本家[蒼見鳥]  >  もう一つの世界  >   SS  > 【鱗禍、戦陣を貫くのこと】


 

SS:ヴーク

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登場する人間、亜人、その他の種族の一覧

 雷角:黒旺配下のリザードマン。冷静。
 氷甲:黒旺配下のリザードマン。粗暴だが陽気な戦闘狂。
 屠流:黒旺配下のリザードマン。寡黙。
 フラピェーニエ:タブロタの領域君主の一人。大変な肥満体。黒旺に敗れ、捕虜となる。
 フリューゲル:タブロタの領域君主の一人。若いが有能な騎士。黒旺に敗れ、捕虜となる。
 黒旺:東夷に派兵されたリザードマンの長。
 牙蟲:黒旺の右腕。蠱術と呼ばれる怪しい術を使う。


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 戦争は、非常に歪な形をした経済活動である。
 富の流れ、物の流れ、人の流れが一点に集中し、それらが途方もない規模で消費される。
 一つの戦争を独立した商業活動として捉えるなら、これ程非生産的なものはない。

 一人の兵士に限っても、そこには多くの物品と金が必要になる。
 武器、防具、衣服、食糧、各種の酒は必須であり、気の利いた君主や傭兵団なら、気休め程度の薬草や包帯も用意するかも知れない。
 鎧や武器のための鍛冶職人や、日々の食事を賄う飯炊きも揃えねばならず、放って置いても兵士の後を娼婦が付いて歩く。

 注ぎ込まれた大量の物資と金銭からは何も生まれ出ないが、それらが蒸発して無くなってしまうわけではない。
 何処かで、誰かが、それを吸い上げてしまうのだ。
 領域君主同士の戦いなら、金と物資を得るのは勝利した君主かも知れない。
 或いは、抜け目のない交易商が旨味を攫っていくのかも知れない。

 今までは、そうであった。
 だが、今後もそうであるとは限らない。

 大陸最大の国家、聖殿国の四方を囲む辺境域の一つ東夷において、その戦は起こった。
 舞台はタブロタと呼ばれる国である。
 戟塵を巻き上げ、進むは異形の戦士だ。

 七百を数えるリザードマンが、首落としの野と呼ばれる荒野を越えて、タブロタに迫っていた。
 そのことを知るタブロタの人間は、二人しか存在しない。
 タブロタの領域君主である、フリューゲルとフラピェーニエだけだ。
 何故なら、この二人は首落としの野でリザードマンと亜人で構成された混成軍に敗れ、囚われていたからである。

 混成軍を率いていたのは、聖殿国から東征の名目で派兵された、黒旺と言う名のリザードマンであった。
 東夷の北部山岳地帯を瞬く間に支配下に置き、新たな勢力となりつつある。

 それに危機感を覚えたのが、神聖ヴェーラである。
 聖三位教の司祭が王も兼ねている宗教国家であったが、その財政を支えているのは信者の浄財ばかりではない。

 神聖ヴェーラは、西にタブロタ、東にスニエークと二つの国に挟まれており、その立地を最大限に利用していた。
 スニエークは広大な平野を持つ豊かな国で、大麦や小麦、羊毛と言った産品を他国に輸出していたのだが、タブロタにそれらが流通するには、神聖ヴェーラを通る必要がある。
 その際に何重にも関料や通行税が課され、神聖ヴェーラの国庫を金貨や銀貨で満たしていたのであった。

 だが、黒旺は北部山岳域を中心とする経済圏を確立しつつあり、それは神聖ヴェーラの重要な収入源の減退、或いは消失を意味したのである。
 勿論、そこまで状況は危機的ではなかったが、神聖ヴェーラの指導者はいち早い対応こそが、事態を打開すると信じた。

 その対応策とは、タブロタの領域君主に、領地を寄進地として保証することを持ち掛け、黒旺の治める亜人の村への侵攻をけしかけることであった。
 それに応じた君主は四人である。
 動員された兵は、騎兵と歩兵を併せて四千八百人。

 そして、タブロタ軍は敗れた。
 四人の君主の中で、劣勢とみるや逃走を図った二人の君主は敗死、生き残ったのがフリューゲルとフラピェーニエという訳である。

 虜囚の身となった二人であったが、完全に拘束されていたわけではない。
 寧ろ、行動の制限は殆ど無かった。
 単純に、周囲をリザードマンの戦士に囲まれては、逃亡も抵抗も不可能であったからだが。

 現在、タブロタへと向かう七百体のリザードマンを率いているのは、黒旺自身ではない。
 戦の結果と今後の方策を、自身が仕える姫に報告するため、将たる黒旺は自城に戻ったのであった。
 代わって行軍を任されたのは、雷角、氷甲、屠流と呼ばれる、三体のリザードマンだ。

 リザードマンの武装は、上半身は裸体で、下半身は簡素な造りの脚衣を纏うのが一般的である。
 しかし、雷角と氷甲、屠流は、外観もその装備も、それぞれに個性的であった。

 額の中央から、天を射貫くかのように一本の角が伸びているのが雷角である。
 その鱗は、颶風の襲来を予想させるように重々しい暗灰色で、両肩には金色の筋が、一条ずつ稲妻に似た軌跡を描いていた。
 ラウンドシールドを背負い、腰にはシミターを提げている。

 氷甲は、偉丈夫の多いリザードマンの中にあっても、更に大柄な体躯の持ち主である。
 全身を覆う鱗が、決して溶けない氷で覆われた凍原のように青白かった。
 氷柱に似た三本の角が、頭頂から背中へと、ずらりと並んでいる。
 質の悪い冗談に思えるほど巨大な剣を、軽々と担いでいた。

 長い年月を経た青銅のような緑青色の鱗と、額から伸びる二本の角が特徴的なのは、屠流である。
 無駄な肉を、鋭利な刃物で削ぎ落としたかのような肉体の持ち主であった。
 一見すると細身にさえ見る体躯でありながら、強靱でしなやかな筋肉が鱗の下でうねっている。
 腰からは、ジャマダハルと呼ばれる、特異な形状をした二本の短剣がぶら下がっていた。

 リザードマンの進軍は、順調であったが、全く問題が生じなかった訳ではない。
 騒動の一つが、フラピェーニエの移動に関することであった。

 フラピェーニエは大変な肥満体である。
 身体の輪郭全体が、丸かった。
 皮膚の下に脂肪がたっぷりと詰まっており、水気が多い、緩んだ泥のような体型をしている。
 そして、華美が過ぎて悪趣味と思える恰好をしていた。

 まず、帽子を被っているのだが、その頭頂には極彩色の羽根が何重にも刺さっており、風や動きに合わせてゆらゆらと揺れているのである。
 袖に無数の切り込みが入れられたチュニックを身に纏っており、その切り込みからは、どぎつい原色をした生地が見えていた。
 そのチュニックの上には、目に染みるように真っ赤なサーコートを羽織っている。
 しかも、フラピェーニエはこれらの予備を、幾つも戦場に持ち込んでいたのであった。

 無駄な荷物を大量に抱えた、でっぷりと太った男が独力で行軍することはかなりの難事である。
 そもそも、フラピェーニエは首落としの野に来るまでに、馬を二頭潰してしまっているのだ。
 タブロタに進むならば、同様に馬を用意しなければならないが、リザードマンの軍は騎乗用の動物を持っていない。

 リザードマンの重厚な骨格と、圧倒的な筋肉量を支えられる乗用の動物など、滅多にいるものではないからだ。
 そこでリザードマンが用意したのは、荷車である。
 しかし、これにはフラピェーニエが難色を示した。
 肥満した領域君主の我儘というわけではなく、罪人への刑罰の一つに荷車へ乗せるというものがあり、貴族の出自であるフラピェーニエには到底容認できないものであったからだ。

 結局の所、解決策としてリザードマンが採ったのは、『放っておく』という、何とも父性的な手段である。
 正確に言うなら、行軍速度を保つため、息を切らして歩く太りすぎの領域君主の尻を蹴飛ばすぐらいはしたのだが、これを善意と取るか悪意と取るかは当事者にしか分かるまい。

 一方のフリューゲルは、未だ年若い青年であった。
 肌が日光に晒されて茶色く焼けており、髪は茶色掛かった金髪である。
 繊細さとは無縁の太い眉に、路傍の小石のような目、ごつい獅子鼻の持ち主であった。
 何処かの田舎で生まれ育った、騙されやすい農夫のように見える。

