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SS:ヴーク



 糸のように細い雨が、重く垂れ込めた雲から降り続いている。
 巨木の立ち並ぶ、山の奥深くであった。

 雨が、梢に繁る葉に当たり、更に細かくなって宙に消えていく。
 空は、何処までも灰色に塗り潰されていて、その向こうに太陽があるなどとは、到底思えない。
 時刻は、昼を回ったところだろうか。

 伸し掛かるような雲の下に、ぐねぐねと曲がりくねる山道が続いていた。
 立ち並ぶ巨樹の合間に見えるその道は、酷く頼りない。
 真っ黒なキャンバスに貼り付けられた、糸屑のようであった。

 地元の猟師もその存在を忘れているような、廃道である。
 殆ど、獣道と同化している箇所や、崖崩れで塞がれてしまった箇所もあるという、そういう道であった。

 その様な道を、細い雨に濡れながら歩いている影が四つ見える。
 フード付きのローブをすっぽりと被っているのが、三つ。
 雨に打たれるままなのが、一つ。

 ローブを纏っている三つの影は、尋常な人の輪郭をしていた。
 しかし、降りしきる雨を、全く気に掛けていない今一つの影は、人とは到底言えない形を見せている。

 まず、巨大であった。
 どこもかしこも、ごつく、太い。
 噴き出した溶岩が、そのまま固まったような隆起を見せる背中。
 鉄で出来た蛇が合わさったかのような腕。
 巨木の根のような首。
 岩のような太腿。

 それらが、歪んで、捻れて、人に似た形に繋がっているのであった。
 頭部は鼻面の尖った、狼のそれである。
 瞳は、極上の宝石を思わせる、緑であった。
 全身を覆う獣毛は、黄金そのものの輝きを放っている。
 腕と脚の先端から生えているのは、山刀の如き、鈍い光を放つ爪であった。

 人狼だ。

 雨に煙る深山で、そこだけ色彩をもって、人狼が雨に打たれて歩いているのである。
 しかし、三つの人影は人狼に追われている様子もなく、黙々と歩みを進めていた。

 一番小柄な人影が、足元の石ころに躓いたのか、転びそうになる。
 それを察した、前を歩いていた人影が、小柄な方を支えた。

「大丈夫か」

 聞こえた声は男のものである。
 大きな背嚢を背負っていた。
 革袋や、細々とした道具もその背嚢には括り付けられている。
 大分、旅慣れた人間であるらしい。

 しかし、一際目立つのは、男の身長以上もある棍であった。
 金属製のようで、黒々とした鈍い光を放っている。

「は、はい。大丈夫です」

 答える声は、幼い少女のそれであった。
 男が、しゃがんで少女の足首を触る。
 質素だが、丈夫そうな木靴が、少女の足を包んでいた。
 そこから覗く肌の色は褐色である。
 この地域では珍しい。

「っ……」

 少女が、フードの下で顔を顰めた。
 どうやら、捻ってしまったらしい。

「歩けねえことはねえだろうが……。大事を取った方が良いか」

 言って、男は背嚢を降ろし、小さな袋から布切れを取り出した。
 その布切れを持ったまま、道の向こう側の山肌まで歩く。

 戻ってきたときには、やや厚めの葉を数枚、手にしていた。
 山では、よく見掛けるものだ。
 高さは人の背丈の半分程で、葉脈ははっきりしており、白い粗毛が表面に生えている。
 持って来た葉を揉んで少女の足首に当てると、上から布をくるりと巻いた。

「打ち身にはこいつが良く効く。あんまり動かすなよ」

 言ってから、背嚢を背負い直し、ひょい、と少女を抱え上げた。
 横抱きである。

「わ、わ」
「暴れるな」

 慌てる少女に、男が落ち着いた口調で言った。
 男が、小柄とは言え、人一人を抱えているとは思えない軽い足取りで、歩き始める。
 少女が黙りこくって、俯いた。

 それを後ろで見ていた、もう一つの人影が金色の人狼を手招きする。
 素直に、金狼がその側によると、獣人の長い耳に何事かを囁いた。
 声からすると、女のようである。

 し、し、し、と牙の隙間から人狼が息を漏らす。
 そして、心得たようにローブを着込んだ女を、自分の肩の上に乗せた。
 王族を運ぶ輿のような恭しさで、金色の人狼が歩みを進める。
 満足そうな忍び笑いが、ローブから漏れ聞こえた。

 それから、数時間後――

 少女を抱えた男と女を肩に乗せた人狼は、山腹から突き出た、岩屋の前に立っていた。
 かなり古いものらしい。
 石垣には何本もの樹木が根を下ろしており、そうでない箇所は土に覆われていた。

 山が、ゆっくりとその岩屋を呑み込んでいるかのようであった。
 数百年もすれば、この人工物も山の一部となるのだろう。

 岩屋の入り口は土の重みでやや歪んでいたが、崩れてくる様子はない。
 少女を抱えたまま、男が岩屋の門を潜る。
 その後を、人狼の肩から降りた女が続き、最後に、人狼が巨体を縮めながら入り込んだ。

 光の差さない岩屋の内部は闇に包まれている、と思いきや、ぼんやりとした光が、中を照らしている。
 ローブ姿の人影や人狼の巨躯が、薄明かりに浮かび上がっていた。
 ヒカリゴケか何かが、壁や床に練り込まれているらしい。

 入り口は人狼が何とか通れるほどであったが、内部はかなり広かった。
 天井も高い。
 木賃宿のベッドしかない部屋と比べれば、奥行きも高さも、数倍の広さがあった。

 男が、抱いていた少女を床に降ろす。
 背負っていた背嚢も床に置き、そこから毛布を取り出して、床に敷いた。

 それから、雨で重くなったローブを脱ぐ。
 現われたのは、炯々とした眼光の青年である。
 砂漠を思わせる色合いの髪を、長めに伸ばしていた。
 それを、後ろで括って纏めている。

 瞳の色も、乾いた砂の色をしていた。
 眉目は悪くないのだが、纏っている空気は剣呑そのものである。
 獲物を狙う猛禽のような男であった。

 バンデッドメイルに、頑丈そうな篭手、グリーブを身に付けている。
 黒い麻の脚衣を穿いているのだが、所々浮いた染みは血痕だろう。

 ヴァレックと言う名の、傭兵である。

 その隣で、少女と女もローブを脱いでいた。
 少女と、女の顔が露わになる。

 目を引くのは、その耳だ。
 普通の人間とは異なり、長く、先端が尖っていた。
 エルフである。
 この辺りでは、余り見掛けない亜人であった。

 肌は褐色である。
 髪は、美しい銀色をしていた。
 繊細なその銀髪が、周囲の光を淡く反射している。
 少女は、水晶のように光を含んだ銀髪を、肩口まで伸ばしていた。
 女の髪は腰を覆うほど長く、月光のように輝いている。

