来だろう。

「セ、セタ、と言います」
「へえ」

 確か異邦の言葉で、犬という意味だったかと、牙蟲が自分の記憶を探る。
 牙蟲が左目を細めると、合わせるかのように、閉じた右目がぐりん、と動いた。

「じゃ、行くかよ」
「あ、あの、何処へ、ですか」
「ああ、言ってなかったか。俺の、里さ」

 牙蟲が、さも、当然のように言った。

 こうして、牙蟲と名乗る男と、セタの奇妙な道行が始まったのだが。

 牙蟲は変わった男だった。
 旅が始まって、最初の晩のことである。

 セタは、幼いとは言え、女であった。
 そして、牙蟲は、異形の姿であったが、男である。

 少女であるセタの胸中には、緊張と恐れがあった。
 男である牙蟲が、この夜の闇の中で、自分をどう扱うのか。
 それに対する、緊張と恐れである。

 また、セタには、男と女に関する、とても嫌な思い出があった。
 そのことを考えると、セタの心は暗く沈む。

「おう、寝床作るぞ、寝床」

 しかし、当の牙蟲の声には、そう言う陰は無い。
 日がとっぷりと暮れてしまった山中で、太い枝や、葉の付いた枝を集めて、何かの骨組みを作っている。
 地面の焚き火が、ゆらゆらと、牙蟲の歪な影を揺らしていた。

 驚くほど素早く、器用に、牙蟲は何かを組み上げていく。
 見る間に、木製の土台と柔らかな葉で覆われた寝台が、出来上がった。

「ふ、出来た」

 妙に自慢げに、牙蟲は言う。
 に、と笑うとセタを見た。

「よし、やり方は分かっただろ。自分の分は自分で作りな」

 あっさりとした口調で、そのようなことを言った。
 しかし、その様に言われても、牙蟲の手業は早すぎて、セタにはどうやったのか見当も付かない。

「え、え」

 だから、狼狽えて、セタは牙蟲と牙蟲が造った寝台を交互に見遣るしかなかった。
 その様子に、牙蟲が眉を顰める。

「何だよ、よく見てなかったのか」

 そう言うと、今度は作った寝台をあっという間に解体していく。
 これも、恐ろしく作業が早い。
 巨大な太い右腕も、普通の大きさの左腕も、精確で緻密な動きを見せ、セタにはその動きを目で追うことが出来なかった。

「じゃ、もう一回やるぜ」

 そして、また、枝を組み合わせていく。
 今度は先刻のよりも、更に手の動きが早い。

「ほら出来た」

 殆ど、魔術か詐術のように、目の前に寝台がある。
 矢張り、セタには、どうやってそれを作ったのか分からなかった。

「仕様がねえな、もう一回だぞ」

 また、牙蟲が言って、寝台を解体する。
 そして、解体が終わった瞬間、再度、枝を組み合わせていった。
 質の悪い冗談のように、寝台が出来上がる。

「分かったか」

 牙蟲が、また、言った。
 セタには、やっぱり、どのようにやったのか分からない。

 どうやら、牙蟲が、自分をからかっているらしいと気付いたのは、そんな遣り取りを十回も繰り返した後であった。
 セタは、殆ど涙目で、牙蟲を見る。
 もし、この亜人の少女が、多少なりとも他者に逆らった経験を持っていたならば、牙蟲に抗議したことであろう。

 しかし、セタにはそう言う経験は無かった。
 衝突しないこと、逆らわないこと、逃げること。
 それが、彼女の生き方だったのだ。

 だから、牙蟲の行動に何も出来ずに、只、じっと、見る。
 当の牙蟲は、悪びれもせず、セタの視線を受け止めていたが、急に、ぷっと吹き出した。

「く、く、く。か、は、は」

 牙蟲が笑う。
 あの、笑いを噛み殺した声を発しながら、肩を震わせていた。

「いや、わりぃ、わりぃ」

 別段、済まなさそうでもなく、牙蟲が言う。
 そして、今度は丁寧に枝を組み、寝台を作った。
 それに毛布を掛け、ニ、三度手で押して、強度を確かめる。

「よし、出来た」

 そう言うと、セタに向き直り、恭しく腰を折る。
 どこかの深窓の姫君を案内するかのように、腕で寝台を指し示した。

「ご寝所はこちらで御座います、お嬢様」

 しかし、セタはその言葉に反応できず、立ち尽くしたままである。
 沈黙のまま、間延びした時間が過ぎた。

「何だよ、のりが悪いなあ」

 姿勢を元に戻すと、牙蟲はごりごりと頭を掻く。
 余り、真剣さの感じられる表情ではなかった。

「さて、と」

 牙蟲は言って、懐から一枚の紙切れを取り出す。
 そこには、セタが見たことの無い文字で、何事かが書き込まれていた。
 怪訝な貌をする亜人の少女に、牙蟲がにやりと笑う。

「四縦五横、吾、今、出て行く。禹王、道を護り、蚩尤、兵を退く。盗賊起こらず、虎狼行かず、故郷に還帰せん。吾に当たるものは死し、吾に背くものは亡ぶ。律と令の如く、急ぎ急げ」

 奇妙な音律を持った言葉を発し、手にした紙を離す。
 その紙が、ふわりと地面に落ちると、まるで雪のように土に溶け込んでいった。
 セタが驚愕の眼差しで見つめる中、不意に、地や樹々が、震える。

 ごう、と大地が鳴った。

 そして、樹々の間や、地の隙間から『何か』が一斉に抜け出ていく。
 目に見えず、形の無い、けれども、確かに存在する『何か』。

 それが、セタの空色の瞳に、影として映った。
 それだけでなく、木の葉や、土の中にいた虫までがぞろぞろと這い出て、何処か遠くへ去っていく。

「久しぶりに使ったが、上手くいったか」

 牙蟲はそう言うと、今度は、円を描くように歩き出した。
 丁度、紙を落とした地点を中心して、歩を進めていく。
 引きずるような、足の運びであった。
 ぐるりと一周すると、ある一角に腰を下ろし、自分の寝床を作り始める。

「おう、おまえはもう寝て良いぞ。火の番も、俺がしておくしな」

 言いながら作っている自分の寝台は、セタのものと比べて随分と簡単であった。
 太い枝を数本組んで、それで完成のようである。
 そこへ、牙蟲は、ごろりと横になった。
 セタも、そろそろと木組みの寝台に身体を横たえる。
 意外に柔らかく、寝心地は悪くなかった。

 そのまま、暫く、無言の時間が過ぎる。
 ぱちぱちと、焚き火の音が響いた。

 山の夜は、黒々と深い。
 その闇が、自分の上に圧し掛かってくるかのようで、セタは少し身震いした。
 目を閉じても、その闇が沁み込んで来そうで、少女は目蓋を開く。

 矢張り、自分の周囲に在るのは闇であった。
 焚き火の明かりも、その闇を払う程ではない。
 寧ろ、余計に闇の黒を際立たせていた。

「あ、あの」

 その黒色が怖くて、セタは牙蟲に声を掛ける。
 もぞ、と牙蟲が身体を動かす気配がした。

「何だ」

 牙蟲が答える。
 自分の言葉を無視されたりせず、セタはほっとした。

「さっきの、何ですか」
「さっき?」
「紙が、地面に消えました」
「ああ、あれか」

 牙蟲は、事も無げに言う。
 少し考えて、言葉を紡いだ。

「魔除けの札さ。毒虫だの、雑霊だのを祓うんだよ」
「そう、なんですか」
「ああ。俺一人なら要らねえんだが、おまえは、色々と面倒なのを寄り付かせそうだからなあ」
「あ、す、済みません……」

 反射的に謝ってしまうセタである。
 少女の半生は、常にそう言うものだった。

「別に謝るようなことじゃねえだろ」
「す、済みません」
「だから、それ」
「済みま――」
「だ・か・ら」

 牙蟲の声が、少し、苛立ちを帯びる。
 セタが、黙り込んだ。
 すると、また、「く、く、く」、と笑い声がする。

「おまえ、素直だなあ」
「う……」

 セタは、毛布の中で俯いた。
 暗くてよく見えないが、牙蟲の貌には、あの吊り上った笑いが浮かんでいるのだろう。

「他に訊きたいことはあるか」
「えっ」
「何かありゃ言いな」

 牙蟲は、セタの言葉を促す。
 こうやって、言葉を遣り取りすること自体、セタには滅多にない経験であった。
 何だか、奇妙な感じがする。
 しかし、決して不快な感覚ではなく、この行為をもっと続けたく思う。
 だから、何とかして話題を探した。

