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SS:ヴーク


 真龍帝国は、大陸を二分するほどの軍事力、政治力、財力を誇る国家である。
 その武力の重要な部分を担っているのが、人間ならざるものたちで構成される異形の兵力であった。
 凶悪な牙と爪を持った獣人がいれば、強靱な鱗と卓抜した戦闘技術を誇るリザードマンもおり、恐るべき威力の弓を操る美貌のダークエルフもいた。

 その様な危険極まりない彼らを、帝国は外区と呼ばれる特殊な区域に封じ込めることで、自分たちに都合の良い戦力として扱っていたのである。
 単に幸運に恵まれただけなのかもしれなかったが、元貧民街にねぐらを指定された異形たちは、存外にそこでの生活を楽しんでいた。
 小競り合いや諍いは連日見られたが、大規模な反乱や暴動の類は起きていなかったのである。
 元から住み着いていた貧民街の住人に加え、異形相手の商売を当て込んだ山師や娼婦、仕官を狙う傭兵崩れや蠱術師までもが流れ込んだ外区は、物騒で猥雑な繁栄を謳歌する、帝都の中の別天地と化していたのである。

 しかし、権力者は何もないところに悪鬼やら亡霊やらを見出す天才であり、実際に人外のものたちが棲む外区に対するともなれば、彼らが警戒しない筈はなかった。
 その疑心から設置されたのが、帝都巡回騎士団である。
 表向きは外区の治安の維持と周辺住民の安全の確保を目的とする武装集団であったが、それを額面通りに受け止めているものなど誰一人としていない。

 要するに外区の異形たちを抑えるための暴力装置が、この巡回騎士団なのであった。
 それが証拠に、彼らが巡るのは外区のみであり、異形を潜在的な敵勢力と見做す騎士も多い。
 とは言え、騎士が騎士としての自覚を持ち、規律と自制心を持って帝都の防衛に当たるのであれば問題はないはずである。
 しかし、実態として騎士団は問題を抱えていた。

 騎士団内部の対立である。
 元々、帝都巡回騎士団は帝国騎士団の一つである、白龍剛鱗騎士団の下部組織であった。
 白龍剛鱗騎士団は、帝国騎士団の中でも最も新しく設立された組織で、構成員の多くが平民の出身である。

 設立の契機となったのは、大陸に於いて帝国と覇を競う星辰公国との度重なる会戦であった。
 公国の先王は穏健路線であったのだが、後嗣となった王子は大陸統一を大儀として掲げる拡大主義者であった。
 帝国と公国の両軍は何度も激突し、絶対数を減らした帝国騎士団は兵力を緊急に補充する必要に迫られたのである。

 そこで、平民を騎士身分へ取り立てることで不足した戦力を補おうと帝国は画策し、その結果設立された騎士団が、白龍剛鱗騎士団なのであった。
 当初は他の騎士団からその有用性を疑問視されていたが、構成員は平民でありながら名を成そうとする上昇志向の持ち主ばかりであり、士気は高く、過酷な訓練と最前線での連戦によって瞬く間に強力な戦闘集団へと成長を遂げたのである。
 帝都巡回騎士団は、その白龍剛鱗騎士団から人員を割いて再編成された部隊であり、当初は帝都巡視隊と呼称されていた。

 ここまでなら、実戦を潜り抜けた、練度の高い実動部隊が帝都に常駐するだけなのだが、ある問題が発生した。
 一部の名門貴族が、自分の子弟を帝都巡視隊に編入するよう要請し、圧力をかけたのである。
 そこには次のような思惑が働いていた。

 通常、帝国貴族は軍役に付くことが義務であり、それは貴族階級の権利でもあった。
 貴族子弟が騎士団に入団することで心身を鍛え、国境警備に就くことで軍務を経験する、と言うのが帝国上位階級の伝統である。

 実際、停戦条約を結んだとは言え公国との緊張関係は続いており、実戦を経験する機会には恵まれていた。
 騎士となった貴族子弟は実戦に参加することで、貴族社会の序列や権威が通用しない世界を知ることとなるのである。
 帝国は幾つかの騎士団を擁していたが、どの騎士団に入団するにせよ、それが常態であった。

 だが、帝都巡視隊は違った。
 元よりこの部隊の目的は帝都にいる人外の監視であるため、国境警備に赴くことは稀である。
 国境で勃発した紛争の規模、期間、危険度によって人外の派遣が必要とされれば、巡視隊も同伴するのだが、それでも半数は帝都に残る。

 つまり、制度上は、巡視隊員が帝都に駐在し続けることも可能なのであった。
 本来ならばローテーションを組み、その様な事態は避けるのだろうが、宮廷での政治的な駆け引きの結果として、憂国法なる法案が可決される。
 これは、騎士団が派遣される際は帝都に残留する人間が、その費用の一部を負担するという代物であった。
 平民の多い帝都巡視隊では、この派兵費用の負担は非常に大きく、平民出身の騎士が帝都に残るのは不可能と言ってよい。

 ここまでお膳立てして、貴族たちは自分の子弟を巡視隊に送り込んだのである。
 その結果、巡視隊の中で国境に赴いて戦闘行為に参加するのは費用を捻出できない平民だけとなり、巡視隊に潜り込んだ貴族子弟は、金銭の力で一度も帝都から出ることなく規定の兵役を終えることが可能になった。

 混乱に拍車を掛けたことに、貴族は、白龍剛鱗騎士団の単なる付属組織であった巡視隊に、騎士団と同等の権限と格式を与えることさえ行ったのである。
 これは、有り体に言えば貴族の選民思想の発露であった。
 自分たちの子弟が入団する組織が、平民の多い白龍剛鱗騎士団の風下に立つことを嫌ったためである。
 帝都巡視隊は帝都巡回騎士団と名を変え、白龍剛鱗騎士団は内部に同格の下部組織を抱えることとなった。

 こうして、帝都巡回騎士団には立身出世を狙う平民の騎士と、軍務を回避しようとする貴族出身の騎士の二大派閥が生じ、対立は不可避となった。
 その様な緊張関係が存在する組織の矢面に立ち、硬軟取り混ぜた対応を迫られる立場は、出来れば誰もが遠慮したいものであろう。

 しかし、世の中には不満のない地位に就ける人間は少なく、満足のいく地位を得られる人間は更に少ない。
 貴族が富と権力の大部分を専有している帝政国家であればそれは尚更である。

 その見本とも言うべき人物が、古びた教会を改修した騎士団の詰め所にいた。
 焦げ茶色をした髪を短く刈り込んでおり、瞳は鳶色である。
 首が太く、肩幅はがっしりとしており、全身を覆う筋肉の量が常人とは明らかに異なっていた。
 着ているものは簡素なチュニックで、脚衣を穿き、膝から下はグリーブが覆っている。

 帝都巡回騎士団を率いる、ログラムであった。
 容姿の美醜よりも、その生真面目な双眸が印象に残る男である。
 平民出身の元傭兵であり、白龍剛鱗騎士団の副団長と巡回騎士団の隊長を兼任している。

 この隊長が何をしているかと言えば、書類の束と格闘しているのであった。
 ログラムの周囲には似たような格好の騎士団員が四人おり、同じように書類と悪戦苦闘中である。
 書類、と言っても紙は貴重品のため、余白が生じないよう、書き込みは限界まで小さく、薄く切った板で代用しているものも多い。

 書類の内容は、外区における異形についての報告書であった。
 建前はどうであれ、帝都巡回騎士団の目的の一つは人外の監視であり、こういった作業は必要不可欠である。

 ログラムと他の騎士団員は、教会の食堂を改装した細長い部屋で、羊皮紙や板切れに埋もれそうになりながら、書類の作成を続けているのであった。
 壁に燭台が並び、そこに灯されたオレンジ色の炎が揺らめいている。

 報告書の内容は、外区を複数の区画に分け、それぞれの区域で見られた人外の種類、数、行動、発言、装備、判明していればその氏名、所属組織、行動目的などをリストにしていく、というものであった。
 加えて、その場に居合わせた人間についても同様の記載が必要とされる。
 神経を使うし、面倒で、気の滅入る作業であった。

 勿論、これだけでは事実の羅列に過ぎないため、この報告書を纏めて外区における人外の動向を予測、然る後、行動指針を上申という作業が、ログラムには残っている。
 それが終わるまで、当然のようにログラムは詰め所から解放されることはなく、部下に細かい作業を任せきりにするほど怠惰でも無能でもない隊長は、部下に交じって報告用の書類の群れと格闘している訳であった。

 夜は更けて、痩せた月が西に傾いている。
 大陸を二分する帝国の都とはいえ、通常なら誰もが眠りに就いている時刻である。
 しかし、ここ外区では多くの娼館や酒場が未だに開いており、喧噪が止むことはなかった。
 教会の壁越しに、酔漢の怒鳴り声や、客を誘う街娼の嬌声が微かに届く。

「終わらねえ。どう考えても終わらねえぞ、これ」
「文句を言う暇があったら手を動かせ、ロイド」
「目が開かない……、眠い……」
「お前は普段から目が開いてないだろうが、ゾッシュ」

 ぶつぶつと愚痴とも独り言ともつかない言葉を帝都巡回騎士団の団員が吐き出していた。
 うらぶれた通りで女衒をやっていそうな人相の悪い男と、顔立ちは整っているが無愛想な男、糸のように眼の細い大男の三人である。

 会話から判断すると、険のある顔をした男がロイド、糸のような眼をした男がゾッシュなのだろう。
 騎士団に相応しい人材には余り見えないが、三人とも戦場働きは確かなものであったし、ログラムにとって信頼に足る部下であった。

「大体、何で俺らがこんな苦労を背負い込んでるんだよ。貴族のバカ息子どもにやらせりゃいいじゃねえか。読み書き算術ぐらいはあいつら出来るだろ」
「あの連中が役に立つと思うか? 観察力も記憶力も判断力も欠けた奴らだぞ」
「……思えねえな」

 何とも不毛な会話の通り、殆どの貴族子弟はこの単調な作業に参加することなく、外区の見回りが終了するとさっさと自分たちの屋敷に帰るのが恒例であった。
 更には貴族子弟の見回りは比較的安全な経路ばかりのため、この報告書作成に必要な情報が全く期待できないという事情もある。
 三人組の隣に座っていた女が立ち上がり、ログラムに羊皮紙の束を手渡した。



「上がりました」
「ああ、御苦労」

 答えて、ログラムが女から書類を受け取る。
 所作のきびきびとした若い女で、ログラムより二つ、三つ年下に見えた。
 容姿は掛け値なく美形と言って良いだろう。

 栗色をした髪は艶やかで、それをカーチフの中に上手く収めていた。
 カーチフはリンネルで作られた簡素な被り物だったが、隅に小さな鈴蘭が刺繍されていて、それが程の良いアクセントになっている。
 初夏の若葉を思わせるような、薄緑の瞳であった。
 鼻梁も顎のラインも、優美の一言に尽きる。

