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SS:ヴーク


 帝国は、異形たちから成る傭兵団を擁している。
 獣人、リザードマン、亜人、外法師と言ったものたちだ。

 元々、帝国の主戦力は皇帝に忠誠を誓う騎士団と、農民兵であった。
 それに加えて、通常の傭兵である。

 騎士は、自分の領土と領民を護るため果敢に戦い、錬度と装備の質も高かった。
 農民兵も自分の生活が掛かっているのである、死に物狂いで戦闘に加わる。
 しかし、騎士はその数が少なく、農民兵は農閑期以外に戦闘に参加することが難しかった。
 その結果、傭兵への依存が大きくなっていたのだが……。

 この当時の傭兵たちの質は、お世辞にも高いものではなかった。
 そもそも、彼らにとって必要なことは、戦場で戦うことではない。
 生き残り、報酬を得ること。
 それだけである。

 その為、傭兵は戦闘力としては期待できなかった。
 彼らは敵味方に分かれたときにも、互いに無用な死者が出ないよう、様々な取り決めを交わしていたのである。
 例えば、昼食時には戦闘を仕掛けない、夜襲はしない、雨天時は戦闘に参加しない(高価な軍馬を損なう恐れがある)、どちらかに負傷者が出た時点で撤退する、などであった。

 それでも、国内での戦闘に限れば傭兵は必要であった。
 大規模な傭兵団を揃え、その威容を誇示することで、領土争いの解決が迅速にできる。
 傭兵の数は、そのまま、財力と人脈の規模を表すと見做されていた。

 しかし、そのような慣習からなる戦争形態は呆気なく破られる。
 公国の侵攻であった。
 拡大政策にほとんど関心を持たなかった先王に代わり、王位を継承した王子は、若年ながら政戦双方に野心を持っていた。

 『覇業、果たすべし』

 大陸統一の念に燃える公国軍を止める術は帝国にはなく、連敗を重ねることとなる。
 傭兵たちは戦闘が始まれば我先に逃げ出し、要衝は次々と陥落した。

 追い詰められた帝国は、一人の軍師の献策に従う。
 『常人の戦力では最早、公国に抗するは難し。なれば、異形化外をもって当たるべし』
 その言葉通り、その軍師が何処からか募ったのは、人狼たちの集団であった。

 格式を重んじる帝国軍には、獣人を自軍の戦力とすることに難色を示すものが多かったが、国家存亡の危機という事態が、そのような声を圧殺したのである。

 そして、人狼の傭兵たちは期待通りの戦果を上げた。
 帝都を護る最後の砦に迫った公国軍を破ると、その侵略路を逆に辿り、攻め上がっていく。

 それだけではない。

 彼ら人狼は、逃げ出す傭兵さえも、その牙と爪で倒した。
 これは、帝国軍上層からの命でもある。
 敵前逃亡は軍律違反であり、確かにその場で処分される類の行為だ。
 しかし、これまではそのような処分が為されたことはなかった。

 逃亡する傭兵など珍しくなかったからであり、そのような傭兵を罰していては、次から雇いいれる兵が居なくなってしまうからである。
 だが、帝国は敢えてそれを行った。

 結果、多くの傭兵が帝国から去り、公国に加わることになる。
 しかし、それは帝国にとって些かも不利にはならなかった。

 元々、真剣に戦おうという意思のない兵が居なくなっただけである。食料、物資、統制のことを考えれば、これは帝国軍には有利に働く。
 また、公国にしてみれば、質の悪い野盗の集団が自国に流れ込んだも同然で、その対応には少なからぬ時間と費用を要した。

 帝国軍からは弱兵が去り、公国軍は肥大化していく。
 そして、例え人狼でも、戦地での働きがあれば大いに評価され、それに相応しい褒賞を得ることが帝国では可能となっていった。
 更に、その事実は人狼以外の異形――リザードマン、ダークエルフ、蠱術師、その他の亜人たち――をも帝国に呼び寄せたのである。

 戦局は、激化の一途を辿った。

 結果、人間の傭兵も変化していく。
 単に生き残るだけでは評価されず、如何に戦局に貢献したかが、重視されるようになったのである。
 その為、数合わせの傭兵たちは姿を消すこととなった。

 数度に亘る苛烈な会戦の末、帝国は公国を退けることに成功する。
 そして、そのころには、異形の傭兵団と帝国軍は不可分のものとなり、国防の要と認識されるに至っていた。

 無論、自国の防衛を、傭兵に、それも人ならざるものたちに頼ることに対する反感と危惧は常にあった。
 それは、顕在化し、先鋭化することはなかったが、帝都内部に於ける政治的対立の源泉として、存在していたのである。

 しかし、そのような嫌悪感なり、反発なりといったものは、当の人外にとっては取り立てて騒ぐことではなかった。
 そんなものは今に始まったことではなく、彼らにとっては付き合いの長い友人であって、何時でも隣に存在するものなのだ。

 そして、公国と一応の和平条約が締結されると、帝国は異形の傭兵たちに、騎士の資格を年毎に附与することを決定したのである。
 彼らを帝国内に留め、有事の際、即時の動員を可能にするためであった。
 また、国境線の監視のため、辺境に派遣される異形を、管理統制する意図もある。

 そのような異形たちの多くが、帝都の一角を根城としていた。
 元々は、人狼の傭兵たちを隔離するような形で、貧民街を整理したものである。
 今では、その区画に住むのは殆どが獣人、亜人で、残りの人間も傭兵や魔導士であった。

 何時の頃からか、そこは『外区』と言われるようになっていた。
 帝都にありながら、人の住む世界とは違う異界として、認識されるようになったのである。
 余り、真っ当な人間が近付く場所ではなかった。

 その外区に、鉤爪亭という、酒場と宿を兼ねた店がある。
 救貧院を改築して作られたそれは、赤茶けた煉瓦造りの外観で、天井が高く、太い煙突が突き出ていた。
 やや歪な四角形をした窓が、黒い枠に嵌まっている。
 まるで、巨大な獣が蹲っているような、大きく、頑丈な店構えであった。

 その背後の空が暗くなり、星がちらほらと輝きだす。
 雲は少なく、千切れた綿のように、空を流れていった。

 そして、店の内に入れば、広い空間には雑多な種族の話し声や唸り声で満ち、咆哮や罵声も混じっている。
 漂う白い煙は、辺境から運ばれた香だろうか。
 鼻孔の奥に、甘さと刺激が一緒になった匂いが届いた。

 分厚い、傷だらけのテーブルには残らず客が付いており、酒を思うさま呑み、肉の塊や、姿焼きにされた魚を喰らっていた。
 備え付けの椅子は、丸太をそのまま輪切りにして置いたような代物である。
 それぞれのテーブルを占めているのは、人外ばかりであった。

 真っ黒な獣毛に覆われた人狼が居る。
 ルビーを溶かしたような、赤い鱗のリザードマンが居る。
 青白い肌と、黒髪が美しい、ダークエルフが居る。
 一瞬、人かと思えた者の顔半分は、昆虫じみた外骨格に覆われ、彼も異形であることを示していた。

 その間を、忙しく動き回っているのは、丈夫なエプロンを身に付けた亜人の娘たちである。
 獣に似た耳を持つものも居れば、耳の長いハーフエルフもおり、注文を受け取っては、忙しく奥の厨房にそれを告げに走った。

 そのような店のテーブルの一つに、一見、場違いなシルエットが見える。
 少女であった。

 銀色の髪を、腰まで伸ばしている。
 その髪の輝きは、まるで天から注ぐ月光のように美しい。
 瞳は豪奢と言って良い黄金色で、下界を見下ろす太陽のような、不遜な輝きが宿っていた。
 肌が、真珠のように滑らかで、白い。

 身に纏っているのは、薄絹を何枚も重ねたような、純白のドレスであった。
 スカートの裾のトーションレースが繊細で、全体的なシルエットが、花弁を思わせる。
 ぶらぶらと、退屈そうに足を振っていた。
 その少女の動きと、光の加減で、ともすればその細い足の付け根近くまでが見えそうになる。
 しかし、当人にはそれを気にする様子はなかった。

 星の光が少女の姿をとっているかのように、少女は可憐でありながら、何処か超然としている。
 そして、店の誰もが少女に関わろうとはしなかった。

 以前、少女のその容姿から、彼女に絡んだ人間の傭兵もいた。
 だが、その傭兵は少女が一瞥しただけで昏倒してしまったのである。
 そして、目が覚めるや、その傭兵は、犬のように四つん這いになって走り回ったのだ。
 何度か、同じ様なことが重なり、お陰で、彼女にちょっかいを出そうとする手合いは、最早いない。

 その少女の向かいには、金髪の女性が座っていた。
 自然なウェーブの掛かった、美しい髪の持ち主である。
 意志の勁さを感じさせる、青い瞳をしていた。

 身に付けているのは、飾り気のない麻のチュニックと、革のズボンである。
 腰帯を巻いていて、そこから、使い込まれた広刃の剣が鞘に収まって、下げられていた。
 鞘と柄だけを見ても、手入れが行き届いているのが分かる。
 そのことが、自然と持ち主の技量を物語っていた。

 均整の取れた体躯と、生地の上からでも分かる豊かな胸の膨らみが、本人の自覚無しに、女らしさを強調している。
 充分な経験を積んだ、猫科の猛獣のような空気を彼女は纏っていた。