 瞳の色は、どちらも美しい青であった。
 少女の瞳は空を思わせる澄んだ色合いで、女の瞳は深い海を思わせる。

 少女の名はエリアリス。
 女の名はアルアリーゼであった。
 姉妹である。
 エリアリスは十代の始め、アルアリーゼは二十代半ばに見えた。

 溜息が出るほどに美しい、姉妹である。
 姉のアルアリーゼは大輪の薔薇のように妖艶、妹のエリアリスは百合の蕾のように可憐であった。

 それと対照的に、二人が身に着けているものは、質素である。
 カートルと呼ばれるものだ。
 踝まで丈があり、袖も付いている、一般的な衣装である。

 る、る、る、と人狼が、小さく唸る。
 塵、と言うのがこの金狼の名であった。

 塵もヴァレックと同じく傭兵である。
 アルアリーゼとエリアリスの姉妹は、元は奴隷であった。

 この二人のエルフを、故郷であるという西の大陸にまで連れて行くのが、ヴァレックたちの今の仕事である。
 リスクの高い仕事であった。
 何故なら、アルアリーゼとエリアリスを購ったのが、大陸最大の非合法組織である『ギルド』の幹部だったからだ。
 その幹部は既に暗殺されているが、エルフの姉妹が『ギルド』の金で買われたことには変わりない。

 しかし、ヴァレックも塵も、その辺りのリスクは承知している。
 例え報酬が、この二人を好きにして良いという、割に合っているのか、いないのか、微妙なものであったとしても、だ。
 因みに、塵の相手はアルアリーゼが、ヴァレックの相手はエリアリスが務めることになっている。

 る、と低く声を出して、塵が、太い爪を姉妹に向けた。
 どうやら、ローブを渡せと言うことらしい。
 姉妹が、手にしていたローブを、素直に渡す。

 それを自分の腕に引っ掛けたまま、ヴァレックの背嚢から丈夫そうな縄を取り出した。
 岩屋の壁面の出っ張りにその縄を結びつけ、向かい合った壁面にも器用に括り付ける。
 渡した縄に、手にしていたローブを順番に掛けていった。
 ローブの裾から、ぽたぽたと水が滴り落ちる。

 ヴァレックも、自分のローブを掛けるため縄に近寄った。
 丁度、ヴァレックとエルフの姉妹が一直線になる。

 それを見計らったように、塵が身体を大きく震わせた。
 極小の水滴が宙を舞う。

 しかし、ヴァレックは動じることなく、縄の上にたっぷりと雨水を含んだローブを掛けている。
 実際、ヴァレックは少しも濡れていなかった。
 塵が跳ね飛ばした雨水は、全て後方に飛散していたのである。

 驚いたのはアルアリーゼとエリアリスで、思わず、二人して抱き合っていた。
 ヴァレックが、溜息を一つ吐き出す。

「仕様もないことをするな。ガキか、お前は」

 そんなヴァレックに、塵が含み笑いを返した。
 呆れて首を振りながら、ヴァレックは岩屋の隅まで歩く。
 しゃがみ込んで、何かを探していた。

「まだあったか」

 そう言って、油紙に包まれた太い薪を取り出した。
 どうやら、壁の一部が外せるようになっていて、そこが保管庫になっているらしい。
 薪の本数はかなりのもので、一晩は楽に保つだろう。

「あ、あの」

 エリアリスが、遠慮がちにヴァレックに呼び掛ける。
 情味の薄い砂色の瞳が、エリアリスを見た。

「ここは、なんなのでしょうか」

 尤もなことを尋ねる。
 ヴァレックは、岩屋の中央に即席の竈を作りながら答えた。

「『食人鬼の旅籠』さ」

 物騒な答えを、ヴァレックが返す。
 目に見えて、エリアリスの顔色が変わった。
 その様子を見て、ヴァレックが口の端を上げる。
 明らかに、面白がっている。
 その表情に気付いて、エリアリスがヴァレックを睨んだ。

「ヴァ、ヴァレックさんも子供みたいなことしないで下さい」

 精一杯、胸を張ってエルフの少女は、傭兵を糾弾する。
 対する傭兵は、肩を竦めることで陳謝の意を示した。

「悪い、悪い。じゃあ、ちょっと上を見てみな」

 言われて、エリアリスは素直に天井を見上げる。
 アルアリーゼと塵も、上を見た。

「わあ」

 感嘆の声が、エリアリスから零れる。
 見上げた岩屋の天井には、きらきらと輝く無数の光の粒がちりばめられていた。
 それだけでなく、青い光を放つ線で象られた、様々な獣たちの姿もある。

 普通の獣ではない。
 長い胴の龍もいれば、複数の翼を持った霊鳥もいる。
 四つの眼を持った犬や、二つの首を持った蛇もいた。
 その他、名も分からない、奇妙な姿をした霊獣、魔魅が乱舞している。

「これは……?」

 絢爛とした光の絵画に圧倒され、アルアリーゼが呟く。
 火打ち石を叩きながら、ヴァレックが口を開いた。

「学者が言うには、古代の星見に使われていたらしい。この先の峠で宿曜を観察し、ここでその結果と照らし合わせて、吉凶を占ったんだとさ」

 かちかちと火花が散って、それが付け木に移り、薪に広がっていった。
 その火勢を落とさないように息を吹きかけながら、ヴァレックが視線で岩屋の四隅を示す。
 塵がロープを掛けた出っ張りがそこにあった。

「そいつは、香炉を嵌める台だ。秘術の香の中で、未来を見たんだろうよ」

 中央の竈の炎が、一際大きくなるが、その煙は天井の片隅に流れていく。
 ヴァレックの言う通り、ここでは普通に火が焚かれ、換気のための対流も考えられているらしい。

「ついでに、『食人鬼の旅籠』ってのは地元の連中の呼び名だ。元の用途が忘れられて、不気味な呼び名が付いたんだな」

 この古い岩屋の経緯を簡潔に述べると、ヴァレックは背嚢から、干し肉の塊を幾つも取り出した。
 人狼の塵が仕留めた猪の肉を、ヴァレックが加工したものである。
 それを金串に刺して炎の周りに並べていった。
 更に、ヴァレックが細長い何かを別の革袋から取り出して、串に刺す。

「そ、それは……」

 恐る恐る、エリアリスが尋ねる。
 無理もない。
 ヴァレックが串に刺しているのは、木の枝のような胴と脚を持った、昆虫であったのだ。
 かなり大きい。

「ん? ナナフシだ」
「焼いてどうするんですか」
「食う」

 何を当たり前のことを……、とでも言いたげな表情でヴァレックが答える。
 少女の顔から、血の気が引いた。

「美味しいの? それは」

 少々呆れながら、アルアリーゼが訊く。
 どう見ても下手物の類である。

「旨い。火が通ってないと中ることもあるがな」

 言いながらも、次々とナナフシを刺して竈の側に並べていく。
 山中、ヴァレックがごそごそと何かをやっていたが、この虫を採っていたようだ。
 泣きそうな顔を、エリアリスがした。

 結局、エリアリスが手を付けたのは猪の肉だけであった。
 たっぷりとドングリや山芋を食べていた猪らしく、脂の乗った旨い肉である。

「ふうん、結構いけるわね」

 細くしなやかな指でナナフシの身体の中身を口に運び、アルアリーゼが言う。

「だろ? 酒にも合うしな」

 賛同を得て、上機嫌に酒を呷るヴァレックである。
 その横では、塵が肉とナナフシをまとめて口の中に放り込んでいた。

「食べないの?」
「む、無理です」

 自分の姉に勧められるも、首を振るエリアリスであった。
 酒を干したヴァレックが、背嚢から畳まれた羊皮紙を取り出す。

「それは?」
「地図だ」

 ばりばりと音を立てて、ヴァレックがそれを広げた。
 四隅に石を置いて、重石にする。
 床に置かれたその地図を、エリアリスとアルアリーゼが覗き込んだ。

 大きく、水甕のような形をした土地が地図に描かれている。
 広口の、胴の長い水甕だ。
 口の左端の部分が、横に大きく伸びている。

 太い街道やその支路も細かく描き込まれており、大小の街や村の位置も明記されていた。
 ヴァレックのものらしい手書きの文字も、そこかしこに見える。

「大陸の地図だ。これからの道程を説明しとこうと思ってな」
「随分詳しい地図ね」
「商人が使うやつだからな。地方毎の地図もあるが、先ずはこっちだ」

 その言葉通り、ヴァレックが手にした地図は、地形や縮尺も正確なようであった。
 教会の司祭が説教で見せる地図のように、海の端が滝になっていたり、北に凍り付けの巨人が埋まっていたりすることもない。