 しかし、四人居た領域君主の中で最も戦慣れしていたのがこの男であり、黒旺と一騎打ちを果たしたのも彼であった。
 結果として、フリューゲルは馬上槍を失い、黒鱗のリザードマンに降ったのである。

 フリューゲルもフラピェーニエも、リザードマンの行軍に随伴するのは、脅迫や強制だけが要因ではなかった。
 直轄の騎士団と、新規に動員した兵力を失った今、早急に本国に戻らねば、自分の領地を失うからだ。

 タブロタという国は、各地の領域君主の独立性が非常に強い。
 山勝ちで未発達な交通網と、そもそも有力豪族の連合から始まった国体であることがその理由であった。
 それは詰まり、国内の領域君主が互いの版図を維持し、拡大することに熱心であると言うことだ。

 タブロタで最大の財力を保持するフラピェーニエと、歴戦の騎士であるフリューゲルが敗北し、その兵力のほぼ全てを失ったとなれば、隣人が略奪者と化すのは確実であった。
 それを防ぐために、フラピェーニエとフリューゲルはリザードマンと共にタブロタに向かっているのである。

 二人の領域君主にとっては、利のある行動ではあった。
 また、黒旺からは戦力としてリザードマンを貸し与える代わりに、人間同士の権謀術数や腹の探り合いを教えるよう、命じられてもいる。

 その様な事情を内に抱えながら、七百のリザードマンと二人の人間の行進は続いていた。
 因みに、首落としの野からタブロタ本国へ差し掛かる途中の寒村で、一頭の驢馬をフラピェーニエは購入し、それを乗騎としている。

 乗馬として必要としたのはフラピェーニエだが、代金を立て替えたのはフリューゲルであった。
 行軍に不向きな全身鎧を、村の鍛冶屋に依頼して軽量化した際に、余った金属部分を売り払って金に換えたのだ。
 それを遣って、従順な性格と粗食に耐える頑健さを持った家畜も購入したわけである。
 水でふやけたパンのような体型をしたフラピェーニエが、ずんぐりとした驢馬に乗った姿は滑稽ではあったものの、進軍の助けとなったのは事実であった。

 驚くべきことに、この驢馬はフラピェーニエの巨体と共に、タブロタまでの距離を踏破している。
 フラピェーニエも、自分の肥大した体躯を運びきった四本脚の相棒に感謝して、自領に戻ってから、専用の厩舎を建てたほどであった。
 しかし、それはまた別の話である。

 今のフリューゲルは、上半身を金属製の胸当てと籠手で固め、膝から下はグリーブという姿になっていた。
 腰からは、一般的な広刃剣を提げている。
 立場上は捕虜であるフリューゲルが武器を帯びることを、リザードマンは微塵も気に掛けていなかった。
 脅威や危険性の問題では無く、各自が武装することを、彼らはごく自然なことと認識していたのである。

 この時点でのフリューゲルとフラピェーニエは、黙々とリザードマンの行進に従っているだけであった。
 リザードマンが行軍する速度は、人間のそれと比べてかなり速い。
 理由は単純で、リザードマンの軍には兵士以外に随行する人員がいないからであった。

 東夷に限らず、当時の大陸では、軍隊に付随してくる非戦闘員の数は意外なほど多い。
 武器や防具、馬具の修繕を専らとする鍛冶職人や、騎士付きの馬丁、炊事を担う飯炊き、博打や女を提供する山師など、多様で雑然とした集団が、軍の後に付いて回るのが常態なのである。
 彼ら無しでは軍隊が立ち行かないのも事実であるが、この非戦闘員の存在が、長期的な軍事行動や、遠征を阻害する要因ともなっていた。

 しかし、リザードマンにはそれがない。
 先ず、武装が破損することがない。
 角と棘を有する、異形の戦士が愛用してきた武具は、滅多なことで毀れるものではなかった。
 また、馬を用いないので、乗用動物に関する人員も不要である。
 糧食についても、作戦行動に必要な量はリザードマンが自ら運搬しており、輜重のために別箇の部隊を構成することはなかった。
 それの調理も、焼くか茹でるぐらいのもので、即ち、炊事もまたリザードマンが行っているのだ。
 余裕と必要があれば、幕舎を設置するための布や柱を運ぶこともあるが、リザードマンにとっては露天での休息で不都合はない。

 必要としない。
 リザードマンの軍は、自分たち以外を必要としないのであった。
 要るのは敵だけだ、とは陽気で好戦的なリザードマン、氷甲の言である。

 人間たちが予測できない速度で、七百体のリザードマンは進み続けていた。
 首落としの野を遙か後方に置いて、徐々に地勢が丘陵の度合いを増していく。
 タブロタの地が、近付いているのであった。

 当時は確たる国境線が有るわけでは無く、また、要衝となる砦もタブロタの西には設けられていなかった。
 何故なら、タブロタの西方には外敵となるような独立した勢力が、今まで存在しなかったからである。
 七百体もの異類の戦士の接近を、タブロタが全く察知できなかった理由の一端がこれであった。

 丈の低い赤詰草が繁る丘をリザードマンが越えると、針葉樹が立ち並ぶ森の入口に差し掛かる。
 頭上には、半分よりもやや膨らんだ形の月が浮かんでいた。
 周囲には人の手による灯りは無く、無数の星明りが夜の空に散蒔かれている。

 高く聳える沼杉の間を縫うようにして、急速に傾斜していく剥き出しの地面を、七百体のリザードマンは踏み進んだ。
 暫くして、樹々に覆われた頂に辿り着く。

 先頭を歩いていた雷角が右腕を上げると、後方のリザードマンがぴたりと歩みを止めた。
 静かに腕を下ろす。
 背後にいたリザードマン達は即座に散らばって、忽ち、その姿が見えなくなった。

 リザードマンに生来の特質なのか、或いは訓練の賜か、彼らが野外で潜伏すると、並の人間がそれを発見することは殆ど不可能になる。
 これもまた、タブロタがリザードマンの進軍に気付かなかった理由の一つであった。
 その場に残っているのは、三体のリザードマンと二人の人間である。

「そろそろタブロタだなあ」

 物見遊山の心持ちで、のんびりと言ったのは氷甲である。
 これから敵地に攻め入ろうというのに、些かの緊張も見て取れなかった。

「最初に出会うのは、カマール領だったかな」
「そうだ」
「何か、山賊だか野盗だかが多いんだったか」

 周遊先の名物を尋ねるかのような口調で、氷甲がフリューゲルに確認する。
 タブロタに赴く事前に、フリューゲルやフラピェーニエから説明はあったのだろうが、氷甲の言からは、それらをきっちり記憶していたとは思えなかった。

「野盗騎士だ。恐らく、カマールの領内では彼らとの戦いが主になるだろう」
「スピナー領とフラピェーニエ領は?」
「カマールの領地はそれ程広くはない。山に沿って東進すれば、直ぐにフラピェーニエ領に当たる。その東南にスピナー領がある」
「ふうん」
「フラピェーニエ公の領地は広いぞ。それだけ、周囲の領域君主も大きく仕掛けてくるだろう」
「盛り上がるなあ」

 祭りを楽しみに待つ童子のように、気楽な風情で氷甲が言う。
 実直さより地味さのほうが印象に残るフリューゲルの相貌に、困惑の要素が濃い渋面が浮かんだ。
 戦闘を前にして、緊張するわけでも無く、過度に高揚するわけでもない氷甲が理解しがたいらしい。

 リザードマンとしても、氷甲が特殊であるのは行軍を共にすることで分かっていたが、それを問題視しない雷角や屠流が不思議ではあった。
 付き合いの長さから来る寛容か、諦念なのかもしれない。

「領域君主や騎士団の動きは確認したいところだが……、む?」

 雷角が言ってから、樹々の梢に視線を遣った。
 正確には、その梢よりも更に遠方へ、神経を集中させている。

「どうかしたのか」

 氷甲が尋ねると、雷角が右手を挙げて制する。

「何かが近付いてくる。かなりの数だが……」
「敵か? 勘付かれたのか?」
「どうも違うようだ。武装している奴が少ない」

 氷甲や、その場にいた人間には分からなかったが、雷角は何者かがこちらに向かっていることを察知したようであった。
 それも、一人や二人と言った程度では無く、集団と形容できそうな規模らしい。

 フリューゲルとフラピェーニエは知らぬことであるが、雷角は驚くほど鋭敏な知覚を具えており、小さな音や振動、僅かな視覚的変化から、周辺の状況を俯瞰的に想見するという、異能を有していた。
 そこから判断するに、寄せてくる集団には武装者と非武装者が混在しており、しかも、武装している方が少数であるらしい。