 その青い眼に、行儀の良いとは言えない少女の行動を映し、溜め息を一つ漏らす。
 蝦蛄のクネルをフォークで突き刺し、口に運んだ。
 この鉤爪亭は、見た目も客層も大雑把で粗暴だが、料理の質は高い。

「のう、クレア」

 白い少女が、金髪の女剣士の名を呼ぶ。
 クレア・ノースフィールドと言うのが、彼女の名であった。

「何だ、ル・フェ」

 少女に向かって、クレアが応える。

「暇じゃ」
「知らぬ」

 間髪を入れずに、クレアが返答する。
 
「つれないのう」

 ル・フェがぼやいた。
 しかし、何事かを思い付いたのか、太陽のような瞳でクレアを見る。

「そうじゃ、これから妾と閨を共にせぬか。食後に汗を流すのも悪くないぞ」
「断る。淫魔の戯れに付き合ってはいられん」
「むう」

 頬を膨らませる様子は妖精の姫君の如く可憐だが、クレアの言う通り、ル・フェは淫魔であった。
 本人の弁に依れば、その中でもかなりの高位魔族らしく、上位魔神を召喚してクレアと一戦交えたこともある。
 また、ぷらぷらとル・フェが白い足を振る。

「そう言えば、人狼はどうしたのじゃ?」

 訊いた。
 元々、クレアにはル・フェとは別の相棒が居る。
 辺境の荒野で出逢った、人狼であった。

「気晴らしに朝から出ている。昨日は、面倒な一日だったからな」
「はは、確かにのう」

 クレアが疲れの滲んだ声を出すと、ル・フェが可笑しそうに笑う。
 昨日の面倒、と言うのはクレアと人狼、ル・フェが依頼された人探しの一件であった。

 何処かの貴族の子息が、遊び半分でこの外区に入り込み、行方不明になったのを探し出して欲しいと頼まれたのである。
 クレアは、この外区では数少ない人間であり、自身の過去にまつわる噂もあって、そう言ったやんごとなき筋からの依頼も多い。

 噂というのは、『クレア・ノースフィールドは、某国の騎士だったらしい』と言うものである。
 クレアの言動、所作がそう言った噂を醸成したのであった。
 それで、得体の知れない亜人や獣人に依頼するよりは安心するらしく、護衛だの捜索だのの仕事が回ってくることが多い。

 そして、クレアたちが苦労して目的の子息を見つけ出した場所は、とある娼館であった。
 勿論、依頼主は即座に子息を連れ帰ろうとしたのだが、当人が娼館の浮かれ女を身請けするなどと言い出したのである。

 依頼主と子息の言い争いに巻き込まれ、クレアがその間に立つことになってしまったのであった。
 結局、その貴族の子息が、自分付きのメイドとしてその娼婦を引き取ることになり、昨日の依頼は完了した。

「恋は思案の外、とはよく言ったものよ。巻き込まれるほうは堪ったものではないし、放っておいても良かったのではないかえ」

 ル・フェが少々冷めた口調で言う。
 その言葉に、クレアが真っ直ぐル・フェを見た。

「そうも行かぬ。関わった以上は、責任がある」
「そう言うものか」
「そう言うものだ」

 女剣士の生真面目な言葉に、淫魔の少女が、軽く首を振る。
 それから小さな声で呟いた。

「難儀よのう」

 しかし、直ぐに、その表情が悪戯っぽいものになる。
 気に入りの遊び相手のことを思い出した、猫のようであった。

「まあ、そこが面白いところよの」

 そして、くく、と含み笑いを漏らす。
 そこに不穏当なものを感じるクレアであったが、言葉には出さずにおいた。

「おう、もう一つ訊いておきたいことがあったのじゃ」
「なんだ」
「人狼の、名よ」
「人狼の?」

 尋き返すと、ル・フェが目を細める。
 その脳裏に、巨大な人狼の姿が浮かんだ。

「普段、お主らは名で呼び合わぬではないか」
「仕方ないだろう。人狼は昔、荒野にいたからな。名を覚えるという習慣がない」
「ほう」

 好奇心が滲み出た声を出す。
 確かに、辺境の荒野であれば、出会うのは狩るべき獲物か、倒すべき敵である。
 名を覚えたり、名乗ったりする対象とはならないであろう。

「しかし、お主もあの人狼の名を呼ばぬではないか」
「まあ、な」
「何故じゃ」

 金色の瞳でクレアを見詰めながら、ル・フェが尋ねる。
 女のクレアから見ても、美しい瞳であった。
 その瞳の輝きを見ながら、クレアは自分の胸中を整理する。

「わたしにとっては人狼と言えば奴のことだからな。別段、名で呼ぶ必要を感じないのだ」

 その様な言い方で、クレアは自分にとっての人狼を語った。
 ル・フェが、陽光の輝きを閉じ込めた眼で目の前の女剣士を見詰め返す。

「本気で言っておるのか」
「勿論だ」

 何を当たり前のことを、とでも言いたげにクレアが答える。
 うーむ、とル・フェが唸った。

「つまり、お主にとって人狼と言えばあ奴のことか」
「そうだな」
「それ以外は眼中にない?」
「まあな」
「あ奴以外の男など、興味はないと言うことか」
「……まあ、そう言うことになる、かな」

 何となく話が違う方向に行っている気がしたが、取り敢えず首肯しておく。
 実際、クレアにとっての人狼は、信頼できる仲間であったし、剣の師でもあるのだ。その点は間違いない。
 むむ、とル・フェが桜色の唇を尖らせた。

「これは厄介な。本人に自覚が無さそうなのが、また性質が悪いのう」
「何がだ」
「何でもないわ」

 説得力に欠ける口調で言うと、ル・フェは口を噤む。
 そして、何かに気付いたようで、クレアの向こう側に視線をやった。
 正確には、この鉤爪亭の入り口近くである。

「『狼の噂をすると狼の影が差す』というやつじゃな」

 そのような言葉を、ル・フェが吐く。
 見れば、そこに巨大な獣の影があった。

 それは、一向に真っ青な獣だった。
 人狼である。
 普通の大人でも、見上げねばならないほどの巨躯であった。

 恐ろしく高密度な筋肉が、がっしりと全身を鎧っている。
 弓なりに曲がった背も、それを支える太い脚も、鍛え抜かれていて、ごつい。

 そして、人狼の両の眼には白い刀傷が疾っていた。
 つまり、この人狼は盲目なのだ。
 更に、その両腕が肩口から無い。
 青黒く肉が盛り上がった断面を、青い鬣が覆っていた。

 その人狼が、二人の居るテーブルに歩を進める。
 視覚など無い筈であるのに、その歩みは正確なものであった。
 一歩進むごとに、その巨体に圧されて、ゆるゆると空気が動く。

「おう、凄。今、お主の話をしておったところよ」

 巨大な人狼を、その様にル・フェが呼んだ。
 セイ、と言うのがこの青い人狼の名なのだが、その意味をクレアは良くは知らない。
 ただ、何となく似合いの名だ、と感じてはいた。

 その凄が、どっかりとクレアの隣に座る。
 みしり、と丸太そのままの椅子が軋んだ。

「剣士と貴様がか。どうせ、碌な話ではあるまい」

 牙がずらりと並んだ口から、そのような言葉を吐くと、凄は注文を取りに来た亜人の娘に、子山羊の炙り焼きを頼んだ。
 注文を繰り返すと、猫の耳と猫の尻尾を持ったその娘は、くるりと身を翻して厨房に駆けていく。

「なに、お主とクレアが互いの名を呼ばぬ、と言う話をしておったのよ」
「ほう」

 興味のなさそうな声色で、凄が言った。
 しかし、それに気を悪くした風もなく、ル・フェが問う。

「そう言えば、お主は何故クレアの名を呼ばぬのじゃ」
「別段、深い理由はない」
「そうかえ?」
「強いて言えば、俺にとっての剣士とは二人。一人は鬼籍、一人は目の前におる。名を呼ばずとも仔細あるまい」

 淡々と、凄が語る。
 先刻、クレアが言ったのと似たような内容であった。
 白い面のル・フェだけが、その柔らかそうな唇を尖らせる。

「何やら面白く無さそうだな」
「実際、面白くないからの」

 淫魔の少女が浮かべた表情にクレアが気付き、尋ねる。
 それに対するル・フェの返答は簡潔なものであった。
 ふむ、と何やらクレアが思案する。

「では、ル・フェと呼ぶ代わりに淫魔と呼ぼうか?」

 生真面目な口調で、クレアがル・フェに問う。
 その言葉に、ル・フェの顔に更に何とも言えぬ色が浮かんだ。
 しかし、敢えて胸中の思いを言語化せず、視線を凄の方へ向ける。
 正確に言えば、見ているのは、凄の背後であった。
 
「しつこい連中だ。まだ用か」

 先刻から、気付いてはいたのだろう、凄が、顔はル・フェを向いたままで、背後に向かって問う。
 凄の後ろには、三つの人影があった。
 クレアもそちらを見ると、ブレストメイルを身に付けた騎士が、立っている。
 鎧全体が、白銀に輝いていた。
 肘までを覆う篭手も、銀色である。
 そして、ブレストメイルの右胸の部分に、帝国の紋章が刻んであった。
 腰から、広刃剣を下げている。