「まず、俺たちがいるのがここだ」

 言って、地図の真中よりやや下を指さす。
 街道から山一つ外れた、細い道の上である。
 元々、地図にあった道ではないらしく、インクの色が他のものとは違っていた。
 疑問に思ったアルアリーゼが、口を開く。

「これは、貴方が書いたのかしら?」
「そうだ」

 その返答に小さく頷き、アルアリーゼが言葉を続ける。

「前から思っていたのだけれど」
「何だ?」
「よくこんな道を知っているわね。犬戻りや鳥道どころではないでしょう?」

 アルアリーゼの言葉に、ヴァレックが自嘲気味に笑う。
 口の端が、微妙に歪んでいた。

「昔、ちょっとした厄介ごとを抱え込んでな。街道を大っぴらに歩きづらくなったんだよ。こいつは、その時の苦肉の策ってやつだ」

 どうやら、その『厄介ごと』とやらには塵も関わっていたらしく、人狼が低く唸る。
 やや気になったものの、アルアリーゼは敢えてその内容を尋ねようとはしなかった。
 必要であれば、ヴァレックからその事を語るだろう。

「先ずは、この道に沿って北上だな」

 そう言って、指を地図の上に運んでいく。
 よく見れば、道の途上には砦や領域君主の領土が広がっていた。

「随分、不安定な土地を行くのね」
「そっちの方が安全だからな」

 ヴァレックの返答に、エリアリスの顔に疑問の色が浮かぶ。
 おずおずと、尋ねた。

「あの、それはどういう事なんでしょうか」
「ん? ああ、それはな」

 言葉の途中で、ヴァレックが黙る。
 何か思い付いたようであった。

「少し長くなるが、国の説明もしておくか。ものを知ってて損することはねえしな」

 そうして、広げた地図の三分の二ほどを、ぐるりと指で囲んだ。
 水甕のような形をした大陸の、言わば胴体の部分である。

「この西半分が帝国、東半分が公国と呼ばれている」

 正式には、真龍帝国と星辰公国だ、とヴァレックは続けた。
 この二つの国家が、実質的な大陸の支配者であった。
 領土の面から見ても、それは間違いない。

 元々、帝国と公国は一つの国であった。
 それが、数百年前の後継争いが元で分かれたのである。

 当時の皇帝が崩御した際、残されたのは僅か五歳の幼帝であった。
 その為、皇弟が摂政となったのだが、このことは当然のように派閥を生む。
 目立った外敵が存在しない時期であったため、国内の派閥抗争は激化の一途を辿った。

 遂には幼帝の暗殺さえ主張する者が現われ、幼帝は自分を擁する一派と共に、母方の生地である東方に避難する。
 しかし、その地に遷って僅か三年で、幼帝も病没する。
 皇弟と幼帝は、個人的には悪感情は持っていなかったらしく、深甚な弔辞を皇弟は送っていた。

 だが、それで事態は終わらなかった。
 今度は、残された幼帝の側近間で対立が始まったのである。

 皇弟に帰順すべきか、飽くまで抗戦すべきか。

 しかし、この対立を苛烈な粛正と強権で鎮定したものがいた。
 亡き幼帝の、后妃である。
 それだけではない。
 この妃は、皇弟を帝位の簒奪者として糾弾し、正統な帝室の後継者としての権利を要求したのである。

 后妃は東方辺境の独立君主を支配下に置くと、燎原の火の如く帝都に攻め上がった。
 対する皇弟も能く戦い、これを防ぐ。
 皇軍と官軍の戦いであった。
 この戦乱は皇后と皇弟の死によって、一応の終結を向かえるが、東方と西方の対立は決定的なものとなり、現在まで続いているのである。

「帝国も公国も、自分たちが正統だと思ってるからな。性質の悪い話さ」
「何処も同じね」

 溜息を吐き、アルアリーゼは言った。
 このエルフの姉妹が、王族であるらしいことをヴァレックは思い出す。
 確かな証拠はないものの、もしアルアリーゼとエリアリスが王族の血を引いているなら、この手の話はありふれたものだろう。 

「まあ、帝国と公国も、本気の戦争をずっと続けられるもんでもねえ。寧ろ、小競り合いのほうが多い」
「でしょうね」
「だから、国境付近は、帝国でもあるし公国でもある土地が続いてるのさ」
「中立、ということですか?」

 エリアリスが尋ねる。
 肯定とも否定とも取れない曖昧な表情をヴァレックが見せた。

「帝国が脅せば帝国に尻尾を振るし、公国が睨めば公国に頭を下げる。それを中立ってなら中立なんだろうよ」

 今度はエリアリスが、複雑な表情を見せる番であった。

「大変そうですね」
「まあな。だが、大国に挟まれたちいせえ領土を切り盛りするなら、それぐらいの腹芸は必須だ。上手いこと立ち回れば、両方から金なり、物なりを撥ねられる」
「それは分かるけど、どうして態々、此処を通るのかの説明がまだよ」
「さっきも言っただろう? この先は帝国でもあり、公国でもある。色んな種類の人間が出入りしてるのさ」

 つまり、遍歴職人や隊商や傭兵といった連中が頻繁に往来しているのが、国境付近の日常なのである。
 帝国側の人間、公国側の人間、その間を上手く渡ろうとしている人間が、動き回っているのだ。
 そのため、エルフを連れた傭兵でもそれ程目を引くことはないだろうと、ヴァレックは言った。

「ついでに言うと、規模の大きな会戦も最近あってな」
「最近?」
「六年前だ。穏健路線だった公国の王が死んで、後を継いだのが、拡大主義の王子さ」

 ダハーカ太白公と呼ばれる、気性の激しいその王子は、予定調和の戦闘に慣れた帝国軍を易々と蹴散らしたのである。
 それに対抗するため、帝国は獣人やリザードマンと言った異形の傭兵を正規軍に取り込み、何とか公国を退けたのであった。
 お互いに大量の血を流した後、一応の講和が結ばれ、今は限定的な領土争いが国境で継続されているわけである。

「お陰で、ここらは獣人が出入りしても騒ぎにはならん。後は『ギルド』への目眩ましだな」

 自分たちを攫った組織の名に、エリアリスが身を竦めた。
 そっと、アルアリーゼが妹の手を握る。

「安心しろ、とまでは言えんが、帝国や公国を突っ切るより、こっちの方がましだ」
「どうしてかしら」
「『ギルド』も一枚岩じゃねえからさ」

 言ってから、ヴァレックは『ギルド』の成り立ちについて説明する。
 それに依れば、『ギルド』の始まりは、帝国の小さな盗賊ギルドであったらしい。
 弱小勢力の一つに過ぎなかったその盗賊ギルドは、ある時を境に周囲のギルドを次々と傘下に収めていった。
 現在では、帝国と公国に跨るほどに、巨大な組織になっている。