「あ、あの」
「うん?」
「あの、紙を落とした後、ぐるっと歩いたのは、何ですか」
「反閇」
「え」
「または禹歩とも言うがな」
「え、あ、あの」

 聞いたことの無い単語をいきなり言われて、セタが混乱する。
 牙蟲の方は、説明はこれで終わりと言わんばかりに、口を閉じてしまった。
 セタは、そこから話を拡げることが出来ず、しかし、何か言いたくて、「あの、あの」と同じ単語を繰り返すだけである。

 くく、と牙蟲が笑う。

「そういう時はな、良く分からないので教えて下さい、と言うのさ」
「あ、は、はい……」

 当たり前のことを、当たり前に言われて、セタは頷く。
 でも、そんなことをして大丈夫なのだろうか。
 セタの胸中にはそういう想いがある。

 自分が、牙蟲の言ったことが理解できないということで、牙蟲は怒ったりしないのだろうか。
 罵ったり、怒鳴ったりしないのだろうか。

 今までだって、訳も分からず石で打たれ、否定され、追われてきたのだ。
 その体験が、セタの内に重いしこりとなって、在る。
 しかし、そのしこりを敢えて無視して、セタは口を開いた。

「あ、あの!」
「おう!」

 意を決して、常より大きな声を出してしまったセタに、牙蟲が矢鱈に太い声で応える。
 如何にも態とらしい調子であったが、少なくとも、セタの言葉を待っているという態度は伝わってきた。

「あ、あの、ヘンバイって何ですか……」

 結局、最後は消え入りそうな声であったのだが、それでも、牙蟲に問い掛ける。
 胸が、苦しかった。
 きちんと、牙蟲に自分の声は届いているのだろうかという、理不尽な疑問と恐怖が湧き起こる。
 しかし、対する牙蟲は気負いも無く口を開いた。

「結界を張るときに使う歩き方だよ」

 牙蟲の口調は飽くまで軽い。
 一方のセタは心臓をどきどきと鳴らしていた。

「結界、ですか」
「おう。さっき札で余計なものを祓っただろ? それはそれで良いんだが、外から別のやつが来たら意味が無いからな。そういうのが入って来ないようにしたのさ」
「そうなんですか」
「おう。ついでに言えば、俺が寝てる所は結界の穴になる所でな、此処で見張ってる訳だ」

 牙蟲は、そういう言い方をした。
 セタの胸中に、新たな疑問が起こる。

「結界の穴って、何ですか」
「穴は、穴さ」
「……」

 セタが黙ってしまったので、牙蟲はもう少し詳しく説明する必要を感じたらしい。
 何も知らないセタに、どう伝えたものか、思考を整理する。

「どんな結界でも、弱いところは有る。地脈の流れもあれば、方位による影響もあるしな」
「……」

 セタは黙っているが、牙蟲に言われたことを必死に理解しようとしての沈黙であった。
 それで、牙蟲も暫し間を置く。

「結界ってのは、城壁みたいなもんなんだよ」
「……」
「どんなに高くて、頑丈な壁だろうが、出入り口はあるだろ。立ってる場所が弱けりゃ、厚い壁だって倒れる。時間がたてば、漆喰も崩れる。結界にもそういう所があるのさ」
「は、はい」
「こいつは覚えておいて損はねえが、隙のない術なんざ、絶対に無い。確実に何処か付け入るところがある」
「そうなのですか」
「そうさ。呪法であれやこれやをやろうってのが、そもそも無茶だからな。そりゃあ、何処かに綻びも出る」
「……」
「ま、その辺の機微は追々教えてやるよ」

 牙蟲が、愉しげな口調で言った。
 その言葉が、セタには何となく嬉しい。

「そう言う訳で、俺は此処に寝てるんで、安心して良いぞ」
「え?」
「雑霊も祓った、結界も張った、穴は俺が見張ってる。完璧だろ」
「は、はあ」

 牙蟲はそのように言うが、確か、隙のない術は無いのではなかったろうか。
 それとも、この牙蟲だけは例外なのだろうか。
 何となく、牙蟲と話しているとそう言う事も在り得そうで、セタは納得してしまう。

「妙な悪夢も見ることはないし、夜中に変な気配で起きることもない。ゆっくり眠りな」

 牙蟲が言う。

「はい」

 セタが、応える。

 本当はもう少し、牙蟲と話がしたかったのだけれど。
 しかし、それ以上、紡ぐべき言葉が見つからず、犬の耳をした亜人の少女は「おやすみなさい」と言って、眼を閉じた。
 そして、本当に久し振りに、ぐっすりと眠ったのであった。

 そのようなことがあってから、セタは、少しずつ牙蟲に話し掛けるようになった。
 とは言え、「今日は暑いですね」とか「今日は雲が多いですね」と言った、当たり障りの無い会話が精一杯である。

 その日も、セタは何か話題を振ろうとするのだが、中々思いつかずにいた。
 天気の話はもう三日連続でしているし、食べ物の好みはこの間に訊いている。
 うーん、うーんと考え込む間に、牙蟲はどんどんと先に進んでいった。

 相変わらず、山の中を歩いているのだが、牙蟲の歩みは速い。
 大きな石や、太い根っこが地面から覗いていても、舗装された街道を進むかのように、ひょいひょいと歩いていく。

 その背中に、セタは慌てて追い縋った。
 空は晴れ渡っているのだが、頭上を濃い緑の葉が覆っていて、届く日の光はかなり弱くなっている。
 有態に言えば、薄暗い。

「あ」

 セタが、朽ちた枝に足を取られた。
 前につんのめる。

 転ぶ、と思った瞬間に、がっしりとした力に、セタの身体が受け止められた。
 見上げれば、牙蟲の顔がそこにある。

「え、あ、あれ」

 確かに、牙蟲は自分よりかなり前方を歩いていた筈であった。
 しかし、何時の間にか、転びそうになったセタを、牙蟲はしっかりと抱きとめている。
 牙蟲の体躯は鍛えられていて、その逞しい感触が、セタに伝わってきた。

「おまえなあ、こけるぐらい慌てることはないだろうよ」

 そういう言い方を、牙蟲はした。
 両腕で、セタの細い身体を抱き締めている。
 牙蟲の右腕は異様に長いため、セタに巻き付くようにして、その身体を支えていた。

「す、済みません」

 セタが謝る。
 どう言う訳か、頬が、かあっと熱くなった。
 そのくせ、マントの下の自分の尾が、知らずに左右に振れてしまう。
 それが恥ずかしく、セタは俯いた。

「歩くのが辛いなら、俺が負ぶうぞ」
「い、いえ、大丈夫です」

 そのように返事をして、セタは牙蟲から離れた。
 何となく離れ難かったのは、自分だけだろうか。
 牙蟲の方は、別段、何かを気に留めるわけでもなく、また、歩き出した。
 それで、セタも付いていく。

 時々、牙蟲は屈み込んで、足元の石を除けたり、積もった落ち葉を払ったりしていた。
 若しかしたら、歩きやすいようにしてくれているのだろうか。

 セタは、その様に思ったが、牙蟲は自分の為にしているだけかもしれず、或いは、只の気紛れかもしれなかった。
 だから、口に出しては何も言わずにおく。
 兎も角、そう言う作業をしながらの歩みとなったため、セタは、牙蟲に置いていかれずに済んだ。

「あ、あの、牙蟲さま」
「うん?」

 牙蟲が、地面から突き出た尖った石を、無造作に右手でへし折りながら返事をする。
 異形の右腕に秘められた膂力がどれ程のものか、それだけでも想像できた。

 ついでに言えば、「さま付けで呼ぶのは止めろ」と牙蟲は何度かセタを窘めたことがある。
 すると、セタは神妙な面持ちで牙蟲に尋ねた。

「で、では、どうお呼びしたらよいですか」
「別に何でも良いぞ。呼び捨てでも良いし、愛称でもいいな。『牙さん』とか」
「……」
「いや、冗談だよ。好きに呼びな」
「は、はあ」