「帝都巡回騎士団か。何をした、人狼」

 やや温かみに欠ける眼差しで、凄を見遣るクレアである。
 刀傷が疾る目の痕を、凄が歪め、軋んだ声を上げた。
 笑ったのである。

「少し、稽古に付き合ってやっただけよ、暇そうであったのでな」

 そう言って、また笑う。
 ぐっ、と背後にいた三人の騎士が呻いた。

「稽古だと!? 貴様が警邏中の我らを不意に襲ったのだろうが!!」

 興奮した口調で、騎士の一人が声を荒げる。
 帝都巡回騎士団――。
 その名の通り、この帝都を警備するために編成された騎士たちである。

 帝都の治安維持と、臣民の生命・安全・財産の保護を目的として結成された組織、と言うことになっている。
 しかし、それが建前上のものであることは外区の住民にとって周知であった。
 彼らの目的はただ一つ、外区の監視、牽制である。
 具体的に言えば、外区に住む異形の動向を探り、必要とあれば実力行使をするために彼らはいるのであった。

 当然、外区の異形たちから、歓迎された存在ではない。
 しかも、真に実力を持った異形には彼らは手を出さず、害のない亜人や異形相手の娼婦を取り締まっているのが実体であった。
 無論、その様な騎士ばかりではないのだが、外区の住人にとっての巡回騎士団への認識はそれである。

「ふん」

 鼻を鳴らし、ゆっくりと凄が立ち上がった。
 巨大な深海の生物が、水面を割って現れたような迫力がそこにある。

 悠々と、凄が騎士たちの方を向く。
 圧倒的な重量感を持った筋肉が、騎士の視界を塞いだ。

「文句があるなら、剣を抜け。ここは外区よ、それで話は付く」

 うっそりと言い放つ。
 その言葉に、三人の騎士が気圧された。
 無意識に、半歩、後ろに下がる。

 何時の間にか、揉め事の気配を察したらしい異形たちが、騎士と凄の周囲に集まってきていた。
 円陣を組むようにして、騎士と凄を囲む。
 好奇心が滲む眼差しを無遠慮に向けているリザードマンや、牙を剥きだして笑っている獣人の姿が見えた。
 遠巻きに、ちらちらとこちらを窺っている亜人もいる。

 これでは、騎士たちも逃げようがない。
 知らぬ間に退路を断たれていることに、三人の騎士から顔色が失せた。

「どうした、来い……」

 白い牙を覗かせながら、凄が低く言った。
 す、と凄が腰を僅かに沈める。
 それを見たクレアが、腰を浮かせた。
 どちらに非があるのかは分からないが、帝都直属の騎士と事を構えるわけにはいかないからだ。
 空気が、張り詰めていく。

「そこまでにしておけ」

 低い、よく通る声が、その空気を震わせた。
 三人の騎士の顔に、忽ち安堵の表情が浮かぶ。

 周囲を固めていた異形たちの群れが割れた。
 海を割る聖人のように、その割れた先に、一人の男が立っている。

 巡回騎士団と同じ造りの鎧を身に着けていた。
 しかし、右胸に象嵌された龍の紋章が、三人のそれよりも精巧で、美しい。
 どうやら、只の団員ではないようである。

 背は、人間としては大きい方であろう。
 長身で知られるダークエルフと比しても遜色がない。
 歳は、二〇代の後半だろうか。
 首が太かった。
 鎧に覆われた体躯が、きっちりと鍛えられているのが分かる。

 濃い茶色をした髪を短く刈り込んでおり、瞳の色は鳶色であった。
 その目に宿る光が、生真面目である。
 容姿の美醜よりも、その無骨さと実直さが印象に残る男であった。

「ログラム団長!」

 騎士の一人が、歓喜の滲む声で叫ぶ。
 その名に、周囲がざわめく。

「ログラム? “神槍”ログラムか」
「巡回騎士団の元締めのご登場だぜ」
「白龍剛鱗騎士団のログラムだ……」

 その様な言葉が、牙や鱗を持った連中から漏れる。
 余り、好意的なものではない。

 元々、帝都における異形の監視を目的としている巡回騎士団であったが、その長を務めているのがこのログラムである。
 決して、表立って異形と敵対している訳ではないものの、ログラムが人外の存在を危険視していることは、周知であった。

 それ故、ログラムの登場に、鉤爪亭の空気が更に緊迫する。
 しかし、当の巡回騎士団長は落ち着いた様子で、口を開いた。

「三人とも下がれ。お前たちの『処分』は追って沙汰する」
「しょ、処分!?」

 自分たちの上司から告げられた言葉に、騎士が声を上げる。
 その内の一人が、ログラムに食って掛かった。

「どういう事でありますか。我々はこの人外に任務を妨害されたのですよ!」

 その男の言葉を、ログラムが右手を挙げて制する。
 表情に殆ど変化はないものの、無言の圧力があった。

「娼婦を追い回すのを任務とは言わん。それであの人狼に伸されただけだろう」

 淡々とした言い方であったが、その効果は絶大である。
 見る間に、三人の騎士の顔面から血が引いていった。

「連れて行け」

 ログラムが言うと、その背後から別の巡回騎士が現れる。
 無言のまま、三人の騎士の腕を掴むと強引に鉤爪亭の外へ引き摺っていった。

「さて」

 それを見守っていたログラムが、再度、凄に視線を向ける。
 鳶色の瞳が、人狼の威容を射貫いた。

「状況を確認したい。貴公にも来て貰おうか」
「む」

 その言葉に反応したのは、クレアの方であった。
 完全に立ち上がり、ログラムを見る。

「人狼がしたことはそちらで把握しているのだろう。ならば、巡回騎士団が人狼を欲する由はあるまい」
「安心しろ。クレア・ノースフィールド、ル・フェ、両名にも用がある」
「ほほう」

 好奇心の滲む声を出したのは、ル・フェであった。
 金色の瞳が、一際輝きを増す。

「面白そうではないか。行くぞえ、クレア」
「お、おい」

 ふわり、とル・フェが椅子から飛び降りる。
 ドレスの裾が、美しい花弁のように広がった。
 お陰で、その白い足が露わになる。
 しかし、ル・フェ自身は気に留める風でもなく、既にクレアと凄の先にいた。

「何をしておる。この騎士殿の招待、無下に断るも不調法であろう。疾く参ろうぞ」

 放っておけば自分だけでもログラムに着いていきそうなル・フェの様子に、クレアが溜息を吐く。
 それから、凄の方を見遣った。
 クレアと人狼の潰れた眼が交差する。

「仕方ない。付き合うとするか」
「ふふん」

 短く答えた凄の声に、どことなく高揚感があった。
 どうやら、この人狼もログラムの申し出を面白がっているらしい。

 人狼と剣士、少女の淫魔が連れられたのは、巡回騎士団の詰め所であった。

 古びた教会を改装したもので、天井が高い。
 中には、大小のテーブルが並べられており、何人かの騎士が屯している。

 元は礼拝堂であったらしい。
 ステンドグラスを嵌め込んだ大きな窓が、壁に並んでいた。
 真正面には、真円に十字をあしらった聖印が掛かっている。

 凄の姿を見た騎士たちの間に、ざわめきが広がった。
 その騎士の一人に、ログラムが告げる。

「聴取を行う。執務室にいる」

 騎士の返事を待たず、ログラムが先に進む。
 その後を、凄とクレア、ル・フェが続いた。
 クレアは見るからに緊張していたが、人狼や淫魔は落ち着いたものである。

 詰め所代わりの礼拝堂を抜け、渡り廊下を渡った別館が、執務室のある建物であった。
 本来は、神父や尼僧の宿泊所であったのだろう。
 簡素な造りからもそれが分かる。
 長方形をした、細長い建物であった。

 軋んだ音を立てる木製の扉を開き、ログラムが執務室とやらに進む。
 クレアが最後に中に入り、その扉を閉めた。

 外観通りに、執務室の内装は質素なものであった。

 書き物をするための、大きめの机。
 貴重な書物や丸められた羊皮紙が並んだ、棚。
 然程高そうに見えない酒が収められた、チェスト。

 机の上はインク壺や書きかけの書類が転がっており、報告書の束も見えた。
 その前に、椅子があるのだが、これも随分な年代物である。
 調度品の尽くが、率直に言って古びていた。

 ログラムが、その古びた椅子に座る。
 ぎし、と木材同士が擦れる音がした。 

「悪いが来客用の椅子は二つしかない。適当に座ってくれ」
「構わぬ。妾が腰を降ろす場所は此処にあるのでな」

 言って、ル・フェの細い身体が、ふわりと宙に舞う。
 そして、当然のように凄の肩に座った。
 苦笑と嘆息をない交ぜた表情を浮かべ、凄が部屋の隅にあった椅子を引っ張り出し、座る。
 クレアも、何か言いたげにしながら、もう一つの椅子に黙って座った。
 ちらりと、凄とル・フェを一瞥する。
 それに気付いたのか、ル・フェが口を開いた。