 その過程で『ギルド』は、各地の盗賊ギルドやアサシンギルドの構成員をそのまま支配下に置く、という手法を採った。
 これは、その地の縁故や傍輩の繋がりを活かす利点があったが、同時に、地域の確執も残してしまう。
 殊に、帝国と公国に挟まれた地域では、その対立は顕著であった。

「帝国に基盤がある連中、公国に根を張っている連中、事情は色々だ。こいつらが互いに足を引っ張ってくれればと期待しているんだがな」

 ヴァレックはその様な言葉で、自分の意図を説明する。
 納得したらしく、アルアリーゼが小さく頷いた。

「それで、その後は何処に行くのかしら」
「北だ」

 地図の上の、水甕で言えば首に当たる部分を指してヴァレックが答える。
 山の多い地形であった。
 手前に、広大な湖がある。

「此処は?」
「三剣同盟。通称は同盟だな」
「帝国や公国とは違うんですか」

 エリアリスの問いを、ヴァレックは肯定した。
 それから、同盟の国内に記された山々を指す。

「鉱山が多い国でな、大陸に流通している鉄や金は殆ど同盟産だ」
「豊かな国なのですね」
「上の連中はな」

 皮肉っぽく、ヴァレックが言う。
 少し口調を改めて、言葉を続けた。

「同盟は、『ギルド』の影響下にない国だ」
「そうなの?」
「盗賊ギルドを国が管理しているからな」

 一瞬、どういう事か分からず、エリアリスが腑に落ちない顔をする。
 アルアリーゼが目で説明を求めた。

「厳密な意味での盗賊ギルドじゃあねえが、故買やら諜報やら暗殺やらを担当する組織を、国が丸抱えしてるんだよ」

 その言葉に、アルアリーゼが少し考え込む。
 尋ねた。

「じゃあ、『ギルド』の心配はしなくていいのかしら」
「『ギルド』のことは考えなくて良いが、同盟に長居はしねえ」
「どうしてですか」
「この国は亜人の扱いが酷いんでな。クソみてえな所だ」

 そう言うヴァレックの言葉が、予想外に強い。
 尤も、意識してのものではないらしい。

「同盟を抜けて更に北へ行けば、荒野に出る。神泉境とかご大層な名で呼ばれてるが、要は砂漠だ」

 ヴァレックの指先が、更に北上する。
 水甕の口の部分に到達した。

「ここは北方連合だ。まあ、連合っても大したもんじゃない。遊牧民の部族を纏めてそう呼んでるだけだ」
「国ではないの?」
「ああ。ケンタウロスの連中もいたりするが、気の良い奴らだ。ここまで来られれば、後は西に進むだけだな」

 そう言ってヴァレックが指さしたのは、地図の西端に位置する街である。
 すぐ側に、鷲の爪のように曲がった入り江があった。

「港街、なのでしょうか」

 エリアリスが尋ねると、小さく、ヴァレックが頷く。
 よく見ると、大小の道が幾つもその街から伸びていた。

「自由商人の都市だ」
「自由商人?」
「ギルドに属さない、辺境渉りの商人だ。元々は食い詰めた遍歴職人の集団だったんだが、今じゃ独立独歩で好き勝手にやってるな」

 この場合のギルドとは、大抵の都市にある、職人や手工芸者の組合のことを指す。
 そこに属さない商人たちが作った街らしい。

「で、ここから西の大陸に向かう船が出ている。それに乗って、あんたらの故郷に向かう」
「船が出ているの?」
「ああ。群島伝いに、西の大陸まで行けるそうだ」

 しかし、地図にはその島々の姿は書かれていない。
 西に突き出した湾までが、地図に収まっているばかりである。

「悪いが、ここから先は俺にとっても未知の領域だ。かなり行き当たりばったりに対応しねえといけなくなるだろうよ」

 ヴァレックが、エリアリスとアルアリーゼをじっと見る。

「だからこそ、ここまでの道程は頭に叩き込んでおいてくれ。過酷な旅だ。出来ることは何でもやっておかんとな」

 でなければ死ぬことになる、とまでは言わなかったものの、ヴァレックの意図は二人のエルフに充分に伝わった。
 真剣な面持ちで、エルフの姉妹が頷く。

「よし。次は地方の地図だ。細かい街道の繋がりも説明するから、覚えてくれ。分かりにくかったら言えよ」

 背嚢から羊皮紙の束を取り出しながら、ヴァレックが言った。
 どうやら、今晩はこの大陸の地理を徹底的に教え込む心算らしい。
 怪異な魔獣たちの絵が天井から見守る中、傭兵による地理学講座はまだまだ続きそうであった。

 数時間後のことである。

「少し、疲れたわね」

 目を瞬かせながら、アルアリーゼが言う。
 何時間も、細かい地図とにらめっこを続けてきたのだから、当然ではあった。
 それだけではない。

 ヴァレックの解説は、各地の地理や歴史、自治領間の情勢に止まらず、方言や服飾の流行りにまで及ぶものであった。
 もしかしたら必要になる知識かも知れないが、一地方の、更に限定された地域でしか捕れない魚を使った魚醤の製造法を、何に活かせと言うのだろう。

「外に出たいのだけれど、良いかしら」
「別に良いが、護衛を付けろよ」
「勿論。お願いね」

 言って、アルアリーゼが巨大な人狼に視線を遣った。
 る、と塵が返答し、先に岩屋の出入り口から外に出る。
 一気に、岩屋が広くなったような感覚をエリアリスは覚えた。

「外に出るのは良いが、長居はするなよ」
「分かったわ」

 エルフが了解するのと、人狼の低い唸り声が聞こえたのはほぼ同時である。
 外の雨は、まだ降り続いていた。

 雨脚は強くなりはしないものの、弱まる気配もない。
 その雨の中、塵は金色の鬣を濡らしながら、立っていた。
 岩屋から出てきたアルアリーゼを認めて、る、と声を出す。