 しかし、結局の所、セタは牙蟲を呼び捨てにしたり、まして、妙な愛称で呼んだりすることはなかった。
 性格、と言うよりは彼女の境遇が原因である。
 亜人である自分が、人間である牙蟲に、敬称なしで呼び掛けるなど、セタには想像できなかったのだ。

 牙蟲の方は、そう言う拘りはない。
 最近は面倒なのか、自分の呼称について、牙蟲が何か言うことは無くなっていた。
 背中を向けたまま、セタの言葉を待つ。

「一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「おう、何だ」

 セタが、少し間を置いてから、また口を開く。

「あの、蠱術って何ですか」
「ん、蠱術?」
「はい、あの、よければ教えて下さい」

 うーむ、と牙蟲が暫し考える。
 がきり、と掌中の石くれを砕く音が響いた。

「蠱術ってのは、蠱毒を使った術のことさ」
「蠱毒、ですか」
「うむ」

 牙蟲が、鷹揚に頷く。
 また、少々の間が空いた。

「あの、蠱毒って何ですか」
「ああ、蠱を使った毒のことだよ」
「蠱、ですか」
「おう、蠱だよ」
「あの、蠱って何ですか」
「蠱術で造った使い魔だよ」
「え、えと、蠱術で……、え、あれ」

 セタが、言葉に詰まる。
 話が一周してしまった。
 それで、どうしようかとセタは悩んだが、牙蟲に言われた言葉を思い出す。

「あ、あの」
「おう」
「よ、よく分からないので教えて下さい……。蠱術とは、何ですか」

 その言葉を聞いて、牙蟲の貌に、にやりとした表情が浮かんだ。
 あの、吊り上った、口の端から牙が覗く笑いである。
 その表情のまま、セタの方を向く。

「段々、分かってきたな、ん?」

 そのように言われて、セタは赤面して俯いた。
 多分、牙蟲は自分をからかっているのだろうが、そう言う敵意のない、ちょっとした諧謔にどう応じていいのか、セタには分からない。
 だから、俯いてしまう。

「ま、蠱術について知るなら、蠱毒の話をした方が良いな」
「は、はい」
「蠱毒はな、呪法の一種さ」
「呪法……」
「最初にな、手頃な壺とかを用意して、その中に、虫でも何でも、大量に放り込むんだよ」
「は、はい」

 セタは頷いたが、想像するとかなり気味の悪い代物である。
 しかし、語っている牙蟲は気にした様子も無く、話を続けた。

「で、後は蓋をして待つ。そうすると、どうなると思う?」
「え」

 急に訊かれて、セタが考える。
 だが、頭に浮かぶのはぎっしりと虫が詰まった壺の映像だけで、セタは、少なからず気持ちが悪くなった。

「中の虫が共食いをして、一匹だけ生き残るのさ」

 そこに追い討ちを掛けるように、牙蟲が更に不気味なことを言う。
 それと分かるほど、セタの顔から血の気が引いた。

「そいつを使って、あれやこれやをやるのが、蠱術だよ」

 性根の余り真っ直ぐでない悪童さながらの表情で、牙蟲が言う。
 セタが、おずおずと口を開いた。

「あ、あの、蠱術って何ができるんですか……」

 その質問に、牙蟲が腕組みをして考える。
 右腕が長い分、肩の向こう側に、外骨格に覆われた手が見えた。

「まあ、人を殺したり、病気にしたりが基本かな。逆に、富を招いたりも出来るんだが、どっちにせよ、扱いは難しいな」
「そうなんですか」
「ああ。前も言ったろ。呪法であれこれをやってしまおうってのが、無理なんだよ。面倒なんで、俺はやらん」
「は、はあ」

 呪術を、その効果や危険性ではなく、煩雑かどうかで語る牙蟲にセタが戸惑った貌をする。
 続けて、牙蟲が言葉を紡いだ。

「蠱術に使うのは、別に虫に限った話じゃなくてな。蛇だの犬だのも使うし、人間を使うのも、あるんだぜ」
「に、人間ですか!?」
「人蠱と言われる代物だよ。『猛悪にして血を好み、災いを喚ぶこと甚だし』ってやつだ」
「……」

 牙蟲が軽く説明すると、セタが黙り込む。
 口調に深刻さは無いが、内容は重い。
 それは、つまり、牙蟲の扱う呪術の恐ろしさ、おぞましさではないだろうか。

「どうした」
「い、いえ、何でも、ありません……」

 牙蟲が、セタの暗くなった貌を覗き込む。
 閉じた右目の奥で、ぐりぐりと何かが動いていた。
 あの、赤い三つの目玉が蠢いているのだろう。

 ふふん、と牙蟲が嗤い、その右目を見開く。
 深紅の単眼が、三つ巴になって、セタを見詰めていた。
 ひ、とセタが身を竦める。

 一度見てはいるのだが、この不気味な眼差しに慣れることは、セタには難しかった。
 まるで、三つの眼は、好き勝手に眼窩の中で泳ぎ回っているようにも見える。
 牙蟲の性格そのものだと、セタは思った。
 牙蟲は、それに気付いているのか、いないのか、変わらぬ表情で口を開く。

「実はな、俺ら蠱術師が扱うのは蠱だけじゃねえ」
「……他にも、あるんですか」
「『蟲』さ」
「ムシ?」

 鸚鵡返しに返すセタを、牙蟲の右目が、くるりと回って凝視する。
 正直なところ、恐ろしい。

「世の中には妙な性質を持った生き物がいるんだよ。例えば、罪人の腹の中に棲むものとか、戦死した人間の目玉に寄生するもの、とかな」
「そう言う、生き物……?」
「ああ。ま、さっきの蠱術が自然に成っちまったものだな。そういう生き物を纏めて『蟲』と呼ぶんだよ。そう言うのを扱うのさ」
「はい……」
「俺の、この右目も蟲さ」

 牙蟲が、あっさりと言った。
 それに合わせるかのように、赤い右目が動きを止めて横に一直線に並ぶ。
 何事も無いかのような、牙蟲の態度であったが、セタに与えた衝撃は大きかった。

「え、あ、右目、ですか」
「うむ。右腕と両脚も、そうだよ」
「右腕に、両脚も……」
「単純にくっ付けたんじゃなくて、呪的な処理はしてるがな……。なあ、セタよ」
「は、はいっ」

 不意に自分の名を呼ばれ、セタが少し高めの声を出す。
 何時もは、『おまえ』としか呼ばれていないのだ。

「確かに、蠱術は人を殺すし、人を喰う蟲もいる。しかしな、蠱術なんてものを使ってまで、誰かを殺めようとするのは、何だ?」

 牙蟲が訊く。

「……人間、ですか」
「人の、心さ」

 微妙な訂正を、牙蟲はした。
 その左目を、閉じる。
 赤い三つの目だけが、セタを見詰めていた。

「あいつを殺してやりたい。だが、殺せない。それでも、どうしても、殺してやりたい……。そういう心から、呪は生まれる。ままならない現実を何とかしたい、ってのが、術の源だよ」

 牙蟲がそう言うと、セタの表情が曇る。
 そうして、そろそろと口を開いた。

「……人の心から、こわいものがやって来るんですか」

 その言葉に、牙蟲が目を細める。
 亀裂のような笑みが、その貌に浮かんだ。

「やって来るのは、恐ろしいものだけじゃねえけどな。ま、何が来るにしても、それは、自分の内からさ。何処か別のところから来るもんじゃねえ。特に、呪術ではな」
「はい……」

 セタの返事に満足したのか、牙蟲の口の端が、僅かに上がる。
 そして、一直線に並んだ目が、くるりとその順番を変えた。

「己が主なんだ、ってことを忘れるなよ。術を飼いならすのは術者の責任だからな」
「己が、主……」

 牙蟲の言葉を噛み締める。
 右目だけを開いた牙蟲の貌は、人外の化け物そのものだった。
 しかし、そこには矢張り牙蟲の面影があって、それがセタに安心感を与える。

 なんだろう、この感覚は。

 この、自分の言葉を聴き、自分に言葉を返し、自分を対等に扱う異形の人間と居ると、どうしてこんなにも……。

「ん、どうかしたか?」

 牙蟲が、両眼を開く。
 右目は赤い。
 左目は灰色である。
 僅かに笑みの形を刻んだ口元から、獣じみた牙が見えた。

「い、いえ。なんでもありません……」

 そう応えて、俯く。
 なんでもないと言いながらも、何故か、セタの頬は朱に染まっていった。
 自分でも、どうしようもなく、赤くなっていくのであった。

 そのようにして、牙蟲とセタは二人で山中を歩み続けた。
 途中、どう考えても人間業では渡れないような広い河を、牙蟲に背負われて越えたり、垂直の断崖絶壁を、同じく牙蟲に抱えられて登ったりもした。