 敵、と断ずるには、非武装の人間が居ることが不自然であった。
 フリューゲルが言う、カマール領内の野盗騎士であれば、全員が剣を帯び、鎧を身に付けているはずである。
 詰まりは、正体不明ということだ。

 得体の知れない集団の接近は、否が応にも緊張を高める。
 少なくともフリューゲルにとってはそうであり、リザードマンの雷角も、有り得るかも知れない戦闘に向けて精神を集中しているのが分かる。
 空気が、ぴりぴりとしたものに変わっていった。

「見に行くかよ?」

 例外は氷甲である。
 散歩に誘うかのように気楽な口調で言い、言い終わる前に動いていた。
 何か言おうとした雷角であったが、結局は氷甲の意志に任せて放置する。
 忽ち、山の暗がりに氷甲の巨躯が消えた。

「良いのか?」

 濃緑色の鱗をした屠流が、雷角に尋ねる。
 氷甲を先行させたことについて確認したのであろう。

「誰かを斥候に出す必要はある。氷甲なら手練れが相手でも帰還するだろう」
「ふむ」
「それに、御するより、自由にやらせた方が良いからな、奴は」
「確かに」

 頷いて、屠流は咽喉の奥を、くく、と鳴らした。
 雷角の肩からも力が抜け、落ち着いた空気を取り戻している。

 緊張感を失ったわけではないが、過度に殺気を撒き散らすことは無くなっていた。
 冷静に考えれば、七百体のリザードマンと対等以上に戦える集団など、そうはいないのだから、悠然と待ち構えていれば良いのである。
 黒旺の指揮下から離れて敵地に入ったことで、柄にも無く気負っているようだと、雷角は己の心を分析した。
 まだまだ未熟と言うことであろう。

 暫し、何事も無く時間が過ぎていく。
 星が瞬く頭上を、黒っぽい雲の塊が風に流されて行った。

「戻ってきたな。随分、大勢の人数を引き連れている」
「敵に非ず、か」

 雷角の呟きに屠流が短く返す。
 ざり、と音がして、樹々の間から氷甲の姿が現れた。
 
「懐かしい顔に会ったぜ」

 嬉しそうに言う氷甲のすぐ後ろには、一人の人間と一体のリザードマンが控えている。
 更にその背後に、無数の人影が見えた。
 百人近い。

 獣のそれに似た、尖った耳や獣毛に覆われた尾が見えるところから、彼らが亜人であることが分かった。
 不安そうな視線で、こちらを見ている。

 人間の方は、中年と言って良い相貌の持ち主であった。
 月明かりの下でも分かるぐらい、乾いた肌をしている。
 頭髪は一本も見当たらず、背が低かった。
 黒い石を嵌め込んだような、丸い眼をした男である。

 顔付きや体躯の輪郭が、曲線ばかりで構成されていた。
 燻した卵の殻を剥いてから、黒いおはじきを二つ嵌めたものを想像すれば、この男の顔になる。

 ブリオーを纏って脚衣を穿き、肩からケープを羽織っていた。
 どれも古びていたが、解れなどは見当たらない。

「カローフカか。タブロタにいたのか」

 雷角がその男の名を呼んだ。
 カローフカは、亜人の村に何度も訪れている商人の一人である。
 普通の商人とは違い、扱う品は人間や亜人だ。
 奴隷商なのである。

 しかも、奴隷を完璧な状態で市場に届けることを最優先するという、奇態な拘りを持っている商人であった。
 亜人の村や黒旺が支配する北部山岳域に、大量の人的資源を送り出している男である。
 その男の卵のような顔に、ほっとした表情が浮かんだ。

「これは、これは。どうやら、タブロタの軍が首落としの野で敗れたというのは事実のようですな」
「流石に耳が早いな。それとも、既にタブロタには知れ渡っているのか?」
「左様でございます。お陰でカマール領内は騒然としておりまして、急ぎ、亜人の村に逃げ帰るところでございます」
「ふむ……」

 何やら思案顔になる雷角を気にすることなく、氷甲がカローフカの傍に控えているリザードマンの肩をばんばんと叩く。

「玄醜もいるぜ!」
「お久しぶりです、雷角様、屠流様」

 玄醜と呼ばれたリザードマンは、叩かれながらも生真面目な口調で返答し、堅苦しささえ感じる態度で礼をした。
 リザードマンとしてなら、種族の平均値に近い背丈をしている。
 即ち、人間や亜人からすれば、かなりの巨躯ということであった。

 精錬した黒金と見紛うような、黒々とした鱗で全身が覆われており、太い胴から引き締まった腕にかけては橙色の紋様が走っていた。
 その紋様が、絡み付く大蛇のようである。
 ざっくりとした造りの、麻の脚衣を穿いていた。

 何より、余人が怖気を抱くであろうものは、その瞳である。
 鮮血をたらふく吸い込んだ、不吉な果実のように赤かった。

 その眼が、狂気にも似た光りを孕んで、こちらを睨んでいる。
 余程、修羅場を潜った者でなければ、その視線に耐えられそうにない。

「息災のようだな、玄醜」
「はい」

 悪鬼の邪視にも引けを取らぬ眼光を前にして、屠流の物言いは普段と変わりなかった。
 氷甲などは久々に出会えた喜びからか、肩を組んで、玄醜を振り回している。
 玄醜も慣れているのか、人間じみた苦笑いをその顔に浮かべていた。
 そこへ――

「あんた! 玄醜に何してるのよ!」

 透き徹っているが、騒音としか評せない声量で叫びながら、何者かが氷甲に走ってくる。
 ぶん、と重い質量を有した物を、凄まじい勢いで振り下ろす音がした。

「うおっ」

 咄嗟に飛び退り、氷甲がその一撃を避ける。
 めき、と強い衝撃が地面を揺らした。

 恐ろしく剣呑な武器が、地を穿っていた。
 星球鎚、或いはモルゲンステルンと呼ばれる、棹状武器の一種である。

 メイスの一種で、球状の柄頭から、無数の棘が放線状に飛び出しているのが特長だ。
 単純な重量と遠心力から生み出される衝撃は、堅固な鎧を無視して、内部の肉体を破壊することが可能である。

「何だ、こりゃあ」

 事態を今一つ飲み込めていない氷甲が、地面を叩き割った星球鎚を見遣ってから、その持ち主へと視線を移動する。
 氷甲が、爬虫類じみた瞳を僅かに細めた。
 そこに居たのは、一人の少女である。
 しかし、その少女は人間でもなければ、亜人や獣人でもないものだった。

「おう、生成りか」

 氷甲が呟いたとおり、眼前に立っているのは生成りと呼ばれている種族であった。
 人と獣人を混ぜ合わせたような容姿をした種族なのだが、発生や起源は定かではない。
 亜人と人の混血種という説もあれば、呪いや妖精の悪戯によるものという説もある。
 何にせよ、人からも獣人からも距離を置かれているのが現実であった。

 少女の体型そのものは人に近いのだが、その身体は獣毛によって覆われており、顔付きには獣の面影が色濃い。
 全身を覆う獣毛は、柔らかな金色をしていて、そこに黒い横縞が幾つも走っていた。
 薄緑をした瞳と丸い耳が猫科の猛獣を彷彿とさせ、小柄ながらもしなやかな体躯は、年若い虎を想起させる。
 人に属する姿形ではないものの、繊細であり美麗な容貌の少女であった。

 すらりとした手脚が、毛皮で裏打ちしたチュニックから伸びており、革製のブーツで地面を踏み締めている。
 背はかなり低く、豊満な女性美よりは、可憐さをより強く感じさせる身体付きであった。 

「だったら何だって言うのよ、このトカゲ!」

 容姿を完全に裏切る居丈高さで、少女が氷甲に言い返す。
 軽々と地面に埋まった星球鎚を引っこ抜き、それを肩に担いだ。

 星球鎚は少女の背丈以上の長さを有しており、無数の棘が飛び出した柄頭は、成人男性の頭ほどの大きさもある。
 リザードマンの中でも図抜けた巨躯を誇る氷甲であったが、それを考慮しても目の前の少女は小さく、即ち、この少女が相当の膂力の持ち主であることを示していた。