「どうした、クレア。お主も凄の膝の上に座るか?」
「ば、馬鹿なことを言うな!」

 焦った口調で返すクレアである。
 頬が、少し上気していた。

「それは夜にでもしてやろう。今は騎士団長の話が先だ」

 あっさりと、凄が言う。
 その言葉に、更に頬を赤らめるクレアであった。
 一瞬、ログラムの顔にある種の感情が浮かび掛けるが、堅固な意志がそれを押さえ込んだ。

「で、何を訊きたい」

 短く、凄が尋ねる。
 ル・フェが、その細い腕を凄の首に回した。
 そして、真っ白な頬を凄の狼そっくりの顎に押し付ける。

「我らを含めて呼び付けたということは、内々の話でもあるのであろ」

 言って、金色の瞳を細めて、ログラムを一瞥する。
 その表情は、正に人を堕落に誘う天魔の眼差しであった。

「そう言うことになるな」

 ル・フェの発言に、感情をさして表さずに頷くログラムである。
 一呼吸ほど置いて、再度、口を開いた。

「お前達に依頼したい仕事がある」
「ほう」

 その言葉に声を出して反応したのは凄であり、クレアは驚いた表情を見せた。
 楽しげな視線を向けているのは、ル・フェである。

「どういう事だ、帝国騎士団が我々のような傭兵に依頼だと?」

 尤もな疑問を、クレアが発する。
 その問いに、ル・フェは皮肉っぽい笑みを見せた。

「体面やら体裁が絡むと身動きが取れぬのは何時の世も同じよ。そうであろう、ログラム騎士団長閣下?」

 慇懃無礼に少女の姿をした淫魔が言う。
 言われた騎士団長は、謹厳実直な態度を崩さずに口を開いた。

「その通りだ」
「えらく素直に認めたな」
「事実だからな」

 暫し、ログラムが沈黙する。
 ややあって、言葉を続けた。

「この所、帝都巡回騎士団のメンバーが何名か失踪しているのだ。理由も原因も分からん」
「ふふん」

 牙を剥き出しにして、獣じみた笑みを凄が浮かべる。

「内部を調査するには、我々は近すぎる。だからお前たちにこの件の原因究明を依頼したいというわけだ」
「……」

 クレアが、形の良い顎に自分の指先を添えて、黙考した。

「無論、失踪した騎士達の情報はこちらから遺漏なく伝えよう。調査に必要であれば騎士団員の召喚も行う。調査の主体はお前達だが、こちらも協力を惜しまん」
「それは良いが、何故、我々なのだ」

 慎重にクレアが尋ねる。
 巡回騎士団と言えば帝都で最大の公的な暴力機関である。状況が不確実なまま巻き込まれるには、剣呑すぎる相手であった。

「騎士団と距離を持っている連中なら他にもいるだろう」
「残念ながらそうではない。お前たちが一番中立に近いのだ」

 自分の眉間当たりの高さで指を組みながら、ログラムが答える。
 その体勢のまま、言葉を続けた。

「先ず、他の騎士団を頼るわけにはいかん。政治力学というのがあるのでな」
「面倒なことだな」
「同感だ」

 皮肉っぽく言った凄の言葉に、ログラムが無骨な口調で同意する。
 それを聞いたクレアの顔に、意外そうな表情が浮かんだ。
 少女のような淫魔の視線に、興味深げな光が宿る。

「外区の傭兵たちも似たようなものだ。大きく分けて三つの派閥がある。知っているだろう?」

 確認するように、ログラムが言う。
 騎士団長の言う三つの派閥とは、外区に住むものなら子供でも知っていることであった。

 第一の派閥は、獣人たちで構成された傭兵団である。
 帝国と公国の戦いにおいて、最初期に雇われた異形の闘士たちであった。
 彼らを率いているのは、絶と呼ばれる漆黒の人狼である。

 たった一体で公国の砦を陥落させた、飛竜を屠った、村を丸ごと一つ喰らい尽くした……。
 真贋定かではないが、そのような凄まじい逸話を持っている、人狼であった。
 事の真偽は兎も角、この人狼が危険であることに変わりはない。
 何故なら、公国との戦いで最も武勲を立てたのは、彼と彼が率いる獣人部隊であり、帝国中枢との確固たる繋がりを持っているのもまた、かの人狼のみだからである。

 そのため、外区の実質上の支配者と見る向きもあるほどであった。
 事実、外区の住民が何か厄介ごとに巻き込まれた場合、絶の配下に訴える事が多いのだ。
 彼らに捜査権や裁判権は無いのだが、獣頭人身の傭兵たちはそんなことを気に留めることなく、外区の治安維持の一端を担っていた。

 それだけに、巡回騎士団との間には一定の緊張感が存在しているのである。
 確かに、絶とその傭兵団に、帝都巡回騎士団の行方不明者の捜索を依頼するわけにも行かないだろう。

 今一つの派閥は、リザードマンによる傭兵たちであった。
 彼らが帝国の戦力に加わったのは、獣人よりも後である。

 しかし、戦闘集団としての彼らの練度は高く、戦場で高度な戦術を実行するには欠くことの出来ない存在であった。
 このリザードマンたちの頂点に立っているのが、赫旺と言う名の巨大な戦士である。
 その鱗はルビーを溶かし込んだかのように赤く、身長に倍する程の巨大なハルバードを自在に操る猛者であった。

 元より、この大陸ではリザードマンの姿を見ることは稀で、赫旺たちも西の大陸から海を渡ってやって来たらしい。
 それだけに彼らの威容は目立ち、帝都の上層民がリザードマンの戦士団に向ける視線は非好意的になりがちであった。
 だが、戦力としてこれ程頼りになる者たちもいない。

 戦場におけるリザードマンは規律厳しく、戦い振りは徹底しており、敵に対しては容赦がないが、そうでないものには無関心と言って良いほどであった。
 驚くべきことに、人間からなる傭兵団より、リザードマンの方が非戦闘員の被害は少なかったのである。

 リザードマンは侵攻した村を焼くこともせず、物資を強奪することもなかったし、村娘を強姦することもなかった。
 赤鱗将軍と呼ばれる赫旺曰く、「オレらは野盗じゃねえ。必要なら皆殺しにするがそうでなけりゃ、無視だ」。
 このような気質が、リザードマン全般のものなのか、赫旺の個性なのかは不明であったが、外区では騎士団よりリザードマンの傭兵を信用する向きさえある。
 それを考慮すると、巡回騎士団がこの一団を警戒するのも当然と言えた。

 最後の派閥は、ダークエルフたちである。
 青白い肌をした優美な外見の一族だが、弓兵としての能力は高く、特に森林地帯や平原での戦闘力はずば抜けていた。

 帝国の傭兵集団としては最後発であり、ダークエルフ自体の数も少ない。
 しかし、それを補うように彼らは人間の魔導士や、蠱術師と言った連中を取り込んでいったのである。
 その結果、数的には三つの派閥の中で最大となっていた。

 元来、ダークエルフは排他的な種族であり、自分たち以外の人間や亜人を見下しているところがある。
 しかし、ダークエルフの長であるレーベンスは、何の後ろ盾もなく流れてきた多くの傭兵を抱き込むことに成功し、今のところ目立った不協和音もなく、自組織の維持に成功していた。

 矢張り、巡回騎士団にとって警戒すべき相手である。
 この三つの派閥が、外区での主要勢力であった。

 しかし、無論この派閥に与していない傭兵も存在している。
 それが、凄であり、クレアであり、ル・フェであった。
 だから、帝都巡回騎士団員の失踪という今回の事態解決に、彼らが呼び出されたという訳である。

「要するに、当たり障りのない連中を選んだと言うことか、騎士団長殿?」

 見透かすような視線を投げ掛け、ル・フェが尋ねる。
 少女の外見でありながら、その姿態には、甘い毒のような色香があった。
 美酒の芳香に気付かぬ下戸のような生真面目さで、ログラムがル・フェの言葉を否定する。

「そうではない。お前達の腕を信頼してのことだ」

 実直な物言いであったが、少女にどれ程の感銘を与えたのかは不明であった。
 問うような眼差しを、ル・フェが凄とクレアに投げ掛ける。

 ふん、と人狼は鼻を鳴らした。
 口を開いたのは、クレアである。

「報酬はどうなっている」

 傭兵としては当然の質問をクレアは口にした。
 しかし、剣士然としたクレアが金銭のことを指摘したことが騎士団長には意外であったらしい。
 暫し、ログラムはクレアを見詰める。

「無論、それなりの額を用意してある」
「具体的には?」

 間髪を入れず、クレアが尋ねた。
 どちらかと言えば、この様な生臭い話をクレアは苦手である。
 しかし、人狼や淫魔は金銭に関してかなり大雑把なため、報酬に関する取り決めは、クレアが担当することが殆どであった。

「前金で二〇、成功報酬で三〇払おう。必要な経費もこちらで受け持つ」

 そう言うと、ログラムは机から、羊皮紙の束を取り出した。
 表面に、何人もの名が記されている。

「失踪した団員の情報だ。活用してくれ」
「前金で三十五、成功報酬で十五だな。それで手を打とう」
「む……」

 その後、幾つかの遣り取りを経て、前金で三〇を受け取り、クレア達は巡回騎士団の依頼を受けたのであった。

 剣士と人狼と淫魔が、帝都巡回騎士団からの依頼を受けて一週間が過ぎた。

 鉤爪亭で、巨大な人狼が、胡椒や月桂樹の実を詰めた猪を食い千切っている。
 凄であった。
 そのテーブルには、クレアとル・フェの姿も見える。

 淫魔の少女は、既に食事を終えていた。
 今は、美味そうにワインを呑んでいる。
 その仕種は完全に成熟した女のそれであり、幼い姿態が、却って妖艶に映った。

 クレアは、プラムのコンポートをナイフで切り分けて、口に運んでいる。
 屈強なリザードマンや、剣呑な獣人達が跋扈する鉤爪亭に、何故こんなデザートがあるのか不思議だが、あるものはあるのであった。
 しかも、美味である。