 そして、遂に――、

「此処が、俺ら蠱術師の里さ」

 牙蟲が、セタに向かって言う。
 細い道を延々と登り続け、峻嶺を越えたところに、その村はあった。
 峠から、村の全景が望める。
 もう、日が傾いていて、セタの視界全てをオレンジ色に染めていた。

 一見すると、普通の村と変わりはなさそうに見える。
 ぽつりぽつりと、土壁の家が見え、その周辺や、山肌には畑があった。
 屋根から伸びる煙突が、白い煙を吐き出している家もある。
 夕餉の支度でも、しているのであろうか。

 そのようにセタが考えていると、村の方から、峠道を登ってくる人影があった。
 思わず、セタが牙蟲の背に隠れる。

「おう、牙蟲じゃねえか。久し振りだなあ」

 近付いてきた人影が、牙蟲に声を掛けた。
 どうやら、牙蟲の知己であるらしい。
 それは、随分と大柄な男であった。

 牙蟲も長身なのだが、その牙蟲よりも更に頭一つ分上背がある。
 がっしりとした体躯であった。

 肌の色が、磨いた鉄のように黒い。
 しかも、生まれつきなのか、一本の毛髪も見えなかった。
 禿頭で、眉も無い。
 身体だけでなく、顔の造りまで、一つ一つ大きかった。
 目が黒々と大きく、鼻が大きく、口も大きい。

 しかし、バランスが悪い訳ではなく、妙な愛嬌のようなものが、漂っている。
 身に付けているのは、このような辺境の村では良く見受けられる、麻のチェニックであった。

「鉄甲丸か。相変わらず無駄にでかいな」
「無駄に目付きの悪いお前に言われたかねえなあ」

 牙蟲が言うと、鉄甲丸も応じる。
 鉄甲丸と呼ばれた男が、牙蟲の背中に隠れていたセタに気付いた。

「何だよお、牙蟲。独り身に耐え兼ねて、人買いに走ったのかあ」
「阿呆」
「じゃあ、何だ、そいつ? 亜人の娘だろうがよお」
「見鬼だよ。天与の才ってやつだな」
「へえ」

 鉄甲丸が、まじまじとセタを見る。
 怯えた表情で、セタが牙蟲の法衣の端を掴んだ。

「牙蟲よう」
「何だ」

 そんなセタの様子に、鉄甲丸が視線を牙蟲に移しながら言う。
 人の悪い笑みが、鉄甲丸の顔に浮かんだ。

「変な趣味だなあ」
「うるせえ」

 にやにやとした表情の鉄甲丸に、牙蟲が毒づく。
 その野太い笑みを浮かべた鉄甲丸に、牙蟲が言葉を続けた。

「で、おまえは今から何処に行くんだ」
「山だよ。山菜でも採ろうと思ってなあ」
「この時間だと猪が出るんじゃねえか」
「そしたら、今夜は鍋だなあ」

 如何にも何でもなさそうに言う鉄甲丸だが、狩猟に必要な道具は一切持っていない。
 弓もないし、山刀も帯びていなかった。
 しかし、それについては、牙蟲は何も指摘しない。
 ただ、鉄甲丸の行き当たりばったりな夕食の献立に、呆れた貌をしただけであった。

「他の連中はどうしてる?」
「相変わらずだぜえ。大陸中をうろついて、偶に帰って来るぐらいかあ」
「勝手気侭、というやつだな」
「お前が言うなよなあ」

 お互い、言いたいことを言い合い、牙蟲と鉄甲丸は別れた。
 鉄甲丸は、ずんずんと峠の道を登り、あっという間に、その巨体は樹々の中に消えて行く。
 そして、牙蟲は、別段それを見送るわけでもなく、さっさと歩いて行った。

 村の川の直ぐ近くにあるのが、牙蟲の家であった。
 途中、何人かの村の住人と出会うことがあったのだが、皆、一様に珍しがっていた。

 亜人であるセタを連れていることではなく、牙蟲がこの村に戻って来たことに、である。
 余程、牙蟲はこの里に寄り付かないらしい。
 それも、この里を毛嫌いしているかとかそう言う事ではなく、単純に戻るのを忘れているだけのようであった。

 その様な牙蟲の家であったから、外観からして、少なからずぼろである。
 白壁が、やや黄ばんでおり、木製の扉が傾いていた。

「うむ」

 何故か、力強く頷く牙蟲である。
 妙に頼もしげな牙蟲を、セタが不思議そうに見上げた。
 そのセタに向かって、不敵な笑みを牙蟲は浮かべる。

「先ずは掃除と修繕だな。楽しいぞー」

 何が楽しいのか、心底愉快そうに言う、牙蟲である。
 セタは、どう返答して良いものやら、曖昧な表情を浮かべるだけであった。
 兎にも角にも、このようにして、牙蟲とセタの里での生活が始まったのであった。

 牙蟲との共同生活は以外にも、普通であった。
 山に入って、食料となる茸や木の実を採る。
 渓流に仕掛けた簗に入った川魚を獲る。
 畑を耕す。
 洗濯をしたり、片付いていない部屋を掃除したりする。

 そういう生活であった。
 時々、牙蟲が山に入って熊や猪を獲って来る事もある。
 壁を直すのも、牙蟲の仕事であった。

 その生活の中で、セタは牙蟲から蠱術の初歩を教えられている。
 最初、幾つかの符や文書を、牙蟲は持って来たのだが、一つ困った事態があった。
 セタは、字が読めなかったのである。

「あらま。全く知らないのか、おまえ」
「す、済みません」

 牙蟲に言われ、恥じ入るセタであった。
 しかし、セタの生まれは、字を学ぶような環境ではないし、読み書きを身に付けたところで、それを役立てる機会も無い。
 その辺りのことは牙蟲も承知している。

「うーむ。まあ、字何ざ知らなくても術は使えるんだが、知ってた方が色々便利だからな。さて……」

 珍しく、思案顔をする牙蟲である。
 とは言え、その様な神妙な貌も数秒で終了し、牙蟲は両眼を開いてセタを見た。

「ぃ良し! 俺が字を教えてやるぞ」

 ぐるぐると、牙蟲の赤い瞳が動く。
 何で、こんなに愉しそうなのだろうか。
 しかし、セタは元が素直なのであろう、こくりと頷いた。

 結局の所、セタは牙蟲に蠱術だけでなく、字や算術も教わることになったのである。
 元々、蠱術には天文や地理も含まれており、その様な学問的な側面を、牙蟲は薄めることなくセタに教えていったのであった。

 そして、数日が経った頃である。

 ぱたぱたと急ぎ足で、セタが家の床を走っていた。
 とは言え、牙蟲の家は大して広くもなく、態々走る必要はないのだが。

 丁度、牙蟲は昼を食べている所であった。
 昨日の残りのシチューである。
 味が深みを増していて、旨い。
 そこへ、セタが走り込んで来た。

「あ、牙蟲さまっ」

 木製のスプーンでシチューを啜っていた牙蟲が、振り返る。
 柔らかくなった肉と野菜を、ごくりと呑み込んだ。

「何だよ」

 やや興奮気味のセタに対し、普段通りの口調で応える牙蟲である。
 しかし、セタがこのように感情を露わにして来るのは珍しい。
 それで、牙蟲も面白そうに左目を細めた。
 右目は閉じたままである。