「止めろ、ナハル!」

 玄醜が慌てて少女を制止しようとする。
 ナハルと呼ばれた少女は振り向いて、玄醜を睨み付けた。

「何でよ! こいつがあんたに変なことしてたんでしょ!」
「失礼なことを言うな。この方々は黒旺様直属の軍団長で、強靱、かつ、偉大な戦士なんだぞ」
「……」

 言われて、ナハルは首を傾げ、玄醜と氷甲の顔を見比べる。
 どちらも爬虫類じみた風貌だが、氷甲はこの事態を面白がっているような雰囲気が滲み出ており、玄醜は生真面目そのものであった。

「こいつ、あんたより強いの?」
「こいつとか言うなよ、全く……。俺何ぞ、足元にも及ばんよ」
「ほんとに? あんた、滅茶苦茶強いじゃん。そのあんたより強いの?」
「何度も言ったが、俺は別に強くない。修行中だ。そしてこのお三方の強さは本物だ」

 むう、と口を曲げてナハルが氷甲の顔を見詰める。
 次いでのように、側に居た雷角と屠流の、棘と角を有する顔を眺めた。

「ま、良いわ。今回は玄醜に免じてあんたたちを認めてあげる。感謝することね」

 薄い胸を尊大に反らせて、ナハルが言い放つ。
 その言い様に、玄醜は思わず頭を抱えていた。
 事の流れに呆気にとられたのか、雷角は小さく息を吐き、屠流は肩を僅かに竦める。

 対照的に、大きく表情を変化させていたのは氷甲であった。
 裂けてしまいそうなくらいに、大口を開けている。

 そこから、不気味と称して良い低い音が、断続的に溢れ出ていた。
 呵呵大笑しているのである。

「おいおい、玄醜。カローフカにくっついて、人間社会のあれこれを学びに行ったんじゃねえのか。ついでに武者修行も兼ねてよ。それが、こんなちっこい娘の尻に敷かれてるとは、面白いじゃねえか」

 言ってから、更に笑い続ける。
 む、と気分を害したのはナハルであった。

「ちっこいとは何よ、このデカブツ! それにあたしは尻に敷いたりしてないもん! 尽くす気質なんだから! ね、玄醜」
「いや、もう、勘弁してくれよ……」

 同意を求められて、居たたまれなさにがっくりと項垂れる玄醜である。
 苦笑しながら、カローフカが助け船を出す。

「玄醜殿は護衛役として実に有能ですよ。商売の上でも、色々と手伝って頂いております」
「へえ」
「ナハルも玄醜殿の男気に惹かれたようで、それで共にいるのですよ」

 カローフカの言に氷甲が興味深そうに頷いた。
 そこに、雷角が落ち着いた声で問い掛ける。

「聞きたいことがある」
「何でございましょう」
「我らはこれよりカマールの領を攻めるが、内部の様子は分かるか?」

 カローフカが丸い輪郭の頭を傾け、思案する。

「わたくしどもは、なるべく安全な道を選んでおります。それを判断するには、どこに騎士団や山賊が潜んでいるか、知っておかねばなりません」
「詰まり、内情にも詳しいと言うことだな」
「左様でございます」
「回りくどい言い回しだ」
「恐れ入ります。商人にとっては、己の文言も商品でございますので、ついつい出し惜しんでしまいますな」

 慇懃にカローフカが返答し、雷角は、ふん、と鼻を鳴らした。
 兎も角、これでカマール領内の動向を掴むことは出来そうである。

「そう言えば、護衛は玄醜と生成りだけなのか?」

 氷甲が疑問を口にした。
 確かに、引き連れている亜人は百人ほどであるのに、戦力になりそうなのはリザードマンの玄醜と生成りのナハルだけである。

「ああ、その点でしたらご安心を」

 カローフカはそう言って、周囲の亜人に視線を遣った。
 心得たように小さく頷くと、数人が、羽織っていたグロッケの前を開く。
 そこからは、十字型をした器械式の弓が見えた。

「成程、弩か」

 氷甲が納得した表情を見せる。
 弩は、弦を引き上げて固定し、引鉄を引くことで矢を発射する武器だ。

 通常の弓矢は長い訓練期間と才能を必要とするが、それに比べれば、弩の取扱いは簡便であった。 
 専用の道具や仕掛けが必要なものの、弦は通常の弓よりも強く張られており、その矢の貫通力と破壊力は高い。
 また、矢を番えてからそのままの状態で持ち運べるため、不測の事態にも対応できる。
 欠点と言えば、一旦、矢を発射すると再装填に手間が掛かることであった。

「これで相手の虚を衝けば、一瞬ですが動きが止まります。そこを玄醜殿とナハルが撃退するという按配ですな」

 何気ない口調で言うが、予期しない反撃に動揺した相手と雖も、複数を仕留めるのは至難の業である。
 玄醜は元より、ナハルも並外れた戦闘力を持っているのだろう。

「ちゃんと役に立っているんだな。感心感心」

 先程までの馬鹿笑いなど無かったかのように、氷甲が先達ぶった物言いをした。
 とは言え、表現や経緯はどうであれ、認められたことは嬉しいのか、玄醜の表情には苦笑だけではない成分が含まれている。

 雷角たちリザードマンと、亜人を引き連れたカローフカの出会いは互いにとっては僥倖であったが、カマール領内の諸勢力にとっては凶事以外の何物でもなかった。
 カローフカから雷角が得たのは、これから侵攻するタブロタ領内の詳細な地勢であり、情勢である。

 中でも、直近の進軍先であるカマールの領地は、混乱の極みと評して良い状況に陥っていた。
 領内に点在していた騎士団の全てがカマールの後継者を自称し、単なる牽制に留まらない武力衝突は複数回に及ぶ。
 良くも悪くも野盗や山賊と言った輩を抑止していた箍は外れ、村や街を結ぶ交易路は大きく寸断されていた。

 攻め入るには間違いなく好機である。
 しかし、ただ攻め込むだけでは不足であった。

 どの様な目的、意図を持ってカマール領で戦うのか。
 それによって、戦闘の様相も変わるのである。

 卵のような輪郭を持つ奴隷商と屈強なリザードマンたちの論議は、深更にまで及んだ。
 そして翌日である。

 生まれたばかりの太陽が、そろそろと山の稜線から顔を覗かせ始めていた。
 白い光が、徐々に空気を染めていく。

 カローフカが率い、玄醜とナハルによって護衛された亜人の集団は、早朝、東を目指して出立した。
 それを見送ってから、雷角が氷甲と屠流、それに二人の領域君主を集める。

「今後の方策だが」

 一息置いて、雷角ははっきりと言った。

「殲滅戦を旨とする」
「ぬ」

 その単語に唸り声を上げたのは、屠流である。
 余り感情を表に出さないこのリザードマンにしては、珍しいことであった。

「いつも通りだが、それで良いのか?」

 氷甲が確認すると、雷角は頷いた。
 しかし、直ぐに言葉を続ける。

「初動はこれで行く」
「ほう」

 屠流が興味深そうな声色を上げた。
 落ち着いた口調で、雷角が言葉を続ける。

「タブロタの人間は、首落としの野で自軍が敗れたことは知っている。だが、我々がタブロタにまで侵入していることには気付いていない。恐らく、その可能性にさえ思い至っていないだろう」

 タブロタ内の勢力は自分たちが攻める側であり、リザードマンは防衛側だと思い込んでいると、雷角は指摘した。
 だからこそ、カマール領内の騎士団は、自分の土地の領域君主が斃れたというのに、相争い続けているのである。

 先見性のない愚行、とばかりは言えない。
 そもそもリザードマンは、中央に於いて遊撃隊の役割を担っており、指定された敵や拠点を攻撃することのみをやってきたのである。
 ここに来て、自発的な軍事行動に出ると予想できない者がいても、無理からぬ事ではあった。
 問題は、タブロタの権力者と呼ばれる全ての人間が、その様に考えていたことである。

「これは好機だ。奴らの油断を衝き、常にこちらが状況を作る」
「むう」
「厄介なのは、人間どもが結束することだ。タブロタの領域君主は連携に欠けるが、外敵が現れたことでそれが変わる可能性もある。出来るだけ、我らの存在を秘匿するのが良かろう」
「ふむ、理に適うな」

 屠流は合点がいったようで頷きを返すが、氷甲は更に問いを重ねた。

「悪くはねえが、何時までも隠れん坊はしてられねえ。その内ばれるぞ」
「そうだろうな」
「じゃあ、どうするんだ?」
「機を見て、名告を上げる。常に機先を制するのが肝要だ」
「そいつは何時になる」
「カマール領を制圧した直後辺りか。先ずは拠点の確保だな」
「成程」