 とは言え、今は上品な甘さを楽しむために、鉤爪亭にいるのではない。
 巡回騎士団から依頼された仕事について、情報を持ち寄るためであった。

 あれから、三者三様に聞き込みなり、調査なりを行ったのである。

「どうやら、失踪した騎士には共通点がありそうだの」

 ワインを干したル・フェが、先ず口を開いた。

「反異形派、だな。かなり大きな組織が裏にあるようだ」

 コンポートを片付けたクレアが答える。
 凄が、最後の肉の一切れを嚥下して、その後を継いだ。

「だが、その組織とやら、得体が知れん。かなりの大物が背後に潜んでいるやも知れんな」
「それで我らを使った訳か、騎士団は」
「そうであろうな」

 クレアの言葉に、小さく頷くル・フェである。
 どうやら、この依頼はかなり面倒なことになりそうであった。

「しかし、一つ面白い話を聞いたぞ。行方をくらませた騎士を、玉海宮で見掛けたという話じゃ」

 その言葉に、凄が傷痕の走る眼を歪ませた。
 隣のクレアも同じ様な表情をしている。

「同じ話を俺も聞いたぞ」
「わたしもだ」

 淫魔と剣士と人狼が、顔を見合わせた。
 ル・フェの瞳には好奇の色が輝き、凄の口の端は不敵に吊り上り、クレアの表情には警戒の色がはっきりと現れている。

「罠か」
「そうであろうな」
「だが、行くしかあるまい」

 青い人狼の結論に反駁しようとしたクレアであったが、既にル・フェが椅子から腰を浮かしているのを見て諦めた。
 実際、このまま座していても、何の進展もないことは明らかである。

「分かった。だが、慎重に行くぞ」
「うむ、妾ほど事に及んで静淑な者はおらぬ。安心するが良い」

 少しも安心できぬことを言って、ル・フェは胸を張ったのであった。

 三日後、凄とクレア、そしてル・フェは崩れかけた石門の前に立っていた。

 嘗て玉海宮と呼ばれた庭園の門である。

 玉海宮――。

 それは、五代皇帝が帝都の外れに造らせた、巨大な庭園であった。
 帝都の東に瘤のようにくっついた、もう一つの宮廷である。

 元々は、奇岩で知られた土地であった。
 帝都から、徒歩で三日を掛ければ辿り着こうかという、鄙びた場所である。

 そこに、一人の皇帝が、羅城を築き、楼閣を建て、宮殿を設けたのであった。
 中心にあるのは、広大な人造池である。

 全ては側室上がりの正妃の無聊を慰めるためであった。
 海岸付近の辺境から召し上げられたこの女性は、海の見えない帝都の風景がどうしても好きになれなかったのである。
 その妃のため、時の皇帝は大変な労力と膨大な費用を掛けて、内陸の帝都に人工の海を造り出そうとしたのであった。

 それが、この宮殿の名前ともなっている玉海である。

 闘技場よりも大きな池に、大量の奴隷を使役して、本物の海水を満たした。
 そこに配された人工の島々は、珊瑚や水晶で覆われており、それぞれが一級の美術品である。
 更に、その『海』の中には、玉や金銀で造られた魚や貝までもがいたのであった。
 一際大きな岩場には、本物と見紛うほどに精巧に作られた人魚の像が無数にあり、時が来れば美しい声で、皇帝と正妃を称える歌を歌ったという。

 皇帝は、自分の妃の為に造らせたこの宮殿をこよなく愛した。
 一年の半分はここで過ごし、政務を行ったのである。
 いや、政務と言うよりは、妃との情事に痴れ狂っていた、と言った方が正確であった。

 そのことが、この皇帝と妃にとっての悲劇を招くことになる。
 存在するだけで国庫を圧迫する玉海宮と、妃との情事に耽る皇帝は、平民層と有力貴族双方の反感を買った。
 結果、大規模な反乱が計画実行され、皇帝は退位、妃は処刑されることとなったのである。

 玉海宮の財宝も、あるものは没収され、あるものは融かされて貨幣となった。
 残ったのは巨大な池であった窪みと、朽ちていく楼閣や、傾いた門ばかりである。

 その様な廃墟の前に、人狼と剣士、そして淫魔は立っているのであった。

 日が、暮れかけていた。
 後数刻で、太陽は地平線の向こう側に沈むだろう。
 空を行く雲が、細く、千切れるようにして流れていった。

 ひび割れた門の上で、女の上半身と鳥の翼を持った妖鳥の石像が、傾いている。
 瓦礫を跨いで、凄が玉海宮の中に進んだ。
 すぐ後にル・フェが続き、殿をクレアが務める。

 見えるのは楼閣の土台や、倒れた羅城ばかりであった。
 往時の華やかさは何処にもない。
 割れた石畳や、砕けた煉瓦を越えていくと、なだらかな坂に出た。

 そこを下る。
 茫漠とした空間が、広がっていた。

 地面に無数の亀裂が走っている。
 遙か向こうに、降りてきた坂と同じ様な傾斜が、霞んで見えた。
 途轍もなく広い。

「ここが玉海か……」

 クレアが呟いた通り、この埃っぽい場所が嘗ての玉海である。
 中央に盛り上がった丘があったが、そこに人魚の像が置かれていたのだろう。
 やや離れた所に、今にも倒れそうな塔があった。

「ここに海の水を満たしたのか。人とは面白いことをするのう」

 視線を遠くに遣りながら、ル・フェが言う。
 所々に土饅頭が見えるが、それらの表面を、嘗ては瑠璃や宝玉が覆っていたのだろう。
 夜ともなれば、月光や星の明かりをそれらが反射して、地上に天界が現われたかのようであったと記す史家もいた。

「ぬ」

 人狼が、小さく唸った。
 周辺の土饅頭の影から、何かが這い出る。

 ぎぃ、とそれが啼いた。

 それは、辛うじて人と分かる体躯の、生き物であった。
 だが、普通の人間では有り得ないほど、腕が長い。
 脚も同じぐらい長く、胴が短かった。

 節くれ立った指から、分厚く長い爪が伸びており、それを支点に四つん這いで歩いてくる。
 まるで、人の大きさをした虫のようであった。

 クレアが、腰帯に下げた広刃剣を抜く。
 弱まりつつある陽光を鋼の刃が反射した。

 それが合図であったかのように、虫のような体躯の人間が、次々と姿を現す。
 土饅頭の影に、身を潜めていたのだろう。
 真新しい鎧を身に着けた者もいれば、ぼろぼろになったチュニックが垂れ下がっている者もいた。

「なんだ、これは……」

 人に似た歪んだ生き物を前に、クレアが掠れた声を出す。

「誰ぞが魔道の業をつこうたようだの。土蜘蛛じゃな」

 可憐な淫魔が、クレアには聞き慣れない言葉を口にした。
 嫌悪感に眉を顰めながら、クレアが尋ねる。

「土蜘蛛?」
「人中、神性有り、亦、魔性有り。転じて大聖となるや、亦、土蜘蛛と堕すや」

 詩の一節を吟じる詩人のように、ル・フェが唱えた。
 尤も、クレアにはその様な詩句に覚えはない。
 基本的な公式も知らない学徒に接する賢者のような表情を、ル・フェが作る。 

「人は、神にもなるし、魔にもなるということよ。術者の意図したものかどうかは知らぬがな」
「……そんなことが出来るのか」
「相生相克を扱うのは魔道の得手ぞ。王を取りて民と為し、民を王と為さん、と呪った魔王もおったであろうが」 

 クレアとル・フェの会話に和すかのように、土蜘蛛が一斉に啼いた。
 昆虫そのものの無個性な動きで、周りを取り囲む。
 自然、凄たちも背中合わせに円陣を組んだ。
 ざっと見たところ、土蜘蛛は十人ほどに見える。

「騎士団から失踪した人間は何人であったかの」
「丁度、十人だ。ここにいるので全部だろう」

 ル・フェの問いに、クレアが答えた。
 じり、と土蜘蛛の包囲網が狭まる。

 ぎしゃっ

 一人の土蜘蛛が啼いて、クレアに跳び掛かった。
 それが合図であったかのように、巨大な虫と化した元騎士団が、殺到する。

「くそっ」

 お世辞にも上品とは言えない単語を吐いて、クレアが剣を振るう。
 その切っ先が、最初に跳び掛かった土蜘蛛の胸板を切り裂いた。
 ばしゅ、と霧のように赤い血が飛び散る。
 失速して地面に落ちた土蜘蛛には目もくれず、クレアは自分に向かってくる相手に刃を振るった。