「さて」

 悪戯っぽく、アルアリーゼは微笑しながら言った。

「厳格な教育係からは逃げ出せたけれど、これからどうしようかしら」

 その言い回しが面白かったのか、塵は牙の隙間から唸り声を漏らして笑った。
 不意に、アルアリーゼが塵の前に立って、正面からこの人狼を抱き締める。

 分厚く、ごつい胸の筋肉の束が邪魔をして、背中まで腕が回っていない。
 黄金色をした鬣が、アルアリーゼの頬を撫でた。
 くすぐったい。

 耳を胸板に当てると、人狼の鼓動が聞こえる。
 少しの乱れもない、力強い響きだ。

 この心臓が、脈動を荒げたりすることは、あるのだろうか。
 血の中に、不安や恐れや絶望が混じることが、あるのだろうか。
 とても想像できない。

 塵が、アルアリーゼの形の良い顎を、節くれ立った指で摘んだ。
 顔を上げて、翡翠のような瞳をアルアリーゼは覗き込む。

 口付けを交わした。
 熱を持った舌が、アルアリーゼの唇を割って口腔に侵入する。

 抱き竦められた。
 太い腕に、囲まれる。
 しなやかな筋肉の存在を、アルアリーゼは全身で感じていた。

 人狼の舌が、口の中をなぞっていく。
 唾液を注ぎ込まれた。
 ねっとりとしたそれに、アルアリーゼは自分の唾を混ぜる。

 互いの唾液を、啜った。
 獣のにおいがする。
 女のにおいがする。

 ぶる、とアルアリーゼが身体を震わせた。
 肉の奥深くから、甘い蜜のような快楽が染み出たのが分かる。

 何時から、自分の身体はこうなってしまったのだろう。

 アルアリーゼは自問した。
 妹のために、傭兵たちに身体を売り始めた頃からだろうか。
 それとも、この人狼を誘ったときからだろうか。

 雄のにおいを感じると、どうしようもなくなってしまうのだ。
 貪るように、塵の舌に自分の舌を絡める。
 獣の牙の感触や、口蓋の熱を感じた。

 息が荒くなる。
 胸元の紐を解いた。
 肩口からカートルがずれて、豊かな胸の中程で引っ掛かる。

 人狼の口が、エルフの口から離れた。
 アルアリーゼの胸元に、塵の顎が向かう。

 カートルの襟に、塵が牙を掛けた。
 下方へ引っ張ると、丸みを帯びた、張りのある乳房が露わになる。

 口を開けて、塵が片方の胸にかぶりついた。
 女の肌を、味わうように舌を這わす。
 同時に、左手で余った乳房を弄んだ。

 獣人の手の中で、エルフの乳房が自在に形を変える。
 指が埋まるほど柔らかいのに、押せば押した分だけ跳ね返ってくる弾力もあった。

 爪の先で、乳房の頂点にある乳首を弾く。
 やや、赤みがかったピンクのそれは、既に硬くなっていた。

 そぼ降る雨が、アルアリーゼの身体全体を打つ。
 全身を、小さな指で撫でられているような感覚に、吐息が漏れ出た。

 かり、と塵が、アルアリーゼの乳首を軽く噛む。
 ん、と吐息が大きくなった。

 半分開いた唇から、そろりと、赤い舌が這い出る。
 その先端に、塵の舌が絡み付いた。
 吸う。

 舌が離れても、唾液の糸でお互いは繋がったままだ。
 アルアリーゼが、てらてらと光るそれを舌で巻き取って、自分の口内へ運ぶ。
 たっぷりとした胸の隆起を両手で揉みしだきながら、塵はアルアリーゼの身体の至る所を舐め上げた。

 尖った耳。
 細い首。

 顎。
 しなやかな指。

 汗ばんだ脇。
 小さなへそから、脚の付け根にかけて。

 時に、軽く牙を立てて、肌の上に徴を残す。
 褐色の肌が、ほんのりと色付いていく。

「ね、塵……。もう……」

 艶めいた声で、アルアリーゼが懇願した。
 自分の手で、塵の股間をまさぐる。
 指に、火傷しそうなほどの熱が伝わった。

 獣の性器だ。
 硬く、太い。

 待ちきれないように、アルアリーゼがカートルの裾を上げた。
 簡素な布で出来た下着を、降ろす。

 成熟した女の秘裂は、既に、べとべとであった。
 柔らかそうな銀の茂みが、濡れそぼっている。

 硬く立ち上がった塵の男根を、アルアリーゼが自分の女陰にあてがった。
 先端が、肉の裂け目を僅かに潜る。

 腰を突き出すようにして、塵のものを膣内に迎え入れていった。
 柔らかい肉で出来た、女の道の中を、塵の肉茎が進む。

 熟れた果肉のように、とろりとした肉壁であった。
 締め付けも、申し分ない。

 塵が、アルアリーゼの尻に手を回した。
 しっかりと固定して、腰を動かす。

 じゅ、と粘膜と粘膜が擦れ合う音がした。
 男根の先端が、膣壁をこすり上げる。
 塵が動く度に、アルアリーゼの恥骨が人狼の腹に当たった。

 繋がった箇所から、粘ついた体液が溢れてくる。
 白く泡立っていた。

 アルアリーゼの声が、荒くなる。
 ごりごりとはらわたを抉られる感触に、嬌声を堪えきれなかった。
 人狼の肉槍を、みっちりと襞で包み込む。

 身体の最奥へ誘うように、アルアリーゼの膣道がびくびくと蠕動した。
 小さな指が、何本も絡んでいるような締め付けである。

 胎の中を、塵が掻き混ぜた。
 執拗に、膣壁を突き上げる。

 ひゅ、と笛のような声が、アルアリーゼの咽喉から零れた。
 快楽に、肌の上に小さな汗の粒が浮かぶ。
 首を左右に振ると、雨の滴が飛び散った。

 しがみついて、身体を揺する。
 硬くしこった乳首が人狼の鬣に触れると、痺れるような刺激が奔った。
 懇願するように、アルアリーゼの肉襞が激しく震える。

 深く、塵がアルアリーゼを貫いた。
 締め付けが一層強まる。

 びくん、と塵の男根が跳ね上がって、アルアリーゼの膣の中央を叩いた。
 先端から、固形物のように粘っこい精液が吐き出される。
 どくどくと音を立てて、アルアリーゼの子宮に注がれていく。

 白濁した精汁が、子宮の壁を叩いた。
 中が、精液で満たされる。
 肉襞が痙攣した。

 余韻を味わうかのように、塵が、軽く陽根を膣壁に押し付ける。 
 それから、塵が自分のものを引き抜くと、アルアリーゼの女陰から、精液が溢れ出た。

 しかし、それで終わりではなかった。
 背を向けて、アルアリーゼが、尻を高く上げる。
 傍らの石に手を置いて、身体を支えていた。

「ね、もっと……」

 ねだる。
 カートルの裾を腰まで上げているため、あからさまな光景が、塵の目の前に広がっていた。
 零れた精液が、褐色の太腿にこびり付いている。

 未だ、塵の陽根は、角度も硬度も失っていない。
 屹立するそれで、塵が、アルアリーゼの陰門を刺し貫いた。
 一気に、奥まで捻り込む。

 亀頭が、流し込んだ精液を掻き分けて膣の中を進んだ。
 下がっていた子宮の入り口を、塵の陽根が叩く。

 ごつ、ごつ、という音が、アルアリーゼの胎内に響いた。
 愛液と精液が混じったものが、大量に噴き出る。

 後ろから犯され、自分も獣になったようにアルアリーゼは感じていた。
 快楽が、絶え間なくアルアリーゼの身体を貫く。

 覆い被さるようにして、塵が、アルアリーゼの胸に手を伸ばした。
 握りつぶす。

 人狼が、吼えた。

 動きが激しくなる。
 陽根を差し込むときは、子宮を潰すほど深かった。
 引き抜くときは、陰唇にかりが引っ掛かるほどで止める。

 それを何度も繰り返した。
 アルアリーゼが喘ぐ。
 頭の中にあるのは、快楽だけであった。
 身体の内側を攻められる刺激に、意識が染まっていく。

 子宮口に塵の亀頭が当たる度に、絶頂した。
 高い、意味のない喘ぎ声しか出ない。
 獣そのものであった。

 背が反り返る。
 子宮口に、塵の亀頭が突き立てられた。

 今までにないほど強く、アルアリーゼの膣が陽根を締め上げる。
 合わせて、塵の亀頭から爆発したように精液が噴き出た。
 熱い、溶岩のような塊が、アルアリーゼの子宮に注がれる。