 その返答に、氷甲も納得したように頷いた。
 それに対して、焦燥に駆られた声を発したのは、フラピェーニエである。

「ま、待て、待ってくれ」

 顎から下がる弛んだ肉が、ぷるぷると震えていた。
 落ち着きなく視線を左右に泳がせていたが、何とか雷角に向き直り、言葉を続ける。

「殲滅と言うが、野盗騎士や山賊を攻める途上、通過する村はどうする積もりなのだ。まさか、無辜の民をも殺すのか?」

 フラピェーニエの抗議は、根拠のないものではなかった。
 存在を秘匿することがリザードマンの行軍の基本となるのなら、村や街の住人は排除すべき対象でしかない。
 その言葉に対する雷角の反応は、簡潔であった。

「そんな所に俺の尾は届かん」

 話は終わったとでも言うように、それ以上、雷角は何も言わない。
 氷甲と屠流も、雷角の言葉に納得したのか、問い糾すような気配はなかった。
 分からないのは、人間である二人の領域君主だけである。

「あー、要するに、武器も持たない奴らとは戦わないってことだよ」

 雷角の言い回しが通じていないことに氷甲が気付き、言葉を付け加える。

「そ、そうなのか?」
「今回の戦は、速さが重要だ。無駄な戦闘は避けた方が良い。村や街を迂回したところで、リザードマンの進軍は大して遅くはならん」

 補足したのは屠流である。
 そもそも、武器を持たない非戦闘員を殺すという発想自体が、リザードマンには存在しなかった。
 明らかな害意や欺瞞があるなら容赦はしないが、そうでなければ、意識の中に入ってさえ来ない。
 極端な言い方をするなら、リザードマンの世界には、自分自身と向かってくる敵しか存在しないのであり、それ以外は眼に入らないのであった。

「な、なら良いのだがな……」

 緊張の余り大量の汗をかきながら、フラピェーニエが安堵の吐息を漏らす。
 どうやら、この肥満した領域君主は、自分の領民でもない村人や都市の住民を、本気で心配していたらしい。
 意外そうな表情で、そんなフラピェーニエをフリューゲルは見ていた。
 その視線に気付いて、肥満した領域君主が精悍な領域君主に向き直る。

「どうかしたか、フリューゲル公?」
「いえ……」

 短く言葉を返し、フリューゲルは俯いた。
 結局の所、自分の識見の浅さを露呈したようで、若いフリューゲルはそれ以上言葉を続けることが出来ない。
 一面的な見方では、人を測れるものではない、ということなのであろう。

 その後、三体のリザードマンは二人の領域君主も交え、今後の侵攻計画を煮詰めた。
 タブロタ領内の地理についてフラピェーニエとフリューゲルに確認し、カローフカから入手した現在の情勢を加味して最適な進軍経路を割り出す。

 結果、リザードマンが最初に向かうのは、レミングの前歯と呼ばれる丘陵地帯となった。
 現在地から近く、また尾根が深い地形が続くため、奇襲性を保ったまま行軍が可能であることが、選定の理由である。
 二百人ほどの騎士団が、そこに砦を構えているという。

 それらが決定し、雷角は配下のリザードマンを集めた。
 透明感のある朝の空気の中で、七百体以上のリザードマンが、雷角の前に控える。
 爬虫類に特有の、鋭利な刃物のような瞳が、戦闘への期待に満ちて輝いている。

「戦士よ」

 大きすぎず、しかし、はっきりとした声で雷角が呼び掛けた。
 その名の通り、巨大な嵐の予感を孕んだ、遠雷の如き声である。

「応竜の鱗より産まれ出でし戦士達よ。我らの鉄火はもう間近だ」

 そう言って、目標である砦の位置と、周囲の地勢をリザードマンに告げる。
 しゅう、と複数のリザードマンが息を吐いた。
 僅かに熱の籠もった、震えるような吐息である。

「無論、この一戦で終りではない。カマール、スピナー、フラピェーニエ、フリューゲルの領地に巣くう鼠賊共は、尽く平らげる。素早く、容赦なく、徹底的に殲滅せよ。この地に黒鱗騎士団の旗幟を打ち立てるのだ。戦士よ、それだけの力と意志があるなら、今、ここで示せ!」

 雷角の言葉に、全てのリザードマンが咆哮を上げ、己の武器を一斉に掲げた。
 響もしが樹々の枝を揺らす。
 無数の刃が、重々しい鈍器が、禍々しい形をした得物が陽の光を反射する。

「我らの誇りは、竜王陛下と共にあり!」

 ごう、と天と地が揺れたようにフリューゲルには感じられた。
 リザードマンの戦意が、世界そのものを揺り動かしたかのように思えたのだ。

 それは、自分の隣に立つフラピェーニエも同様であったらしい。
 気候にそぐわない粘ついた汗をかきながら、誰に言うとも無く呟いた。

「我らは潮目におるのだろうな……」
「潮目?」
「歴史の潮目だ」

 フリューゲルが思わず尋ねた声に、フラピェーニエは熱に浮かされたような口調で答える。
 後世に於いて、将にこの瞬間が、リザードマンが明確な独立勢力となった瞬間だと論じる者は多い。

 迫る外敵を条件反射のように倒す戦闘集団は、統治や支配の道具であり、主体ではない。
 独自の戦略を持ち、それに従って戦闘行為を展開することで、リザードマンは自分たちの戦闘力の主人となったのである。

 何を為すか。
 何のために為すか。
 為して何処へ行くのか。

 命じられたとおりに破壊し、殲滅し、鏖殺していた頃には想像もしなかった問いが、リザードマンの胸中に生じたのは確かであった。
 そして、彼らは砦へと向かう。

 レミングの前歯と呼ばれる丘陵地帯を根城としているのは、バムブック騎士団と名乗る一団であった。
 規模は、二百人前後と言った所である。
 幅があるのは、食い詰めた傭兵などが出入りしており、正確な人数を把握している者がいないからであった。

 酒や食糧の残りが少なくなれば近隣の村を襲い、ついでに人攫いもやってのけるという、連中である。
 強固な城壁や、それなりに訓練された自警団を避けるために、街は襲わないという狡猾さも持っていた。

 彼らの砦は、所謂、攻めるに難く、守るに易い地形を利用して建てられている。
 後背に急峻な断崖が聳え、左右には森が広がり、前面には水量の多い深い河が流れていた。

 攻略するには、正面の河を、跳ね橋を渡って越えていくしかない。
 だが、跳ね橋は幅が狭く、一度に投入できる戦力がかなり限定されてしまうのである。
 そもそも、跳ね橋が上げられた状態では、砦に近付くこと自体が不可能だ。

 実際、今の砦の跳ね橋は、上げられたままである。
 恐らく、何処かの村を襲撃したばかりであり、物資の補充が出来たため、安全な砦に閉じ籠もっているのだろう。

 濃緑色の針葉が頭上を覆う樅の森に身を潜め、雷角らリザードマンの一行は、その様な砦を眺めているのであった。
 時刻は、頭のほぼ真上に太陽が昇る頃である。
 日輪は薄い雲の向こうに隠れており、日差しはそれ程きつくはなかった。

「屠流」
「応」

 短く、雷角がリザードマンの名を呼ぶと、その背後に音もなく屠流が現れた。
 視線で、眼前に聳えるバムブックの砦を示す。

「行けるか」

 問われて、屠流は暫しの間、砦を眺め遣った。
 念入りに研がれた短剣のような瞳に、小さいが、難攻不落の砦が映る。

「易きことよ」

 呟くと、現れたときと同じように、屠流の姿が音もなく消えた。
 それを隣で聞いていたフリューゲルが、怪訝な表情を浮かべて雷角に尋ねる。

「屠流殿は、何処へ行ったのだ?」
「無論、眼前の砦だ」
「砦に? だが、跳ね橋は上がったままだぞ。どうするのだ」

 当然の疑問に、雷角は事も無げに言葉を返した。

「後背を衝き、内部から跳ね橋を操作する」
「何!?」

 フリューゲルが思わず声を上げる。
 無理もない。

 砦の背後は切り立った崖である。
 そこを越えることなど、到底出来そうになかった。
 しかし、雷角は落ち着き払っており、それ以上説明しようとしない。

 その様な会話が繰り広げられていた頃、屠流は既に、断崖の根に辿り着いていた。
 彼だけでなく、屠流の後ろには五十ほどのリザードマンが控えている。

 地面に対して殆ど垂直な崖が、リザードマンの前に聳えていた。
 特別な道具無しで登攀することなど、到底できそうにない。
 そもそも、当時の大陸には、崖や山を登るために専用の道具を揃えるという発想自体がなかった。
 精精が、丈夫な縄やピックを使うぐらいである。