 土蜘蛛が、腕を振り下ろす。
 刃と爪がぶつかり、高い金属音を奏でた。
 どうやら、土蜘蛛の爪は鍛えた鋼ばりの硬度があるらしい。

 背後で、地面に落ちた土蜘蛛が、ばたばたと四肢を振り乱していた。
 その様子は、正に、虫そのものであった。

「見苦しいのう」

 そう言って、ル・フェがふわりと宙に浮かぶ。
 煌びやかなレースで飾られた夜会服が、輝き始めた星明かりに透けた。

 白い手を、自分の頭上に掲げる。
 中指と人差し指を絡め、突き出していた。
 それを、地面に倒れてもがいている土蜘蛛に向け、振り下ろす。

 ひゅ、と不可視の何かが宙を疾った。
 一瞬の間の後、ぱん、とその土蜘蛛の上半身が爆ぜる。
 残った下半身が大きく痙攣し、それきり土蜘蛛は動かなくなった。
 何が起こったのか分からなくとも、それを為したのがこの少女の姿をした淫魔であることは確かである。

 その間にも、クレアの広刃剣は土蜘蛛の爪と鎬を削っていた。
 幾つもの斬撃と爪がぶつかり、火花が宙に散る。

 すぐ側で、凄の蹴りが、大量の肉塊を生産していた。
 蹴りが跳ね上がると、防ごうとした腕ごと、土蜘蛛の頭を消し飛ばす。
 別の土蜘蛛が、長い腕を振るって凄に掴み掛かった。
 それをかい潜り、凄の左回し蹴りが、その胴体を打つ。
 べき、と鈍い音を立てて、凄の蹴りが土蜘蛛の胴体にめり込んだ。
 ぶ、と土蜘蛛の口から血飛沫が噴く。

 棒切れのように土蜘蛛を噴き飛ばし、凄が、地面を蹴った。
 重さを感じさせない動きで、凄の巨体が滑るように動く。
 向かってきた土蜘蛛に、一瞬で迫った。

 ぶん、と凄の右脚が天を衝く。
 ぼ、という音と共に、土蜘蛛の頭部が爆発したように無くなった。

 間を置かず、凄が横に跳ぶ。
 クレアに向かおうとしていた一体が、不意を突かれて、動きを止めた。
 それを、凄は逃さない。

 膝が、土蜘蛛の脇腹を抉る。
 みしり、と肋が折れる感触が、凄の膝に届いた。
 同時に、クレアが切り結んでいた土蜘蛛の腕を切り飛ばす。

「せいっ!」

 互いの相手を交換し、凄が片腕を無くした土蜘蛛を、クレアが腹を打たれて宙に舞う土蜘蛛に向かう。
 一刀が、疾った。
 蹴りが、疾った。
 土蜘蛛が両断される。
 土蜘蛛が砕かれる。

 これで六体の土蜘蛛が、倒された。
 残った土蜘蛛は四体である。

「ううむ、息のあった攻勢が何やら腹立たしいのう」

 凄とクレアの頭上付近に浮かびながら、ル・フェが文句を言った。
 クレアが何かを言う前に、凄が口を開く。

「む、逃げるか」

 その言葉通り、残った土蜘蛛が逃げていく。
 向かう先は、傾き掛けた塔であった。

「何かありそうじゃの」
「追うぞ」

 短く言って、クレアが走り出す。
 凄とル・フェもそれに続いた。

 前を走っていた三体が、急に振り向く。
 じゃっ、と吼えて、土蜘蛛が突進した。

 凄がそれに合わせて、蹴りを土蜘蛛の顔面に叩き込んだ。
 ぐし、と鼻の軟骨が潰れる音が、凄の足に響く。
 顔面が中央から陥没し、ぎょろりとした目玉が零れ落ちた。

 一方のル・フェは、軽々と宙を舞って、土蜘蛛の体当たりを躱す。
 トンボを切りながら、眼下に土蜘蛛を捉えた。
 そのまま、四つん這いになった土蜘蛛の背中に着地する。

「踏み心地が悪いのう」

 呟くと、爪先でその背中に円を描いた。
 その軌跡に従い、土蜘蛛の背中に光るラインが現われる。
 即座に、ただの円であったそれが枝分かれしていった。
 自ら、複雑な紋様を組み上げる。

「度脱するがよい」

 言って、ル・フェが再び宙を飛ぶ。
 土蜘蛛の紋様が、一際、輝きを放つ。
 めき、とその紋様を中心に、土蜘蛛の背中が折れた。

 更に、音が連続する。
 めき、めき、めき、と紋様の中心に向けて、土蜘蛛の身体が折り畳まれていった。
 まるで、紋様自体が腹を空かせた獣の口のようである。

 瞬く間に、土蜘蛛の長い体躯が、紋様の中に吸い込まれていった。
 暫し、虚空に淡い光を放っていた紋様が、霞のように消える。
 後にはもう、何も残っていなかった。

 凄とル・フェが、二体の土蜘蛛を片付けている間に、クレアもまた、土蜘蛛の心臓を貫いていた。
 広刃剣が、半ばまで肉の中に潜り込んでいる。
 だが、土蜘蛛はまだその動きを止めていなかった。

 思い切り、その長い腕を広げる。
 そのまま、クレアの身体を抱き竦めた。
 クレアの身体と密着することで、更に深く刃が心臓を抉ったが、土蜘蛛は腕を緩めない。
 みり、とクレアの骨が軋んだ。

 凄が、急いでクレアの元に駆けつけようとする。
 その為、もう一体の土蜘蛛から完全に目を離してしまった。
 先行していた土蜘蛛が、傾いた塔の中に入っていく。

 塔に消えた土蜘蛛を、ル・フェが追おうとした。
 だが、その前に、塔の方から重い音がする。
 がこん、という硬い質量のあるものが何処かに嵌る音だ。
 そして、ぎり、ぎり、ぎり、と歯車が回る音が地下から響く。

 どっ、と地面から大量の水が噴き出した。
 忽ち、乾いた土に水が吸い込まれ、一体が泥沼と化す。

「何だ、これは」
「海水を運ぶための導管が、地下に仕込んであったのであろう。それを利用した絡繰りか」

 ずぶずぶと両脚を大地に呑まれていく凄を見ながら、ル・フェが言った。
 宙を自在に舞う淫魔の少女にとって、この様な罠に意味はない。
 しかし、凄とクレアは徐々に動きを封じられていった。
 特に、クレアは土蜘蛛の拘束から逃れておらず、身動きできない状態である。
 土蜘蛛自体は既に事切れているのだが、その腕を振り解けないのだ。

「ぬ!」

 凄が、唸り声を上げて塔の方を向く。
 きり、と牙を噛んだ。

「どうした?」
「罠か!」

 ル・フェの問いに、凄が声を荒げる。
 その言葉の意図を糺そうとしたル・フェの背後で、傾いた塔が震えた。
 小さな瓦礫が、幾つも零れていく。
 見る間に、傾きが急になっていった。

 塔が、倒れてきているのだ。
 しかも、正確に凄とクレア、ル・フェへと向かっている。
 その様な地点に、土蜘蛛が凄たちを誘い込んだのだろう。

「逃げよ、ル・フェ!」

 吼えて、凄が思い切り地面を踏んだ。
 まだ、充分に水を吸っていなかった土を蹴って、凄の巨躯が泥濘の中から跳ぶ。

 跳躍しながら、ル・フェの襟を凄の顎が引っ掛けた。
 太い首を振って、ル・フェの細い身体を放り投げる。

「凄!」

 叫ぶル・フェには答えず、凄はクレアの前に着地する。
 丁度、崩壊した塔が、凄とクレアに覆い被さる直前であった。
 クレアに抱きついたままの土蜘蛛を、凄が、蹴り飛ばす。

 しかし、その直後、ル・フェの目の前で、大量の煉瓦と、漆喰と、石英の塊が、凄とクレアを呑み込んだ。
 圧倒的な質量が、無慈悲に大地を打つ。
 冗談のようにゆっくりと、粘ついた水柱が高く上がった。
 茶色い泥の飛沫が、雨のように降る。

「せ、凄!? クレア!?」

 常からは想像も出来ないほど狼狽して、ル・フェが名を呼んだ。
 しかし、それに答える者はない。

 あるのは、ただ、瓦礫でできた小山だけであった。
 真っ白な容貌を、更に白くして、ル・フェが爪を噛む。

 その瓦礫の小山で、一際盛り上がった箇所が、微かに震えた。
 からん、と煉瓦の欠片が落ちる。

 どっ、と火山の噴火のように、砕けた煉瓦が噴き上がった。
 天に向かって、子供の頭ほどもある瓦礫が巻き上げられる。
 そして、その爆発の中心に、巨大で、歪で、隆々たる巨躯の獣がいた。

 凄であった。
 真っ青な人狼が、高々とごつい脚を蹴り上げている。
 その背後に、次々と煉瓦の塊が落ちていった。

「凄……、お、お主……」
「どうした淫魔、声が震えているぞ」

 ふてぶてしく言う、凄である。
 口の端は上がり、笑っているのがル・フェにも分かった。

「ふ、震えてなどおらぬわ、バカ者めっ!」

 顔を赤くして罵倒するル・フェに、人狼が肩を竦める。
 そして、自分の腰に縋り付く女剣士に、凄が傷に覆われた眼を向けた。

「無事か、クレア」

 小さく囁く。
 その声に、クレアがこくんと頷いた。

「わ、わたしは大丈夫だが、お前は、凄は、大丈夫なのか……?」
「おう、大事ないな」

 言って、ごきりと肩を鳴らす。
 ぱらぱらと、細かい煉瓦の破片が零れ落ちた。
 クレアが、凄の胸に自分の顔を埋める。

「凄、凄……」

 何度も、何度も、人狼の名を呼んだ。
 巨大な人狼が、あやすように、クレアの身体を包み込む。
 そうして、廃墟と化した庭園に、夜の帳が落ちていったのであった。

 玉海宮での土蜘蛛との闘いから、三日後の夜――。

 帝都において、玉海宮の塔の崩落事故は些かの問題ともならなかった。
 元々、遺棄された場所である。歳月に任せて、崩れるままにしていた遺構が一つ減っただけのことであった。