 身に付けているものは、他の団員と同じくチュニックに脚衣なのに、どことなく上品な空気を纏っていた。
 良く訓練された猟犬の中に、一匹だけ血統書付きの猫が迷い込んでいるようである。
 とは言え、彼女もれっきとした巡回騎士団の一員であった。

 アルダ・アッシュツリーというのが、その名である。
 名門貴族の出身なのだが、報告書の作成や日常の警邏も謹直、誠実にこなす希有な存在であった。

 彼女が白龍剛鱗騎士団、延いては帝都巡回騎士団に所属しているのは少々事情がある。
 実はアルダの実父が手を回して、他の騎士団には入れないようにしたのであった。

 平民の下に就くことを嫌ってアルダが入団を辞退するか、入団したとしても白龍剛鱗騎士団に課せられる過酷な任務に愛娘が音をあげることを期待した父親の処置であったが、事は些か違う方向に転がった。
 まずは、平民出身の指揮官であるログラムとアルダの関係である。

 気質からも規律からも言って当然ながら、ログラムは彼女を単なる部下の一人として処遇したのだが、この対応がアルダに与えた印象は強烈で新鮮なものであった。
 何しろ、騎士団の任命権を左右できるほどの権勢を誇っているのが、アルダの一族である。
 今まで接してきたのは、追従や皮肉や恫喝ばかりであったのだ。
 そして、その強い印象がログラムへの信頼と敬意へと昇華するのに、大した時間は必要ではなかった。

 また、公国との戦いは確かに熾烈であったが、それは却ってアルダに不屈の精神と自立心を与え、更には白龍剛鱗騎士団の奮戦と紐帯が、アルダの中にあった貴族的な桎梏を弱めることとなったのである。
 結果として、アルダは白龍剛鱗騎士団の騎士として公国との戦いを生き抜き、現在も帝都巡回騎士団に身を置いているわけであった。

 帝都巡回騎士団でのアルダの立ち位置はログラムの有能な補佐、である。
 尤も、口さがない団員達は、二人がそれ以上の関係にあるのではないかともっぱら噂していた。
 特に悪意のあるものではなく、冷やかし半分、祝福半分と言ったところであろうか。

「ログラム隊長、お手伝いしましょうか」

 薄く色付いたアルダの唇から、その様な言葉が発せられる。
 真っ直ぐな視線が、ログラムの愛想に欠ける顔を見詰めていた。

「いや、自分の分はそれ程残っていないからな。夜も遅いし、今日は帰った方が良いぞ」
「でしたら、他の団員を手伝います」
「そうか、済まんな」

 ログラムとアルダの会話は、大して長くはない。
 お互い、そう言う性格なのである。

「いや、副長殿にお手伝い頂くわけにはいかねえよ。ここは一先ず仕事を切り上げる方向で。そんで揺籃亭にでも行こうぜ」
「お前は阿呆か。明日に回したら余計辛いぞ。今日終わらせろ」
「嫌だ! 俺は揺籃亭に行くんだ!」

 ロイドともう一人の男が言い争う。
 何時ものことらしく、ログラムは何も言わなかったが、アルダが怪訝そうな表情を浮かべた。

「揺籃亭、とは何ですか?」

 尋ねると、ログラムが手を動かしながら答える。

「この所名を売っている妓楼だ。正式名称は『ビロウドの揺籃亭』で、其者が全員生成りらしい」
「ナマナリですか」

 生成り――。
 外区で稀に見られる、亜人とも獣人とも異なった種族である。
 
 頭身や手脚のバランスは人間と変わりないが、全身は柔らかい獣毛で覆われていて、尻尾を有する。
 指の造りや関節の構造は人間と酷似しているものの、口や耳は獣と大差はない。

 人間でもないが、獣人でもない。
 そういう存在を指して、生成りと呼称しているのであった。

 彼らの出生については詳しいことは分かっておらず、亜人同士の婚姻からごく稀に生まれると言う説、獣人と人間の間に生まれると言う説、妖精や魔神の手によって行われる取り替え子だと言う説、様々である。
 明確なところは不明であった。

 社会での立場も微妙であり、人間からも獣人からも隔意を持たれている。
 生成りは、人間から見れば獣じみており、獣人から見れば人間に近すぎた。

 身体能力も外見に準じていて、俊敏性や瞬発力は人間を多少は上回るものの、獣人とは比べるべくもない。
 程々の訓練を積んだ人間が、それなりの武装をして対峙すれば、全く脅威にならない存在であった。

 その生成りが、外区で娼館を開いていて、然も結構な評判を得ていると言う。
 今の身分は騎士とは言え、平民上がりが多い巡回騎士団では、娼館や酒場の善し悪しが話題になることは多い。
 しかし、生真面目すぎて頑固な印象さえあるログラムの口から、最近取り沙汰されている娼館の名が出て来るとは意外であった。

「ログラム隊長も知ってたんですか。あいつら抱き心地がいいんですよねえ。今夜行きましょうよ!」

 目付きは悪いなりに喜色を浮かべて、ロイドが言う。
 その男の頭を、隣の男が遠慮無く叩いた。
 かなりの力を込めて殴ったようで、大きな音と立てて、男が顔面を机にぶつける。

「いてーな、なにしやがる、タルカン!!」
「馬鹿なことを言うからだ」

 冷静な口調で、眉目は悪くないが無愛想な男が答えた。
 人相の宜しくないロイドを窘めるのが、このタルカンという男の役割であるらしい。
 その横で、眠そうな表情のまま、ゾッシュがログラムに顔を向けた。

「何か気になるんすか、隊長」

 随分と砕けた口調だが、それを咎めるものはいない。
 茫洋とした言い方に、自然とその言動を受け入れさせる響きがあった。

「多少な。揺籃亭の生成りが中々博識だと聞いてな」
「ああ、そうなんですよ。あいつら、存外に物を知ってて驚きました」

 ロイドの言葉通り、揺籃亭の生成りは古典や古歌に通じており、聖典の詩句を諳んじることもすれば、宮廷での政争に関するあれこれにも詳しいとの評判を得ていた。
 社交界に出入りするような高級娼婦は今までも存在していたが、それが生成りとなれば話は別である。
 人と獣の半端物と見做していた者たちが、深い教養と見識を見せることが珍しく、揺籃亭の客には上流の客も多いとの噂であった。

「それがどうかしたんすか、隊長」

 また、ゾッシュが尋ねる。
 少し考えるような間を置いて、ログラムがゾッシュだけでなくロイドやタルカンも一瞥した。

「知識を仕込むには、人も時間も金も要る。それがどこから来たのか気になってな」
「ははあ」

 感心したような、分かっていないような間延びした声で、ゾッシュが頷く。

「そりゃあ、あれですよ、どっかの金持ちとか道楽者の貴族とかが金を出したんじゃないですかね」

 単純な発想をロイドが口にした。
 その発言に、好意的に解釈するには難しい眼差しで、タルカンがロイドを見遣る。

「相変わらず、物事を深く考えない男だな」
「うるせえよ。じゃあ、お前はどう思ってるんだよ」

 ロイドの切り返しに、タルカンが形の良い顎に指を置いて、考えを纏めようとする。
 何気ない仕草が、役者の様に決まっていた。

「生成りは外区でも珍しい存在だ。そいつらを集める人脈や、隊長の言った通りの資金を持っているところと言えば……」

 ふむ、と頷くがそれ以上言葉を続けようとはしない。
 その代わりに、浮かんだ考えを振り払うように頭を振った。

「何だよ、思い付いたんなら言えよ」
「言っても仕方がない」
「どういう意味だよ」

 重ねて尋ねられると、タルカンが聞き分けのない子供を見る目でロイドを見た。
 息を一つ吐いて、言葉を続ける。

「この外区で裏金とやばい連中、両方を抱えている勢力と言えば何だ」
「ああ? そりゃあ、お前」

 答えの知っている謎掛けに対するような口調で、ロイドが言葉を紡ぐ。

「『ギルド』だろう」
「その通りだ」

 タルカンが頷いた。
 ロイドの言う『ギルド』とは、多くの街にあるような、通常の同業者組合ではない。
 それは、大陸に跨るほどの、巨大な非合法組織であった。

 帝国だけでなく公国にまでその影響力は及んでおり、無数の故買屋、娼館、阿片窟、闘技場のみならず、一見は真っ当な酒場や宿屋までもが、その支配下にある。外区において『ギルド』の息が掛かっていない店はまず無いと言って良い。
 無論、暴力的な部分も具えており、帝都の王侯貴族でさえ暗殺することが可能なのが『ギルド』であった。

「揺籃亭の後ろに『ギルド』があるってか? 浮かれ宿なんだから当たり前だろ」
「確かにな。だが、貴族連中を納得させるほど生成りを仕込むには、『ギルド』がかなり本気で金と手間を注ぐ必要がある。何か目論見があるのかもしれん」
「目論見? なんだよ、そりゃあ」
「知らん」

 にべもなくタルカンが言うと、むっとした表情をロイドが見せる。
 どうもロイドは感情がそのまま顔に出る気質らしい。

「こいつは、状況からの推量に過ぎないからな。お前の言う通り、仮に揺籃亭の背後に『ギルド』がいても、それは別に不思議じゃあない」
「確かにな」
「だから言っても仕方がない。揺籃亭に胡乱なところが幾つかあっても、外区でそんな店は珍しくない」
「結局、何も分からねえってことかよ」
「分かってるさ。だが、根拠が薄くて、結論は当たり前、危険性は未知数、となれば手の打ちようがないだろうが」
「それを分かってるとは言わねえよ」

 余り納得していない風に、ロイドが鼻を鳴らした。
 とは言え、タルカンの言うことは尤もで、揺籃亭がきな臭くても、それが明確な形を持って自分たちの目の前に立ちはだかるかどうかは、また別問題なのである。

「隊長は、その揺籃亭を監視すべきとお考えですか」

 一連の会話を聞いていたアルダが、巡回騎士団のリーダーに尋ねる。

「人員に余裕があればそうしたいところだがな」

 ログラムの言葉の続きをアルダは正確に補足できたが、敢えてそれを言語化しようとは思わなかった。
 自身が属している貴族階級という代物が、尊敬している上官の障害であり、足枷であることを自覚するのは心地よいものではない。

「天に支えがないことを案じているだけかもしれん。第一、他にもやることがある」

 そう言って、ログラムはこの話題を打ち切った。
 差し迫ったところでは、今夜中に纏めるべき報告書の束がある。
 だが、意外な形でログラムは揺籃亭と関わりを持つことになるのであった。

 ログラムが、眠気と疲労に抗いながら仕上げた報告書を持って宮廷に上がったのは、それから三日後のことである。
 通されたのは、宮殿内の執務室の一つであった。

 宮廷の全ての部屋がそうであるように、壁には真紅の帝国旗が掲げられている。
 巨大な龍が太陽と月を両腕で掴み、天に向かって炎を吐いている図案だ。
 豪放で、大胆な構図である。