 勿論、この場にいるリザードマンの誰もが、登攀のための装備など身に付けていない。
 しかし、屠流はその崖を一瞥すると、切り立った壁面に向け、躊躇いもなく跳躍した。
 全身の発条を余すところなく使い、軽々と、人間の背丈の倍ほどの高さまで跳ぶ。

 空中で、僅かに出っ張った崖の隆起に脚の爪を掛け、更に蹴った。
 それを繰り返し、瞬く間に屠流の姿が崖の上方へと消えていく。
 屠流に続き、他のリザードマンも次々と断崖を昇っていった。

 断崖絶壁とは言え、その表面が鏡のように平らなわけではなく、大小様々な凹凸がそこにはある。
 その中で、足場となり、己の体重を支えるのに充分な強度を保った箇所を、屠流は瞬時に判断しているのであった。
 屠流の眼には、自分が進むべき道が見えているのである。
 
 これこそが、屠流の天与の能力であった。
 どの様な地形、或いは群衆の直中にあろうとも、目指すべき地点への最適な経路を直観的に知ることが出来るのである。
 個人の道程であれ、一個軍団の行路であれ、この能力は区別しない。

 例え、伸し掛かるような断崖絶壁であろうと、屠流には進むべき道筋がはっきりと見えるのだ。
 難所も悪路も、正答を知っている迷路同然であった。

 とは言え、最短の行路が分かったとしても、そこを走破するに足る身体能力がなければ意味が無い。
 その点でも、屠流は完璧であった。
 しなやかな筋肉から生み出される敏捷性と、リザードマンの中でも群を抜く持久力で、屠流は、あらゆる戦場
を縦横に駆け抜けてきたのだ。

 そして、遅れることなく付いてくる配下のリザードマンも、屠流に並ぶ頑健さと健脚の持ち主である。
 猫科の猛獣のような瞬発力と、草食獣の耐久力を兼ね備えていることが不可欠であるため、屠流の配下の絶対数は、雷角や氷甲のそれと比べて少数ではあった。
 だが、その分、彼らの結束は固く、誇り高い。

 平坦な街道を行くかのように、屠流と部下のリザードマンが崖を越えていく。
 崖の天辺から、頭を地面に向け、落ちるように屠流は絶壁を駆け下りた。

 眼下に砦の住人らしい男の姿が映り、それが見る間に近付いてくる。
 数は二人で、何やら雑談を交わしていた。
 見回りだったのか、単に暇を持て余してうろついていただけなのか、チュニックと脚衣を身に付けただけの軽装である。

 屠流が固い岸壁を蹴り、男の頭上に襲い掛かった。
 腰に提げていたジャマダハルを抜き、振り抜く。

 がつん、と音がして男の頭が一つ、転がった。
 不意を突かれ、驚愕の表情を貼り付けたまま、生き残った男が振り向く。

 男が叫び声を上げる前に、屠流の左腕が男の口を塞いだ。
 鱗に包まれた手が、万力のように男の顎を固定し、完全にその呼気を止める。
 捻った。

 ごきり、と男の頸椎がへし折れる。
 屠流が手を放すと、泥の詰まった人形のように男の身体が崩れ落ちた。
 同時に、配下のリザードマンが周囲に降り立ち、素早く散開する。

 声も上げず、音も無い。
 僅かな間を置いて、砦の至る所から煙が上がった。
 火を点けたのである。
 忽ち、砦の内部が騒然とし、見張り台と住居を兼ねた塔から、慌てふためいた人間たちが走り出してきた。

 しかし、彼らが事態を把握するより早く、屠流の配下が跳ね橋を降ろす。
 間髪を入れず、氷甲を先頭にしたリザードマンの一団が、一斉に雪崩れ込んだ。
 氷甲が手にしているのは、気質の悪い冗談としか思えない、長大な大剣である。

 完全に虚を衝かれたバムブック騎士団の面々は、リザードマンの襲来を前にして、右往左往するだけであった。
 悲鳴と怒号が、砦に満ち満ちる。

 何が起こったのか理解さえ出来ず、戦うことも逃げることも出来ないまま、騎士を名乗る野盗達は倒されていった。
 戦闘そのものは、拍子抜けするほどに呆気なく、終わった。
 だが、問題は完璧なまでに成功した奇襲の後に起こったのである。

 砦の敷地内に血臭が立ち籠め、リザードマン以外に呼吸をしている人間は、フリューゲルとフラピェーニエだけになった頃、その部屋は発見された。
 第一発見者となったのは、酒蔵を探していた一体のリザードマンである。
 元より、表情の変化を見抜くことが難しいリザードマンではあるが、この時は、彫像か何かのように無表情極まりなかった。

 そのリザードマンは、雷角と氷甲、屠流に奇妙な部屋を見付けたことを言葉短く告げると、黙ってその部屋に案内した。
 フリューゲルとフラピェーニエも、付いてくるように言う。
 土が剥き出しになった通路を抜けて暫く進み、大して手入れのされていない木製の扉に辿り着いた。
 扉を開けると、広がっていたのは異様な光景である。

 広くも無い部屋には、架台が一つ、据えられていた。
 窓は無い。
 そこに、白い肌をした何人もの亜人が、物のように寝転がっていた。

 全て女であり、裸体である。
 目が虚ろであった。

 部屋の中に充満している空気は、恐ろしく生臭く、腐敗の気配さえ感じられる。
 男女の精と、汗や涎と言ったものが渾然となった臭気であった。
 真っ当な神経の持ち主であれば、吐き気を催すような悪臭である。

 部屋に侵入してきたリザードマンに気付き、亜人の一人が焦点の合わない眼差しを向けた。
 のろのろとした動きで、女の亜人が脚を開く。

 黒ずんで、爛れたようになっている肉襞が、性器からはみ出ていた。
 白く濁った精汁が、どろりと淫裂から零れ落ちる。
 思考や知性など欠片も見受けられない表情のまま、緩く、腰を振った。

 立ちすくんだまま、二人の領域君主は声も上げられない。
 この部屋の目的と亜人の扱いは明確であった。
 砦の騎士達は、亜人を自分の性欲を晴らすための道具としてのみ、生かしておいたのである。

「奥にいる亜人は死んでますぜ」

 ぼそりと、案内役のリザードマンは言った。
 部屋の隅に転がされた亜人は、死んでからも犯されたらしく、尻と口に粘ついた精液がこびり付いている。

「身体を拭いてやれ。死人は、埋めてやることだ」

 雷角が、落ち着いた態度で指示を出すと案内をしたリザードマンが頷く。
 抵抗する様子もなく、身体を布切れで拭われながら、猫の耳をした亜人は呆けていた。

「これが、タブロタの常態か?」

 乾いた声で、雷角が二人の領域君主に尋ねる。
 答えようとして、フリューゲルは言葉に詰まった。

「なあ、雷角」

 氷甲が声を発する。
 返答を待たずに、氷甲は言葉を続けた。

「タブロタの連中、皆殺しにしようぜ」

 短く、恐ろしく剣呑な事を口にする。
 常の氷甲とは異なり、そこには陽気さはなく、黒々とした殺気だけがあった。

「上手く言えねえけどよ、亜人をこんな風に扱う連中を、生かしておく義理はねえと俺は思うぜ」

 静かに断言した。
 上手く言えない、と氷甲は表現したが、それは雷角や屠流にしても同様である。

 本来、リザードマンである彼らにとって、亜人がどうなろうと、人間が何をしようと大して問題では無い。
 馬鹿なことをしやがる、と笑って済ますのが精々であった。
 しかし、今は違う。

 この、精液と腐敗臭にまみれた亜人を見ていると、胸の中にどす黒いものが湧き起こるのだ。
 リザードマンの中で、明らかに何かが変わっているのだが、何が変わりつつあるのかは、彼らにも自覚できていない。

 兎も角、部屋に閉じ込められていた亜人は身体を清められ、解放されることとなった。
 しかしながら、亜人たちに帰るべき場所は無い。
 それで、砦の管理を任せるという名目で、雷角達は亜人をここに残すことにしたのであった。

