本家[蒼見鳥]  >  もう一つの世界  >   SS  > 【蠱術師、山を下りて鄙の生尾人と交わるのこと】


 

SS:ヴーク



 
 異形の影が、二つ、座っていた。
 向かい合っている。

 一方は、それなりに人の形をしていた。
 男である。
 黒々とした髪が、眉に掛かるほど伸びていた。
 洒落っ気で伸ばしているのではなく、単に、無精なのであろう。
 尖った先端が、好き勝手な方向を向いていた。

 右眼を閉じている。
 傷も何もないのだが、しっかりと、瞼が降りていた。
 しかし、時折、その瞼の下で何かが動く。
 丸く、堅く、小さい何かが、そこに潜んでいるようであった。

 開いている方の左眼が、鋭い。
 薄く、灰色掛かった瞳をしていた。
 ひ弱さなど微塵も感じられない面構えで、口元に浮かんだ小さな笑みが、悪巧みをする若い肉食獣を思わせる。

 しかし、最も目を引くのはその右腕であろう。
 異様であった。

 まず、外観が異様である。
 鎧のように分厚い、白い外骨格が、その腕を包んでいるのだ。
 更に、角とも牙ともつかない突起が、肩からも手の甲からも伸びていた。

 そして、腕全体の造りが太い。
 あらゆる部位が、常人の二、三倍はあった。

 肘から手首までが長く、自然に垂らしても地面に指が届きそうである。
 ごつい爪と一体化した指が、三本、見えた。
 事故や闘いなどで失ったわけでなく、元より、そうなっているらしい。

 シクラスと呼ばれる、袖のないチュニックを着ていた。
 穿いているのは、革製の脚衣である。

 その向かい側に座している者の姿は、更に異様であった。
 輪郭が完全に、人のものではない。

 頭部に、毛髪は一本もなかった。
 眉もない。
 眼は楕円形をしていて、尖った鼻先には小さな穴が二つ、無遠慮に開いていた。
 口が大きい。
 横一文字に、耳近くまで開いていた。
 唇はない。

 沼や池に棲む巨大な両生類が、戯れに人の姿を取ってみた――。
 その様に思える。
 腕が長く、脚が短いため、ずんぐりむっくりとした印象を与えていた。

 しかし、その楕円形の眼に宿っているのは、思いがけず、知的な光である。
 上半身には何も身に付けておらず、ブラッカエと呼ばれる脚衣を穿いていた。
 肌が、乾いた石のような質感と色をしている。

 この、異様な男たちがいるのは、森の中であった。
 深更である。
 闇が、黒々と横たわっていた。

 月は見えない。
 その代わりに、凄い数の星が天を飾っているのだが、その明かりが少しも大地に届いていなかった。
 まるで、星明かりが森に蟠った闇に喰われているかのようである。

 何処か、歪な形をした樹々が、男たちを囲んでいた。
 森での生活に慣れた者なら、見知っていそうな樹なのだが、何かがおかしくなっているのである。

 例えば、杉の巨木に見える樹の表面に、産毛のようなものがびっしりと生えているのである。
 例えば、楓の古木に見える樹の枝に、茶色い棘が無数に生えているのである。
 そして、冬の蛇のように蠢いているのは、太い、櫟の根っこであった。

 橙色の炎が、男たちに挟まれて燃えていた。
 くべられている枝が、太い。
 炎の明かりが、巨大な腕を持った男と、両生類じみた容姿の男を照らしていた。

 しかし、その炎も周囲の闇を払うほどではない。
 却って、墨のような闇の濃さが、増して感じられた。

 男たちは、地面の上に直接、腰を降ろしてはいない。
 巨大な腕の男は平べったい石の上に座り、もう一方は苔むした根の上に座っていた。
 椅子代わりにされているのが不満なのか、その根っこが、偶に身を捩る。
 しかし、上に乗っている方は気にした風もない。

 傍らに、素焼きの壺が置いてあった。
 中から、酒のにおいが立ち昇っている。
 男の手には、小さな盃があった。
 赤い、透明感のある酒であったが、ワインとは異なった香気が昇っている。

 その壺の横に籠があり、中に、獣皮で包まれた塊が幾つか入っていた。
 一つ一つが、かなり大きい。
 獣臭と、血のにおいのする塊であった。
 どうやら、森の獣を仕留めて、それを解体したものらしい。

「で、行くのか泥顔」

 異形の腕の持ち主が、向かい合った異形に尋ねた。
 うむ、と泥顔と呼ばれた異形が頷く。

「東の大陸か」

 独り言のような口調で、怪異な腕の男が言った。
 泥顔が、遠くを見るような眼をする。

「大陸を支配するほどに強大な盗賊ギルドぞ。昔の儂と同じことを考え、実行する輩がいるとなれば、気にもなろうさ」
「夢よ、もう一度、って訳か」
「まさかよ」

 ぐつぐつと、泥が煮立つような声で、泥顔が笑った。
 笑いの余韻を残したまま、泥顔が言葉を続ける。

「ただ、見てみたいだけのことさ。ま、面白そうであれば、そこで下働きも悪くはない」

 言って、また、泥のような笑い声を漏らした。
 手にした盃の中身を、一気に乾す。

「お主はどうするのだ、牙蟲」
「俺か」
「一つ処に留まれるような気質ではなかろう」
「ふふん」

 泥顔の指摘に、牙蟲は直接答えず、盃を呷った。
 酒壺を自分で取って、中身を注ぐ。

「確かに、頃合いかもな」
「頃合い?」
「セタに、外を見せてやる良い時期ということだよ」
「あの、亜人の娘か」
「おう」

 何やら、腑に落ちない表情を泥顔が見せる。
 その表情のまま、口を開いた。

「あの娘は元々、野におったのであろう。外の世界など、見知っておるのではないか」
「そうでもないさ」
「ほう」
「あいつが見てきたのは、足元の地面だけだからな」

 その言葉に含まれた響きに、泥顔の両眼が愉快そうに細められる。
 意外なほど、人間臭い表情であった。

「なんだよ、その目付きはよ」
「別に、他意はないわい」
「ふん」

 余り納得いかない風に、牙蟲が鼻を鳴らす。
 盃を傾けた。

「あんたが居なくなると、この酒が呑めなくなるのが残念だな」
「ぬかしおる」

 言った方も言われた方も、小さな笑みが貌に浮かんでいる。
 黙って、酒を呑んだ。
 三杯ほど呑んだところで、牙蟲が口を開く。

「いつ頃、出立するんだ」
「明日か、明後日か。まあ、この週の内にはなろうさ」
「どうやって行く」
「丁度、渡りをする鳥がおる。そいつらに憑いて行くさ」

 そうかい、と牙蟲が頷いた。
 そうさ、と泥顔が呟く。
 ばちん、と焚き火にくべられた枯れ木が、爆ぜた。

 それから十日ほど後のことである。

 高く昇った太陽が、じりじりと地面を灼いていた。
 空は嫌がらせのように青く、雲は殆ど見えない。

 その様な空の下を、奇妙な二人組が歩いていた。
 山から下りてきたようである。

 二人が歩いているのは、山裾から平野に向かう、野路であった。
 狭く、埃っぽい道である。
 狗尾草や露草が、道の所々を覆っていた。
 暫く行けば、大きな街道に辿り着こうかという、場所である。

 草いきれを放つ夏草が、周囲に茂っていた。
 その夏草の間から、茶色い岩の塊が、ぽつぽつと頭を覗かせている。

 なだらかな丘が続いていた。
 後ろを見れば険阻な山影が見え、前に広がるのは青々とした平原である。

 そこを、歩いていた。
 背の高い男と、亜人の少女の二人連れである。
 男は、無精なのか、黒々とした髪を眉に掛かるほど伸ばしていた。
 右眼を固く閉じている。
 開いた左眼の眼光が、砕いた刃を散らしたかのように鋭かった。

 口元に、小さな笑みを浮かべている。
 獲物を狩ることより、獲物と遊ぶ方を好む獣のような表情であった。

 牙蟲である。
 法衣のような、マントのようなものを纏っていた。
 コープと呼ばれる、高位の聖職者が身に付けるものに良く似ている。
 そのため、あの右腕は外からは見えない。
 しかし、マントの輪郭は歪なものになっていた。

 牙蟲のすぐ後ろを歩いているのは、小柄な少女であった。
 癖のある、菫色の髪をしている。
 犬に似た、下に垂れた耳が見えた。
 茶色い、柔らかそうな獣毛に覆われている。
 瞳が、晴れた空と同じ色であった。

 歳は、十代の半ばに一つ、二つ足りないほどであろうか。
 身を包んでいるのは、ダルマティカである。
 袖から、小さな手が半分ほど覗いていた。
 足元を見れば、裾の下に尻尾の先端も見える。
 その耳や尾の所為だけでなく、幼い仔犬のような印象を与える少女であった。

「き、牙蟲さま」
「どうしたよ、セタ」

 少女が、不安そうな声で牙蟲を呼んだ。
 答える牙蟲の声は、落ち着いたものである。

「そろそろ、人の里ではないでしょうか」
「ん、まあな」
「み、耳はそのままで良いのでしょうか」

 きょろきょろと、周囲を憚るようにしてセタが尋ねた。
 耳をそのままにする、とはセタが亜人であることを隠さないことを意味する。
 それで良いのかと、セタは牙蟲に訊いているのであった。

 不安と恐れが、言葉に滲んでいる。
 この大陸における亜人の扱いは、人語を解する家畜といったところであった。
 理由もなく打たれ、意味もなく殺されることが通常なのである。