 金糸銀糸がふんだんに使用されており、偏執的なまでの職人技で、巨竜の細かな鱗の質感まで再現していた。
 角と牙には薄く削った貝殻が貼られ、眼には水晶が輝いている。

 その巨大なドラゴンが睥睨する執務室に、ログラムとその上官である一人の男が向かい合っていた。
 実直さがそのまま為人に現れているログラムとは対照的に、目の前にいる男は茫洋とした眼差しで、帝都巡回騎士団の団長を見ている。

 ログラムと男の間には、執務用らしい大きな机があり、その上には案件処理を待つ羊皮紙の束が散乱していた。
 男は凝った彫刻が施された椅子に座っており、ログラムはその前で直立不動の姿勢で立っている。 

 男は、四十路に手が届こうかという風体であった。
 鈍い色をした銀髪と、痩けた頬が特徴的である。
 緊張感のない顔付きで座っている様子は、宮廷付きの学者のようにも見えるが歴とした武官だ。

 白龍剛鱗騎士団の紋章が染められたサーコートを、チェニックの上から着込んでいる。
 紋章は優美なシルエットを持つ、白銀の龍を摸しており、腰には下賜された長剣を提げていた。

 白龍剛鱗騎士団の設立を提唱した人物であり、その団長でもある。
 ログラムが、報告書を提出する相手であった。

「こちらが今回の報告です。ご確認を、アクナイト閣下」

 ログラムが言って、分厚い束を渡す。
 アクナイトが意外にごつごつとした指を伸ばし、それを受け取る。

「ご苦労さん。いつも手間掛けるねえ」

 砕けた口調で言い、ぱらぱらとめくって中身を確認する。
 真剣味に欠けて見えるが、それを指摘する心算はログラムにはなかった。
 公国との戦いの際、最前線で指揮を執っていたのが、このグレゴリー・アクナイトである。

 飄々とした言動は普段と変わらず、しかし、その指揮振りは見事であった。
 少なくとも、その元にいたログラムを始めとする白龍剛鱗騎士団が生き残れたのは、この男の軍事的な才覚に負うところが大きい。

「そう言えば、ご子息方はどんな具合だい? ちゃんと仕事はしているのかな?」

 アクナイトの言う『ご子息』とは、貴族の子弟のことである。
 すぐさま答えるような迂闊な真似をログラムはせず、暫し考えてから口を開いた。

「障害と言うほどではありません。邪魔ですが」

 中々に辛辣な言い様だが、表情は実直そのもので、悪意やわだかまりはそこにはない。
 当人には皮肉や当てつけを発言した自覚はないようであった。
 ふ、ふ、ふ、とくぐもった声を上げて、アクナイトが肩を揺らす。
 笑っているようであった。

「そうかい。こちらとしては心苦しいが、政治というのは面倒でね。彼らを抱え込まないと騎士団の運営資金が少々足りなくなるんだよ。済まないが、暫く我慢してくれ」
「は」
「もう一つ、苦労ついでに頼まれて欲しいことがあるんだが、いいかな」

 子供にお使いを言いつけるような口調で、アクナイトが言った。
 尤も部下であり、平民であるログラムに拒否権などはないのだが。
 それを見越してか、ログラムの返答を待たずに漠とした眼差しの貴族は言葉を続けた。

「ビロウドの揺籃亭を知っているかい?」
「……存じています」

 数日前に話題に上がった娼館の名を聞き、ログラムの反応が僅かに遅れる。
 気付いたアクナイトの瞳に、僅かに好奇の色が浮かぶが、すぐに消えた。

「申し訳ないが、そのビロウドの揺籃亭に赴いて欲しいんだよ」
「自分が、ですか?」
「うん」

 人の好さそうな笑みを浮かべて頷くアクナイトに対し、ログラムの表情は晴れない。
 自分が娼館に赴く理由が分からないからだが、察したアクナイトが言葉を続けた。

「事情を掻い摘んで説明するとね、ま、とある貴族がとても大きな借金を作ってしまったと思ってくれ」
「は」
「で、その金の借り元がビロウドの揺籃亭の出資人も兼ねていたんだよ」
「……」

 話が何やらきな臭くなってきていたが、ログラムは口を挟まなかった。
 知ってか知らずか、アクナイトはのんびりとした表情のまま言葉を紡ぐ。

「ビロウドの揺籃亭の売りは、色々と仕込まれた生成りなんだけど、知ってる?」
「は、その様に聞き及んでおります」
「流石だねえ」

 本気で感心して、アクナイトは大仰に頷いた。
 どうにも本意を掴みかねる言動であるが、ログラムにとっては何時ものことである。

「只ね、今までの生成りは聖典や詩句の暗誦だったんだけど、そればっかりじゃあ能がないとビロウドの揺籃亭は思ったらしくてね。今度は新しい趣向で行くつもりなんだよ」
「新しい趣向ですか」
「うん。兵法とか軍学とか、お堅い方面に詳しいのを用意しようってことらしいねえ」

 此処に来て、ログラムの中で自分が揺籃亭に赴く理由が見えてきた。

「つまり、貴族の某が成した借金の形に揺籃亭へ出向し、軍学を指南せよと言うことでしょうか」
「ご名答」

 称賛して、アクナイトが指を鳴らす。
 首を傾げているのは思ったほど、高い音が出なかったためであろう。
 ログラムが黙しているのは、勿論、上官のスナップの音に満足しなかったからではない。

 恐らく、莫大な負債を抱え込んだ貴族は、アクナイトと縁故を持っているか、巡回騎士団の後援者の一人だろう。
 或いは、その両方を兼ねているのかも知れない。
 だが、ログラムの意識に引っ掛かっているのはもっと大きな問題である。

「貴族が返済できないほどの金を融通でき、更にその払いを強制できる実力を持つとなると、背後に剣呑な組織の影が見えますが、宜しいのですか」

 敢えて名は出さないものの、ログラムの胸中で、揺籃亭と『ギルド』は分かちがたく結び付くこととなった。
 非合法組織の経営する単なる娼館に留まらないものが、揺籃亭にはあるのではないかと思える。
 
「まあ、いいんじゃない」
「しかし、そうすると騎士団の戦術を彼らに知らせることになります」
「その辺は君が調整してくれれば良いよ」

 あっさりと、アクナイトはログラムに事態を丸投げした。
 信頼の表れと見ることも出来ようが、どちらかと言うと、無責任と無頓着が無節操に結合して出て来た発言に思える。

「取り敢えずは話題の妓楼と近付きになって、何も知らない生成りの娘にあれこれ手解きするってことで良いんじゃないかな? 役得だよ、役得」

 アクナイトはそう言って、揺籃亭に上がる日をログラムに告げた。
 後に残った細々とした連絡事項や確認を済ませると、ログラムが一礼して退室しようとする。
 その背中に、アクナイトが間延びした口調で声を掛けた。

「油断はしないようにねえ、あんまり心配はしてないけど」

 忠告にしては緊張感に欠けるアクナイトの言葉に、ログラムは見事な敬礼で応えた。
 何にせよ、危地に向かうのは騎士として当然の任務である。
 貴族の思惑や陰謀に巻き込まれるのも、その一環のようなものであった。

 それから一週間が過ぎた。

 アクナイトに指示された刻限通りに、指定された場所にログラムは立っていた。
 箱を潰したような外観の建物の、かっちりとした造りの扉の前である。

 比較的新しく、頑丈そうな石造りの建物で、上階には窓もあった。
 吊り下がった看板から見ると、どうやら皮革製品の店らしいが、既に廃業しているようである。

 周囲に人影はなく、建物自体もこの店以外には見当たらない。
 革をなめすには刺激臭のする溶液や家畜の糞を使用するため、この手の店は孤立していることが多いのだ。
 外区は人や人外でごった返している区域だが、何かの気紛れのように無人地帯が点在しており、ここもその一つなのだろう。

 ログラムは大振りのコートを羽織っていた。
 フード付きのコートで、そのフードを目深に被っているため、余程近付いてもログラムの人相は分かりそうにない。

 空は暗く、細い針金のような月が頭上に掛かっていた。
 ログラムの前で、木製の戸が開く。

 扉の向こうに、青銅製の燭台を持った獣人が立っていた。
 荒原に棲むハイエナに良く似た頭部をしており、全身を茶色い獣毛で覆われている。
 その獣毛の上に、子供の拳大の斑点が散らばっていた。

 痩せぎすの印象を与える体格である。
 筋肉の総量は多いのだろうが、背が高く、極端に無駄肉が少ないため、その様に見えるのであった。
 首が長い。

「ログラム騎士団長さまで?」
「ああ」
「あっしは弄と申します。揺籃亭を任されております」

 名乗って一礼すると、ハイエナ頭の獣人はログラムを中に案内した。
 入ると、作業台が真ん中に置かれているだけで、他には何もない。

 どうやら、店にあった道具や薬品類は全て取り払われているようであった。
 がらんとした印象を受ける。

 奥に従業員が使っていたらしい通路があり、弄はそこへ進んでいく。
 薄暗いが掃除はされていて、埃なども見当たらなかった。

「いやはや、名だたる巡回騎士団の隊長さまに御足労頂けるとは恐縮でさあ」

 獣人の弄が、愛想よく言った。
 ログラムの方はそれに乗るわけでもなく、黙って頷くのみである。

 弄は気にした風でもなく、揺籃亭も含めた妓楼の格付けや、旨い酒や料理、宮廷の醜聞について面白おかしく話し続けた。
 話題が豊富な上に、その喋り方も人を惹きつけるものがある。

 獣人と言えば人間と異なった感性の持ち主が多く、良くも悪くも浮世離れしているものだが、弄は違うらしい。
 尤も、そうでなければ娼館を任されたりはしないだろう。

 通路には明かりは灯っておらず、弄の手にした燭台が頼りであった。
 獣人を先頭に、奥まったところの階段を上ると、飾りも模様もない、簡素な扉が見える。

 弄がその戸に向かって声を掛けると、幼い声が返事をした。
 ぱたぱたと、軽い足音が向こうから聞こえてくる。
 戸が内側から開いて、人とも獣人とも違う瞳が、隙間からこちらを窺った。

「ど、どうぞ」

 おずおずとした声と共に、戸が先程よりも大きめに開く。

「旦那」


ラムディ
 促されてログラムが先に進むと、部屋の真ん中よりも窓に近い場所に、少女が遠慮がちに立っていた。
 まずログラムの胸中に浮かんだのは、猫がいる、である。

 少女は全身を青みがかったグレーの獣毛に覆われており、柔らかそうな毛並みをしていた。
 体格はほっそりとしていて、それに比して三角形をした耳が大きく見える。

 顔は猫の面影が強く、瞳はぼんやりとした青であった。
 不思議なことに、瞳の色が左右で異なっている。
 下手な絵描きが水の分量を間違えたかのように、左の瞳の色が薄くなっていた。