「結局の所、奴らは何であったのかのう」

 ベッドの上で、銀色の髪をした少女が呟いた。
 雪のように白い身体に、纏っているのは霞のような薄絹が一枚きりである。
 少女特有の身体のラインだけでなく、控え目な胸の薄紅色の突起や、足の合わせ目の上品な裂け目まで、見て取れた。
 ル・フェである。

「さて、な。どちらとも取れるからな」

 答えたのは、ル・フェと同じ様にベッドの上にいる、一人の女性であった。
 緩やかに波打つ、金色の髪が、美しい。
 青い瞳が、野生の獣のような精悍さを宿していた。
 ル・フェとは違い、成熟した女の肉体を有している。
 クレアであった。

 そして、ベッドの上にいるのは彼女たちだけではない。

 全身を真っ青な獣毛で覆われた巨大な人狼もそこにいた。
 両腕が無く、眼には刀傷が疾っている。
 凄であった。

 その巨体で、ベッドの殆どを占有している。
 クレアとル・フェは、この人狼の巨躯の脇にぴったりと寄り添っているのであった。

 鉤爪亭の一室である。
 外区の宿らしく、ベッドの作りは頑丈で、広かった。
 しかし、それでも凄の巨体を前にすると手狭に感じられる。

 玉海宮の一件をログラムに伝え、報酬を受け取った後、クレアとル・フェは今回の真相について考えているのであった。
 とは言え、判断の材料は少ない。

 異形排斥派の騎士が、異形と化して廃墟にいた。
 分かっている事実はこれだけである。

 考えられるのは、異形を容認する一派が排斥派を密かに粛正した、と言ったところだろうか。
 しかし、証拠はない。
 第一、それならば排斥派の人間を消してしまえば済むことである。態々、土蜘蛛として玉海宮に飼う必要はないだろう。

 或いは異形排斥派の自演、と言う可能性もある。
 例えば、自ら異形を造り出し、帝都の住民を襲わせる。それによって、人外から成る傭兵の危険性を声高に喧伝するというわけだ。
 しかし、些か穿ちすぎの感は否めない。

 得られた情報は少なく、そこから推測できることも、あやふやにならざるを得なかった。

「ま、その様な些末事はよい」

 言って、ル・フェは凄の耳元に顔を近付けた。
 ふっ、と吐息を掛ける。

「のう、凄よ。もう一度、妾の名を呼んでおくれ」

 狼そっくりの尖った耳に、ル・フェが囁きかける。
 その言葉通り、凄は玉海宮での一件以来、ル・フェやクレアの名を呼んだことはなかった。
 以前と同じく、剣士と呼び、淫魔と呼ぶだけである。
 ル・フェの希望に、凄は直接には答えず、ただ自分の耳を伏せた。
 聞く耳持たぬ、と言った所だろうか。

「わ、わたしもそうして貰いたいのだが……、駄目か?」

 ル・フェの向かいのクレアまでが、そう言った。
 潰れた眼を天井に向けて、凄が息を吐く。

「分かった、分かった……。ル・フェ、クレア。これで良いか」
「むう」
「……」

 どうやら、不評のようである。
 身を乗り出して、ル・フェが凄に口付けた。
 舌を差し込んで、凄の尖った牙をなぞる。
 うねうねと、それ自体が意思を持った生き物のように動いた。

 口を離すと、ル・フェの突き出した舌がぬめった光を放っている。
 その舌で、自分の唇を湿らすように舐めた。

「もっと心を籠めんか。女の情を汲むのも男の器量ぞ」

 窘めるように、ル・フェが言う。
 やれやれと言いたげに、凄が肩を竦めた。
 それから、ル・フェの耳に顎を近付ける。
 長い舌を、ぞろりと伸ばして、耳の穴にその先端を滑り込ませる。
 ぐねぐねと、舌が動いた。

 ひゃ、と小さな悲鳴をル・フェが上げる。
 頬を染めて、凄を睨んだ。

「な、何をする!」
「お前の名を、直接、耳に流し込んでやったまでよ」

 そう言うと、く、く、と含み笑いを凄が漏らした。
 ル・フェの反応が面白かったらしい。
 む、とル・フェが頬を膨らませる。

 今度は自分の身体をずらして、凄の下半身に手を伸ばした。
 そして、凄の股間のものを小さな手で握る。
 獣人の陽根は、まだ柔らかいままであった。
 白い指で輪を作るが、それでは届かないほど、凄のものは巨大である。

 ゆっくりと指の輪っかを上下させた。
 凄の腰に覆い被さるようにして、陽根の先端を口に含む。
 桜色をした唇が、醜悪な肉の槍を包んでいた。

「何の心算だ」

 凄が、腰に顔を埋めているル・フェに向かって言う。
 ちろちろと舌先で凄の肉茎を味わってから、ル・フェが口を離した。

「お主より、こちらの方が素直じゃからの」

 そう言うと、再び、ル・フェは凄のものに舌を這わせた。
 ぬるぬると舌を巻き付かせながら、獣人の男根を呑み込んでいく。
 ル・フェが、自分の口内で、凄の陽根を軽く奥歯で噛んだ。

 それを見ていたクレアが、四つん這いで、凄に躙り寄る。
 因みに、クレアは何も身に付けていなかった。
 形の崩れていない、豊かな胸の隆起が、それだけで扇情的である。

「あの」
「何だ」
「一つ、許可を貰いたいのだが……」

 首を傾げて、凄が先を促す。
 視線を、何度か左右にさ迷わせてから、クレアが口を開いた。

「そ、その、お前のことを、名で呼んでも構わないか?」
「……」

 唐突な申し出に、咄嗟に返答できずに凄が沈黙する。
 それを否定と取ったらしく、クレアが俯いた。

「い、いや、駄目なら良いのだ。まあ、無理強いをするほどのことでもないしな」
「別に構わんぞ」
「そ、そうか。やっぱり駄目か……。え?」
「だから、構わんと言っている。酔狂なことだが、お前の好きにすればよい」

 凄の言葉に、クレアの動きが止まる。
 それから、確かめるように、凄を見た。
 なおざりに、凄が頷く。

「そ、そうか」

 言って、クレアは居住まいを正した。
 妙に気合いが入っている。

「よ、よし、では行くぞ」

 宣言した。
 こほん、と咳払いを一つしてから口を開く。

「せ、凄……」
「何だ」

 呼ばれたので返事をした凄であったが、クレアからの反応はない。
 クレアの頬が、徐々に赤く染まっていた。
 顔だけでなく、首の辺りまでが真っ赤である。
 そこから昇る汗のにおいが、凄の鼻孔に届いた。

「何を照れているのだ、お前は」

 やや、呆れて人狼は言った。
 人間と獣人の感覚は、共通する部分もあるが、ずれている箇所も多い。
 少なくとも、クレアのこの反応は、凄の理解を超えていた。

「いや、その、なんだ」

 益々、頬を赤く染めながら、クレアが答える。
 両手を、ぎゅっと握りしめていた。

「あ、改めて呼ぶと、照れくさいものだな」
「そうか」
「う、うむ」

 妙な沈黙が降りる。
 不意に、凄が顔を顰めた。

「どうかしたのか」

 クレアが尋ねると、凄が自分の腰辺りを顎で示す。
 見ると、凄の肉棒を銜え込んだル・フェと視線が合った。

「歯を立てたのか」

 問い掛けたクレアに、もごもごと口を動かして答えるル・フェであった。
 肯定の意らしい。
 ずるりと、男根を吐き出した。
 見事に、そそり立っている。

「妾を無視して、睦言を交わしておるからよ」

 不満げに、ル・フェが言う。

「そんな心算では……」

 言い掛けたクレアを無視し、ル・フェは膝立ちになった。
 小さな秘裂に、雄の器官の先端をあてがう。
 赤く色付いたル・フェのそれは、穢れを知らない少女のように清楚である。

 その慎ましやかな裂け目が、反り返った陽根を呑み込んでいった。
 にちにちと、濡れた音がする。

 柔肉の隙間を広げながら、怒張した男根が進んでいった。
 ル・フェの膣内で、ぷちぷちとした肉壁が凄の陽根を包み込む。
 粘っこい愛液が、結合部から溢れた。

 こつんと、一番奥に凄の先端が当たる。
 ル・フェの呼吸が、荒くなった。
 白い腹が、男根の形に膨らんでいる。

「動く……ぞ」

 掠れた声で言って、ル・フェが腰を上下させ始めた。
 人間のそれとは違う獣の性器が、内側を抉る。
 その度に、薄く色付いたような声がル・フェの唇から漏れた。

 子宮口に押し付けるように、ル・フェが腰を捻る。
 こりこりとした感触が、凄の鈴口を刺激した。
 雪のようなル・フェの肌に、ほんのりと朱の色が差す。

 段々と切羽詰まっていくその動きを、クレアはじっと見詰めた。
 それから、凄の刀傷の疾る顔に視線を遣る。

 視線に気付いたらしく、凄が、クレアの方を向いた。
 何となく、凄の脳裏にクレアの表情が浮かぶ。
 恐らく、切なそうな表情を浮かべているのだろう。

「そうむくれるな」

 言って、凄が首を伸ばして、クレアの耳朶を噛んだ。
 そのまま、舌で女剣士の首筋をなぞっていく。
 豊かな胸の膨らみに、牙を立てた。

 ん、とクレアの唇から息が漏れる。
 丸みを帯びた双丘の頂点を、凄が口に含んで弄んだ。
 小さめの乳首が、硬くしこっている。
 その味をたっぷり楽しんでから、凄が口を離した。