 怯えたセタの言動も無理からぬものであった。
 しかし、牙蟲は常と変わらぬ態度である。

「気になるのか」
「は、はい」

 頷く亜人の少女に、背中越しに牙蟲が笑いかける。
 若いくせに狡猾な狼が、新米の猟師に見せるような、獰猛なものを含んだ笑みであった。

「今のおまえなら、只の人間ぐらい軽くあしらえるぞ。何なら、実地に訓練するか」
「そ、そんな……」

 無理です、と言い掛けたセタが、あらぬ方を向く。
 視線を、遠くに遣っていた。
 丘の、向こう側である。

 緩やかとは言え傾斜があるため、二人のいるところからは、何も見えない筈であった。
 しかし、セタは何かを見付けたかのように走り出す。

「む」

 驚いて、牙蟲がその後を追った。
 何か目印でもあるかのように、セタは迷わずに走っている。

 道から外れ、群生する狗尾草の中を進んだ。
 足元を草に絡み取られながらも、頭を覗かせた岩に駆け寄る。
 しゃがみ込んだ。

「牙蟲さま」

 呼ぶ。
 牙蟲が追い付いてみると、青草に埋もれるように、女が倒れていた。
 粗末なカートルを身に付けている。
 所々、裂け、破れていた。
 靴は履いていない。

 手や脚が、傷だらけであった。
 日に焼けた茶色い髪が、手入れもされず伸びている。
 何より、目を引くのはその耳であった。

 猫科の生き物と良く似た、三角形をした耳である。
 この女も、セタと同じく亜人なのであった。

 歳の頃は、二十代の後半から三〇ぐらいに見える。
 しかし、目を閉じているのと、ぼろぼろになった肌をしているため、実際の年齢はそれより若いのかもしれなかった。
 薄く開いた口から、僅かな量の空気が出入りしている。

「牙蟲さま」

 もう一度、セタが牙蟲の名を呼んだ。
 女の傍らに、牙蟲がしゃがむ。

 手首や、首筋に左手を当て、脈を取った。
 それから、頭を支えて、腰に結わえた革の水筒を口に当てる。
 噎せたりしないように、慎重に中身を口に含ませた。
 女が、咽喉を微かに上下させて、薄く色付いた液体を飲む。
 頬に血の気が戻った。

「あの、大丈夫なのでしょうか」
「傷は見た目ほど酷くはねえ。それより、疲労と乾きが問題だな。早いとこ休ませて、まともなもんを食わせれば良いんだろうが……」

 牙蟲は言ったものの、安心して休める場所や、真っ当な食事は、亜人にとって最も縁遠い代物である。
 セタが、顔色を曇らせた。
 う、と小さな声を女が発する。
 意識が戻ったらしい。

「大丈夫ですか、しっかりして下さい」

 声を掛けるが、女の視線は焦点が合っていなかった。
 しかし、セタの犬に似た耳は認識できたらしく、辛うじて笑みを浮かべる。

「着いたの……?」

 尋ねた。
 何のことか分からず、セタが困ったような表情を浮かべる。

「村……。亜人の、村……」

 それだけを言って、また、女は意識を失った。
 牙蟲が、開いている左眼を細める。

「亜人の村だと?」

 驚きと、好奇心の滲んだ声であった。
 当然である。
 亜人は、定住する場所を持たないからだ。

 それは亜人の特性や、気質などに因るものではない。
 人間たちの迫害と差別が、亜人を追い立て、放浪させているのであった。
 一つの場所に留まろうと欲すれば、そこは焼き払われ、住人は狩り立てられる。
 虐殺と逃亡が、亜人の歴史の全てと言っても過言ではなかった。

 だからこそ、意識を失った女の言葉に、牙蟲は驚いたのである。
 ふむ、と何事かを思案すると、牙蟲は女の髪の毛を一本引き抜いた。
 自分の髪も抜いて、紙縒りのように二本の髪を縒り合わせる。

 それを口元に寄せて、小さく言葉を呟いた。
 奇妙な音韻を持った、歌のように響く言葉である。

 ふ、と息を吹きかけるとその髪が宙を舞った。
 普通であれば、そのまま地面に落ちるはずの髪の毛が、空中に留まる。
 偶々、微風に乗っているというわけではなかった。
 羽を持った昆虫のように、浮いているのである。

「行け」

 命じると、渓流を泳ぐ魚のように身をくねらせて、髪の毛が牙蟲たちの先を進んだ。
 亜人の女を抱えたまま、牙蟲が立ち上がる。
 当然、両腕を使っているため、板金に覆われたかのような右腕も露出していた。

「追うぞ」
「はい」

 前方を泳ぐ髪の毛に向かって、牙蟲とセタが歩き出す。
 髪の毛が進む速度は、それ程速くはなかった。
 歩きながらでも、会話が出来る程度である。

「よく気付いたな」

 宙を泳ぐ髪の毛を追いながら牙蟲が言った。
 その言葉にセタが牙蟲を見る。
 しかし、何についてのことか、咄嗟には思い浮かばなかったらしかった。
 察して、牙蟲が言葉を補足する。

「この女だよ。何が視えた」
「黒くて、細い煙のようなものです」

 その答えに、先を促すように牙蟲が頷く。
 巨大な腕に抱えられた亜人の女をちらちらと見ながら、セタが言葉を続けた。

「煙のようなものがずっと続いていて、それを辿ったらこの女の人がいたのです」

 そこまで言って、セタが牙蟲の顔を見た。
 確信の持てない口調で、言う。

「あれは、ラールウァエでしょうか」

 問われて、牙蟲が考え込んだ。
 学業に励む幼子から質問を受けた、私塾の講師のような表情をする。
 数拍の間の後、牙蟲は口を開いた。

「多分、その元だろうな。弱った人間にたかる、魍魎どもの先触れだ」

 そう説明する。
 ラールウァエとは、死霊とも悪鬼とも呼ばれる存在であった。
 生まれ損なった死者、死にゆく物質などと言われることもある。

 普通の生き物ではないが、しかし、石や土や水とも違う、存在。
 まずは、その様に捉えておけと、セタは教えられていた。

 そして、セタの視た黒い煙のようなものが、人の生気を喰って、より存在をはっきりさせると、ラールウァエとなるらしい。
 不思議なものであった。

 と言うのも、以前、ラールウァエの群れとも言うべきものに、セタは遭遇したことがあったのだ。
 首のない騎士や、狗の頭をした神官の姿で、ラールウァエは現れたのである。
 その始まりが、あの様なか細い煙だというのが、奇妙であり、不思議であった。

 ただ、牙蟲が言うには、ラールウァエという呼び名に拘る必要もないらしい。
 名付ける、という行為は存在を縛ることである。
 しかし、名付けられたものも逆に、名付けたものを縛るのだ。

 ラールウァエとはこういうものだ、と思い込んでいると、それを逆に利用されてしまうこともある。
 また、何でもない風の音や、川のせせらぎに怯える余り、そこからラールウァエを生み出してしまうこともあるのだ。

 その様な事を思い出しながら、セタは牙蟲と共に、髪の毛の後を追っている。
 砂埃の浮いた、乾いた道が延々と続いていた。

 鍛えた人間の脚でも、それなりの疲労が溜まるほどの時間、歩く。
 前方に、村らしきものが見えてきた。

 遠目では、廃村としか思えない外観である。
 村を囲む柵は、至る所が崩れていた。
 風雨に耐えかねて、うな垂れているような家が幾つか見える。
 穴の開いた土壁と、金雀枝で葺いた屋根を持っていた。

 背後に、山襞が伸びている。
 そこから、緩やかに流れる川が、村を囲むように蛇行していた。
 大人が二人、両腕を広げたほどの幅をした川である。

 普通の村であれば、奥に水車があって、そこで粉を碾いたりしているだろう。
 だが、外から見える村の様子では、きちんとした水車があるのか、疑問であった。

 近付いてみても、矢張り、廃村のように見える。
 折れた柱が、二本、地面に突き刺さっていて、それが入り口らしかった。

 そこに、亜人の女を抱えたまま、牙蟲は立っている。
 一つに纏められた二本の髪が、宙に浮いて、くるくると回っていた。
 ここが、亜人の女の目的地なのは間違いない。
 しかし、村から誰かが出て来る様子はなかった。

 回り続ける髪に、牙蟲が、ふっと息を吹き掛ける。
 捻り合わされた二本の髪の毛が、ぼ、と青い炎を上げて燃えた。
 空中で灰となって、消滅する。

「誰も、いないのでしょうか」

 セタが、心配そうに尋ねる。
 ここが無人の村であれば、亜人の女が助かる見込みがかなり減ることになるからだ。

「いや、それはないだろうよ」

 牙蟲は言って、自分たちが来た道を振り返った。
 何かを待つように、じっと、遠くを見遣る。

 暫くして。

 かっ、かっ、と地面を何かが蹴る音が聞こえてきた。
 人間ではない、もっと軽快に大地を駆けるものの、足音である。
 緩やかな丘を越えて、その音の主が現われた。
 一頭の馬と、それに乗った人間の男である。

 しかも、武装していた。
 男は元より、馬も、鎧を纏っている。

 男が装着している鎧は、全身を金属板で覆われた、コンポジット・アーマーであった。
 腰に吊しているのは、カッツバルゲルと呼ばれる、広刃剣の一種である。
 S字型をした鍔が特徴的な、剣であった。