 獣毛と同じ色合いの、繊細そうな髪が不揃いに伸びている。
 手脚は人間のそれと同じような構造であった。

 身長は低く、ログラムの腹の辺りに頭がある。
 顔付きや先刻の声からして、十代半ばぐらいの年齢と思われた。

 裾の長い、ブリオーと呼ばれる筒型の着衣を身に纏っている。
 ログラムの印象通り、仔猫がそのまま少女になったような姿の生成りであった。

「挨拶しねえか、ラマディ。こちらがログラムの旦那だ」

 ログラムの傍らに立った弄が、生成りの少女に命じる。
 ラマディと呼ばれた少女が、慌てて一礼した。

「は、初めまして、ラマディと申します。宜しく、お願いします……」

 ぎこちない仕草で頭を下げる。
 律儀にログラムも礼を返し、部屋の内部に視線を巡らせた。  

 年代を感じさせる、角の欠けた机が中央に置いてあり、部屋の端には長身のリザードマンでも寝転べそうな長椅子が見える。
 机の前には背もたれの付いた椅子が二つ並んでいるのだが、組みになっているものではないらしく、微妙にデザインが異なっていた。

 壁には高い位置に燭台が設えられ、明るいオレンジの光を投げ掛けている。
 煤が殆ど出ていないところを見ると、かなり上質の蝋を使用しているのだろう。
 向かいの壁には大きめの窓があり、油が塗られた羊皮紙で覆われていた。

 しかし、何より目を引くのは向かいにある書架であった。
 壁一面を占めるほど大きく、そこにぎっしりと本が並んでいる。

 紙が高価なら書物はそれ以上に貴重品だが、特徴的なのはその中身であった。
 背表紙に金字で記された題名から、収められているのが戦術論、兵法書、従軍記、数百年前の将軍の自伝などであるのが分かる。
 多少なりとも軍学に興味のあるものなら、垂涎間違い無しの代物であった。

「大したものだな」
「そりゃあ、巡回騎士団の隊長どのがいらっしゃるんなら、半端なものは置けやしません」

 率直な感想を述べたログラムに、弄が得意げに答える。
 目の前でしゃちほこばっている少女に、支配人と呼ぶには獣じみた風体の弄が声を掛けた。

「良いか、今日からログラムの旦那にお世話になるんだ。くれぐれも粗相の無いようにな」

 そう言って、弄は退室する。
 後には生真面目な表情の騎士と、どことなく硬い面持ちの生成りが残された。
 こうしてログラムの、生成りを生徒とする軍学講座は始まったのである。

 結論から述べれば、ラマディは優秀な生徒であった。
 何処で身に付けたのか、この生成りの少女は字の読み書きも出来たし、集中力があり、指導を受け入れる素直さも具えていたのである。
 幼いながらも、自分で考えて質問することも出来、それはログラムにとって良い刺激になった。

「あの、ここにある『衢地には交を合わせ』というのは、どう解釈すれば宜しいのでしょうか、先生」
「論の分かれるところだな。お前はどう思う?」
「多分、交通の要衝を抑え、情報を把握せよ、という意味だと思うのですが……」
「その解釈で間違ってはいない。だが、もっと単純に、大道をいち早く掌握し兵力を集中させろという解釈もある」

 ログラムの言葉に、ラマディは成程と頷いた。
 まだ幼さの残る少女でありながら、中々鋭い質問をしてくるラマディを、ログラムは好意的に捉えている。
 面白い、というのが正直な感想であった。

 ただ、ラマディを見ていて気に掛かることが一つあった。
 注意力が散漫というわけでもないのに、ログラムの指示への反応が遅れることがあるのだ。

 従軍記を読み上げたり、陣法の解説をしたりしたときに、妙な間が空くのである。
 注意していると、それは書物の左側や、陣形図の左を示したときであった。
 また、部屋の中で自分の左前にある椅子に、ぶつかることもある。

 その理由をログラムが知ったのは、弄からであった。
 ラマディとの私塾めいた個人教授の後、弄は労いとしてログラムに食事を勧めることがあるのだが、その際に尋ねたのである。

「ラマディは眼が悪いのか」

 控え室のような狭い部屋で、ローストした若鶏をナイフで切り分けながら、ログラムが尋ねた。
 この革なめし屋が未だ営業していたときに、徒弟が休憩に利用していただろう一室である。

 乱雑な部屋であった。
 そして、狭い。

 無骨な造りの木製の机が中央にあって、巨人が腰掛けて歪んだような椅子が二つ置いてあった。
 部屋の隅には畳まれた架台や、用途の見当が付かない道具が転がっている。

 対照的に、用意された料理は逸品であった。
 ディルの種と乾燥したミント、魚醤に蜂蜜を混ぜたソースをたっぷり付けて焼き上げた若鶏で、素晴らしく風味がよい。
 温かさからして、弄が手ずから調理したものらしい。

「ええ、左眼が余り見えませんで」

 弄の返答は簡潔である。
 料理人顔負けの注意を持って焼き上げた若鶏を、一切れ口に放り込んだ。

「生来のものか?」
「いえ、生みの親か育て親のどっちかに」

 途中で区切って、弄が自分の指を目玉に差し込む仕草をする。

「潰され掛かったって話でさ。それで、親元を逃げ出しましてね」

 凄惨な話であったが、弄の口調は天気を話題にしているかのように淡々としている。
 対するログラムも、過剰な反応を見せたりはしなかった。

「物乞いのためか」
「そんなところで」

 斑の浮いた獣人が言って、再び若鶏を切り離す作業に入る。
 ログラムもそれ以上、会話を続けようとはしなかった。

 手っ取り早く同情を引くため、幼子を不具にするのは決して珍しいことではない。
 五体満足の子供よりも、指がなかったり、声が出なかったり、歩けなかったりする方が、物乞いの実入りが良いからだ。
 奇形を造り出す専門の職人もおり、ラマディの場合は眼であったのだろう。

 だが、話題にして心躍るものではなく、ログラムも弄も互いにこれ以上の会話を望まなかったのであった。
 ラマディの眼が悪いことが確認できればそれで良く、あれこれと過去を詮索しても仕方のないことである。
 取り敢えず、ラマディが椅子にぶつかって転ばないように、少女の左手を引いてやろうかと、ログラムは考えたのであった。

 その様にして、ログラムはラマディに基本的な陣法や軍学の基礎を指導して、一週間が過ぎた頃である。
 一つの噂が、帝都巡回騎士団の内部で囁かれるようになった。

 帝都巡回騎士団の重要な立場にあるものが、とある娼館の生成りに入れ込んでいるという噂である。
 遍歴詩人のような想像力がなくても、『帝都巡回騎士団の重要な立場にあるもの』とやらがログラムを指しているのは明白であった。

 しかし、ログラムがそれについて釈明することはない。
 何時もと変らず、淡々と業務をこなすのみであった。

 外区を見回り、騎士団の交代要員の組み合わせを考え、無能な貴族派の団員を穏便に指導する。
 その繰り返しであった。

 元々、平民出身の団員が持つログラムへの忠誠心と信頼は篤く、多少の女遊びなど充分に許容範囲である。
 そして、平民の団員に勝るとも劣らぬ忠信をログラムに捧げている貴族出身の騎士も存在した。

 アルダである。
 ログラムが日々の業務を片付けている執務室で、その正面に立っていた。

 夕刻の巡視から戻ったばかりのため、無骨な鎧に身を包んだままである。
 実利一辺倒の板金鎧であったが、それが却ってアルダの美麗さを際立たせていた。

「お話ししたいことがあるのですが宜しいですか」

 上官に負けないほどの生真面目さで、アルダが言う。

「ああ、構わない」

 古びた机の上で、案件を処理しながらログラムが返答する。
 ログラムに宛がわれた執務室は古く、狭かったが、使い勝手は悪くなかった。

 書き物をするための大きめの机も、書類の溜められた棚も、程々の値段の酒が収められたチェストも、かなりの年代物で、使い込まれている。
 道具が、きっちりと人間の手によって磨き上げられている気がして、アルダはこの部屋が好きであった。

「最近、団内に蔓延る噂について、隊長はご存知でしょうか」
「俺が娼館の生成りにとち狂っているという話か」

 取り繕うこともなく、あっさりとログラムは訊き返した。
 余りに直截であったため、アルダの反応が一瞬遅れたほどである。

「はい」
「気にするな、と言っても難しいか」
「わたくしは気にしませんが、貴族の放蕩息子たちに隙を見せるのは得策ではありません」

 一理ある言い分である。
 事実、貴族子弟の態度は益々増長しており、ロイドのような血の気の多い団員は爆発寸前であった。

 暫しログラムは黙考した。
 アクナイトとの会話を思い出しても、この件に関して口止めされた覚えはない。
 それは話しても構わないと言うことではなく、ログラムの裁量で何とかせよという、無言の指示であった。
 ログラムは、おもむろに口を開く。

「これは此処だけの話にしてくれ。俺の外聞はどうでも良いが、無意味に龍の巣を突くような真似は避けたい」

 言ってから、ログラムはアクナイトから言われた内容をアルダに告げる。
 聞き終わってアルダの整った顔に浮かんだのは、抑制されてはいたが、明らかな憤慨であった。

「つまり、ログラム隊長は馬鹿な貴族の後始末を押し付けられたのですね。何と言う恥知らずな」
「仕方あるまい。金と力がなければ組織は動かん」

 正論ではあるが、貴族の放蕩の尻拭いをログラムがしなければならないのが、アルダには納得いかないようである。
 その苛立ちを胸の奥に仕舞いながら、アルダが問うた。

「背後にいるのは『ギルド』でしょうか」
「恐らくな。だが、気になることは他にもある」

 ログラムの言葉にアルダが怪訝な顔をする。

「俺は行き帰りの際、誰もいないことを常に確認していた。だが、噂は流れた。何処からだ?」

 ログラムほどの戦士に気取られず、尾行したり、監視をしたりするのはかなりの難事である。
 つまり、この噂は、偶然ログラムを見掛けたものが無責任な風聞を流した訳ではないと言うことであった。

「……揺籃亭が自ら漏らしたのでしょうか?」
「断定は出来ん。だが、今回の一件、少しずつきな臭くなっているのは確かだ」

 それ以上ログラムは語らなかったが、アルダは胸中に漠とした不安が湧き上がるのを自覚した。
 胸の奥に溜まった正体不明の懸念に押されるように、アルダは口を開く。

「貴族間の金銭の流れを調べてみます。王公専門の故買屋も何軒か知っていますので、そこにも当たってみます」
「有り難いが、深入りはするなよ」

 短い言葉に謝意と配慮を込めて、ログラムは言った。
 名門貴族の一員であるアルダは上流階層に様々な縁故を持つが、その濫用は立場を危うくする可能性もある。
 部下に危ない橋を渡らせて安穏と出来るほど、ログラムは冷淡でも鈍感でもなかった。

「ご安心を」

 微かに笑みを浮かべて、アルダが敬礼する。
 己の上官の気遣いが、素直に嬉しい。
 そして、退室する直前に、ログラムにとっては不明瞭で、当人には明確な理由のある質問をアルダは口にした。