 何人かは虚脱状態のままであったが、他人の世話が出来るぐらいには理性を保っている者もいたからである。
 纏め役を務めている亜人もおり、名をソルマといった。
 当然、女である。

 周りよりも年嵩で、二十代の後半ぐらいの風貌であった。
 小柄な者が多い亜人にしては珍しく、かなりの長身であり、黒々とした長い髪が、緩やかに波打ちながら腰よりも長く伸びている。

 瞳は澄んだ藤色をしていて、何処か冷たい光が含まれていた。
 身に付けているのは古びたダルマティカであったが、その上からも分かるほど、身体付きは豊満である。
 胸元と腰回りが、女性らしさを強く主張していた。
 ふわりとした獣毛に覆われた長い耳が、犬か狐を思わせる。

 どれ程の期間、囚われていたのかは不明だが、ソルマは自分たちが解放されたことに感情を爆発させるようなことはなかった。
 冷静と言うよりは、現実から乖離したような態度で、雷角の指示に従っている。
 淡々と、リザードマンと共に汚れた仲間の身体を洗ってやったり、着替えさせたりしていた。
 亜人は二十人にも満たない数であったため、その作業も直ぐに終わる。

 幸いと言うべきか、砦には食糧も酒もたっぷりとあり、中庭には井戸まで設えられていた。
 暫くの間は、砦の内部で生活することが可能であろう。
 然りとて、放置して去るのも思い切れず、リザードマンは一日、この砦に留まることにした。

 バムブックの砦は、矩形型天守と呼ばれる方式の城塞である。
 砦の周囲を頑丈な城壁が囲み、敷地の中央奥に長方形をした天守が建てられている。
 石造りの天守は分厚い壁を有し、頑丈ではあるが、其の分住空間が狭く、暗い。

 二百人ほどの野盗が寝泊まりする砦であったが、本来ならその倍は収容できるだろう。
 しかし、住環境は快適とは言い難い。
 元々、砦は防衛施設であり、住みやすさは考慮されないことが多いのだ。

 とは言え、天守の手前の庭には馬小屋や家畜小屋、製粉所と言った施設があり、そこで寝ることは可能である。
 跳ね橋を支える門にも、見張り用の小さな部屋が上階にあり、全くの野晒しで一夜を過ごすことは避けられそうであった。

 砦の攻略が短時間で済んだため、時刻は未だ下午の半ばである。
 そのため、リザードマンが殺した野盗騎士の死体の処理に回す時間は充分にあった。
 河に捨てては、下流に死体が流れたり、疫病が発生したりする可能性があるため、近くの森に捨てることに決まる。

 死体は、深い穴を掘って埋められた。
 葬送の儀礼などではなく、狼や熊が埋めた場所から引き摺り出し、食い散らかすのを防ぐためである。
 一連の処理を済ませても日は未だ空にあり、夕刻と呼ぶには早い。

「酒があったな」
「ああ」
「呑むか」
「そうだな」

 誰が言い出したのか、その様な流れとなった。
 倉から、エールや葡萄酒が引き出され、乾肉や野菜、ハーブの類が運ばれる。
 食材の調理は亜人も行ったが、一緒にリザードマンも手伝った。
 献立は兎や鴨の肉と根菜やハーブを大鍋で煮込んだシチュー、去勢された鶏のブルーエ、軽く炙った乾肉などである。

 亜人の、リザードマンへの警戒心は並々ならぬものがあったが、自分たちを解放したことと、心身がぼろぼろになっていた仲間への気遣いを見て、その心証に変化が起きたようである。
 只でさえ表情の読み取りにくいリザードマンが、黙々と体液や汚物に塗れた亜人の身体を拭いているのは、奇妙ではあったが、亜人の心に訴えるものがあったのだろう。
 実際問題として、七百体にもなるリザードマンの食事を賄うには、亜人だけでは手が足りないというのもあった。

 兎も角、この様な流れで酒席が始まったのである。
 始まったのは良いのだが、それは普段のリザードマンの酒とは違う様相を呈していた。
 ごくり、ごくり、と大層な量の酒を、咽喉の奥に投下するように呑んでいる。
 酒を消費する度合が、明らかに普段より早い。

 多くのリザードマンが、忽ち出来上がっていった。
 表情にはそれ程変化が見られないが、酔っているのは一目で分かる。

 砦全体が騒がしかった。
 戦いの後の飲み食いが賑やかなのはリザードマンの常であるものの、今日のそれは騒がしすぎる。
 喧騒の中で、巨体を誇るリザードマンが、料理を運んだり酒を運んだりしていた。
 足りなくなると勝手に厨房から持ってくるのだが、腰を浮かせようとする亜人を制して、賄いを引き受けているのである。

「なあ、西に来いよ!」

 酔気の混じった声で、とある一体のリザードマンが叫んだ。
 金属光沢のある、青い鱗の持ち主である。
 隣でエールを注いでいる亜人の少女を掻き口説いているのだ。

「西、ですか?」
「おうよ、西よ。西にはよ、ドームっつう、亜人の村があるのよ」
「村、ですか……?」

 狐に良く似た、黄金色の毛に追われた耳の少女が鸚鵡返しに呟く。
 亜人が村を作っているなど、俄には信じられないのであろう。
 酷使され、使い捨てにされるのが、亜人の運命であった。

「おう、村だよ。酒は旨いし、食いもんも一杯ある。亜人どもが畑を耕してよう、酒を造ってよう、そんで、旨い酒を呑んで、旨い飯を食うのさ」
「は、はあ……」
「なあ、西に来いよ、俺がよう、連れて行ってやるぞ。良いとこだぜ、なあ」

 その様なことを、繰返し、繰返し、青いリザードマンは言った。
 しかし、亜人の少女はリザードマンの言う村の情景が全く想像できない。

 自分たちのような亜人が、集落を成して、平凡な生活を営むなどと、有り得る話ではないからだ。
 朝になったら、自分が人間になっていて、然も、何処かの貴族の娘だったという方が、まだ現実味がある。
 それぐらい、リザードマンの言うことは突拍子も無かった。

 だが、同じような台詞を、他のリザードマンも頻りに口にしている。
 砦の亜人たちに、西部にある村への移住を勧めているのだ。

 それに、大声で異を唱えた者がいる。
 フラピェーニエであった。
 たっぷりと贅肉が付いた頬と顎を揺らしながら、叫ぶ。

「我が領地の方が良いぞ!」

 酒精で顔を真っ赤に染めながら、立ち上がっていた。
 この男もかなり酔っているらしい。

「我が領地なら、ここからは近い! 地味は豊かで、土地もある! 我が領地に来れば良いのだ!」
「何言ってやがる。ここの人間に亜人を任せられるか!」
「我が領土なら安全よ。この私が保証する!」
「信じられるか!」
「大事ないわ! 人が作ろうが、亜人が作ろうが、麦は麦、豆は豆よ。ならば亜人も領民であることに違いは無い!」
「おお、成程な!」

 今一つ、論旨は明快ではなかったが、何故か周囲のリザードマンは納得したようであった。
 何度も頷きながら、葡萄酒やエールが満たされた杯を煽り、それをフラピェーニエにも勧める。
 騒がしかった。
 砦全体が、喧騒で満ち満ちている。

 そして、夜の闇が太陽の最後の光を塗り潰す頃、砦に静寂が訪れた。
 皆、酔い潰れてしまったのである。
 屋根のあるところで寝ている者もいたが、中庭の地面の上で横たわっているリザードマンも多い。

 ぐったりと酔い臥して、累々と転がっているリザードマンの間を縫うようにして歩いているのは、雷角であった。
 この惨状の中でも特に深酔いするわけでもなく、暗灰色の鱗を持ったリザードマンの足取りは確かである。
 だらしなく泥酔する屈強の部下を見て、雷角は一つ、息を吐いた。

 別段、この有様を非難するつもりは無い。
 自分の呼気にも酒精が混じっているのは、自覚していた。

 この騒ぎが何故起きたのかの理由は、見当ぐらいなら付いている。
 囚われた亜人の、あの惨状を見たからだ。

 しかし、それで自分たちがどうしたいのかは、未だにはっきりとしない。
 その不明瞭な胸の裡が、酒を呑ませたのであろう。
 ふと、雷角が気配を感じて視線を遣ると、そこに人影が見えた。

「今晩は」

 落ち着いた口調で言ったのは、ソルマであった。
 藤色の瞳に、雷角の威容が映っている。

「ソルマか」

 宵闇の空と同じ瞳の色をした亜人に、雷角は視線を遣った。
 曇天を封じたような鱗を持つリザードマンを前にして、ソルマに緊張は見当たらない。
 紅を付けてもいないのに、妙に赤い唇が、薄く笑っていた。