「おい」

 くぐもった声で、馬上の男が牙蟲を呼ぶ。
 顔全体を覆う兜のために、声が籠もっているのだ。

「何だ」

 常と変わらぬ様子で、牙蟲が答える。
 完全武装した騎兵を前にして、少しも動じたところがなかった。

「貴様も亜人を殺しに来たのか」

 物騒なことを言ってから、兜の面当てを上げる。
 石像のような、血の気の薄い表情が覗いた。

 唇が、極端に薄い。
 ガラス玉のような、大きいが、生気のない眼をしていた。

 そのぎょろりとした目玉に、驚きの色が浮かぶ。
 亜人の女を抱える、牙蟲の右腕をはっきり見たためであった。

「貴様も亜人どもの同族か」

 処分が決まった犬や猫に向けるのと、同じ視線で見ながら男が吐き捨てる。
 牙蟲の後ろに隠れていたセタが、びくん、と身体を竦ませた。

 しかし、牙蟲は落ち着いたものである。
 口の端が、くっきりと吊り上った。

 く、く、く、と息を吐く。
 笑っていた。

「でっかい目玉だが、役に立ってねえな。間違って馬の糞でも嵌め込んだのか?」
「何!」

 瞬時に、頭へ血を上らせて男が叫ぶ。
 踏み潰そうとしてか、馬の頭を牙蟲に向けた。
 しかし、その動きが止まる。

 牙蟲の右眼が開いていた。
 右腕と同じく、常人とは違う形態の眼である。

 不気味で、奇怪な眼であった。
 大きい。
 普通の人間の、倍ぐらいの大きさに開いていた。

 それだけではない。
 眼窩の中にあるのは、三つもの瞳であった。
 ぐりぐりと、好き勝手な方向に動いている。

 鮮血がそのまま固まったような、真紅の色をした瞳であった。
 三つの瞳が、真正面から馬を睨め付ける。
 そこから放たれる血光が、馬の動きを止めていた。

「何者だ、貴様……」

 恫喝しようとした声が、尻すぼみになった。
 胴を蹴っても動かない自分の馬に、何か、薄ら寒いものが背中に張り付く。

 く、く、く、と牙蟲が笑った。
 赤い瞳が三つ巴になって、くるくると回る。

「蠱術師さ」

 言った。

 蠱術師――。

 大雑把に言えば、蠱毒や、蟲を操る術者である。

 一つの壺に、大量の生物を閉じ込め、共食いの末に生き残った一匹を使役し、毒と成す。
 これが蠱毒である。

 また、人為に因らず、天地自然の間から生まれ出てくる蠱毒もある。
 これが蟲である。

 これらを扱い、使役するのが蠱術師であった。
 噂では、呪殺や、死者を操ることも可能だという。

「びびるなよ。腰にぶら下げてるご立派なものがあるだろうが」

 指摘されて、男が、腰に吊した広刃剣に手をやった。
 その存在に初めて気が付いたように、柄を握る。
 鞘から引き抜いた。
 陽光を、ぎらりと跳ね返す白刃に牙蟲が眼を細める。

「よく斬れそうだな」

 率直に言った。
 それを恐れと取ったのか、男の顔に歪んだ笑みが浮かぶ。

「父祖伝来の名剣よ。断てぬものなどない」
「随分と人を斬っていそうだな」
「うむ」

 男が、頷いた。
 牙蟲が、言葉を続ける。

「亜人もな」
「うむ」
「沢山殺したな」
「うむ」
「血で、どっぷりだな」
「うむ」

 発せられた言葉に、男が頷きを繰り返す。

「道理で、血が溢れている筈だな」
「何?」

 男が、剣を握る手を見た。
 牙蟲の言葉通り、握った柄から、血が流れている。

「何だ、これは」

 言っている間にも、どくどくと、血は流れ続けた。
 男の血ではない。
 痛みはなかった。
 ただ、ぬるぬるとした感触が、右手を包んでいる。

「沢山殺したんだろう」

 平板な声で、牙蟲が言った。
 赤い、三つの瞳が、不吉な星のように輝いている。

「男も、女も、殺したな」

 寒々とした牙蟲の声に、男が黙って頷く。
 血で染まった右手は、固まったようになって、柄に張り付いていた。

「そいつらの、恨み辛みを、知るがいい」

 言った瞬間、柄から流れ出ていた、太い血の流れが、起き上がった。
 溢れていた血が、一つに纏まって、形を成したのである。 
 それは、血で出来た、大蛇であった。

 真っ赤な蛇が、男の喉笛に目掛けて、跳ねる。
 顎を開いた。

 子供の頭ぐらいなら、一飲みにできそうな口である。
 口から見える身体の内部も、鮮血と同じ色をしていた。

「ひぃ!」

 悲鳴を上げて、男が自分の得物を投げ捨てる。
 その勢いで、男は馬上から転げ落ちた。
 馬が、自分の背から落ちた主人に顔を向ける。

 今度こそ、男は身も世もなく絶叫した。
 牙蟲たちに背を向けて、狂ったように走り出す。

 重い鎧が邪魔をして、思うように動けないようであったが、それでも必死になって走っていった。
 何度も転びながら、遠ざかっていく。

「何を見たんでしょうか」

 法衣の裾を掴みながら、セタが牙蟲に尋ねた。
 右眼を閉じて、牙蟲が答える。

「さあな。余程、怖いものを見たんだろうよ」

 落ちた広刃剣を拾うようセタに言い、牙蟲は村に向かって歩きだした。
 見れば、廃屋同然の家の中から、何人かの亜人が顔を出している。
 騒動に気付いたらしい。

 一刻ほど後に、牙蟲とセタは、村の中にいた。
 時間が掛かったのは、村の住人と、押し問答があったためである。

 村に危害を加えに来たらしい騎兵を、追い払った牙蟲であったが、歓呼で迎えられるわけにはいかなかった。
 異様な姿をしたものが、不可解な遣り方で騎兵を手玉に取ったのである。
 亜人たちの警戒は無理からぬ所であった。

 それが、どうにか村に立ち入ることを許されたのは、牙蟲が抱えた亜人の女と、セタの存在のお陰である。
 正確には、セタが、女の容体が危機的状況であることを必死に訴えて、それが村人の心を動かしたのであった。

 因みに、牙蟲はその事についてあれこれ言い立てたりしていない。
 尋ねられたことには答えを返すものの、その言動は淡々としたものであった。

 安静にし、充分な休息と、まともな食事を与えれば助かる。
 そうでなければ死ぬ。

 騒ぎもせず、脅しもせず、牙蟲は言った。
 何か意図があってのことではなく、牙蟲の生死に対する感覚がそのまま出たらしい。

 そうして、牙蟲とセタは、村の一角にある、荒屋のような家に案内されたのであった。
 意識を失った、亜人の女も一緒である。

 あちこちが崩れかかった、家であった。
 農村の家屋と言えば、壁は土壁で、屋根は葦や金雀枝を葺いたものが一般的である。
 簡単に修復できるが、壊れやすい資材でもあった。

 だが、それにしても、この家の荒れ方は普通ではない。
 この家だけでなく、村の殆ど全ての家屋が荒れていた。
 はっきり言えば、ぼろである。

 建て直すことが難しいはずはないのに、手が加えられた様子はなかった。
 理由は、単純である。
 家を直しても、すぐに壊されてしまうのだ。

 しかし、誰が、壊すのか。
 それは、先刻に牙蟲が追い払った騎兵であった。
 正確には、近くの山間に潜む、騎士団である。
 自治領主の、次男か三男が、率いているという。

 数は百五十騎。
 軍勢としては小規模だが、闘う術のない民衆にとっては脅威そのものであった。

 国同士の戦には出ず、徴収の名目で、近隣の村から食糧や物資を奪っていくのである。
 それだけでなく、神命と称し、亜人を殺戮することも稀ではなかった。

 彼らにとって、亜人とは世界に不要なものであるらしい。
 その様な事が繰り返され、次第に、家を修復しようとする者も少なくなっていったのである。

 元々、この村は廃村であった。
 そこへ、大陸各地の戦火に炙られるようにして、亜人たちが集ったのが、村の始まりである。

 決して、意志や理想があって、村が出来たのではなかった。
 澱んだ淵へ押しやられる、塵や死体のように、亜人たちはこの地に集まってしまったのである。
 亜人の村、と言っても実態はその様なものであった。

 だから、この場所への愛着など、村人には殆ど無い。
 行くところがないから、仕方なく、この村に留まっている――。
 そんな程度の認識であろう。

 家が壊されようが、村が荒らされようが、抵抗することもなく嵐が過ぎるのを待つ。
 諦観と無気力が、村全体を靄のように覆っていた。

 だが、その様な村の空気を、毛ほども感じないのが牙蟲という男である。
 無論、村の成り立ちや、周囲の状況を知ったのは後日のことであったが、知ったところで牙蟲の言動は些かも変化しなかった。

 まず、牙蟲が行ったのは家の修繕である。
 それも、自分たちがあてがわれた家のみならず、他の家々も勝手に直し始めたのだ。

 修繕、と言っても高度な技術や知識が必要なものではない。
 木の枠に、榛や柳の枝で垣を編み、そこに粘土や泥を塗り込めば壁の完成であった。
 屋根は噴き屋根で、こちらも手間は掛からない。
 頼まれてもいないのに、次々と家を建て直していった。

「余計なことをするな」

 ある時、亜人の一人が牙蟲を捕まえてそう言った。
 痩せた男である。
 残飯にありつくことすら滅多にない、野良犬のような男だった。

「そんなことしても、どうせぶっ壊されるんだ。余計なことをするな」

 牙蟲は答えない。
 代わりに、壁の補修のために運んでいた泥の塊をいきなり投げ付けた。
 巨大な右手に盛られた泥の量は、かなりのものである。
 男は、頭から泥塗れになった。

「おう、丁度良いから、あの壁で転がっててくれ。泥を塗る手間が省ける」

 ぬけぬけと言ったのである。
 男は、退散した。
 まさか、言われた通りに壁の修復をしたわけではあるまいが、牙蟲の行動に口を挟むことはなくなったのである。

 また別の日には、牙蟲が蜂の巣を採ってきたこともあった。
 寝込んでいる女に、滋養を付けさせようとしてのことである。

 村の背後に広がる山に、独りで入って、一抱えもあるような巣を持って帰ったのであった。
 不思議なことに、刺されたような痕はない。

 しかし、女一人に与えるには、蜂の巣一個分の蜜は如何にも多かった。
 余った分は、牙蟲が食ったり、容器に詰めて蜂蜜酒にしたりしたのである。

 そして、何時の時代も甘味は貴重であった。
 蜜の詰まった蜂の巣を丸ごとしゃくしゃくと食いながら、家の修繕をしている牙蟲の周囲に亜人の子供が集まるのも、無理からぬことである。