「これは個人的な質問で恐縮なのですが……」
「別に構わん。何だ」
「ログラム隊長と揺籃亭の生成りは、軍学の講師と生徒、なのですよね」
「そうだ」
「と言うことは、その、それ以外の関係と言いますか、それ以上の交わりと言いますか、その様なことはなかったのでしょうか」

 遠回しな言い方をアルダがする。
 言葉の意味を吟味するかのように、ログラムが眉を顰めた。

「意味が良く分からないが……。教えている先で飯や酒を饗されることはあるが、それだけだぞ」

 言われて、更にアルダが不安そうな面持ちで言葉を紡ぐ。

「と言われますと、その席には、隊長が指導していた生成りの少女も、同座していたりしたのでしょうか。いえ、特に深い意味はないのですか、少し気になりまして。本当に、他意はないのですが」
「いや、生成りはいなかったな。俺の相手をするのは、もっぱら獣人だ」

 ログラムの答えに、一転してほっとした風情でアルダが小さく頷く。

「どうかしたのか」
「いえ! 何でもありません! では! 失礼します!」

 妙に元気よく、溌剌とした口調であった。
 上機嫌で退室したアルダの表情にログラムは首を捻るが、結局、その理由に思い至ることはなかったのであった。

 暫くの間、ログラムと生成りを巡る噂は、広がりを見せるわけでもなく、新たな話題を提供するわけでもなかった。
 代わり映えのないまま、日々が過ぎていく。

 変化は、ログラムが生成りとの軍学講座に慣れてきた頃に、向こうからやって来た。
 何時ものように、廃業した革なめし屋に向かったログラムを、ハイエナ頭の弄が店の外で迎える。
 深更であり、相変わらず周辺に人の気配はない。

 取り敢えず、兵法の基礎的な解説が終わったので、今度は実際の戦史と合わせて手解きしてみようかと考えていたログラムに、弄が声を掛ける。

「今夜のお題は、帝国史ですかね」
「そんなところだ。良く分かったな」
「ラマディが帝国史の前文を諳誦してましてね。可愛らしいもんで」
「そうか」

 短く答えたログラムに、弄が意味ありげな表情を見せる。
 ログラムを店の中に招き入れると、鋭い爪付きの指で奥の休憩室を示した。

「ちょいとお話があるんですがね。宜しいですかい」

 返答を待たずに弄はさっさと奥に進み、扉を開けた。
 中に入る。

 ログラムも黙って後に続いた。
 相変わらず、狭く、乱雑な室内である。

 装飾のない木製の机と、年期を感じさせる椅子が並んでいた。
 部屋の隅に、使われていない架台や、用途の分からない長柄の道具が放置されている。
 弄が用意していたのだろう、茶で満たされたカップが机の上に二つ置いてあった。

「で、話とは何だ」

 座ってから、ログラムが尋ねる。
 湯気を立てている茶には口を付けていない。

「話と言いますか、ま、お願いと言いますかね」

 少々、勿体ぶった言い方を獣人はした。
 カップの茶を美味そうに啜る。

「簡潔に言いますとね、ラマディのやつを抱いてやってはくれませんか、ってことなんでさ」
「何?」

 獣人の提案にログラムが訊き返す。
 揺籃亭は妓楼だが、ログラムは講師として関わっているのであり、女を買いに来ているのではない。
 出された食事や酒なら兎も角、商品である傾城に手を出す気は、ログラムにはなかった。
 無用なしがらみを作る心算もない。

「用心は分かりますがね、別に、ラマディを抱かせて旦那を誑し込もうって訳じゃありません」

 弄が、ハイエナそっくりの顔に人間じみた表情を浮かべて言う。
 中々に胡散臭い。
 人間であれば、引っ掛けたカモに弁解する、詐欺師の顔であろうか。

「さっきも言いましたが、こいつは『お願い』でして」
「どういうことだ」

 ログラムの声に過ぎた警戒心はなかったが、油断の成分もない。
 その様子に、弄が眼を細めて口開く。

「女の品を確かめるのは、あっしの仕事なんですがね」

 弄の言う品を確かめるとは、女の身体を見定めることである。
 女性器が上付きか下付きかによって、娼婦のランクも変るし、また中の具合の確認も重要であった。

 ある種の男にとっては役得に思えるかも知れないが、やる方からすれば単なる業務の一つである。
 快楽が目的の行為ではないし、手順も決まっている。
 実際、交合の際にも膣の奥までは差し込まず、射精してはならないという決まりがあるほどなのだ。

「で、この間、ラマディの品定めがありまして」
「……そうか」
「いや、ご安心を。実は、最後までやらなかったんで」

 微妙に間が空いたログラムの胸中を、勝手に忖度して弄が言う。
 一瞬、何か言いたげな表情をログラムは見せるが、黙したまま、弄に先を促した。

「寸前まで行ったんですか、いざこれからってときに名を呼びましてね」
「名を?」
「ええ、旦那の名を呼びまして」
「俺の名を?」

 意外なことを聞かされ、ログラムが困惑する。
 弄が首を振った。

「参りましたよ。そりゃあ、娼婦ですからね、惚れた腫れたで懇ろになる訳じゃあない。そんなことは客も分かってますが、それにしたって最中に自分以外の野郎の名を口にされちゃあ、萎えますぜ」

 尤もなことを弄は言った。
 更に続ける。

「それにね、こいつは旦那にとっても宜しくない話でさ。揺籃亭の生成りが、閨で脅えて漏らすのが巡回騎士団の隊長さまの名前ってのは、他人に知られて嬉しいネタじゃあないでしょう」

 如何にも赤心からの言葉のように、弄は言った。
 恩着せがましい口調であったが、言っていることは道理である。

 帝都巡回騎士団に於いて、動かない貴族子弟と不満を抱えた平民の間に立たされている身としては、無駄な醜聞は避けたいのが本音であった。
 正確に言えば、醜聞自体はどうでも良いのだが、それが原因で貴族出身の騎士と平民出身の騎士の対立が表面化しかねないことが問題なのである。
 帝都巡回騎士団の勢力構造は、ログラムを支点として両端に貴族と平民が載っている天秤のようなものであった。  

「お前の言うことには一理あるが、それとラマディを抱くことと関係があるのか」
「ま、踏ん切りと言いますか、けじめは付きまさ」
「一度抱いたぐらいで、何か変るか?」
「そいつは女によりけりで。ラマディは変る方の女でさ」

 自信たっぷりに弄は断言した。
 妓楼の支配人である獣人の言には妙な説得力があるが、それに盲従する気になれないのも事実である。
 その表情に気付いたのか、弄は続けた。

「はい、そうですかとは乗れないでしょうがね」

 不意に神妙な顔付きをして、弄が言う。

「綺麗な思い出の一つぐらい、あいつに残してやって欲しいんでさ」
「む」

 意外にも真摯な口調に、ログラムが生来の生真面目さで弄を見返した。
 にやり、と弄が笑う。

「その気になって頂けましたかね?」
「……この瞬間に失せたな」

 成功した悪戯を喜ぶ悪童の如き獣人を睨みながら、ログラムは言った。
 そいつは残念、とばかりに弄が肩を竦める。
 とは言え、ログラムの胸中に引っ掛かりのようなものが生じたのも事実であった。
 それを払うように首を振り、ログラムは席を立つ。

「行かれるんで?」
「時間だからな」

 答えて、ログラムは二階のラマディが待つ部屋に向かった。
 机の上に手の付けられなかった茶が残っていた。
 弄が温くなったカップを見遣る。

「さて、どう転ぶかねえ」

 呟いた。
 勿論、その呟きはログラムには届かない。
 帝都巡回騎士団で最も過酷な任務と心労に晒されている男は、生成りの少女が待つ部屋に赴いていたからである。

 ログラムは弄の言ったことを、取り敢えず頭の隅に追いやっていた。
 今は、絹のような毛並みの少女に、兵法を教えればよい。

 しかし、今夜のラマディは、どうにも落ち着きがなかった。
 何処か上の空で、返事が遅いかと思えば、妙なところで慌てたりする。

 語句の解説のためラマディの後ろからログラムが覗き込むと、途端に少女の頬が上気した。
 間近でそれを見て、ログラムが思案するような表情をする。

「少し、休憩するか」

 言って、長椅子の上に腰掛けた。
 ラマディを手招きすると、人間一人分ほどの間を空けて、生成りの少女は座った。

「弄に何か言われたか」

 正面を向いたまま、ログラムが穏やかに言った。
 天気について話題にしているかのように、何気ない。

「え、いえ、その……」

 しかし、ラマディは言い淀んだ。
 特に追及せずに、ログラムは言葉を続ける。

「俺は言われたぞ。俺の名を呼んだそうだな」
「……!」

 真っ赤になって、ラマディは俯いた。
 爪先を摺り合わせて、床の一点をじっと見詰める。
 ブリオーの裾から覗く細い尾が左右に揺れていた。

「他に、ログラム先生は、何か、聞かれましたか」
「お前を抱けとさ」

 さらりとログラムが口にすると、益々、少女の顔は火照った。
 視線が泳いでいる。

「わた、わたしは、あの、わたっ」

 途中まで言って、ラマディは急に黙り込んだ。
 下を向いて、身体を震わせている。
 舌を噛んだようであった。

「大丈夫か」
「ひゃ、ひゃい……」

 返答するが、余程痛かったらしく目尻に涙が浮いている。
 く、と空気が漏れるような音が、ログラムの唇から漏れた。

 暫し沈黙が続くが、ログラムの肩が微かに上下している。
 遂に、小さいがはっきりとした笑い声が、巡回騎士団の隊長から発せられた。

「わ、笑わないで下さい!」

 恥ずかしさと居たたまれなさを誤魔化すように、ラマディがログラムに抗議する。
 とは言え、ラマディの丸っこい瞳で睨まれたところで、少しも怖くはないのだが。

 ラマディの無理に作ったしかつめらしい表情がまた可笑しいらしく、ログラムが更に笑う。
 真面目な顔をしていたラマディであったが、余りにログラムが笑い続けるので、段々と泣きそうな顔になってくる。
 気付いたログラムが、流石に笑うのを止めた。

「済まん。笑いすぎたな」
「うう、酷いです。ほんとに恥ずかしかったんですから」
「済まん」

 上目遣いで睨まれて、ログラムが謝罪する。
 よくよく考えれば、生成りであるラマディに、平民とは言え騎士身分のログラムが頭を下げるなど有り得ないことなのだが、ログラムにはその様な意識はないらしい。