 子宮壁を、直接、精汁が叩いた。
 巨大な快楽が全身を灼き、アルアリーゼは息も出来ない。

 一瞬とも無限とも思える愉悦の後、アルアリーゼが脱力した。
 膣道から、塵の肉茎がゆっくりと引き抜かれていく。
 その刺激でさえ、アルアリーゼに快感をもたらした。

 倒れそうになったアルアリーゼを、塵が、支える。
 胡座をかいて、その上にエルフを座らせた。

「ありがと」

 そう言って、アルアリーゼは塵の胸に頭を預けた。
 鼓動が、耳に届く。

 矢張り、鼓動に変化はなかった。
 何があっても、この人狼は悠然としている。
 無性にそれが腹立たしくなって、アルアリーゼは塵の顔を真正面から覗き込んだ。

 思い切り抱きつく。
 思い切り頬を抓った。
 それから、口付けをして、思い切り噛んでみる。

 流石に、驚いたような表情を人狼が浮かべた。
 すかさず、アルアリーゼが塵の胸元に耳を当てる。

「変わらないわね」

 呟いた。
 何のことか分からず、塵が、きょとんとする。
 逆に、アルアリーゼは愉快そうに微笑んだ。
 くすくすと、小さな声を上げて、何時までも笑っていた。

 そして、翌日――。

 細い針のような雨は、まだ降り続いていた。
 水の匂いが、空気に濃く混じっている。
 時刻としては早朝なのであろうが、厚い雲に阻まれて、弱い光が辛うじて地面に届いているだけであった。

「行くか」

 岩屋から出たヴァレックが、常と変わらぬ声で言った。
 一晩掛けて、エルフの姉妹に大陸の地理、地勢、地政学について教授していたのだが、疲労した様子は全くない。
 元々、教えることが苦になる気質ではないらしい。

「は、はい」

 返事をして出てきたのは、エリアリスである。
 こちらは、少々疲れ気味であった。
 眼が少し腫れている。

「大丈夫か。もう少し寝るか?」
「い、いえ。体調はいいです。ただ、ちょっと……」
「?」
「知恵熱みたいなものよ。一遍に色んなことを詰め込んだから」

 疑問の色を浮かべたヴァレックに、続いて岩屋から出てきたアルアリーゼが解説する。
 妹と同じ様に、やや疲れた表情であった。
 ふむ、と呟いてヴァレックが腕を組む。

「そうか。では明日からはもう少し減らそう」
「そう願うわ」

 アルアリーゼが言った。
 生き延びるために必要なことではあるが、一度に吸収できる知識の量には限界がある。
 余り詰め込みすぎても、逆効果であろう。

「足はまだ痛むか」

 ふと、ヴァレックがエリアリスに尋ねた。
 昨日捻った、足首のことだろう。

「あ、はい。痛みはもうないです」

 軽く爪先を地面に立て、エリアリスが答える。
 実際、ヴァレックに言われるまで足のことを忘れていたほどであった。
 
「そうか。今日も歩くからな。違和感があったら言えよ」

 愛想のない口調で、ヴァレックが言う。
 しかし、エリアリスは嬉しそうに頷いた。

 岩屋の入り口から、大量の空気が流れ出る。
 金色の人狼が、のっそりと姿を現した。
 輝く獣毛に、細い雨が当たって砕ける。
 塵であった。

 豪奢な黄金色が雨粒に反射して、この人狼の姿だけが浮かび上がっている。
 くあ、と塵が欠伸をした。
 顎の中に、白い牙が並んでいるのが見える。

「気を抜くな」

 ヴァレックが釘を刺す。
 し、し、と軋んだような唸り声で塵が答えた。
 了解したのか、していないのか、判断に苦しむところである。

 やれやれとヴァレックは首を左右に振った。
 歩き出す。
 泥濘の上を、そうとは思えないしっかりとした足取りで進んだ。
 その後に、エリアリスとアルアリーゼが続き、塵が殿を務める。

 岩屋を出立してかなりの時が過ぎた。

 同じ様な景色が、どれだけ歩いても続いている。
 葛折り、という言葉そのままの細い道を、一行は延々と登っていた。
 左右に立ち並んでいるのは、数百年を経たであろう巨木である。
 枝は少なく、太い幹が天を衝くかのように真っ直ぐに伸びていた。
 木肌は、岩に似た灰色である。
 表面に苔がへばり付いていた。

 両脇の大樹が、不意に途切れる。
 視界が、一気に広くなった。

 崖である。
 向こう側にも切り立った崖が見え、今まで来た道と同じ様な細い道が続いていた。

 巨大な橋が、崖と崖の間に渡されている。
 一見すると石造りのように見えた。
 四頭立ての馬車が、余裕を持って擦れ違えるほどの幅がある。

 欄干はなく、アーチもない。
 四角い、塔のような石の柱を、そのまま橋として使ったような形状であった。

 崖と崖の間は、かなり離れている。
 健脚の持ち主が、この橋の上を全力疾走しても、三分は掛かるだろう。

「大きな橋ですね」
「倒木だがな」

 感嘆の声を上げたエリアリスに、ヴァレックが答える。
 その単語に、エルフの姉妹が驚愕した。

「倒木?」
「ああ」

 信じられない、といった顔でアルアリーゼが訊き返す。
 巨木どころではない。
 常人の持つ、樹の概念を越えた代物であった。

 近付いてよく観察すれば、確かに年輪のような模様や、樹皮の跡が確認できる。
 しかし、どれ程巨大な樹であったのだろうか。
 崖の上に横たわっているのでさえ、樹の一部なのであった。 

 元々、ここで倒れたものを利用したのか、それとも別の場所から運んできたのかは分からないが、兎に角、大きい。
 地上に根を下ろし、幹を天に向けていた頃は、地に突き立てられた大剣のように見えたことだろう。

「行くぞ」

 呟いて、ヴァレックが石化した巨木の橋に足を踏み出した。
 足から伝わる感触は、完全に鉱物のそれである。
 エリアリスとアルアリーゼがヴァレックの後に続き、塵が最後尾を歩く。

 雨脚が衰える気配はなかった。
 灰色の靄の中を、傭兵とエルフと人狼が進む。

 橋を渡る途中、遥か下方に一筋の流れが見えた。
 灰色をした紐が、地平線の向こうからくねくねと伸びているような流れである。
 川であった。

 麓まで降りれば、それなりの幅を持った川なのだろうが、ここからでは細い線にしか見えない。
 断崖の途上には、雲のような、霞のような白い塊が、幾重にもたなびいていた。

「む」

 小さくヴァレックが唸り、立ち止まった。
 つられて、エリアリスとアルアリーゼも足を止める。
 しかし、ヴァレックの前方に、歩みを止めるようなものは見当たらなかった。

 不安そうに、エリアリスがヴァレックの顔を見上げる。
 背嚢を降ろし、ヴァレックが鋼鉄製の棍を構えた。
 正面を見据えている。

 雨が、突きつけられた鋼の上で弾けていた。
 数秒か、数分か、沈黙のままの時間が過ぎる。

 ぐ、ぐ、ぐ……。

 低い、泥が沸くような音が何処からか聞こえてきた。
 硬化した枯木の表面が、沸き立つ泉のように盛り上がる。
 ごぽごぽと音を立てながら、灰色の塊が輪郭を整えていった。