 数は三人だ。
 更に遠巻きに、六人ほどが牙蟲の作業を見ている。
 正確には、牙蟲が食べている、蜜を凝視していた。

「何だ、欲しいのか」

 牙蟲が、尋ねる。
 襤褸切れと見紛う貫頭衣を着た、赤ら顔の子供が、怖々頷いた。
 亜人にとって、人間は恐怖の対象だが、牙蟲は更に得体が知れない。
 だから、この子供の態度も当然ではあった。

 牙蟲が、右眼を見開く。
 真っ赤な三つの瞳が、牙蟲を取り巻く子供を射貫いた。

 亜人の子が、後退りをする。
 にぃ、と牙蟲が口の端を吊り上げた。

「良かろう、欲しければくれてやる……。だが、その前に手を洗ってこい!」

 言われて、大慌てで子供たちが走り出す。
 川や、共同で使っている井戸に、手を洗いに行ったらしい。
 暫くして戻ってきた亜人の子に、更なる牙蟲の指令が飛んだ。

「並べ! 小さい奴から順番にな!」

 その言葉に従って、薄汚れた子供が牙蟲の横に並ぶ。
 行儀が良い、と言うよりも、牙蟲の妙な迫力に押されての行動であった。

 三本の指を具えた不気味な右手と、見た目は普通の左手で、牙蟲が器用に巣を千切る。
 並んだ順番通りに、牙蟲がそれを子供に手渡していった。
 無くなりそうになると、その分はセタが急いで補充する。

 結局、最初からいた子供だけでなく、村の子供全員に、蜜が配られた。
 この一件以来、牙蟲の後ろに何人かの童が付いてくるようになる。
 蜜は既にないのだが、代わりに、柳の枝で作った馬や鳥の人形を、牙蟲は渡していた。

「壊れたら俺の所へまた来るが良い。直してやろう!」

 偉そうに言っているが、壁の修補の際に余った枝を使っただけのことであった。
 しかし、娯楽のない村の子供にとっては、貴重な遊具である。

 意識を失っていた亜人の女が体力を回復し、覚醒したのはその頃であった。
 牙蟲が、最初に建て直した家の中である。

 床には藁が敷かれ、その上をリネンが覆っていた。
 部屋の隅には架台がある。

 粗末で、質素な造りの架台であった。
 板が所々反り返っていて、表面はささくれている。

 その上に藁を詰め込んだ麻袋が並べられ、亜麻布が被せられていた。
 これが、この部屋の寝台である。
 余り快適には思えないが、亜人にとっては、これでも上等の部類に入った。 

 その寝台に、女は寝かされていたのである。
 目覚めた女は最初、傍にいた牙蟲に怯えたものの、すぐに表情が変わった。
 困惑の表情である。

 何故なら、牙蟲の後ろに亜人の子供がずらりと並んでいたからであった。
 法衣の裾を掴んでいる子供もいれば、背中から半分顔を覗かせて、女を見ている子供もいる。

「あの、ここ、は……?」
「村です。亜人の村」

 問い掛ける女に、セタが答える。
 水差しから椀に水を注ぎ、女に手渡した。
 素直に、女が中身を口に含む。

 落ち着いたところで、セタは自分と牙蟲の名を女に告げた。
 セタは兎も角、牙蟲に対しては、警戒心や不信感が女の表情から見て取れる。

 女は、ノヤと名乗った。
 村からかなり南下したところにある、小さな街からやって来たとのことである。

 隣の自治領土や、近くの国家間の緊張が高まるにつれ、亜人への風当たりが強くなったのだと、ノヤは言った。
 普段から嫌がらせはあったが、それがどんどんと過激なものになったのである。
 遂には、橋の下で寝ていたところに犬をけしかけられ、松明を持った住人に追い立てられたのであった。

 何人もの仲間が、犬に喰い殺されたり、人間に殴り殺されたりした。
 ノヤは夜の川を泳いで渡り、何とか助かったのである。
 そして、村の手前まで辿り着いたものの、そこで倒れたという訳であった。

「牙蟲さまが、看病なさったんですよ」

 何処か嬉しそうに、セタが言う。
 顔を上げたノヤと牙蟲の視線が合った。

「あ、あの。ありがとう、ございます……」
「見付けたのはセタだよ。礼は、セタに言っとけ」

 素っ気なく、牙蟲が言う。
 右眼が、僅かに開いていた。
 そこから、赤い瞳がちらりと覗く。

「ふうん」

 意味ありげな表情を浮かべ、しかし何も言わずに、牙蟲は部屋から出た。
 子供たちが、その後を付いていく。

 それから暫くは、平穏な日々が続いた。
 しかし、牙蟲の行動は相変わらず好き勝手なものである。

 騎兵が置いていった馬を、勝手に乗り回すこともあった。
 セタを抱き、後ろに子供を乗せて、やたらと上機嫌に駆けるのである。

 普通、亜人が馬に乗ることなどないものだから、後ろに乗った子供も大喜びであった。
 セタは、悲鳴を上げたり、抱きついたりし挙げ句、ぐったりしていたが。
 そうやって、亜人の童を引き連れた牙蟲が、村の入り口に差し掛かったときのことであった。

 悲鳴が、村の中から響く。
 子供とセタを残して馬の腹を蹴り、牙蟲が村に乗り込んだ。

 薄汚れた風情の男たちが見える。
 数は、十人ほどだろう。

 全員が武装していた。
 得物は、長剣やグラディウスで、メイスを手にしている者もいる。
 鎧は、一番良いものでチェインメイル、それ以外はキルボアールが多かった。

 倒れた亜人を足蹴にしている。
 むっとするような血のにおいが、鼻を突いた。

 斬られたか、骨を折られて血を吐いた者がいるのだろう。 
 麻袋が転がっていて、そこから豆や大麦が零れていた。

 どうやら、野盗らしい。
 あの完全武装の騎士団とは、また別口なのだろう。
 装備が違いすぎた。
 野盗の視線が、騎乗のまま村に駆け込んだ牙蟲に向く。
 
「なんっ」

 牙蟲に気付いた野盗の一人は、叫び声を、途中までしか上げられなかった。
 速度を落とさず、牙蟲が馬ごとぶつかっていったのである。

 倒され、馬に踏み付けられた。
 ぐぎゃ、と荷車の下敷きにされた蛙のような声を、野盗が出す。
 男の悲鳴を無視し、牙蟲は次々と野盗にぶつかっていった。

 元々、軍馬として高度な訓練を受けていたのだろう。
 牙蟲が乗った馬は、効率よく、倒した人間を踏み潰していった。
 瞬く間に、野盗の数が半分になる。

「こ、この野郎!」

 突然のことに対処しきれなかった野盗が、辛うじて我に返る。
 そして、跪いていた亜人の女を引き起こした。
 喉元に、グラディウスの切っ先を突きつける。

「う、馬から降りやがれ、この馬鹿野郎!」

 叫んだ。
 馬が、動きを止める。
 馬上から、面白そうに牙蟲は野盗たちを眺めた。

「降りろと言ってるだろうが!」

 また、野盗が叫ぶ。
 髭面の男であった。
 泥と、汗と、血のにおいが酷い。

 とん、と牙蟲が鞍から降りた。
 生き残りの野盗たちが、牙蟲の前に並んでいる。

 捕えられた女は、日に焼けた髪をしていた。
 耳が、猫に似ている。
 ノヤであった。

「動くんじゃねえぞ……」

 男が言った。
 周囲の亜人は、呻くような声を上げるが、動こうとする者はいない。
 恐怖のためか、ノヤの身を案じてのことかは、分からなかった。

 それらを軽やかに無視して、牙蟲が動く。
 歩を、野盗に向けて進めた。
 どんどんと近付いていく。

「て、てめえっ。近寄るんじゃねえ! こいつが」

 見えねえのか、と喚き終わった時には、既に、牙蟲は男の目の前にいた。
 笑っている。
 狩りも一段落したのに、のこのこと現われてくれた獲物を迎える、獣の笑みであった。

「どうした? なんかするんじゃねえのか」

 右眼を大きく開いて、牙蟲が言う。
 真紅に輝く三つの瞳に覗き込まれ、野盗が明らかに怖じ気付いた。

 同時に、牙蟲が身を翻す。
 牙蟲の法衣が広がって、野盗の視界を覆った。

 野盗だけではない。
 奇妙なことに、その場にいた全員が、自分の視界を塞ぐように広がる法衣を見たのであった。

 ほんの一秒、野盗が牙蟲の姿を見失う。
 次の瞬間、冷たく、硬質な圧力が、野盗の首筋を締め付けていた。
 まるで、鋼鉄で出来た万力に、首を挟まれているような感覚である。