「あ、あの、こ、これを」

 そう言って、おずおずと何かを差し出した。
 それは、薄い木の札であった。
 紙などという便利で高級なものは、この村には無い。

 牙蟲が、セタが手にしているものを見た。
 そこには、セタの名が書いてある。
 そして、それを見た途端、牙蟲の顔色が変わった。

「おまえ、これは」

 札を奪い取るようにして、セタの名を見詰める。
 その眼差しは、何時に無く真剣であった。
 傍らのセタのほうが、心配そうな面持ちを見せる。

 何か、良くないことをしてしまったのだろうか。
 只、牙蟲に教えて貰った字で、自分の名を書けたと言うことが、嬉しかっただけのだが。

「おまえ、これを他の奴に見せたか」

 牙蟲が訊く。
 その声は嫌に無機的で、平板であった。

「い、いえ」
「本当か」
「は、はい」
「焼け」
「え……?」

 その言葉に、セタが思わず聞き返す。
 先刻と変わらない固い口調で、牙蟲が言葉を続けた。

「焼いて、山に撒くか、川に流すかしろ。いいな」

 有無を言わせない、言い方であった。
 それで、セタの目に、光るものが見える。
 涙であった。

「あ、あの、わたし、わ、悪いこと、しました、か……。わたし、ただ、自分の名前が書けて、見て、貰おうと思って、それで、あ、あの……」

 最後の方の声が、嗚咽に変わる。
 牙蟲は、それを不思議そうな貌で見ていた。
 そして、やっと、自分の迂闊さに気付く。

「い、いや、そうじゃねえ。そうじゃなくてだな」

 慌てて、取り繕うとする牙蟲であった。
 いや、しかし、何が『そう』でないんだ?
 言いながら、自分の言葉に疑問符を抱く。
 しかし、それは確固たる自問となる前に、牙蟲の脳裏から消えた。
 その前に、セタへの説明をしてやらねばならない。

「これは、おまえの本当の名だろ」

 牙蟲の言葉に、やや腑に落ちない顔をしながらも、セタが頷いた。
 そもそも、名前というのは一つのものではないだろうか。

「名前ってのはな、術を掛けるのに一番強力な触媒なんだよ。こんな札がありゃあ、おまえを殺すのも操るのも自在なんだぜ」

 しかも、恐らくこれはセタが生まれて初めて書いた自分の名であろう。
 呪術の触媒として、最上と言える。

「だからな、厄介なことになる前に、燃やしちまえってことだよ。別に、おまえは悪くねえ」

 一息に、牙蟲が言った。
 自分の言葉がきちんとセタに通じているのか、少なからず不安になる牙蟲である。
 セタは、目尻に涙を溜めたまま、じっと牙蟲を見詰めた。

「あ、あの」
「うん?」

 あまり真っ直ぐにセタが自分を見るものだから、牙蟲の反応が、平凡なものになる。
 セタの犬にそっくりな垂れた耳が、ふるふると揺れた。

「その、札、なんですが……」
「ああ」
「あの、牙蟲さまが、持っていて下さいませんか」
「はあ!?」

 思いも寄らないセタの言葉に、牙蟲が大きな声を出す。
 驚きが滲み出たその口調は、常の牙蟲には無いものであった。

「おまえ、俺の話を聞いてたのか?」

 聞き返す。
 口調にも表情にも、呆れているような色がある。
 しかし、そんな牙蟲の言葉に、セタははっきりと頷いた。

「だったら、分かるだろ。こんなものを俺に……」

 そう言いかけて、牙蟲は口をつむぐ。
 セタの表情が真剣そのものであることに気が付いたからだ。

「本気かよ」
「はい」

 間髪を入れぬ、返答である。
 やれやれと、牙蟲は頭を振った。

「分かった、分かったよ」

 言いながら、懐に木の札をしまいこむ。
 只の板切れのはずが、ずしりと重く感じられた。

「言っとくが、預かるだけだぞ。お前が一人前の術者になったら返すからな。覚えておけよ」
「はい、分かりました」

 そう言って、やけに嬉しそうに微笑むセタである。
 何だかなあ、と思いながらも、セタの背中の尾がぱたぱたと振られているのを見て、牙蟲は、あれこれ言う気が失せた。

 まあ、良いか。

 そのように首肯し、自分の胸の辺りを叩く。
 こつん、と木製の札が音を立てた。

 そして、更に数週間が過ぎた。

 蠱術師の里は、山深いだけあって冬の到来が早い。
 朝の冷え込みが、日に日に厳しくなっていった。

 しかし、そんな中でも食料は確保せねばならないし、蠱術で使う薬草の類も、蒐集する必要がある。
 肉が必要なら牙蟲が狩りをし、扱いの難しい触媒も、矢張り、牙蟲が採ってくる。
 しかし、比較的危険性の低いものを集めるのは、セタの役目であった。

 その日も、セタは里の近くの山に入っていた。
 草の葉や枝で傷を作らないよう、長い袖のローブを着込んでいる。
 里の住人である蠱術師から、貰い受けたものだ。

 その蠱術師は、蛇骨という名で、見た目はセタと同じ年代の少年に見える。
 緩やかなウェーブの掛かった、綺麗な黒髪の持ち主で、目元が涼やかな、繊細な容姿をしていた。
 その少年のような蠱術師が、セタに雑貨や普段着を分けてくれたのである。

「牙蟲はそう言う所、頓着しないからねえ」

 くすくすと、可笑しそうに蛇骨は笑った。
 蛇骨の表情には翳が無く、陽性そのものである。
 しかし、牙蟲によれば、蛇骨は里でも有数の蠱術の達人であるそうだ。
 また、牙蟲が物心付いた頃から、蛇骨は『少年の姿で』里に居たともいう。

 どうにも、得体の知れない人物であった。
 尤も、蠱術師という存在そのものが得体の知れないものなのだから、蛇骨の怪しさなど、大した問題ではないのかもしれない。

 兎も角、その蛇骨から様々な日用品を譲られ、その内にこのローブもあったのである。
 この里に来てから、セタは、今まで余り経験したことの無いことを、色々と体験していた。

 誰かからものを貰う、と言うのがそれである。
 誰かから話し掛けられる、と言うのがそれである。
 道の向こうから誰かがやって来て、すれ違いに挨拶をする、と言うのがそれであった。

 その所為であろうか、最近のセタは、人前でも自分の耳を隠さないようになってきている。
 今も、菫色の髪の間から、垂れた耳が見えた。

 樹々の間を歩き回っては、太い根っこに生えた苔や、茸を集めている。
 手に持った籠に、色とりどりの塊があった。

 里近くの山であったが、生えている樹々は太く、頭上を覆う緑の葉は厚く、何処かの秘境に迷い込んだかと思うほどである。
 枝からぶら下がった蔦が、茶色く変色していて、セタの歩みを遮ることもあった。

 その為、視界は良くない。
 がさり、と物陰で何かが動く音がした。
 セタが、びくりと肩を震わせる。
 確か、牙蟲の話では、この山に危険な生き物はそれ程いないらしいが。
 そう思いながら振り向くと、そこに大柄な影があった。

「何でえ、牙蟲んところの犬っころじゃねえかあ」

 その影が、そのような言葉を吐く。
 黒々とした皮膚と、毛髪の一本も無い異相をしていた。
 鉄甲丸である。

 随分な言い種であったが、鉄甲丸にとっては格別、他意はない。
 そういう時は、『黙れ、ハゲ』と言ってやれ、とは牙蟲の弁である。
 無論、セタはそんなことは言わなかった。

「あ、あの、こんにちは……」

 ぺこり、と頭を下げる。
 日は、真上よりも傾いていて、斜めになった日差しが、鉄甲丸の顔に陰影を造っていた。
 鉄甲丸の大きな口に、野太い笑みが浮かぶ。

「よう」

 鉄甲丸が、ぞんざいな挨拶を返す。
 それ切り、鉄甲丸は言葉を続けなかったので、セタも黙ってしまった。
 沈黙が下りる。

「で、どうなんだあ」

 唐突に、鉄甲丸が言った。
 何のことか分からず、セタが戸惑った表情をする。

「牙蟲の奴とだよ」

 鉄甲丸が付け足した。
 しかし、それでも、セタは今一つ要領を得ていない。

「一緒に住んでるんだろう。そろそろ、懇ろになったりしてるんじゃねえのかあ」

 そういう言い方を、鉄甲丸はした。
 だが、矢張り、セタには何の事だか分からない。

「だからよお、閨を共にするとか、一夜を明かすとか、要するに、牙蟲とやったのか、ってことだよ」

 あからさまな表現をして、鉄甲丸がセタを見る。
 セタは、暫し、きょとんとした様子であったが、鉄甲丸の言ったことを理解し、途端に全身を紅潮させた。

「そ、そ、そんなこと、ないです。ぜ、絶対にないですっ」

 両の拳をぎゅっと握り、目を瞑って主張するセタである。
 上下に振られた腕が、子どもの駄々のようであった。

「なんでえ、何にもねえのかよ」

 心底、詰まらなそうに言う、鉄甲丸である。
 そうして、不意に真面目な貌をした。

「それじゃあ、まだ、正式な弟子じゃねえんだなあ」

 そう言って、一人、頷く。
 その言葉に、セタが怪訝な表情を浮かべた。

「ど、どういうこと、ですか」

 尋ねる。
 問われて、鉄甲丸がセタに向き直った。

「なあに、蠱術師の弟子は、師匠に肉を奉じることもあるってことだよお」
「そ、そうなんですか……」
「まあ、術を教えりゃあ、自分の手の内を晒すことになるからなあ。契約代わりって、ことだなあ」