「それで、お前は弄に何と言われたんだ」

 落ち着いた声でログラムが尋ねる。
 しかし、返ってきたのは意外な反応であった。
 ラマディは、首を横に振ったのである。

「お願いしたのは、わたしの方なんです」
「何?」

 訊き返したログラムに、ラマディが困ったような微笑を浮かべて、言葉を紡ぐ。

「その、先生のお相手をさせて下さいと、お願いしたのです」
「……今一つ、意図が分からんのだが」

 客の好みが分からない新米料理人のような顔で、ログラムが言った。
 困り顔の微笑に、翳りをほんの少しだけ面に表して、ラマディはログラムに視線を向ける。

「先生が、一番、やさしい人でしたから」
「俺が?」
「はい」

 迷いなく答えるラマディに、ログラムは何を言うべきか良く分からなかった。
 格別、ラマディに気を遣った覚えはない。

 軍学の講義自体はかっちりとしたものであったし、機知に富んだ会話で少女を楽しませた記憶もない。
 一般的な私塾なら、『正統派だが面白みのない先生』と称されそうな教授を、ログラムは行ってきたのである。

「別に優しくした覚えはないが」
「そんなことはありません」

 はっきりとした口調で、生成りの少女は言う。

「きちんと正しいことを教えて頂きましたし、間違えたら訂正して下さいました。わたしなんかの考えも聞いて下さいました」
「そう言う依頼だ」
「嬉しかったです。自分が、なんだか普通の人になれたみたいでした」

 言ってから、ラマディは恥ずかしそうに俯いた。
 少なからぬ勇気を奮い、言葉を続ける。

「ほんとに小さい頃に、空想していたことがあったんです。わたしは生成りじゃなくて、普通の人間で、それで、優しい男の人と出会って、恋をして、結婚して……」
「……」
「有り得ないって、分かっています。でも、先生と一緒にいると、そんな夢を見ていたことを思い出します」

 深呼吸をして、ラマディは言った。

「今夜だけ、わたしのことを人間の女の子みたいに扱って下さい。その、恋人、みたいに」

 その願いに、ログラムは咄嗟に返答することが出来なかった。
 ログラムとラマディの出会いは、この少女が言うようなものとは全く別物だ。

 地位や権威に縛られた平民上がりの騎士が、珍奇さが売りの妓楼に娼婦の教育に駆り出された――
 それだけの話である。

 だが、そんなことはラマディにも分かっているだろう。
 分かっていて、自分が夢想していたような出会いに一番近いのが、これだったのだ。
 ログラムは幼い頃に聞かされた『この世で一番明るいもの』という話を思い出した。

 他愛のない寓話で、モグラやミミズや蝙蝠と言った生き物が、世界で最も明るいのは何かを議論するのだ。
 彼らは夜の世界しか知らないため、満月が一番明るいと結論するのだが、そこへ、森で一番の知恵者と評判の梟が通り掛かる。
 蝙蝠たちの結論を聞いた梟は、世の中には昼に昇る太陽というものがあり、それは月よりも何倍も明るいと皆に説明するのだが、誰もそんなものを想像できず、結局、この世で一番明るいのは満月だという所に落ち着くのであった。

 無知を笑う話であるし、先入観や偏狭な知識で判断を下すことを戒める話でもあるのだが、昼を知らないものたちにとって、月夜が最も明るいというのもまた、真実なのである。
 詰まるところ、俺は少女にとっての満月なのだろうか。
 ログラムは自問する。

 獣人の弄が言っていた、綺麗な思い出という言葉が脳裏に蘇った。
 夜しか知らない生成りの少女に対して、この世で一番明るい満月として振る舞うべきなのだろうか。

「俺は、器用じゃないからな」

 独り言のように、ログラムが呟く。

「だから、お前を人間の娘のように扱えと言われても、難しい」

 ラマディが一瞬、失望に心臓を鷲掴みにされた表情を見せる。
 だが、ログラムは続けて言った。

「その代わり、お前を生成りの恋人として扱う。それなら出来る」
「え……、それは、その」
「それで良いか?」
「は、はい! はい!」

 一転して、ラマディは歓喜に彩られた声を上げた。
 思わずログラムに抱き付く。
 鍛えられた胸板に、少女が顔を押し付けた。

 ラマディの滑らかな毛並みに包まれた身体から、花のような芳香が立ち昇っている。
 湯浴みの際に香油を使っているのだろう。

「ログラム先生……」

 囁いて、ラマディが顔を近付ける。
 目を閉じた少女の唇に、ログラムが己の唇を重ねた。

 舌を入れると、ラマディの舌もそれに応じる。
 ざらりとした感触がログラムの舌先に伝わった。

 猫科の動物は舌に突起を有しているが、生成りも同じらしい。
 痛みを感じるほど鋭いものではなく、妙な心地よさがあった。

 ぬるぬるとした唾液が、ログラムとラマディの口腔で混ざり合っていく。
 ラマディの身体は、驚くほど柔らかく、温かかった。

 首の後ろに、ラマディが手を回す。
 息継ぎをするために生成りの少女が唇を離すと唾液が糸を引き、それを舌で絡めて、再び口付ける。
 三角の耳が、微かに動いていた。

「先生……」

 蕩けたような瞳でログラムを見詰め、ラマディが呼ぶ。
 幼子をあやすように、ログラムが少女の頭を撫でた。
 空いたもう一方の手で、ラマディのブリオーの裾に手を掛ける。

 大きめのそれを脱がせると、年相応の膨らみを見せる胸が露わになった。
 そこも艶やかな和毛に覆われているのだが、先端に薄い桜色をした乳首が覗いている。

 手を当てると、すっぽりとその胸が収まった。
 やはり、そこも柔らかく、温かい。

 それ程大きくはないのだが、指が沈むほど肉質が柔らかいのである。
 細く、滑らかな柔毛の感触も相俟って、天上の雲にでも抱かれている心地がした。

 天鵞絨の揺り籠とはよく言ったものだ、とログラムは一人感心する。
 優しくラマディの乳房に刺激を与えながら、尖った耳の先端を啄むと、震えるように耳が反応した。
 にゃあ、と仔猫が甘えるときの声がラマディの口から漏れる。

 それが恥ずかしかったのか、慌ててラマディが自分の口を閉じた。
 頬を赤く染めて、ログラムを見上げる。

 気付いていない振りをして、ログラムは指の背でラマディの喉元を撫でた。
 眼を細めて、気持ちよさそうな顔を少女が見せる。

 ラマディの背中で、長い尾がくねくねと動いていた。
 何となく好奇心に駆られて、ログラムが尻尾の先端を掴む。
 びく、とラマディの身体が動いた。

 強さを調節しながら、ログラムは握った手を根本にずらしていく。
 するするとした手触りが伝わってくる。

 根本に到着したところで、とん、と指先で腰を叩いた。
 みゃ、と声を上げて、ラマディが腰砕けになる。
 ずり落ちそうになる身体を支えるために、ログラムにしがみついた。

 華奢な身体を受け止めながら、ログラムは、何度か尾の付け根を叩いてみる。
 仔猫のような声と、熱っぽい吐息が、ラマディの唇から同時に幾つも零れた。

 頃合いを見て、胸を弄っていた手をログラムはラマディの腰へ移動させる。
 脚と脚の合わせ目に指を這わせると、すぐに、少女の淫裂に辿り着いた。
 裂け目は、既に充分なほど潤んでいて、熱い。

 ゆっくりと、ログラムが指を一本、ラマディの中に潜らせる。
 ぬるりとした粘膜が、指を包んだ。
 ん、とラマディが息を吐く。

 つぷつぷとした肉の抵抗を感じながら、ログラムが少女の奥を探った。
 ラマディの膣内は、きつく締め付けてくるが、狭くはない。
 不自然なぐらい充分に、内側はこなれていた。

 それは、この少女が過ごしてきた日々を暗示していて、ログラムは何とも言えない感情が胸に湧き起こるのを感じた。
 憐憫のような、愛情のような感情である。
 嫉妬も、少しは混じっていたかも知れない。

 指を三本にして、ログラムがラマディの膣道を責めた。
 挿入されるものが太くなった分、肉の締め付けも強くなる。

 刷り上げる指の動きに合わせて、ラマディの息が荒くなっていった。
 唾液に濡れて光る舌が、ひらひらとラマディの口の中で踊る。
 女陰の上を親指で探ると、堅くなった淫核があっさりと見付かった。

 押し潰すように、親指と中に潜らせた三本の指で挟む。
 ラマディの身体が震えた。

 膣壁の肉襞が激しく痙攣して、ログラムの指を締め上げる。
 白濁した粘液が、ラマディの女陰から噴き出した。

 どうやら、絶頂を迎えたらしい。
 泣き出しそうな表情で余韻に浸っているラマディを支えながら、ログラムが指を引き抜いた。
 指はラマディの淫水で濡れそぼっている。

「大丈夫か」

 ログラムが尋ねると、弱々しくラマディが頷く。
 それから、ラマディは架台から降りて、ログラムの前に跪いた。

「つ、次はわたしからしますね」

 宣言して、ラマディがログラムの帯に指を伸ばす。
 結び目を解き、脚衣を下げた。

 堅さを有したログラムのものが、露わになる。
 黒々とした陽根は、先程のラマディへの愛撫で興奮したのか、硬度を持って反り返っていた。

 ラマディが、その先端に舌先を這わす。
 自分の唾液を擦り込むように、丁寧に鈴口を舐めていった。
 雄のにおいが、ラマディの口の中に広がっていく。

 先刻の口付けで感じた舌のざらつきが敏感な部分を包んで、体験したことのない快楽を与えた。
 止まることなく、ラマディが竿の部分にもピンクの舌を巻き付ける。

 それから、口を窄めてゆっくりと亀頭を呑み込んでいく。
 大きめの笠が、途中で歯に当たった。

 ふ、ふ、と鼻で息をしながら、口腔の中の陽根に舌を纏わり付かせ、奥歯で甘噛みする。
 体温が高いせいか、少女の口内は熱かった。
 段々と、ラマディの口の動きが激しくなっていく。

 頭を前後に動かして、ログラムの陽根をしごいた。
 生成り特有の舌が尿道の穴をほじり、雁首に絡みつく。
 ログラムのものがラマディの小さな口の中で、更に大きくなり、硬度を増した

 咽喉の奥に、陽根の先端が当たる。
 こつこつと音が響く度、ログラムの腰に火花のように快楽が散った。
 陽根の膨らみが増し、びくびくと脈動する。

 それに合わせて、ラマディが口全体でログラム自身を啜り上げた。
 堪らず、ログラムが精を噴出させる。

 叩き付けるように、咽喉の壁へどろどろの精液が吐き出された。
 それを、ラマディが嚥下する。

 固形物のような生臭い粘液が、ラマディの胃の淵に流れ込んだ。
 完全に射精が収まるまで、少女はログラムの陽根を咥えたままであった。
 脈打つ肉棒が鎮まってからも、陽根を離さず、口内でそれを愛撫している。