 牙蟲であった。
 身を翻した牙蟲は、野盗の頭上を越えて、その背後に跳んだのである。
 そして、着地すると同時に、巨大な右腕で、野盗の頭を掴んだのであった。

 ごきん、と鈍い、太い音が、耳を打つ。
 ノヤを羽交い締めにしていた野盗の頭を、牙蟲が捻ったのであった。

 あっさりと、首の骨がへし折れている。
 瞬時に頸椎を切断されたため、野盗の身体は何の反応も見せず、崩れ落ちた。
 残った野盗の数は、四人である。

 固まったように動かなかった野盗の一人が、叫んだ。
 長剣を振り上げ、背後から牙蟲に襲い掛かる。

 右拳を固めて、牙蟲が振り返った。
 その拳を放つ。

 示し合わせたのかと思うような絶妙なタイミングで、牙蟲の拳が、長剣の男の顔面を打った。
 その顔面を支点に、男の身体が縦に半回転する。

 頭から、男が落下した。
 顔があった所に、ぽっかりと大きな穴が開いている。

 二人の男が、牙蟲に襲い掛かった。
 ほぼ同時である。
 重そうなメイスと、切れ味の悪そうなファルシオンを持った男たちであった。

 無造作に、牙蟲が右腕を突き出す。
 メイスが手の甲に当たって弾かれ、ファルシオンが手首に当たって欠けた。

 ファルシオンの男の手を、柄ごと牙蟲が掴む。
 一息で握りつぶした。
 血が噴き出る。

 激痛に悲鳴を上げる男を投げ棄て、牙蟲はメイスを持った男に向き直った。
 男が、狂ったようにメイスを振り回す。
 ひょいと、牙蟲が手を伸ばした。

 難なくメイスを掴む。
 軽く握っているようにしか見えないが、それだけで、男の腕は、ぴくりとも動かなくなった。
 男の顔が歪む。

 メイスから手を離そうとしているのだが、指が固まっているらしかった。
 先に牙蟲が右手を離す。
 男が、後方によろめいた。

 獲物を丸呑みにする蛇のような動きで、牙蟲の右腕が伸びる。
 男の頭を掴んだ。
 三本の太い指が、男の頭部をがっちりと固定している。

 ぐしゃ、と音がした。
 大して力を込めたようには見えないのに、男の頭が、卵のように潰れている。

 残った最後の男は、木偶の坊のように突っ立っていた。
 長剣を握った手が震えている。
 恐ろしいものを見る眼で、牙蟲を見ていた。

 バケモノだ、と男は思った。
 簡単なヤマだと言ってたじゃねえか。
 ちょいと亜人どもを脅して、食い物やら酒やらを頂戴しようって話だったじゃねえか。
 亜人の女の具合も、人間と変わらねえと嗤っていたことを思い出し、男の顔が泣き笑いの形に引き攣った。

「な、なあ」

 歯を震わせながら、男が牙蟲に呼び掛ける。
 強ばった笑みを、無理矢理、顔に浮かべていた。

「あ、あんた、おれと組まねえか」

 牙蟲が、ちらりと男を見る。
 それを関心の表れと取ったのか、男が言葉を続けた。

「こう見えても、おれはそこらの溢れ者連中に顔が利くんだ。な、お、おれと組もうぜ。亜人を扱ってる人買いも知ってるんだ。良い値がつくぜ」

 ぺらぺらと喋る。
 牙蟲が、刃物のような笑みを浮かべた。
 男に近付いていく。

「取り分は、あんたが七で、おれが三で良い。な、悪い話じゃねえだろ?」

 牙蟲が、その右腕を大きく振りかぶった。
 一気に、振り下ろす。

 ざん、と何かが千切れる音がした。
 地面に、肌色をした、小さな塊が落ちる。
 ぶ、と口を動かしていた男の顔から血が噴き出した。

 丁度、顔の真ん中からである。
 鼻だ。
 正確には、鼻があった位置からである。

 地面に落ちたのは、男の鼻であった。
 牙蟲の右手が、削ぎ落としたのである。
 身体から離れた人体の一部は、酷く、不気味であった。

「男前が上がったな、え」

 笑ったまま、牙蟲が言う。
 凶暴な笑みだ。
 獲物と雑談しながら、そのはらわたを貪る獣の笑みである。

「失せろ」

 激痛と恐怖に真っ青になった男に、牙蟲が言った。
 男は動かない。
 いや、動けないのだろう。

「どうした、もっと男前になりたいのか。協力してやるぞ」

 言って、再び、牙蟲は右腕を掲げた。
 それを見た男が、訳のわからない叫び声を上げる。

 走った。
 牙蟲の脇を抜け、一向に村の門を目指す。
 見る間に、その姿が遠ざかっていった。

 見送る牙蟲が、小さく、何事かを呟いている。
 ふん、と息を吐いた。

 周囲を見渡すと、倒れていた亜人がぽつぽつと立ち上がっている。
 何人かは、地面に伏したままだ。

「セタ!」

 亜人の少女を、牙蟲が呼んだ。
 村の外で子供と一緒に身を潜めていたセタが、走り寄ってくる。

「薬と符の用意だ。急ぐぞ」
「は、はい」

 素直に答える、セタである。
 この一件以来、徐々にではあるが、牙蟲の存在は村に受け入れられていった。
 しかし、皆が皆、牙蟲やセタを認めたわけではない。

 正確には、受容と無視の二つに、層は分かれていた。
 受容する側には比較的若い者が多く、無視する側には年配者が多い。
 その様な生活の中で、牙蟲が蠱術師であることも知られることとなった。

 特に隠し通そうという意志もなく、問われたから答えただけである。
 亜人にしてみれば、よく分からない術を使う、恐ろしげな容姿の、よく分からない人間というのが、牙蟲への評である。
 
 とは言え、牙蟲の真意は判然としない。
 或いは、意図も何もなく、ただ、やりたいことをやっているだけなのかも知れなかった。

 その様に、牙蟲とセタが村で過ごしていた、ある日のことである。
 夕餉の後で、牙蟲は酒を呑んでいた。
 蜂蜜酒である。

 リネンが敷かれた床に、直接座っていた。
 牙蟲の家に限らず、この村には椅子はない。
 亜人は有尾のため、人間の椅子は使いにくいのであった。
 簡素な部屋である。

 奥に水瓶が一つ。
 背の低いテーブルが一つ。
 寝台代わりの、細長い架台が一つ。
 調度と言えばそれぐらいであった。

 独りで飲んでいるのではない。
 すぐ傍に、セタが控えていた。

 牙蟲が杯を乾すと、そこへ酒を椀に注ぐ。
 それを、旨そうに牙蟲が呷る。

 袖無しのチュニックに、脚衣を身に付けていた。
 巨大な右腕が、剥き出しになっている。

 セタの前にも小さな杯があって、そこに黄金色の酒が満たされていた。
 余り減っていない。

 無地のダルマティカに身を包んでいた。
 茶色い尾が、裾から先端を覗かせている。

 酒を呑む牙蟲は、幸せそうであった。
 一方のセタの表情は、些か微妙である。

 理由は、牙蟲の周辺にあった。
 女である。

 最近、亜人の女たちが牙蟲に妙に近付こうとするのだ。
 その筆頭が、ノヤである。

 最初は牙蟲を警戒していたが、今では信頼し、尊敬しているようであった。
 それはよい。

 順調に回復したノヤが、最初の印象より若やいで見えるのも、構わない。
 カートルの上からも分かる、豊かな胸の隆起に、嫉妬しているわけでもない。
 黒く尖った耳としなやかな肢体が、猫のように嫋やかであるのが羨ましいわけではない。  
 また、牙蟲に昼食を持ってくるのも悪いことではない。

 しかし。
 何も、手ずから食べさせようとしなくても良いのではないか。
 その時に、矢鱈と牙蟲にしな垂れかかるのも、納得がいかない。
 更に言えば、自分の胸を押しつけるようにして、食事の感想を訊く必要はないではないのか。

 色々と言いたいことがあるのである。
 しかし、あからさまに言うのは、どうかと思えた。

 それで、微妙な表情を、セタは浮かべているのである。
 一方の牙蟲は、そんなセタの胸中を知ってか知らずか、上機嫌で蜂蜜酒を咽喉に流し込んでいた。

「あの……」

 セタが、牙蟲を呼んだ。
 杯を乾して、牙蟲がセタに視線を向ける。
 表情で、言葉の先を促した。

「あの、ですね……」

 何かを言おうとして、口籠もる。
 結局、セタの口を突いて出たのは、次のような言葉であった。

「また、野盗や、騎士団が来たりはしないのでしょうか」

 それが、一番尋ねたかったことではないのだろうが、重要な問いではある。
 自信ありげな表情を、牙蟲が浮かべた。

「来ないだろうよ、暫くはな」

 断定的な態度に素朴な好奇心を刺激されて、セタが牙蟲を見る。
 牙蟲が、言葉を続けた。

「最初に、三下騎士が俺のことを亜人と呼んだのを覚えているか」
「はい」

 思い出しながら、セタが頷いた。
 あの、ガラス玉のような眼は、中々忘れられるようなものではない。

 空になった杯に、セタが酒を注いだ。
 牙蟲が、杯を傾ける。
 軽く唇を湿らせて、言葉を続けた。

「あれで、あいつは自分自身を縛ったのさ」
「縛った?」
「言葉で、己の心をな」

 続けて、牙蟲がセタに語る。

「名付けるというのは、水を容器に入れるようなものだ。あやふやなものに枠を与えて、使い勝手をよくするための行為なのさ。形のない水も、丸い容器に入れてやれば、畑に撒いたり、飲んだり、蜂蜜に入れて酒を造ったり出来るだろう? だが、うっかりすると元々水に形がないことを忘れてしまう。仕舞いにゃ、丸いものを水だと思うようになっちまうのさ」

 そこまで聞いて、セタにも牙蟲の言いたいことが分かったらしい。
 頭の中で整理して、言葉を紡いだ。

「つまり、あの人は、牙蟲さまを亜人と呼ぶことで、亜人全てを、牙蟲さまのような存在だと思うようになってしまったのでしょうか」
「そういうことだ。多少、術は掛けたが、取っ掛かりを作ったのは本人だしな」