 事も無げに、鉄甲丸が言う。
 言いながら、太い輪郭の顎を、太い指でなぞった。

 その態度は落ち着き払っていたが、それを見ているセタは、とてもそうはいかない。
 それと分かるほど、そわそわとし出した。

「あ、あの、わたし、帰ります。失礼します……!」

 そう言って、くるりと背を向けて、走り出す。
 地面から生えた何かに転びそうになりながらも、辛うじて人が踏みならした山道に出た。
 ふらふらと頼りなげなその背中が見えなくなるまで見送って、鉄甲丸がぽつりと呟く。

「さて、どうなるかなあ」

 のんびりとした口調であったが、その眼には明らかに面白がっている光が宿っていた。

 その夜――。

 牙蟲は、自分の家で酒を呑んでいた。
 果実酒である。
 里の、泥顔という蠱術師が漬けたものであった。
 色は澄んだ赤をしていて、口当たりは軽い。

 それを、するすると呑んでいる。
 木製の、頑丈なだけが取り柄のテーブルを挟んで、向かいにセタが座っていた。
 セタは、酒ではなく、果汁のジュースを飲んでいる。

 先程から、ちらちらと牙蟲に視線を遣っていた。
 そんなセタの様子に、牙蟲は奇異な印象を受けながらも、特に問い質したりはしない。

 そのまま、暫く酒を楽しみ、牙蟲は寝ることにした。
 この家には寝室は一つだが、架台が別にあり、牙蟲は普段そこで寝ている。
 普段食事をする部屋の隅に、それはあった。

 本来なら、家の主である牙蟲が寝台を使うものかもしれないが、当人にはそう言う意識はない。
 何より、酒を呑んでそのまま寝られるのが良かった。
 部屋の灯りを消し、ごろりと横になる。

 窓から、月の青白い光が射し込んで来て、部屋全体が滲んだような色合いに染まっていた。
 そのような光の中で天井を見れば、矢張り、そこも青白い。
 まるで、湖の底から水面を見上げているような感覚になる。

 ふう、と牙蟲が息を吐いた。
 酒臭い、と言う息ではない。
 酒精の気配よりは、果物の甘い香りの方が強かった。
 そして、今夜のセタの様子を思い出す。

 今日のセタは、何やら挙動がおかしかったな。

 そのように思う。
 思うが、その要因に思い悩むことは、牙蟲には無い。
 まあ、何ぞあれば言って来るだろうよ、ぐらいにしか思わなかった。
 最近のセタは、言いたい事はきちんと牙蟲に言うのである。

 かたり、と物音が牙蟲の耳に届いた。
 乾いた音である。

「何だよ、何か用か」

 音のした方に向かって、牙蟲が言った。
 そこには、小柄な影がある。
 白いシーツに身を包んだセタであった。

 おずおずと、牙蟲の寝ている寝台へ、歩を進める。
 それを見ながらも、牙蟲の貌には特別な表情は無かった。
 何をする気なのか、と言った疑問符の色が、多少透けて見える程度である。

「どうした、寝れねえのか」

 変哲の無い問いを、牙蟲が発した。
 しかし、その言葉に反応する訳でもなく、セタは牙蟲の傍に寄って行く。
 そのまま寝台に上り、牙蟲の視線の先にちょこんと座った。

 無言の間が、過ぎる。
 牙蟲とセタの視線が、重なった。

「あ、あ、あの、牙蟲、さまっ」
「うん?」

 意を決したようなセタの言葉に、平常通りの抑揚で、牙蟲が返す。
 しかし、セタが何も言わないので、また、無言の時間だけが過ぎた。

「言いたいことがあるんなら、遠慮なく言えよ。溜め込んでると、性根の捻じ曲がった連中が寄って来るぞ」
「は、はいっ」

 牙蟲はそう言って、セタを促す。
 セタが、こくりと息を呑み込んだ。
 そして一息に、自分の胸の内を言語化する。

「あの、牙蟲さま、わ、わたしの身体を、受け取って、頂けますか……」
「……は?」

 その言葉に、牙蟲が、普段は余り発しない類の声を出した。
 詰まる所、間の抜けた声である。

「あ、あの、蠱術師の弟子は、師匠となる方に、その、自分の身体を捧げると、聞いたのです」
「……」

 頬のみならず、全身を真っ赤に染めて言うセタに、沈黙する牙蟲であった。
 そうして、おもむろに口を開く。

「誰に聞いた?」
「は、はい?」
「だからよ、それを誰に聞いた?」
「て、鉄甲丸様です……」

 セタが答えると、牙蟲が何やら呟いて天を仰いだ。
 小さくて良く聞こえなかったが、「ハゲ」とか「ぶち殺す」と言った不穏当な単語が雑じっていることは分かった。

「あのなあ、セタよ」
「は、はい」
「そんな素っ頓狂な風習は蠱術師には無いぞ」
「え、え、え?」

 困惑して、おろおろするセタに、牙蟲が言葉を続ける。

「大体な、師匠が男で弟子も男だったら、どうするんだよ」
「……」

 牙蟲の冷静な指摘に、セタが黙り込んだ。
 同時に、自分のしていることの重大さに気付いて、更に全身を紅潮させる。
 白いシーツが透けて、セタの赤く染まった肌が見えそうな程であった。

「まあ、鉄甲丸の阿呆は後で存分にぶん殴っとく。今夜はさっさと寝な」
「……」

 その様な言葉を受けて、しかし、セタはその場から動かなかった。
 牙蟲が、明らかに怪訝な貌をする。
 真っ赤に染まっていた頬が白い色を取り戻し、潤んだままの瞳で、セタが牙蟲を見詰めた。

「あ、あの……」
「うん?」
「も、もし、わたしが普通の人でしたら、牙蟲さまはどうなされていましたか」
「何?」

 その問いの意味を図りかねて、牙蟲が聞き返す。
 セタが、じっと、牙蟲を見ていた。
 晴れた空の色合いの瞳に、牙蟲の貌が映っている。

「ニ年前の冬は――」

 セタが、ぽつりと言った。

「とても、寒い冬でした……」

 そうだったろうか、と牙蟲は思い出す。
 言われてみれば、風は冷たく、雪が降り続く冬であったような気がする。

「その冬は、とても寒くて、お仕事なんか無くて、たくさんの人が道の上で死んでいました」

 乾いた口調でセタが言った。
 その冬は、本当に多くの者が死んだ。
 亜人だけでなく、人間も、死んでいった。
 誰かに殴られて、鼻から血を流して倒れていた亜人が、次の日死んでいる。
 薄い毛布を剥ぎ取られた人の少年が、痩せ細った手足を折り曲げて、死んでいる。
 元傭兵らしい浅黒い肌の老人が、腐ったパンを一切れ握り締めて、死んでいる。

 そう言う光景が、当たり前にあった。
 その様な中で、セタは何とか日々を生きていた。

 犬のような耳を、しっかりとフードで隠し、セタは生きていたのである。
 そして、そんなぎりぎりの生活の中で、セタにとって、初めてと言っていい人間の友人が出来た。

 少年とも、青年とも呼称できそうな年頃の若者で、目端が効く男であった。
 この酷い冬でも、何処からか食料を調達し、セタに分けてくれることさえある。

 そして――。

 その冬はとても寒い冬であったから。
 セタは、その男の部屋に居た。

 どきどきと、心臓が五月蝿く鳴っている。
 別段、目的を告げて、ここに居る訳ではない。

 しかし、男の部屋に、女であるセタが居るのである。
 何となく、奇妙な緊張感のようなものが、空気に混じっていた。

 そして、他愛の無い四方山話の後、セタが男のベッドに座り、その隣に男が座る。
 男が、セタのフードを外した。

 びくりと、セタが震える。
 すると、人のものではない耳があった。
 犬のような、茶色い和毛に覆われた耳である。

 それを見た瞬間、男が呻いた。

 何だ、これは。

 男が、呻く。
 搾り出すようにして、叫んだ。

 ふざけるな。

 ふざけるんじゃない。

 何度も何度も、男はその様に叫んだ。
 そして、立ち上がり、部屋を出て行く。
 去り際、これが欲しいんだろうと吐き捨てて、数枚の銅貨と銀貨を投げつけて、出て行ったのであった。