 溢れ出た精液を全て拭い取ってから、ラマディは口から肉棒を吐き出した。
 白い粘液が、少女の口の端にこびり付いている。

「気持ち良かったですか?」
「ああ」

 上目遣いで尋ねるラマディに、ログラムが頷く。
 それから、小柄な身体を抱え上げて自分の膝の上にのせた。

 猫のそれに良く似たラマディの脚を開いて、女の部分を見る。
 幼い造形でありながら男を受け入れる準備は整っており、鮮紅色の肉の襞が、微かにわなないていた。

 ラマディが自分から腰を浮かせて、ログラムのものを淫裂にあてがう。
 一気に腰を落とした。

 しっかりと締まった肉の道が男のものを包み、吸い付いてくる。
 ぬるぬるとした襞の中を進むと、子袋の口にログラムの亀頭が密着した。

 こりこりとした感触が、鈴口に伝わってくる。
 小さめの幅で腰を揺すると、こつこつと腹の奥に陰茎が当たり、その度にラマディが声を上げた。

「もっと、動かして、良い、ですよ」

 快楽のためか、途切れ途切れにラマディが言う。
 応えて、ログラムが腰使いを大きくした。

 ラマディの身体を支えながら、陽根が抜ける寸前まで腰を引く。
 雁首が、少女の淫裂に引っ掛かった。
 そこから、打ち付けるように突く。

 白濁した愛液を掻き混ぜるように、その動きを繰り返した。
 膣壁の襞がわなないて、陽根で擦られる度に淫靡な音を立てる。

 ラマディの尾が、蛇のようにくねっていた。
 柔らかい身体を抱き、柔らかい肉の径に自分のものを包まれていると、この少女と自分の肉体が、そのまま融けてしまいそうである。
 快楽を貪るだけの、一匹の獣になったようであった。

 ラマディがログラムにしがみつき、腰に脚を絡めて腹を押し付ける。
 とろとろになった肉が、ログラムの陽根の形に変わるのが分かった。

 香水と汗が合わさって、肉欲そのもののにおいが、ログラムからもラマディからも立ち昇る。
 何度も何度も、ラマディは腰を打ち付けた。

「先生、先生……」

 譫言のようにラマディが呟く。
 蕩けていた。
 肉も心も蕩けて、自分を抱いている男のものになっている。

 日が変われば、ログラムは騎士としての日常に戻っていくのだろう。
 自分も、揺籃亭の娼婦として日々を過ごさなければならない。

 これは一夜限りの逢瀬だ。
 金やしがらみを忘れて抱かれるのは、今宵一度限りだろう。
 子供じみた恋人ごっこに過ぎないとしても、だからこそ、この瞬間が愛おしかった。

「好き、好きです、大好きです」

 繰り返し言った。
 多分、生涯で二度と言わないであろう言葉だ。

「俺もだ」

 ログラムが、短く、しかし、はっきりと応える。
 ラマディの細っこい身体がわなないた。

 子宮口にログラムの亀頭がぶつかって、その形が変わる。
 吸い上げるように、膣肉が収縮した。
 その刺激が一押しになって、ログラムは少女の胎の中に精を吐き出した。



 破裂したかのような勢いで、亀頭から大量の精液が溢れ出る。
 ごぽごぽと音を立てて、粘っこい精汁が注がれた。
 抱き付いていたラマディが、嗚咽のような声を漏らして、快楽に耐える。

「好きです」

 もう一度言った。
 全身から力が抜けていく。

 長いような、短いような間、ログラムとラマディは抱き合っていた。
 しかし、何時までもそうしている訳にはいかない。

 のろのろと、どちらからでもなく離れる。
 ログラムの陰茎がラマディのほとから抜かれると、愛液と精液が混ざったものが淫裂から零れ出た。
 気恥ずかしくなって、後始末をしようとするが、ラマディは立ち上がることが出来ない。
 どうも、腰が抜けてしまったようであった。

「少し休んでいろ」
「ですが……」
「気にするな」

 ログラムが服を身につけて、部屋を出る。
 一階に降りて、身体を拭くための布と水桶を借りようと、控えの部屋に向かった。

 簡素な木製の扉を開けると、狭い部屋には誰もいない。
 奇妙であった。
 何時もであれば、獣人の弄が椅子に座って待っているはずである。

 しかし、ハイエナ頭の獣人はおらず、代わりに、一本の槍が机の上に置いてあった。
 扉を開け放したまま中に入り、槍を手に取ってみると、ずしりと重い。
 鋼鉄製らしい。

 錐槍と呼ばれるもので、長さはログラムの身長ぐらいあった。
 穂先が全長の半ばほどもあり、切っ先の断面は四角錐をしている。
 中央に円形の鍔があるのが特徴であった。

 軽く振ってみると、重量のバランスが良く、業物であることが分かる。
 しかし、これが置かれていた意図が判然としない。

 ログラムが何気ない動作で、手にした錐槍を自分の肩に担いだ。
 がん、と金属と金属が激しく衝突する音が、ログラムの首筋辺りから響く。

 丁度、ログラムが錐槍を翳したところに、高速で飛来した何かがぶつかったのである。
 錐槍に弾かれて床に落ちたものは、黒く刃が焼かれたダガーであった。
 偶然、ではない。

 その証拠に、ログラムは慌てた様子は微塵もなく、ゆっくりと振り返った。
 視線の先にはドミノを被った男が一人、立っている。

 布を幾重にも巻いた、ジャックという簡易鎧を身につけていた。
 防御力よりは動きやすさを重視した代物である。

「貴族か? それとも『ギルド』か?」

 誰何に答えず、男が間合いを詰めた。
 同時にダガーを放つ。

 ログラムが動いた。
 一瞬、ログラムの姿が消えたかと思えるほど、その動きが速い。
 アサシンの男が最後に見たのは、自分の眉間を貫く錐槍の先端であった。

 頭蓋骨を打ち抜かれ、金属の冷ややかさが男の脳に伝わる。
 同時に、ログラムを狙ったダガーが壁に突き刺さった。
 錐槍を引き抜くと、男の身体が安物の人形のように床に崩れ落ちる。

 だん、と上階で何かが床に打ち付けられた音がした。
 ログラムが急いで階段を登る。

 ラマディがいる部屋の扉が、開いていた。
 扉の開いた隙間から、灰色の柔毛に覆われた小柄な影が転がり出る。

 ラマディだ。
 這うような姿勢で廊下に伏していた少女に、先刻と同じような格好の男が飛び掛かる。
 手にしているのは、一般的な長剣であった。
 するりと、流れる水のような動きでログラムがその間に割って入る。

 男が長剣で突きを放った。
 ログラムが両手に持った錐槍を回転させて、その斬撃を受ける。
 男が握っていた長剣が、手品のように呆気なく弾き飛ばされた。

 回転させた錐槍の柄でログラムが男の腹を打つと、鋼鉄製の棒が鳩尾に埋まる。
 目玉が転がりでそうなほどに、男が目を見開いた。

「俺の女に手を出すな」

 ぼそりと呟いて、柄を引き戻す。
 悶絶しながら、男が床に倒れた。

 鳩尾の、深いところに槍の柄が突き刺さったらしく、痙攣しながら激しく嘔吐している。
 その吐瀉物を避けて、ログラムはラマディを抱き寄せた。

「無事か」
「はい」

 幾分、ぼうっとして少女は返事をした。
 頬が赤い。

 その原因に思いが至ることなく、ログラムは部屋の中を覗いた。
 窓を覆っていた羊皮紙が切り裂かれていて、男はそこから侵入したらしい。

 何冊もの本が床に散乱し、椅子も倒れている。
 ラマディが、男から逃げ回った跡であった。
 生成りの身体能力が、僅かな時間とは言え凶刃を躱すことを可能にし、そのお陰でログラムは間に合ったのである。

 ログラムは部屋に入り、羊皮紙の裂け目から外を窺った。
 辛うじて、夜闇に路地の白さが浮かんで見える。

 人影はない。
 そうと見て取ると、ログラムの行動は早かった。
 左腕にラマディを抱き、右手で錐槍を持って、その窓から躊躇なく飛び降りる。

 細身の少女とは言え、一人分の体重を加えながら、ログラムの動きは軽かった。
 音もなく着地する。

 そのまま駆け出しながら、ログラムはこの襲撃について考えを巡らせていた。
 あの男達を送ったのが何者かということと、その意図である。

 考えられるのは『ギルド』か、貴族であろうが、その目的は何か。
 例えば、ログラムを殺し、自分の息の掛かった人間を巡回騎士団に送り込む――。
 その様なことを、『ギルド』か貴族が考えたのかも知れない。

 だが、『ギルド』が関わっているにしては、遣わされた男の腕がお粗末に過ぎ、数も少なかった。
 姿を消した弄のことも気に掛かる。
 恐らく、錐槍を置いていったのも弄であろうが、それが獣人の独断なのか、どうか。

 もしかしたら、『ギルド』の内部で対立があったのかも知れないし、或いは弄と貴族の間で悶着があったのかも知れない。
 何にせよ、情報が少なかった。

 取り敢えずは、ラマディを安全な場所まで連れて行かなければならない。
 近くで、そして信頼できる人物の心当たりが一人、ログラムにはあった。

 夜の外区を、生成りの少女を抱えて走り抜ける。
 人通りのない路地から、角を幾つも曲がって複数の十字路を越えると、整理された区画に出た。

 外区にしては珍しく、計画性と余裕をもって建てられた屋敷が並んでいる。
 しっかりとした煉瓦造りの家で、壁が歪んだり撓んだりすることもなく、窓には高価なガラスが嵌められていた。

 通りは神経質なくらい清潔で、そこに面した扉は分厚く、表面に施された装飾は繊細である。
 何らかの事情で外区住まいを強いられている貴族や豪商が住まうのが、ここであった。

 その屋敷の一つにログラムは躊躇なく近付き、ノッカーを叩く。
 夜の静寂を破って、重々しい音が辺りに響いた。
 暫し待つ。

 扉の向こうで、誰かが動く気配がした。
 覗き窓から明かりが漏れ、それが遮られる。

 この屋敷の住人が、警戒しながらこちらを窺っているらしい。
 がたり、と慌てて身を翻すような音がした。
 どたばたとした様子が音から伝わった後、扉がゆっくりと開く。

「こ、このような時間にどうなされたのですか、ログラム隊長」

 現れたのはカートルに身を包んだ、栗色の髪が美しい、妙齢の女性であった。
 雨に濡れた若葉を思わせる瞳が、驚きと期待と疑いの混じった視線でこちらを見ている。
 アルダ・アッシュツリーであった。

 豪勢なこの屋敷はアルダの父親が用意したものであり、愛娘が騎士団に属することを渋々ながら認めた際の条件の一つが、ここに住むことである。
 アルダとしては他の団員と同じく宿舎住まいで良かったのだが、男ばかりの安普請に貴族の一人娘を放り込むわけにもいかず、ログラムの勧めもあってこの屋敷を利用しているのであった。