 言って、牙蟲は皮肉な笑みを浮かべた。
 それから、酒を口に含み、胃の腑に流し込む。

「加えて、あの後に野盗が来たからな。生かしてやった輩が、この村のことを喧伝しただろう。恐ろしい化物が棲む、亜人の集落だとよ」

 言って、僅かに残った黄金色の酒を見る。
 一息に呷った。

「これで、小物連中は近寄らん。とは言え、何時までも続く術じゃねえ。どうなるか、だな」

 含みのある言い方をする。
 事が起きるのを期待しているようにも、何かを仕組んでいるようにも思えた。
 不意に、牙蟲が何かを思い付いた表情を見せる。

「そう言や、ノヤのことなんだが」
「え、は、はい」

 緊張した面持ちで、セタが返答する。
 牙蟲の口から、自分以外の女の名前が出ることが、やけに苦しかった。

「顔を視たか?」
「顔、ですか?」

 当の牙蟲は、セタの胸中に気付くことなく尋ねる。
 セタも、問いの意図を量りかねて、聞き返した。

「おう。今度視てみろ。面白い相をしているぞ。絶たれた五運六気が、また練られている」

 奇妙なことを言った。
 五運六気とは、天地と人体を貫く理法そのものであり、それが絶たれるとは即ち死を意味する。

 つまり、ノヤは一度死んだと言うことなのだろうか。 
 尋ねると、牙蟲は頷いた。

「その通りだ。本来なら、村の手前で死んでいたんだが、その命数をおまえが変えたんだ」
「わたしが……?」

 牙蟲の右眼が開く。
 赤い三つの瞳それぞれに、セタの顔が写っていた。

「俺は、おまえを見誤ったのかもしれん」

 じっと、セタの顔を見詰めている。
 何時になく、真剣な面持ちで顔を近付けた。

「この世に在らざるものを視るだけじゃねえ。おまえはもっと、大きなものに触れることが出来そうだ」
「そ、そうでしょうか」

 自信なさげに、セタが言う。
 牙蟲が言うような特別な力が、自分に具わっているとはとても思えなかった。

 それよりも重大なのは、牙蟲の顔が間近にあることである。
 見る見る、セタの頬が紅潮した。

「どうかしたか」
「いえ、だ、大丈夫です……」

 事も無げに訊く牙蟲に、余り説得力のない答えを返す。
 俯いた。

 唐突に、村の女が牙蟲の周囲に纏わり付いている像が浮かぶ。
 自分の身体を牙蟲の胸に預けた。
 ぽふ、と音がする。

 鼓動が早くなるのを、セタは自覚していた。
 セタは、何度か牙蟲に抱かれたことがある。

 しかし、それに慣れることは難しかった。
 余裕がない。

 一方の牙蟲は、何時も落ち着いていた。
 唇を重ねても、身体を重ねても、牙蟲の心には何も残ってはいないのではないか。

 そんな思いに囚われて、セタが牙蟲の背中に両腕を回した。
 抱き付く。

「おいおい」

 杯を脇に置いて、牙蟲が言った。
 矢張り、落ち着いている。

「どうかしたのか」

 もう一度、牙蟲が尋ねた。
 直接には答えず、セタは回した腕に力を込める。

「あの、牙蟲さま」
「うん?」

 顔を牙蟲の胸に押しつけると、鍛えられた筋肉の感触がセタの頬に伝わった。
 それだけでなく、牙蟲の身体が薄い外骨格で覆われていることを、セタは知っている。

 全体ではなく、胸や脇腹の一部を覆っているのだ。
 割れた腹筋には黒い筋が走っていて、節目には単眼のような器官がある。

 自分だけが知っていることだ。
 それとも、自分以外ももう知っているのだろうか。
 例えば、ノヤが。

 嫌な想像が、脳裏に浮かぶ。
 とは言え、それを牙蟲に確認する訳にもいかなかった。
 第一、牙蟲の行動をあれこれ詮索するのは、分が過ぎているように思える。

 例え尋ねたとしても、関係ない、と言われれば、それまでである。
 そもそも、牙蟲にとって自分はどういう存在なのだろうか。

 価値があるのか、無いのか。
 重いのか、軽いのか。
 代えが効くのか、効かないのか。

 不安が、止めどなく溢れてくる。
 牙蟲の身体を抱き締めた。

 しかし、牙蟲の身体は強靱で、小さな亜人如きの力ではびくともしない。
 そのことが、無性に哀しかった。

 う、う、う。

 嗚咽が漏れる。
 セタは、知らず、泣いていた。

「お、おい、どうした、セタ」

 流石に、慌てた様子で牙蟲が尋ねる。
 普段、憎たらしいほど落ち着き払っている男だが、自分を抱いている少女が泣き出しては、そうもいかないらしい。

 取り敢えず、宥めようとして肩を抱いた。
 頭を撫でてやる。

 菫色の髪は、さらさらとしていた。
 セタはされるがままになっている。
 暫く、無言の時間が過ぎた。

 既にセタは泣き止んでいたが、目は潤んだままである。
 その表情に、何かを刺激されたのか、牙蟲がセタに口付けをした。
 瞼の上だ。
 セタが、驚いた表情を見せる。

「あ、わり」
「い、いえ」

 反射的にやってしまったことなので、牙蟲にも自分の行動が意外であった。
 心の深奥を自在に見、縦横に操るのが蠱術師だが、まだまだ未熟と言うことなのだろう。

「あの、牙蟲さま」
「うん?」

 先刻と同じ呼びかけと、同じ答えである。
 呼吸を二つほど置いて、セタが口を開く。

「牙蟲さまは、一つ事に心を囚われたことはおありですか」
「む」

 何やら意味深長な問い掛けであった。
 少し考えて、牙蟲が答える。

「ある」

 短い返答であった。
 続けて言う。

「だが、今はないぞ。どうでも良くなった」

 一瞬、遠い場所を見るような表情をした。
 しかし、すぐに何時もの飄々たる空気を取り戻す。

「おまえはあるのか」
「はい」

 逆に問うと、迷い無くセタは答えた。

「牙蟲さまです」

 セタにしては珍しく、はっきりとした物言いである。
 堰を切ったように、言葉を紡ぐ。

「何時も、牙蟲さまを見ています。何時も、牙蟲さまのことを考えています。牙蟲さまの言葉も、振る舞いも、覚えています。牙蟲さまが……」

 セタが、牙蟲の目をまっすぐに見た。
 口籠もってから、一息に言葉を吐く。

「わたしの肌に触れた感覚も、忘れません」

 熱を帯びていた。
 言葉も身体も、火照っている。

「わたしの心は、牙蟲さまに囚われています」
「む」

 少女の体温を、今更のように身近に感じ、牙蟲が唸る。
 髪の毛の感触や、肌のにおい、鼓動までが生々しく迫ってきていた。

「ですが、牙蟲さまは何ものにも縛られていないのですね」

 自分の身体を、牙蟲に預けながらセタが言う。
 こんなに近くて、抱き締めているというのに、一番欲しいものは遙か彼方を気儘に浮遊しているのだ。

 牙蟲の眼を覗く。
 灰色の瞳。
 真紅の瞳。
 それぞれに、自分の顔が写っていた。

 犬に似た、垂れた耳を持つ亜人の顔である。
 力もなく、魅力もなく、才もない亜人だ。

 牙蟲に拾われなければ、虫のように道端で死んでいただろう。
 そんな自分が、誰かに想われることがあるのだろうか。
 誰かを想い、その誰かに想われるなどということが、許されるのだろうか。

 考えれば考えるほど、不安になる。
 何時か、何かによって、罰せられるような気がするのだ。
 しかし、だからと言って、想うことを止められる筈がない。

「苦しいのです」

 血を吐くように、呟く。
 心臓の、一番奥深いところから零れたような言葉であった。

「むう」

 再び、牙蟲が唸る。
 常よりも深く息を吸い、吐く。

「安心しろ」

 言葉を千切るようにして、牙蟲が言った。
 巨大な右腕を回すと、華奢な少女の身体がすっぽりと収まる。

「俺だって、おまえのことをあれこれ考えてるぞ」
「本当ですか」
「本当だ」
「ですが、囚われているものなど何もないと仰ったではないですか」

 ぐ、と牙蟲が言葉に詰まる。

「いや、あれはそういう意味ではなくてだな……」

 言い訳をする。
 セタの顔を見た。

 澄んだ菫色の瞳が、揺れている。
 自分を覗き込む通行人を見返す、捨て犬のような目であった。

 その視線に負けじと、牙蟲が腹に力を入れる。
 赤い瞳が、くるりと回った。

「囚われるというのはな、毒牙を己が心に打ち込まれることなんだよ。血は流れ続け、毒は全身を腐らせる。その上、治ったとしても傷痕は残る。俺はただ、そういうのがなくなったと言っただけだ」
「……」
「別に、おまえのことを蔑ろにしているわけじゃない。里を出たのだって、おまえに色んなものを見せたかったからだ」
「……」
「厭魅厭勝、五蘊より参り、五蘊、厭魅厭勝を量ると言ってな。妙な我執は術者を縛る。俺が言いたかったのは、妄念に使われるなってことであってだな」
「……」
「だから、俺は……。いや、ほんとに、おまえのことは大事なんだって!」

 叫ぶようにして、牙蟲は感情を露わにした言葉を口にした。
 驚いたセタが、目を丸くする。

「あー」

 意味のない声を、牙蟲が発した。
 三つの瞳が、眼窩の中で動き回る。

「若しかして、俺、凄い恥ずかしいことを言わなかったか」

 自分で自分に止めを刺す一言を、吐いた。
 セタとしても、どう対応して良いのか分からない。

「……びっくりしました」
「俺だってびっくりしたよ」

 互いに顔を見合わせる。
 くすり、とセタが笑った。
 むう、と牙蟲が顰め面をする。

 しかし、その表情も長くは続かず、仕舞いには溜息混じりの苦笑に変わった。
 それがまた可笑しいらしく、セタが小さく笑う。 

「嬉しいです」

 そっと、呟いた。
 しかし、胸の奥の苦しさは消えない。

「わたしは、亜人です」
「知ってるよ」
「塵芥の如きものと、言われ続けてきました」
「ものの価値が分からん輩は何時の世にもいるさ」
「いてもいなくても、誰も困らないと」
「俺は困る」
「胸も、小さいですし……」
「前にも言ったが、俺の好みだ」
「耳も、垂れています」