「てめえか……」

 ヴァレックが、視線を外すことなく、言った。
 その目の前で、不気味な何かがはっきりと形作られる。

 丸みを帯びた、人に似たものがそこにいた。
 頭部には毛髪は一本もない。
 それだけでなく、眉もなかった。

 楕円形をした、ぎょろりとした目玉が二つ。
 鼻先は尖っており、横向きに鼻の穴が開いている。
 唇のない口が、真一文字に結ばれていた。

 首は見当たらない。
 胴体の上に、直接、頭部が乗っているのである。

 子供が、粘土を積み上げて造った泥人形のようであった。
 或いは、湿地帯に住む巨大な両生類が、人の真似をして立ち上がったかのようにも見える。
 右腕に、木製の杖を握っていた。

「来たか、泥顔」

 ヴァレックが名を呼ぶ。
 立ちはだかったのは、ヴァレックたちを追っている、『ギルド』の蠱術師であった。
 蠱術師――。
 奇怪な術を使う、異形の存在である。

 蠱術師の術法について、詳細をヴァレックは知らない。
 この大陸では希有な存在であり、その恐ろしさ、不気味さだけが喧伝されてきたからだ。

 しかし、泥顔と名乗る蠱術師の術については、一つ分かっていることがある。
 人型の紙を使った、自分そっくりの分身を操るのだ。
 厄介なことに、塵の感覚を持っても分身と本体を区別することは出来なかった。
 目の前にいる泥顔が、実体である保証もないことになる。

 気を抜くわけにはいかなかった。
 じり、とヴァレックが泥顔に向けて歩を進める。
 僅かな動きだ。

 ほんの少し、右の爪先をずらした程度である。
 泥顔は動かない。
 鏡のような丸い眼で、ヴァレックを見ていた。

 す、とヴァレックの上半身が沈む。
 水面に浮かんでいた木の葉が、自然に沈んでいくような、滑らかな動きであった。

「ぬ」

 泥顔が気付いたときには、既に、ヴァレックは間合いに入っている。
 中段に構えられた棍の先端が、泥顔の視界一杯に迫っていた。

 ヴァレックの身体が、それに隠れてしまう。
 武術の達人ともなれば、剣の切っ先、構えた拳一つで全身を隠すことが出来ると言う。
 正にその状態であった。

 しっ、とヴァレックが鋭い呼気を吐く。
 鋼鉄製の棍による中段突きが、泥顔の眉間に迫る。
 一撃で相手の命を奪うことが可能な、重い威力を具えた突きであった。

 出来るだけ早く、止めを刺さなければならない。

 ヴァレックの意図は、短期決戦にあった。
 何故なら、泥顔の手の内が読めないからである。
 仕掛けられる前に、倒すしかない。

 とん、と泥顔が石化した橋を蹴った。
 後方へ、跳びすさる。
 それを追って、ヴァレックの棍がするすると伸びた。

 泥顔の跳躍よりも、棍の伸びが上回っている。
 鋼鉄の棍が泥顔の頭蓋を砕くと見えた寸前に、蠱術師の姿勢が極端に低くなった。
 四つん這いに近い体勢を、泥顔が咄嗟に取ったのである。
 頭上を、漆黒の棍が過ぎていった。

 間を置かず、足元を刈るように泥顔が手にした杖を振るう。
 それを、ヴァレックは避けなかった。
 寧ろ、無視するかのように踏み込んだのである。

 伏せた泥顔の顔面を狙って、蹴りを放った。
 がっ、と泥顔の杖がヴァレックの脚甲に当たる。
 その為、ヴァレックの蹴りの軌道がずれた。

 両生類に似た泥顔の鼻先を、ヴァレックの蹴りが掠める。
 四つん這いのまま、更に泥顔が下がった。

 それを追って、ヴァレックが手にした棍を振り下ろす。
 泥顔が、自分の頭上に杖をかざした。
 棍の一撃を受け流す。

 ヴァレックが身体を捻って、棍を旋回させた。
 しかし、鋼の棍が薙ぎ払うはずであった泥顔の姿は既に無い。

「ちっ」

 舌打ちした。
 煙るような陰雨の天を、ヴァレックが見上げる。
 そこに、泥顔の両生類じみた姿が浮かんでいた。

 四つん這いの姿勢から、跳躍したのである。
 虚空に浮いていたのは、数秒であった。
 すとん、と泥顔が着地する。

 ヴァレックと泥顔の間合いが大きく開いた。
 詰める。

 口の端を、泥顔が吊り上げた。
 両生類じみた相貌に、人間臭い表情が浮かぶ。

「離れたな」

 ぼそりと、言った。
 その言葉通り、ヴァレックは泥顔によって、塵たちから離されている。

「それがどうした」

 努めて冷静に、ヴァレックが返答した。
 エリアリスとアルアリーゼの傍には塵がいる。
 現われた泥顔を素早く倒す必要がある以上、ヴァレックがエルフの姉妹から離れるのは仕方のないことであった。
 塵は、言わば護衛役である。

「少々、派手な技を見せてやろう」

 笑ったまま、泥顔が宣言する。
 とん、と杖で橋を叩いた。

 みしり、と音がする。
 ヴァレックの背後で、何か、堅いものが軋んだのだ。

 る、と塵が唸る。
 一瞬で、エリアリスとアルアリーゼに駆け寄った。
 二人のエルフを抱え上げ、跳躍する。
 同時に、それまで塵がいた橋の表面に、巨大な亀裂が疾った。

「あれは……!」

 上空から橋を見下ろしたアルアリーゼが息を呑む。
 巨大な橋に生じたのは、亀裂だけではなかった。

 深い亀裂の上に、小さな穴が二つ開いているのが見える。
 橋全体が、波打っていた。
 
 亀裂と小さな穴を生じさせたまま、橋の表面が隆起する。
 まるで、橋の中に埋められていた巨大な生き物が、飛び出そうとしているようであった。
 隆起が、小山ほどの高さになる。

 それは、子供が造った泥人形のような形態をしていた。
 或いは、人の姿を無理矢理に模した両生類のようにも見える。

 泥顔であった。

 石化した橋の上に、灰色の蠱術師の像が屹立したのである。
 ぎょろりと、石像が眼を見開いた。

「大袈裟にも程があるだろうが」

 ヴァレックが自分の背後に生じた石像に、視線を遣り、呆然と呟く。
 泥顔の術に圧倒されている、ように見えた。
 ふっ、とヴァレックの姿が霞む。

 腰を落として、ヴァレックが身体を回転させたのである。
 棍の先端が風を切った。

「ぐむっ」

 平たい泥顔の口から、くぐもった声が漏れる。
 見事な弧を描いて、ヴァレックの棍が泥顔の頭部を捉えていた。
 振り抜く。
 べき、と音を立てて、一抱えもある塊が泥顔の胴体から吹き飛んだ。

 橋の上に転がったのは、泥顔の頭である。
 ヴァレックの棍が、泥顔の頭部を胴体からもぎ取ったのであった。

「ふん」

 胴体と離ればなれになった泥顔の頭を見て、ヴァレックが眼を細める。
 そこにあったのは、命あるものの身体ではなかった。
 形は、泥顔の頭部のままである。

 しかし、表面には薄く木目が浮いており、周辺に散らばっているのは木片であった。
 崩れ落ちた胴体も、同様に乾いた木の質感が見て取れる。
 関節の部分は球体になっており、腕や脚が曲がるようになっていた。