「夜更けに済まん。厄介ごとがあってな」

 ログラムが言うと、脇に控えていたラマディが弾かれたように背筋を伸ばし、深々とお辞儀をした。

「も、申し訳ありません、奥方さま。あの、わたしはラマディと言います。ご迷惑をお掛けして……」
「……いや、何か誤解していないか」

 どうやら脳内で巡回騎士団隊長とその部下の関係を捏造したらしい少女に、ログラムが説明を試みる。
 しかし、それよりも言われた方の反応が妙であった。


「お、奥方さま……」

 呟くと、頬を赤く染めている。
 口元が微妙な動きを見せており、表情が緩みそうになるのを何とか踏み止まっているようであった。

「重ね重ね済まんな」

 その微妙な表情を、気分を害したとでも取ったのか、ログラムが再度謝罪する。
 それから、傍らのラマディに向き直った。

「アルダは俺の部下だが、歴とした貴族の子女でもある。俺のような輩と妻夫呼ばわりされては、迷惑だろう」
「そ、そうですか。すみません、てっきり……」
「いえ、迷惑などではありません!」

 思いもよらぬ大きな声で、アルダが言った。
 言った当人がその声量に驚いたらしく、慌てて小声で付け加える。

「その、第三者が見てその様に見えるのであれば、それは致し方ないことかと思いますし、ログラム隊長のことは尊敬していますし、我がアッシュツリー家は武門の家系ですから、名を成した武人を婿に迎えた例も過去にありますから、ご安心を!」

 一気に捲し立てられ、ログラムはその勢いに押されるように頷いた。
 アルダの言っていることは今一つ要領を得ないが、気にしていないようならそれでよいのだろう。

「兎も角、暫く匿って貰いたいんだが、構わないか」
「は、はい! では中にどうぞ」

 促され、ログラムとラマディはアルダの屋敷の中へ進んだ。
 通されたのは、客間らしい、大きな部屋である。

 壁には窓ガラスが嵌っており、床には毛氈が敷かれていた。
 裕福な家でも、床に敷くものと言えば藁が一般的であることを考えると、かなりの豪勢さである。

 壁からぶら下がるオイルランプの明かりが、柔らかかった。
 食器棚には銀製の器が並び、きらきらしく光を反射している。
 クッションの効いたソファに怖々と座りながら、ラマディはきょろきょろと視線を泳がせていた。

 一方のログラムは落ち着いたものである。
 手短に、自分とラマディが襲撃されたときのことをアルダに説明した。
 貴族か『ギルド』が関わっているかも知れないことも、併せて告げる。

 ログラムが命を狙われたと聞いて、驚きと怒りに柳眉を顰めていたアルダだが、瞬時に伶俐な副官としての表情を取り戻した。
 口を開く。

「今回の件は、貴族の暴走かも知れません」
「俺の命を引き当て代わりにしたと言うことか?」
「可能性はあります。腹立たしいことですが」
「根拠は?」

 思考を整理してから、アルダは言葉を続けた。

「あれから、貴族たちの金の流れを追っていましたが、それで浮かび上がった名前があります」
「ほう」
「ムーンストーン、プリムローズ、ダウンプアの三家です」
「名門だな」

 ログラムの言葉通り、この三家は帝国初期から名が続いている一門である。
 人脈も金脈もあり、過去には家門の権勢が時の皇帝を上回ることさえあった。

「しかし、現在は往時ほどの力はありません」
「『ギルド』に絡め捕られたか?」
「それもありますが、当主にも問題があったのでしょう」

 淡々とアルダは言った。
 社会的身分としては名門貴族の側の筈だが、心情は反対側にあるらしい。

「この三家の財産は既に半減しています。荘園や鉱山を押さえられた家もあるようです」
「追い詰められていた訳か」
「はい。それで、起死回生の策として隊長のお命を狙ったのかもしれません」
「俺の首で、先祖伝来の財産を取り戻そうと言う腹か」
「恐らくは」

 大きくはないが、その分深い溜息をログラムが吐く。
 呟いた。

「えらい過大評価だな。監察官の査定がそれぐらい高ければ、もう少し俺の俸禄も上がるんだろうが……」

 高尚とは言い難い言葉を、慎み深くもアルダは無視した。
 ログラムが、今度はしっかりとした声で続ける。

「『ギルド』がそれを指示した可能性はあるか?」

 ログラムの問い掛けに、アルダは首を横に振った。

「可能性は低いかと。隊長を殺しても、『ギルド』が得るものは何もありません」
「傀儡を送り込む手があるぞ」
「白龍剛鱗騎士団には、操り人形に使われるような盆暗は一人もおりません!」

 声を高くして、アルダが言った。
 我に返って、居住まいを正す。

「済みません。ですが、わたしが上官と仰ぐのはログラム隊長以外に有り得ません」
「そうか」

 素っ気なく言ってから、ログラムが付け加える。

「感謝する」

 短いその言葉を噛み締めるようにアルダは俯き、それから面を上げた。

「わたしこそ、差し出がましい物言いをしました。お許し下さい」
「構わんさ」

 呼吸一つ分ほどの、間が空く。
 嫌な沈黙ではない。
 それを敢えて破って、ログラムが口を開く。

「一度、なめし屋に戻る」

 その言葉を聞いたアルダも、心地よい静寂を惜しむような表情は見せなかった。
 優秀な部下としての態度を保ったまま、尋ねる。

「襲撃者を確保するのですか? まだ生きているでしょうか」
「さあな。だが放置するのも不味かろう」

 そう言うと、立ち上がった。

「わたしも付いていきます」
「いや、お前は残っていてくれ。ラマディを頼む」
「承知しました」

 答えて、アルダも立ち上がる。

「そのまま行かれるのですか? 胸甲でしたら隊長に合うものがありますが」
「いや、多分、必要にはならないだろう」

 そうして、ログラムは来たときと同じ格好のまま、アルダの屋敷を辞したのであった。
 結論から言えば、ログラムの予測は当たっていた。

 ログラムが倒した男の死体は額に穴を開けたままであったし、腹を打たれた男は倒れ伏したままであった。
 男は自分の吐瀉物に塗れていたが、ログラムが戻ったことに感謝すべきであったろう。
 何故なら、咽喉に嘔吐物が詰まっての窒息死という不名誉で不快な最期を遂げずに済んだからである。

 男はログラムの手によって巡回騎士団の詰め所に運ばれ、後に、アクナイトが身元を預かった。
 対して強圧的でもない尋問で男は自分の依頼主を明かしたのだが、それが明るみに出ることはなく、この件は終結を迎えることになる。
 空き家を漁っていた傭兵崩れと巡回騎士団隊長が遭遇、交戦の後、処理――。
 その様に片付けられたのであった。

 数日後、揺籃亭に絡む一連の報告のため、ログラムは宮廷に上がっていた。
 巨大で豪華な帝国旗が掲げられた、アクナイトの執務室に直立不動の姿勢で立っている。

「ご苦労様、大変だったねえ」

 余り大変そうでもなく、アクナイトが労った。
 相変わらず、呪文の詠唱を最後にしくじった魔道士のような、冴えない風貌である。
 放置された銀貨のような色合いの髪を指で梳いて、付け加えた。

「ああ、そうそう、嬉しいことにね、巡回騎士団のご子息方には退場願えそうだよ」

 言い方は何気なかったが、内容は重大である。
 ログラムの表情が僅かに変化したが、すぐに平常に戻った。

「まだ、非公式な話なんだけどね。有力貴族三家の協力を得ることが出来てね、戦場に立つのも貴族の義務だから、それが出来ないものには騎士団を退いて貰うことになったのさ」

 満足そうに言って、眼を細める。

「貴族からの寄付はどうなるのです」
「無くなるよ。何、寄付して頂くんじゃなくて、毟り取れば良いだけのことさ。ネタはあるしね」

 朗らかな口調で、悪辣なことを言った。
 ログラムが、慎重に、冷静な口調で尋ねる。

「今回の件、何処までが閣下の図面だったのでしょうか」
「んー」

 困ったような、それでいて少し嬉しいような表情でログラムに視線を遣る。

「まあ、僕の推測も入ってるんだけどね、与太話と思って聞いてくれ」

 屈託のない口調でアクナイトは言った。
 椅子に深く掛け直して、話を続ける。

「最初は話したとおりだよ。貴族が借金を作り、伝手で娼妓の教育を騎士団に押し付けた。それだけのことさ。貴族は負債を少しでも軽くできるし、妓楼は面白い娼妓を手に入れる。騎士団としては貴族に貸しが出来る。関わった全員に、それなりに利のある話だった訳だね」

 言って、自分で小さく頷く。

「で、ここからは推測だけどね。貴族側が欲を出したんじゃないかな」
「欲、ですか」
「ああ、巡回騎士団の隊長をすげ替える好機だと、思ったんだろう。それが出来れば、騎士団の予算やら国境警備への配置絡みで、かなりの金が自由になるしね」

 アクナイトは少し芝居がかった様子で頭を振った。
 皮肉っぽい口調で言う。

「そんなに簡単な話じゃないのにねえ。で、これまた推測だけど、妓楼はそれを放置した。協力もしないが妨害もしない、そんな風に見せかけたんだ。実際はそうじゃなかったんだが、兎に角、貴族にはそう見えた。それで、巡回騎士団隊長と若い生成りが仲良くしている所へ、ごろつきを向かわせて……」

 両手を広げて、掌をひらひらと動かす。

「返り討ちにあったというわけだ。これで貴族は妓楼と騎士団に大きな貸しが出来た。妓楼は商品を傷付けられたし、騎士団は隊長を殺されかけたわけだしね。お陰で、こちらはやりたい放題だよ。多分、遠からず三つほど名門が廃絶になるんじゃないかなあ」

 当事者にとっては洒落にならないことを、アクナイトはさらりと言う。
 ログラムは弄が置いていったらしい錐槍のことを思い出し、一番の貧乏くじを引かされた貴族たちのことを思い浮かべた。
 同情する気にはなれない。

 寧ろ、揺籃亭の背後にいるはずの『ギルド』について、アクナイトが明言しなかったことが気に掛かる。
 もう一波乱あるのだろうか。
 そうだとしても、ログラムとしては自分の任を果たすのみである。
 ふと、アクナイトが何かを思い付いた顔をした。

「そう言えば、揺籃亭の生成りをアルダ嬢が身請けしたんだって?」

 問われて、ログラムも答える。

「はい。襲撃を受けたとき、彼女の屋敷に一晩預けたのですが、随分と気が合ったらしく、そのまま彼女のお付きとなりました。妹のようなものであり、難敵を攻略する同志と言っていましたが」
「へえ、同志ねえ」

 楽しそうに、アクナイトが言う。
 尤も、ログラムには自分の部下の言っていることが今一つ分かっていないようで、それがまた、アクナイトには面白いらしかった。

 その後、帝都巡回騎士団の詰め所には、生成りの少女が雑務の手伝いに出入りすることとなる。
 仕事ぶりは真面目で、また、古今の戦術や軍法にも詳しく、団員への受けは非常に良かったと騎士団の記録には残っている。 


                                              了

 


是非、作家さんの今後の製作意欲のためにも感想や応援を、拍手やBBSなどによろしくお願いします。 m(^ω^)m

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-モドル-