 そこも気になる箇所なのか、と牙蟲は些か驚いた。
 似ているとは言え、人とは異なった容姿を持つ亜人なのだから、美意識も固有のものがあるのだろう。

「いや、良いんじゃないか。少なくとも、俺は好きだが……」

 そう言って、セタの耳を指で摘んだ。
 ぴく、とセタが反応する。

 更に、くすぐってみた。
 ん、と吐息をセタが漏らす。

 セタの頭を抱えるようにして引き寄せると、その耳を軽く噛んだ。
 更に濡れた吐息が、セタの唇から零れる。

「うむ、矢張り俺好みだな」

 得心がいって、牙蟲は呟いた。
 見ると、セタの頬が赤く染まっている。

「牙蟲さま……」

 自分の名を呼ぶ少女に、牙蟲が四つの瞳を向けた。
 先触れもなく、言葉が溢れ出す。

「良いか、俺は他人の思惑なんぞ知らん。おまえの都合も関係ない。俺はおまえを気に入っている。おまえが必要だ。おまえに興味がある。俺の傍にいろ。分かったか」

 一息に捲し立てる。
 言ってから、俯いた。
 セタも、下を向いている。

 牙蟲が、大きく息を吐いた。
 がりがりと、左手で頭を掻く。

「何かもう、一生分の恥を掻いた気分だ」

 それを聞いて、セタが顔を上げた。
 何処か、ほっとしたような色がある。

「牙蟲さまも、心を揺らされることがおありなのですね」
「そりゃあ、な」

 おまえの前だからな、とぽつりと言った。
 耳聡く、その言葉にセタが反応する。

「今、なんと仰いましたか」
「いや、何も言ってないぞ」
「いえ、仰いました」

 セタが、牙蟲ににじり寄る。
 併せるように、牙蟲が下がった。

「言ってない」
「仰いました」

 じりじりと迫る。
 じりじりと下がる。

 しかし、何時までも逃げ切れるものではなかった。
 そもそも、この部屋自体、そう広いものでもないのだ。

 遂には、セタが牙蟲を部屋の隅に追い込む。
 押し倒した。
 少女を抱いたまま、牙蟲が仰向けになる。

「言ってないからな」

 あくまで言い張る牙蟲であった。
 不満げな顔をセタが見せる。

「牙蟲さまは、ずるいです」
「そうか?」

 ぬけぬけと聞き返す牙蟲であった。
 暫し、頬を膨らませていたセタだが、一転して微笑む。

「わたしは、聞きましたから」
「む」

 断言したセタに、牙蟲が眉を顰めた。
 何やら、弱点の鱗を剥がされた竜の気分である。

 寝ながら肩を竦めるという器用な真似をして、牙蟲は今の状況を受け入れることにした。
 二人して抱き合ったまま、時間が過ぎる。
 少女の甘いにおいが、牙蟲の鼻腔をくすぐっていた。

「あ、あの牙蟲さま」

 もぞもぞと身体を捻り、セタが言う。
 牙蟲が、灰色の瞳をセタに向けた。

「んー?」
「その……」

 口籠もる。
 視線で、牙蟲が先を促した。

「あの、当たって、いるのですが……」

 言い難そうに、呟く。
 太股に硬いものの感触があった。
 牙蟲の、それである。

「あー」

 牙蟲が、間の抜けた声を出した。
 天井を見上げる。

「最近、やってなかったしなあ」

 呟いた。
 どきどきしながら、セタが牙蟲を見る。

「あ、あの、でしたら……」
「ん、したいのか?」
「ち、違います!」
「したくないのか」
「え、あの、えと……」

 狼狽えるセタであった。
 く、く、と牙蟲が笑いを噛み殺す。

 余り迫力のない目付きで、セタが牙蟲をにらんだ。
 牙蟲が、更に笑う。

 ぽんと、セタの頭の上に牙蟲が手を置いた。
 撫でる。

 拗ねるべきなのか、喜ぶべきなのか、選択に迷った表情をセタがした。
 それを見た牙蟲が、セタと唇を重ねる。
 触れ合う程度の、軽い口付けだ。
 すぐに離れる。

「……やっぱり、ずるいです」

 頬を染めて、セタが言った。
 もう一度、牙蟲が唇を重ねる。

 今度は、先程より長かった。
 舌が、唇を割って侵入してくる。

 舌先を絡めた。
 粘膜と粘膜が密着する。

 ぬるりとした感触が、セタの頭を痺れさせた。
 度の強い酒を一気に呷ったように、体温が上がる。

 爛れた。
 心が、蕩ける。

 息が荒くなった。
 もっと欲しくなる。
 
 舌を伸ばして、牙蟲の口をなぞった。
 唾液を撹拌する。

 湿った音が、互いの口から漏れた。
 じゅるじゅると、粘っこい音がする。

 粘ついた唾液を、セタが嚥下した。
 その感触が咽喉を渡るたびに、セタの細い身体が震える。
 まだまだ足りないと言いたげに、牙蟲の口腔を啜った。

 びくびくと、セタの細い身体が震える。
 小さな手で、牙蟲の顔を固定した。

 唇を離す。
 唾液の糸で、唇が繋がっていた。

「牙蟲さま」

 熱に浮かされたように、名前を呼ぶ。
 呼吸が苦しかった。

 足りない。
 牙蟲の体温、におい、唾液、感触。
 何もかもが足りなかった。

 もっと欲しい。
 もっと、もっと欲しい。

 落ち着きなく、セタの尾が揺れていた。
 それを、牙蟲が左手でそっと掴む。

 ひゃ、と小さな悲鳴をセタが上げる。
 柔らかく握っていた指が、するすると昇った。
 裾の内側に入っていく。
 尻尾の付け根に、到達した。

 一度だけ、尾の根本を叩く。
 ん、とセタが反応した。
 腰が、少しだけ浮く。

 牙蟲の口が、眼を細めた。
 新しい悪戯を思い付いた、悪童の貌である。

 五本の指が、別の生き物のように動いた。
 とん、とん、と叩く。
 連続で叩く。

 その度に、セタの腰が跳ねた。
 切なげな吐息が、漏れていく。

 呼吸が落ち着くのを待って、牙蟲が指をセタの下穿きにかけた。
 粗末な布切れであるそれを下げる。
 膝の上辺りまでずらした。

 それから、足の付け根まで指を這わす。
 更に進んで、セタの秘所に指先で触れると、ぬめった感触が伝わった。

 浅く、指先を秘裂に潜らせてみる。
 肉の裂け目が、しっかりと締め付けてきた。
 より深く、指を進める。

 肉襞の抵抗が、牙蟲の指を阻んだ。
 少女の中は、痛いほどきつく、吸い付いてくる。

 セタの秘所は随分と未成熟で、無毛であった。
 だから、女陰の形が直接指に感じられる。

 親指で、肉の合わせ目の上にある、小さな陰核をつついた。
 膨れている。
 こりこりとしたそれを親指で押えながら、胎の中で指を動かした。
 水っぽい音が響く。

 セタの呼吸が荒くなっていく。
 ぐいぐいと、腰を押し付ける。

 汗が浮いていた。
 朱色に、頬が染まっている。

 牙蟲が、巨大な右腕をそっとセタの背後に回した。
 裾からはみ出た尾を、強く掴む。
 同時に、セタの中を潜らせていた指を突き上げた。

 只でさえきつい膣壁の締め付けが、更に強くなる。
 セタが、両の拳を握った。
 足の指を丸める。

 震えた。
 細かく、激しく震える。

 絶頂を迎えたらしい。
 失禁したように、愛液が溢れていた。
 太股を、とろりとした体液が伝う。
 潤みきった眼で、牙蟲を見た。

「き、きばむしさまぁ」

 鼻に掛かった声で、名を呼ぶ。
 涙が浮かんでいた。

 もどかしそうに、牙蟲の脚衣に手を掛ける。
 ずらした。
 牙蟲のものに、指を這わす。

 陽根を取り出した。
 大きい。

 最初に見たときは、その大きさと醜悪さに驚いたが、今はそうではなかった。
 これが、自分の中を抉るのだ。

 その期待に、子宮の奥が熱くなる。
 息が掛かるほど近くに、セタが顔を寄せた。

 そろりと、舌を出す。
 舌先に、雄のにおいが届いた。
 頭の中が、焼け焦げそうになる。

 舌をくっつけた。
 ねぶる。

 獣の味がした。
 もっと舌を伸ばして、亀頭全体を舐め取っていく。
 顔を前後に動かした。

 頬の内側が、牙蟲のそれを擦る。
 咽喉の奥近くを突かれるたびに、セタが奥歯で牙蟲のものを軽く噛んだ。
 その刺激に反応して、牙蟲の陽根に血が集中していく。

 見る見る、硬くなった。
 流石に苦しくなって、咳き込みながら男根を吐き出す。
 表面が、セタの唾液でぬらついていた。

 黒々としたそれは、違う世界の怪物のように見える。
 そそり立っていた。

 ふらふらとしながらも、セタが、牙蟲の上に跨る。
 そっと、隆々とした陽根を握った。
 先端を自分の秘裂に宛がう。

「いきますよ……?」

 鼻に掛かった声でセタが言う。
 おう、と牙蟲が応じると、細い腰が降り始めた。

 狭い肉穴を押し広げて、肉の槍が進む。
 みちみちと、身体がこじ開けられた。
 ぴたりと、自分の襞が牙蟲の陰茎に吸い付いているのが分かる。

 白濁した愛液が、溢れ続けた。
 牙蟲のものを、三分の二ほど身体に収めて、セタの腰が止まる。

 一番奥に、陽根の先端が触れていた。
 荒く、セタの薄い胸が、上下している。

「大丈夫か」

 心配そうに、牙蟲が声を掛けた。
 何度もセタとは交わっているが、この瞬間は何時も不安になる。

 自分が、この亜人の少女を、壊してしまうのではないか。
 そう思ってしまうのだ。
 最上級の瑠璃細工を、それと知らずに弄んでいる気分になる。

 そんな牙蟲の表情に気付いてか、セタが微笑んだ。
 とは言え、胎内の圧迫感が辛いのか、痛々しい笑みである。

「きもち、いいですか?」

 尋ねる声も、僅かに震えていた。

「おう」

 短く、牙蟲が応える。
 そっと、セタが腹の上を手で押えた。
 中に入っている、牙蟲の陽根の形がはっきり分かる。

 胎内を押し上げるその輪郭を、愛おしむようになぞった。
 ちかちかと、火花のような光が、眼の中で散る。
 快楽が、自分の意識に突き刺さった。

 腰を揺すろうとする。
 力が入らなかった。

 膝が笑って、セタが牙蟲に倒れ込む。
 咄嗟に上体を起こして、牙蟲が少女を支えた。

 それから、宥めるように背中をさする。
 喉を撫でられた、仔猫のような声をセタが出した。
 暫し、そのままの体勢を保つ。

 牙蟲の頬に、セタの首筋が当たった。
 甘いにおいが、牙蟲の鼻に届く。

 温めたミルクのようなにおいだ。
 極上の酒から漂う香気のように、それだけで、脳髄を惑わせる。
 亜人の女というものは、皆、こうなのか。
 それとも、俺が変で、少女の色香に酔っているだけなのか。