 呆然と、セタは部屋に独り、残された。

 何が、いけなかったのだろうか。
 自分の立ち居振る舞いが、良くなかったのだろうか。
 それとも。
 それとも、自分の存在そのものが、いけなかったのだろうか。

 見れば、古びた木の板の上に、コインが散らばっている。

 そして、その冬はとても寒い冬であったから。
 セタは、のろのろとその銅貨と銀貨を拾い――。

 その冬を、生き延びたのである。

「牙蟲さま」

 セタが、じっと牙蟲を見詰めながら言った。
 そこには、酷く重いものが含まれている。

「わ、わたしが、普通の、人間であったら、牙蟲さまはわたしを……」

 そこまで言って、言葉が途切れる。
 肩が、震えていた。

 牙蟲はそれを見て、左目を細める。
 意識していなかったが、右目が僅かに開いた。

 両眼で、震え続ける、セタの頼り無い肩を見る。
 牙蟲は、物事を深刻に考えるのが好きではなかった。
 生来の性格、では無く経験則である。

 どんなに酷い状況だろうが、人は生きていくのである。
 どんなに辛い状況だろうが、人は生きねばならないのである。
 どんなに最悪な状況だろうが、人は生きていってしまうのである。

 嫌なら、死ねばよい。

 しかし、それは牙蟲の価値観である。
 それを、セタに言ったところで仕方あるまい。
 何を言うべきか、牙蟲は迷い、結局自分の内に相応しい言葉が無いことに気付く。
 それで、牙蟲は身を起こし、セタを手招きした。

 おずおずと、セタが牙蟲に近付いていく。
 ぐい、と牙蟲の右手がセタを引き寄せた。
 両腕で、セタを抱き締める。

「あー、柔らかいな、おまえ」

 牙蟲が言う。
 その、長い異様な右腕が、巻きつくようにセタの身体を包んでいた。

「これから、おまえを、抱く」

 何時もの口調で、牙蟲が言う。
 その言葉の意味を、セタが理解するまで、暫し間があった。
 そして、理解した途端、かっと血が昇る。

「言っとくが、同情でもねえし、鉄甲丸の阿呆に乗せられた訳でもねえぞ」

 セタを抱いたまま、牙蟲が続けた。
 その鍛えられた胸に顔を押し付けられているため、セタからは牙蟲の表情は見えない。

「おまえは柔らかいし、いい匂いがするし、それで、俺は辛抱できなくなっておまえを犯すんだ、分かったか」

 乱暴な言い方で、牙蟲が告げた。
 それに、セタはこくりと頷いて応える。

 牙蟲が腕を少し緩め、左手でセタの顎を上げた。
 セタの視線の先に、牙蟲の顔がある。

 左目の鋭い眼光は、出会った頃と変わっておらず、セタを見ている。
 右目は、赤い瞳が三つ並んで、こちらを見ていた。

 最初のときのような恐怖は、セタの内には無い。
 ただ、どきどきと心臓の鼓動が五月蝿くなっていく。

 段々と、牙蟲の顔が近付いて来る。
 セタが、目を閉じた。

 牙蟲とセタの唇が重なる。
 自然のままに薄く色付いたセタの唇を割って、牙蟲の舌先が、セタの口腔へ侵入した。
 んっ、とセタが驚いたような声を上げる。

 しかし、それを無視して、牙蟲の舌がセタのそれに絡んだ。
 呼気を吸い出すかのように、セタの舌が吸われる。
 赤い舌先を、牙蟲が軽く噛んだ。

 ちゅく、ちゅく、と濡れた音をたて、舌と舌が触れ合う。
 その音が恥ずかしくて、セタの耳朶が赤くなった。

 しかし、その感触は決して不快ではない。
 そうではなくて、身体の芯から、痺れるような感覚が沸き起こってくる。

 牙蟲の舌が、セタの口から離れようとして、思わず、セタの舌がそれを追いかけた。
 舌を突き出したまま、また、口付けを交わす。

 互いの唾液を交換して、呑み込んだ。
 自分のものと混じったそれは、妙にとろりとして、甘い。

 蕩けた貌をして、セタが牙蟲を見詰める。
 白い外骨格に覆われた右腕が伸びて、セタを包むシーツをはだけさせた。
 セタの細い腰に、白くそれが蟠る。

 ほっそりとした体型のセタは、肩は小さく、胸も相応であった。
 小さな、桃色の突起が愛らしい。

 牙蟲がセタをゆっくりと押し倒す。
 背中に、寝台の固い感触が伝わった。

「あ、あの、済みません……」
「何が」

 急に謝ったセタに、牙蟲が聞き返す。
 セタが、自分の胸を手の平で覆った。

「胸、小さくて……」
「……」

 黙って、牙蟲がセタの手をどかす。
 控えめな、しかし、明らかに柔らかい曲線を描く膨らみが現れた。
 小さな乳輪の周りを、牙蟲が左手でなぞる。
 ぴくん、とセタの背が跳ねた。

 そのまま、牙蟲の顔がセタの胸に近付き、セタの小さな胸の先端を口に含む。
 舌で、薄いピンクに色付いたそれを転がした。
 少し固くなっている部分を、前歯で軽く刺激する。

 セタの全身が、その刺激を受けて、びくびくと震える。
 牙蟲の指が、きゅうとセタの乳首を捻った。

「ひゃうっ」

 悲鳴のような声を上げて、セタが仰け反る。
 その反応さえ愉しむように、牙蟲が、セタの未成熟な胸の先端を吸い上げた。
 セタの全身に、灼かれるような快感が疾る。

 白い肌が、ほんのりと朱に染まり、薄く汗が浮かんでいた。
 牙蟲の舌先が、セタの胸の先端から、膨らみかけた乳房に移る。
 暫く、その滑らかな感触を味わって、牙蟲の口が離れた。

「ん、悪くねえ」

 牙蟲が、言った。
 はあはあと、息を荒げていたセタが、牙蟲を見る。

「感度も良いし、味は甘いし、悪くないぞ、おまえの胸は」

 そういう言い方を、牙蟲はした。
 セタが息を整えながら、頬を染める。

「ほ、ほんとですか」
「まあ、俺好みではあるな」

 そう言われて、セタが更に全身を赤く染め上げた。
 言った方も、似合わぬ物言いだと思ったのか、沈黙する。

 少し、間が空いた。
 それを埋めるように、牙蟲が再度、セタに口づける。
 唇を、軽くついばむような、口づけであった。

「あ、あの」
「うん?」

 互いの唇を味わって、セタが牙蟲を見る。
 上気した頬が、牙蟲には何とも眩しい。

「あの、牙蟲さまも、脱いで、下さい……」
「何?」

 牙蟲が、唸った。
 かりかりと、頬を指で掻く。

「いや、俺の肌なんぞ見ても、気味の良いもんじゃねえぞ」
「で、でも、わたしだけ、裸なのは、恥ずかしいです……」
「うーん」

 牙蟲は、暫く考えると、ふぅと溜め息をついた。
 右目が、少し大きめに開く。

 牙蟲が今身に着けているのは、単純な造りの貫頭衣であった。
 無造作に、それを脱ぐ。
 すると、牙蟲の上半身が露わになった。

 一番目立つのは、矢張り、その右腕である。
 巨大な白い腕と肩の間から、太い筋肉の束が見えた。
 大樹の根のような質感を持ったそれが、牙蟲の厚い胸板に潜り込んでいる。

 それだけでなく、牙蟲の肌は所々光沢の無い薄い膜のようなもので覆われていた。
 きちんと割れた腹筋には黒い筋が入っていて、精巧な鎧を想わせる。
 その節目に、昆虫の単眼のような器官が埋まっていた。