「紙の次は、木偶人形かよ」

 呟いた。
 不意を突いて蠱術師を倒した心算であったが、又しても本体ではなかったようだ。

 とん、とエリアリスとアルアリーゼを抱えた塵が、ヴァレックのすぐ横に着地する。
 泥顔の姿をした巨像が、その塵に向けて腕を振り下ろした。

 放り投げるように、塵がエルフの姉妹をヴァレックに手渡す。
 ヴァレックがエリアリスたちを受け止めたのと、巨像が拳を塵に叩き付けたのはほぼ同時であった。
 ごう、と粉塵が舞う。

「塵っ」

 叫ぶように人狼の名を呼んだのは、アルアリーゼであった。
 巨大な握り拳の下敷きになった獣人の姿が、アルアリーゼの脳裏を過ぎる。
 だが、獣人の反射は、巨像の渾身の一撃を上回っていた。
 既に、塵の姿は巨像の遥か頭上にある。

 ばくん、と巨大な泥顔の口が開いた。
 洞穴のような口の中から、長い舌が飛び出す。
 枯死した大樹から造り出された筈なのに、生物的な滑りを持った舌であった。

 それが、虚空の塵を絡め取る。
 するすると、長い舌が戻った。
 金色の獣人を、巨大な泥顔の像が呑み込む。

「ちぃ」

 呻いたのは、ヴァレックである。
 アルアリーゼは、眼を見開いていた。
 宝石のように美しい瞳が、呆然としている。

 次に、ヴァレックが起こした行動は意外なものであった。
 素早く棍を鎧の金具に引っ掛けると、エリアリスとアルアリーゼの手を引いて、走り出したのである。

 蠱術師が造り出した像に背を向けて、橋を渡ろうとしているのであった。
 アルアリーゼの視線は後ろに固定されたままである。

 手を引かれたエリアリスが、転びそうになった。
 軽々と抱き上げて、ヴァレックが走る。

 手を引かれながらも、後ろを見ていたアルアリーゼの視界に、巨大な蠱術師の像が迫った。
 両生類と人間の形態が混じった両腕を伸ばし、三人を捕えようとする。

 馬車でも軽く摘めそうな指が、ヴァレックたちを囲もうとした瞬間――。
 巨像の動きが止まった。

 びき、と堅いものが割れる音が響く。
 見れば、灰色をした巨像の顔面に大きな裂け目が生じていた。
 右眼の真ん中辺りから、唇のない口に掛けてである。

 見る間に、その裂け目が太く、広くなっていく。
 そこだけではない。

 びきり、びきり、と不気味な音を立てて、巨像の至る所に亀裂が生じていた。
 腕や、肩や、腹。
 遂には脳天が、内側から爆ぜた。

 そこから飛び出したのは、杖を握った異形と、金色の鬣を持った獣人である。
 泥顔と、塵であった。

「成程、あのでかぶつの中に潜んでいやがったのか」

 後方を一瞥して、ヴァレックが言う。
 分厚い雲を背に、泥顔と塵は攻防を繰り広げていた。

 塵の両手の爪が、長く伸びている。
 触れれば、板金鎧でも両断するほど、硬く鋭い代物だ。

 爪を束ねて、塵が縦横に振るう。
 手にした杖で、泥顔が斬撃を受け止めるたび、甲高い音が響いた。

 だが、肉体的な能力では獣人の塵に分がある。
 遂に、塵の爪が泥顔の身体を捉えた。
 弩の如き威力を秘めた貫手を、塵が放ったのである。
 一撃が、泥顔の肩を抉り飛ばした。

 ざ、と血肉が曇天を染めた。
 しかし、ヴァレックはそれを悠長に眺めていたわけではない。

 一直線に走っている。
 橋が、小さく震えていた。
 巨像に生じた亀裂が、橋にまで及んだのである。

 見る見る、亀裂が橋全体を覆っていく。
 自重に耐えかねて、橋の一部が崩落していった。

 ヴァレックの背後を追うように、黒々とした亀裂が奔る。
 追い付かれれば、勿論、落ちる他ない。

「くそっ」

 吐き捨てて、ヴァレックが思いきり足を踏み抜く。
 二人のエルフの姉妹を抱えた傭兵が跳躍するのと、橋が完全に砕けたのは、ほぼ同時であった。

 一瞬とも無限とも思えるような、奇妙な浮遊感が、三人を包む。
 エリアリスの視界に、砕けた橋の一部が落ちていくのが見えた。
 砕けたとは言え、小さな家の柱ぐらいになら使えそうな塊である。

 そんな塊が、次々と崖下の川を目掛けて落ちていく。
 衝撃が、三人の身体を襲った。
 どん、という音を立ててヴァレックと、彼に抱えられた姉妹の身体が地面の上を転がる。

 雨でぬかるんだ、土の感触であった。
 何とか、橋を渡りきったらしい。

 安堵する間もなく、アルアリーゼが崖の先端に走り寄った。
 身を乗り出すようにして、眼下を見る。
 遅れて、その隣にヴァレックが立った。

 落下していく大樹の欠片の間に、二つの小さな影が見える。
 塵と、泥顔であろう。

 二つの影は、暫く縺れ合うようにしていたが、不意に離れた。
 空中で、互いの身体を足場に蹴り合ったらしい。
 そのまま、落ちていく。

 元々小さかった影が、更に小さくなった。
 あっと言う間に、崩れ落ちる橋の一部と区別が付かなくなる。
 それを最後まで確認して、ヴァレックは崖から離れた。

「行くぞ」

 落ち着いた口調で、言う。
 しかし、アルアリーゼは動かなかった。
 じっと、人狼が落ちた先を見詰めている。

「塵は、死んだのかしら」

 声が、微かに震えている。
 ヴァレックが一瞥した。

「いや。この程度なら死にはしねえだろう」
「本当に?」

 問い掛けに、ヴァレックは頷く。
 深刻な様子はなかった。

「多分、蠱術師も生きてるだろうな」
「どうしてですか」

 尋ねたのはエリアリスである。
 先刻の光景を思い出して、ヴァレックは眼を細めた。

「落ちる途中で、奴らが離れただろう。あれは、お互いの生き残りを優先したのさ」

 淡々と、言葉を続ける。

「ここから、八ツ目砦と呼ばれる城塞都市に行ける。何かあったら、そこで落ち合うようになっている」
「分かったわ」
「さっきので荷物も落ちちまったからな。そこで装備を買い直す」

 小さく頷いたものの、アルアリーゼはその場を動かなかった。
 既に、ヴァレックは歩き始めている。

「姉さま」

 心配そうなエリアリスの声で、やっと、アルアリーゼが振り向いた。
 普段と変わった様子はない。

「大丈夫よ」

 呟くようにアルアリーゼが言った。
 そして、一歩を踏み出す。

 不思議なほど強い確信が、アルアリーゼの胸中にはあった。
 ヴァレックの言葉が真実であるという、確信である。

 あの人狼が死ぬはずがない。
 自分を遺して、死ぬはずがない。

 とは言え、不安や危惧はある。
 だから、再会したら思い切り甘えてやろう。
 思い切り抱きついて、思い切り抓って、思い切り噛み付いてやるのだ。

 その時の塵の様子を思い浮かべ、アルアリーゼはしっかりとした足取りで、ヴァレックの後を追ったのだった。

                                       了


 


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-モドル-