 自問する牙蟲であった。
 よく分からない。
 分かっているのは、この亜人の少女が、何時の間にか己の懐抱に住み着いてしまったことだけだ。

 ぴく、と、セタの膣道で牙蟲の陽物が動く。
 その僅かな刺激にも反応して、セタが細っこい身体を捩った。
 締め付けが、一層強まる。
 つぷつぷとした肉襞の凹凸が、はっきりと伝わった。

 膣が、牙蟲の形を覚え込んでいる。
 ぐっと、陽根の先端で子宮口を押すと、そこが吸い付き返してきた。
 早く動いてくれと、催促しているようである。
 応えて、牙蟲が腰を動かし始めた。

 セタの身体を支えながら、陰茎をゆっくりと引き抜く。
 少女の最奥に突き刺さっていたものが、ぬめりながら姿を現した。

 亀頭の傘の部分が、セタの陰に引っ掛かる。
 完全に抜ける前に、牙蟲が再度、自分のものを押し込んだ。
 そろそろと進み、子宮口と鈴口をぴったりと合わせる。

 セタの中は、熱く、たっぷりと濡れていて、きつかった。
 柔らかい獣毛に覆われた耳に、牙蟲が口を近付ける。
 甘噛みしながら、己のものでセタの胎内を擦った。

 徐々にペースを上げていく。
 ぐりぐりと子宮を責め立て、膣道の中程を抉った。

 締め付けが、一層強まる。
 涙混じりの嬌声が漏れた。

 身体の中心に熱い塊があって、そこから間断なく快楽の波が襲ってくる。
 はらわたを、掻き回されていた。
 じゅぶじゅぶと、泡立った愛液が牙蟲の脚に垂れる。

 陽根を差し込まれるだけで、いった。
 それで膣壁を擦られても、矢張り、いく。
 入れたまま捻られ、小突かれて、いってしまった。

 絶頂しっぱなしであった。
 止まらない。

 セタの膣全体が、牙蟲の射精を乞うように震えた。
 触れ合った子宮口と鈴口が、粘ついた糸を引く。

 互いの腰の動きが、激しくなっていった。
 堪らなくなって、セタが牙蟲にしがみつく。
 その背中に爪を立ててしまった。

 薄く、牙蟲の肌に血が滲む。
 肌を合わせる際は、何時も気を付けているのだが、思わずやってしまった。
 しかし、牙蟲は意に介していない。

 痛みがないわけではないが、良い刺激だ。
 少女の与える痛みぐらい、引き受ける器量は在るつもりである。

 セタの、甘いにおいが一層強くなった。
 その香りを掻き混ぜるように、牙蟲がセタの胎内を突く。
 何度も何度も突いて、子宮をほぐした。

 強く、子宮口に陽根の先端を押し付ける。
 ぴったりと、男根に子袋が吸い付く。

 震えた。
 つぷつぷとした膣襞が、纏わり付いて、絞る。

 腰の中央から、熱い塊が昇ってきた。
 ぐぐ、と牙蟲の陽根がその太さを増す。
 セタの胎内を圧迫した。

 じゅる、と濁った精液が染み出る。
 直後に、濃い、どろりとした性汁が、矢のように撃ち出された。

 子宮口を貫いて、精液が流し込まれる。
 身体の芯から焼き尽くされるような、獰猛なまでの愉悦が、セタの五体を襲った。
 内側に注がれる感触を、たっぷりと味わう。

 譫言のような吐息が、漏れた。
 気持ち良すぎて、言葉を発することが出来ない。
 自分の腰から、全てが溶け出してしまいそうだった。

 真っ白になる。
 意識が遠くなり、セタの身体から力が抜けた。

 それから、一刻ほどが過ぎて――。

 目醒めたセタは、自分が架台の上にいることに気が付いた。
 肌や髪は、きちんと拭かれている。
 身体を包んでいるのは、清潔なシーツだった。

 牙蟲の仕業だろう。
 成る可く、事後の始末は自分でしたいのだが、気絶してしまってはそれも適わない。
 恥ずかしさと情けなさで、セタは独り、泣きそうな貌をした。

「セタ、起きてるかー?」

 呑気な声が、ドア越しに掛けられる。
 牙蟲であった。

「は、はい」

 慌てて返事をすると、目尻を擦る。
 粗末な木製のドアが開かれた。

 ぬ、と巨大な影が、入ってくる。
 セタは、目を見開いた。

 見知った牙蟲の姿ではない。
 歪な体躯を持った、巨獣がそこにいたのだ。
 二足歩行も、四つ足で駆けることも出来そうな身体の造りをした、獣であった。

 天井に触れんばかりの位置に、頭が見える。
 長い鼻面と尖った耳を持つ、肉食獣の頭部であった。
 その表面を、白い外骨格が覆っている。

 切り裂いたような口に、鋭い牙が並んでいた。
 その牙に、拳を二つ分の大きさの肉塊が引っ掛かっている。
 まだ脈打っている、心臓であった。
 千切れた血管から、血がぼたぼたと垂れている。

 右眼は、三つあった。
 熟れた鬼灯のような単眼が、煌々と輝いている。
 灰色をした左眼が、こちらを見ていた。

 右腕が、長い。
 板金鎧の如く、ごつごつとした外殻を持っていた。
 肩や腕から、巨大な牙や角のような突起が伸びている。

 左腕も、通常の感覚からすれば太く、長かった。
 逞しい。

 両脚が、巌のようにごつい。
 黒曜石のような輝きを持った爪が、足先から伸びていた。
 鋼線を束ねたような分厚い胸や、みっしりと筋肉が詰まった腹を、白い外殻が鎧っている。

 そして、背中から一対の翼が生えていた。
 羽毛ではなく、怪異な紋章や、複雑な文字の書かれた符で覆われた翼である。
 セタに見覚えのある呪符もあれば、見たことのない紋様もあった。
 ただ、途轍もない力を秘めていることだけが、伝わってくる。

「酒がなくなったんでな、持ってきた」

 異形の獣が発したのは、聞き慣れた牙蟲の声であった。
 セタが、目をしばたたく。

 改めて見てみれば、そこにいるのは何時もの牙蟲であった。
 何処にも、獰猛な獣の姿などない。

 思わず、セタは牙蟲を見詰めてしまった。
 牙蟲が視線を返す。
 少し、訝しげであった。

 自分は、何を視たのだろうか。

 セタの胸中に、尤もな疑問が浮かぶ。
 多分、自分の見鬼としての能力なのだろう。

 此岸と彼岸の狭間にあるものを視る――。
 それが、見鬼の力だと牙蟲には教えられている。
 だが、自分の視たものを正確に把握し、完全に理解することは、セタにとって難しかった。

 とは言え、何時までも牙蟲の解釈や、知識に頼ってばかりではいられない。
 自分なりに、考えなければならない。
 唐突に、魁偉な獣が銜えていた心臓が、思い浮かんだ。

 そうか。
 あれは、わたしの心臓だ――。

 奇妙なほどの確信が、そこにはあった。
 同時に、自分の視たものが牙蟲に違いないことも、強く感じられる。

 牙蟲の持つ力を視覚化したものが、あの獣なのだ。
 そして、銜えられた心臓は、そのまま、セタ自身を表しているのだろう。

 勿論、牙蟲の正体が凶猛な獣であるということではない。
 あの異形の獣は、牙蟲の持つ呪力や異能を、セタの見鬼の能力が翻訳して見せた姿に過ぎない。
 だから、この先、自分が成長すれば、また違った相をそこに見出すのだろう。

 しかし、例えそうだとしても、自分が視たものは、牙蟲という存在の一端ではあった。
 それを視られたことが、素直に嬉しい。

「何やらご機嫌だな」

 言って、牙蟲がセタの隣に座った。
 手にした甕から、杯に酒を注ぐ。

「呑むか?」
「はい、頂きます」

 頷いて、セタは杯を受け取った。
 一口、傾ける。
 酒精が咽喉を滑り落ちていった。

 じっと、牙蟲の口元を見る。
 あそこに、自分の心臓が引っ掛かっていたのだ。

 囚われる、ということは毒牙を打ち込まれるのと同義だ、と牙蟲は言った。
 自分は、それどころではない。

 心の臓を喰い千切られ、舌先で転がされているのだ。
 もし、このことを伝えたら、牙蟲はどんな顔をするのだろう。

 驚くだろうか。
 呆れるだろうか。
 苦笑いをしたり、照れた表情を見せてくれたりするのだろうか。

 良し。
 迷っていても、仕方ない。
 言ってみよう。

「実は、先程、あるものを視たのです」
「ほう」

 好奇心をそそられたらしく、牙蟲がセタの顔を覗き込む。
 一拍置いて、セタは、自分が視たものを告げた。

 そして、牙蟲は、セタが期待した通りの表情を見せたのであった。


                                           了


 


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-モドル-