 軽く、腰を跳ねる。
 凄に跨っていたル・フェが、悲鳴のような声を上げた。
 余程、感度の強いところにものが当たったらしい。
 ぶるぶると震えながら、荒い息を吐く。

 今度は、更に強く凄の腰が跳ねた。
 強い刺激がル・フェを襲い、痛いほどに凄の陽根を締め上げる。

「こ、この……!」
「何だ、もっと強い方がよいか」

 睨みつけるル・フェに、凄はうそぶいた。
 答えを聞く前に、一際強く肉の凶器をル・フェの子宮に叩き付ける。

 くぐもった悲鳴を、可憐な淫魔が上げた。
 それで止めずに、凄が、繰り返し自分の肉茎で、ル・フェの子宮を突き上げる。

 ル・フェの上げる声が、その度に艶を増していった。
 細身の裸身が、激しく痙攣する。
 痛いほど膣の肉壁が締まり、陰茎を絞った。
 愛液が、噴き出る。
 絶頂を迎えたらしく、ぐったりとル・フェは脱力した。

「だ、大丈夫か」
「うう、妾ともあろう者が、いい様に弄ばれるとは……」

 流石に心配になって、クレアがル・フェの身体を支えた。
 何とか、後方へいざってル・フェが自分の胎内から凄の陽根を引き抜く。
 愛液で濡れそぼったそれは、禍々しいまでの硬度を保っていた。

 まだ達していないそれに、今度はクレアが跨る。
 既に、クレアの肉色をした裂け目は充分な潤みを湛えていた。
 薄い陰毛が、濡れて光っている。

 二、三度、亀頭で自分の淫裂を刺激してから、耐え切れないようにクレアは一気に腰を降ろした。
 太く、硬く、反り返った人狼の陽根が、引き締まった女の腹の中を突き進む。

 クレアの中は、柔らかい襞が絡み付いてくるような作りであった。
 充分に濡れたそれは、雄へ快楽を与えるための、最高の器官である。
 そして、同時に雌へも快楽をもたらすのであった。

 夢中になって、クレアが腰を上下させる。
 合わせるように、凄も、クレアの内側を擦り上げた。

 ふ、ふ、と断続的な呼吸が続く。
 赤い舌が、クレアの口から伸びて、ひらひらと踊った。

「凄、凄、凄……」

 繰り返し、自分を貫く人狼の名を呼ぶ。
 上体を凄が起こし、その口を長い顎で塞いだ。
 答えるように、クレアがその両腕を凄の太い首に回す。
 強い獣毛の下に、鍛え上げられた筋肉の感触があった。

 獣人と人間が、互いの舌を絡ませて唾液を撹拌させていく。
 粘膜と体液が一体化する感触に、クレアの全身が火照った。
 うっとりとしながら、その唾液を嚥下する。

 それでもクレアは唇を離さずに、凄の口腔の味を楽しんでいた。
 鋭い牙の舌触りも、熱い舌の感触も、クレアには心地よい。

 腰を捻ると、また違う角度で凄の陽根がクレアの襞を抉った。
 クレアが身体を動かす度に、張りのある二つの胸が揺れて、凄の胸板を刺激する。
 その感触が、凄には心地よかった。

「せ、凄……」

 潤んだ目で、自分を犯す人狼を見ながら、クレアが言う。
 その合間にも腰は動き、吐息が連続で漏れていた。

「何だ」

 一方の凄は、まだ余裕のある口調である。
 お陰で、クレアは偶に不安になるのだ。

「わ、わたしは男と言えば、お前しか知らぬ」
「そうだな」
「わ、わたしは、ちゃんと、気持ち良いか、凄?」
「おう」
「ほんと、か?」
「おう」

 その問い掛けの間も、凄とクレアが繋がった箇所からは、濡れた音が続いていた。
 人狼のものをしっかりとくわえ込んだクレアの女陰から、愛液が溢れている。

「なら、わたしを、お前、専用に、してくれ。わたしを、置いていくな」

 懇願であった。
 人狼の脳裏に、自分の眼と腕を奪った男の顔が浮かぶ。
 その男とは、クレアの父であり、謹厳な為人ゆえに毒殺された男でもあった。
 自分が唯一、敗北を喫した男である。

 人狼が、抱きついているクレアに伸し掛かった。
 クレアの身体が、凄の巨体の下になる。
 山のように圧倒的な体躯を、クレアは感じた。

 凄が、射殺すように荒々しく、陽根をクレアの中に叩き付ける。
 その度に、高い声がクレアの口から零れた。

「お前は、俺のものだ」

 ぐるぐると、低い唸り声と共に凄が言う。
 大きく、口を開いた。
 そして、牙をクレアの首筋に突き立てる。

 人間の口付けなどよりも強く、身体に、徴を刻みつけるものだ。
 凄が口を離すと、首にはっきりと赤い跡が残っている。

「……誰にも渡さんぞ、クレア」

 クレアの耳元で、酷く小さな、囁くような声で、凄が言った。
 きゅっと、クレアの中が締まる。
 女の一番深い場所で、凄の陽根が弾けた。
 大量の精液が、クレアの子宮の壁を叩く。

 その熱さを感じながら、子供のように、クレアは頷いた。
 何度も何度も頷いて、人狼の身体にしがみついたのであった。

 次の日の昼――。

 獣人やリザードマン、ダークエルフに異形の蠱術師たちが跋扈する鉤爪亭の一角でのことである。
 要求される品質は頑丈さ以外にはない、と言わんばかりのごつい椅子に座り、銀髪の繊細優美な少女と金髪の豊潤美麗な女が、何やら言い争っていた。
 少女はル・フェ、金髪の女はクレアである。
 木目の浮いた傷だらけのテーブルの上には、小さなカップが二つ、置いてあった。
 中身の茶は、既に温くなっている。

「ずるい」
「……」

 頬を膨らませ、じっとりとした視線で見詰めているのは、ル・フェであった。
 うんざりした顔で沈黙しているのは、クレアである。

「なぜ、妾を呼ぶ時はいい加減で、クレアの時だけ真情が籠もっておるのじゃ。ずるいぞ」
「いや、そう言われても」
「ずるい、ずるい、ずるい!」

 聞き分けのない幼児さながらに、ル・フェが言い募る。
 思わず、クレアが言い返す。

「わたしだって、名前で呼ばれたのは昨夜だけだぞ」
「玉海宮で呼ばれたであろうが」
「あの時はお前も呼ばれたではないか」
「妾は一度、お主は二度じゃ。得心がいかぬ」
「回数の問題ではないだろう」
「そこも重要なのじゃ」

 どうやら、今朝からずっと同じ事で口論しているらしい。
 同じテーブルには、凄も着いていた。
 しかし、興味がないらしく、何も言おうとはしない。
 そんな凄に、ル・フェが矛先を向けた。

「元はと言えば、お主の気遣いが足りぬのがいかん」
「気遣い?」
「そうじゃ。だが、妾は慈悲深いことで有名じゃ。ここは名誉挽回の機を特別にくれてやろうではないか。さあ、妾の名を呼ぶがよい。至純至誠の愛情を籠めてな!」

 薄い胸を張って、尊大に言うル・フェであった。
 そんなル・フェに、凄が小さく息を吐く。
 溜息であった。

「ま、待て、凄。どうせ言うならわたしの名も言ってくれないか」

 慌てて、割って入るクレアである。
 ル・フェが、眉を顰めた。

「お主は昨日呼ばれておるだろう。慎みのない女人は嫌われるぞ」

 凡そ、淫魔とは思えないことを言う。
 今度こそ、はっきりと大きな溜息を凄が吐いた。

 名というものは不思議なものだ。
 少なくとも、荒野にいたときには思いも寄らなかった面倒事の種になる。
 昔は、世界には己しか無く、それ以外は何者でもなかったのだが。

 さて、どうしたものか。

 また、適当に流してしまってもよいのだが、と凄は胸中で思案する。
 或いは、思い切り、情感たっぷりに、クレアとル・フェの名を呼んでみるのも面白いかも知れぬ。
 何と言っても、この剣士と淫魔は特別なのだ。

 ゆっくりと、凄が口を開いた。
 赤い舌が、単語を紡ぐ。
 他の何者でもない、大切な者の名を。

 そして――。

 外区でも名だたる女剣士と恐るべき淫魔が、その日、異常なまでに上機嫌になり、会話が困難なほど、上の空であったと言う。
 とある人狼は、呆れて「二度と言わん」と宣言したとのことである。
 しかし、その宣言が果たされたか、否か。
 それはまた、別の物語なのであった。

                                       了
 


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-モドル-