「な、不気味だろ」

 存外に軽い口調で、牙蟲が言う。
 右目が、常人の倍ほどに開いた。
 三つの赤い目が、くるくると回る。

 そろそろと、柔らかなセタの手が牙蟲の胸に近付いた。
 そっと、触れる。

「温かいです」

 セタが、はにかんで呟いた。
 肌を覆う、無機質な甲殻からも、牙蟲の鼓動が伝わってくる。

「恥ずかしいこと言うな」

 そう言って、牙蟲がセタの下半身を隠していたシーツを取り去った。
 目の前に、セタの秘所が見える。

「む」

 牙蟲が、声を上げた。
 何故なら、セタの女の部分が、成人した女性のものとは違っていたからである。

 セタのそれは、無毛で、只一本の線が疾っているだけであった。
 ふっくらとした土手が、柔らかそうである。

「あ、あの、何か変、ですか?」

 心配そうにセタが訊く。
 少し、牙蟲が考えた。

「いや、別に」

 ただ、ちょっと造形が幼いだけだ、と言おうとして賢明にもそれを押し止める、牙蟲である。
 そんなことを口にしたら、セタが泣くような気がしたのだ。

 取り敢えず、左手の指でそこに触れる。
 ぴくんと、セタの白い肌が震えた。

 牙蟲の指先に、粘ついた液体が付く。
 人差し指を赤い裂け目に軽く潜らせると、くちゅと濡れた音がした。

 ん、とセタが声を漏らす。
 更に深く、指を差し込んでいく。
 また、声が漏れた。
 その、セタが声を出すたびに、牙蟲の指が締め付けられる。

 小さな入り口付近で、指の抜き差しを繰り返すと、セタの中の感触が伝わってきた。
 ぴくん、ぴくん、とセタが背を仰け反らせる。
 セタの秘所からの音が、更に水っぽく、大きくなっていった。

「き、きばむし、さま……」

 切羽詰った口調で、セタが牙蟲の名を呼ぶ。
 蕩けたような色が、その空色の瞳に浮いていた。

「く、口付け、ください……」

 そのように懇願する。
 牙蟲が、指の動きを休めて、セタと唇を合わせた。
 舌と舌が、互いの口腔で混じり合い、セタの秘肉がまた締まっていく。

 牙蟲の舌が自分の口を責め、牙蟲の指が自分の内にある。
 それだけで、セタの身体の奥から、快感の波が溢れ続けていった。

 また、牙蟲の指が動き出す。
 ぐりぐりと、セタの細い肉の道を擦った。

 はっ、はっ、とセタが息を荒げるが、その唇は牙蟲から離れない。
 口付けをしたまま、セタの全身が今まで一番激しく痙攣し、その震えが牙蟲に伝わった。

 ゆっくりと、牙蟲が自分の指をセタから抜く。
 まるで、失禁でもしたかのように、セタのそれは濡れそぼっていた。

 牙蟲が、セタの脚を開く。
 すべすべとした感触の脚であった。

 朦朧としたまま、セタが牙蟲を見る。
 そして、小さく息を呑み込む。

「どうかしたか」
「あ、あの、それも『蟲』ですか……」

 セタが、牙蟲の腰の辺りを見ながら、言う。
 自然、牙蟲の視線もそこへ向かった。

「わり、これは自前」
「す、済みません」

 目を伏せて謝るセタである。
 セタは、男のものを見るのは初めてで、そして、牙蟲のそれは大きく、少々怖かった。
 それを察したのか、牙蟲がセタの額に軽く口付ける。

「無理だったら、無理って言えよ」

 そのように言って、牙蟲が自分の陽根の先端を、セタの秘裂にあてがった。
 反り返ったそれを、ゆっくりと沈ませていく。

 きち、きち、と肉の裂けるような音がして、陽根の先頭の部分がセタの内に潜り込んだ。
 それだけで、セタが眉を顰める。

「大丈夫か」

 流石に心配になったのか、牙蟲が訊いた。
 入り口の締め付けだけでも、セタのそれはかなりきつい。
 しかし、セタは辛そうにしながらも、こくこくと頷いた。

 今更長引かせても仕方ないか。
 その様に考え、牙蟲が自分の陽根を深く刺し込んだ。
 ぴったりとした肉襞を掻き分けて、セタの胎内を、牙蟲のものが進む。

 途中、セタの内に抵抗を感じたが、それを無視して一気に奥まで貫く。
 今まで体験したことの無い種類の痛みが、セタを襲った。
 ぎゅっと、しがみつく。
 セタの爪が、牙蟲の肩に引っ掛かり、固い殻の無い肌を傷つけた。

 牙蟲が、動く。
 まるで、はらわたを掻き回されているようだった。
 自分の胎内から牙蟲のものが引き抜かれるとき、一緒に内臓まで引き摺り出されそうになる。
 そこから、牙蟲の肉の槍が、また、自分の内を抉り進んでいく。
 ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、と音が響いた。

 こつ、こつ、と牙蟲の陽根の先が、セタの小さな身体の奥を叩く。
 その度に、セタが仰け反って、白い喉を見せた。

「きばむしさま、きばむしさま、きばむしさま……」

 繰り返し、セタが牙蟲を呼ぶ。
 セタの内は痛いほど締まり、火傷しそうなほど、熱かった。
 ぴったりと、牙蟲のものに吸い付いてくる。

 そして、それ以上に、セタは牙蟲に密着して、抱きついていた。
 無意識に、セタの爪が牙蟲の肌に食い込んでいる。
 それだけでなく、牙蟲の肌に、セタは何度も吸い付いて、歯を立てていた。

 痛い。
 痛いが、それをどうこう言う心算は牙蟲には無かった。
 ただ、セタが今感じているであろう痛みが、少しでも違うものに変わるように、セタの膣道を擦り上げる。

 痛い。
 牙蟲のものが自分の内を出入りする度に、セタの胎内に、鈍いような、鋭いような痛みが弾けた。
 しかし、それで良かった。

 牙蟲が与えてくれるのなら。

 それが、痛みでも良かった。
 それが、欲望だけでも良かった。
 気紛れでも、暇潰しでも、何でも良かった。

 そして。

 それだけでなければ良いな、とセタは願う。
 とてもささやかな、それは、初めての願いであった。

 牙蟲とセタの動きが同調する。
 一番奥で、牙蟲の陽根が一際その大きさを増した。
 ぎゅう、とセタが脚を牙蟲の腰に廻して、密着する。

 熱い迸りが、セタの胎内にぶちまけられた。
 ごぼごぼと、牙蟲の精液がセタの子宮に注ぎ込まれていく。
 収まりきらなかった白濁した液が、小さな秘裂から溢れても、セタはずっと牙蟲に抱きついたままであった。

 翌日。

 架台で惰眠を貪っていた牙蟲が、漸く目を覚ました。
 自分の胸に、心地よい重みと温もりを感じたのでそちらを見ると、そこに菫色の癖のある髪がある。
 セタであった。

 あー、と意味の無い声を出す。
 昨夜の情事を思い出すと、少なからず、牙蟲の胸に奇妙な感慨が湧いた。

 何とまあ、陳腐なことをやってしまったのか。
 偶々出会った亜人の少女が鬼を視る力があって、それで面白半分に術やら何やらを教えて、その間に情が移って、挙句の果てに、ちょっとしたことが切っ掛けで同衾したのである。

「ああ、何の捻りもねえ……」

 牙蟲が呟いた。
 すると、もぞりと牙蟲の胸の上で、菫色の頭が動く。

「あ……、牙蟲さま、おはよう御座います」

 眠気が残ったままの貌でセタが言い、自分と牙蟲が丸っきりの裸身なのに気付いて赤くなる。
 その貌を見て、牙蟲の口の端が上がった。
 歳若い肉食獣が浮かべるような、自信と稚気が同居した笑みである。

「『それから二人はいつまでも仕合せに暮らしましたとさ』ってのが一番陳腐だよなあ」
「??」

 セタが、きょとんとした表情で、牙蟲を見返す。

「何でもねえよ」

 牙蟲はそう言って、セタを自分の胸に抱くと、再び目を閉じた。
 セタの甘い匂いが心地よくて、直ぐに、牙蟲は眠りの深い淵へと落ちて行ったのであった。

                                       了                                    


是非、作家さんの今後の製作意欲のためにも感想や応援を、メールや拍手、BBSなどによろしくお願いします。 m(^о^)m

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-モドル-