「貴方は余り酔っていないのね」
「ああ」

 答えた雷角を、亜人の女はじっと見詰める。
 ソルマの瞳は美しかった。
 だがそれは、正体不明の何かが奥底に潜んでいる泉のような、妖しい美しさである。

 するりと、ソルマは雷角の懐に入り込んだ。
 亜人の女性としては上背のあるソルマだが、リザードマンの雷角と比べれば、小柄である。
 そのため、ソルマの薄紫の目が、雷角の鱗に覆われた顔を見上げる体勢になった。

「これからどうするの?」
「此処を出る。砦はお前たちに任せる」

 尋ねられた雷角の返答は、簡潔である。

「それで? わたしたちは、ずっと此処で暮らすの?」
「そういう訳ではない。一カ月もすれば、迎えに来る」
「誰が?」
「我々だ」

 雷角の答は短く、ソルマの表情には納得の色は浮かんでいない。
 寧ろ、疑念が痼のように胸の中に残っているようであった。

「なぜ? 貴方たちが、なぜ、わたしたちを救うの?」
「それは――」

 雷角が言い淀む。
 自分でも明確になっていないものが己を突き動かした結果が今の状況なのだから、説明のしようがない。
 はっきりとしない態度に、ソルマが冷たく光る瞳で雷角を覗き込む。

「貴方は英雄なの? それとも、哀れなわたしたちを助けに来た勇者さま? 貴方たちがこの砦に侵入して、あの騎士を名乗るごろつきをばらばらにしていったとき、わたしたちが何を感じたと思う?」

 一拍置いて、ソルマは口を開いた。

「恐怖よ。比べようもない、恐怖。あのごろつきはわたしたちを家畜のように扱ったわ。だれも彼らに逆らえなかった。蹴られて、殴られて、犯されていた。それを――」

 言葉を紡ぐソルマの口角は僅かに引き攣っていて、笑っているようにも、泣いているようにも見える。
 瞳は飽くまで美しく、肌は少し青ざめていて、唇に乗っている色は、血のような赤だ。

「貴方は粉々にした。打ち砕いて、引き裂いて、ばらばらにして、撒き散らしたのよ。そんな貴方が何を望むの? わたしたちの何を望むの? 何も望みがないのなら、わたしたちは何を与えれば良いの? 貴方は何を持って行ってしまうのかしら」

 一息に言うと、ソルマは唐突に笑い出した。
 天を仰いで、けたたましく笑い続ける。
 不吉な未来を告げる、幽界の小鳥のような声であった。

「上げるものなんて、何にも無いのに! 上げるものなんて、何にも残っていないのに!」

 高い笑い声が周囲に響き、暮れた空の大気を震わせる。
 不意に声が止み、ソルマが再び雷角の目をじっと覗き込む。

「貴方は何を望む?」
「さあな」

 正直に、雷角は告げた。

「俺には分からん。約束できるとしたら、お前たちを迎えに来ることだけだ」
「なぜ?」
「お前らの居場所は此処ではないと、思うからだ。理由は知らん」
「それを、わたしたちに信じろと? 貴方が帰ってくるまで、貴方を信じろと?」
「信じられぬか」
「無理よ。自分より強くて、自分より自由な存在を信じることは、わたしたちにはもう出来ないわ」

 言われて、少しばかり雷角が首を傾ける。
 何かを思い付いたのか、真っ直ぐにソルマを見詰め直してから口にした言葉は、些か奇妙なものであった。

「では、お前の服の切れ端を俺にくれ」

 意図の見えない要求に、ソルマは怪訝な顔をする。
 それに構わず、雷角はソルマの手首を軽く握って、もう一方の手でダルマティカの袖を引っ張った。
 子供が遊びで葉っぱを千切るかのように、丈夫なはずの生地が抵抗なく裂ける。
 驚くソルマが見る前で、雷角は千切ったダルマティカの一部を自分の手首に巻き付けて結んだ。

「これで、お前は常に俺と共にいる。ならば、約定を忘れることはあるまい」

 雷角の言葉にソルマが目を丸くするが、直ぐ様、顔を伏せる。
 肩が小さく震えていた。

「どうかしたか」

 尋ねる雷角であったが、ソルマからの返事はない。
 ただ、小さくその長身を震わせているだけだ。

「どうかしたのか」

 重ねて尋ねると、顔を伏せたまま、ソルマが呟いた。

「信じてしまうわ。信じてしまいそう。こんなことをするなんて。こんなことをするなんて!」

 顔を上げたソルマは、目に一杯の涙を溜め、口元を歪めている。
 年齢に相応しい落ち着いた美貌が、感情を抑えられない童女のそれに変わってしまっていた。

 どん、とソルマが雷角の分厚い胸板を拳で叩く。
 鍛え上げられたリザードマンの肉体は、亜人の拳ぐらいではびくともせず、逆にその反動でソルマがバランスを崩した。

 反射的に、雷角がソルマの腕を掴んで自分の側に引っ張る。
 暗い空を写し取ったかのような鱗に包まれた逞しい体躯に、ソルマの身体が抱き寄せられた。

「信じれば良いだろう」

 囁くような声量で、リザードマンが言う。
 女は、溺れかけた子供が空気を求めているかのように喘いでいた。

「本当に? 本当に?」
「ああ」

 堰を切ったかのようにソルマが声を上げる。
 身も世もなく、泣き始めた。
 どうすれば良いのか分からぬまま、雷角はソルマを抱き寄せたまま、ただ、立っている。

 これまでソルマが過ごしてきた生が、どの様なものか、雷角には想像するしかない。
 それがこの亜人の女から何を奪い、何を壊してしまったのかは、結局は誰にも分からないのだろう。
 だから、ただ、胸を貸して立っている。

 暫く時間が過ぎて、徐々にソルマの声が収まっていった。
 しゃくり上げるような声も小さくなっていき、それから、両手で流した涙を拭う。
  
「こっちに、来て」

 涙の余韻が残る声と共に雷角の腕を掴み、ソルマは歩き出した。
 大して強い力ではなかったが、敢えて逆らわずに雷角は付いていく。

 砦の奥に聳え立つ天守の脇に立てられた、小さな建物の前でソルマは立ち止まった。
 石造りの尖塔であり、穀物を貯める倉か何かに、リザードマンの目には映る。

「礼拝堂よ」

 雷角の胸中を見透かしたように、ソルマが言った。
 臆する様子もなく、ソルマはこぢんまりとした礼拝堂の扉を開き、中に入る。

 ガラスの嵌っていない小さな窓から、月と星の明かりが内部を微かに浮かび上がらせていた。
 長椅子が十列ほど並び、奥には説教台が設えてあって、その壁面に聖三位教会の聖印が飾られているが見える。
 真円と十字を組み合わせた印だ。
 この建物に気付かなかったのか、リザードマンの姿は此処には見えない。

「聖三位の教えを信じているのか?」

 意外そうに、雷角が聞く。
 聖三位教会を亜人が信奉することは稀である。
 教会が信徒に語るのは、正しい神に仕え、正しい信仰を実践し、そして正しい世界に至る、と言うことであった。
 この三つが教理の柱であることから、聖三位の名を冠しているのである。

 だが、正しい世界をどう捉えるかは宗派や個人によって異なり、最も多い解釈は『亜人や獣人のいない世界』というものであった。
 だからこそ、敬虔を美徳とする騎士達は、亜人を虐げることに疑問を抱かないのだ。
 例外的に、亜人や異種族を正しい世界を創る同胞とする聖三位教徒も存在するが、極少数である。

 雷角がソルマに尋ねたのは、このような事情があってのことだ。
 以前のリザードマンは人間の世情や習俗に大して興味は持っていなかったが、それでも無知ではない。
 最近であれば、人間に対して、純粋な好奇心を抱く者も多いくらいなのだ。

「教会の教えは信じていないわ」
「では、何故、此処に来た」
「神聖な場所をここしか知らないからよ」

 そう言うと、ソルマは聖印の前まで雷角を引っ張っていく。
 説教台の前に、巨躯のリザードマンとたおやかな亜人が立った。

「もう一度約束して。さっき言ったことを」
「迎えに来ることか?」
「そうよ」

 頷いたソルマに、雷角の瞳が僅かに動く。
 一時、何事かを考えたようだが、ここはソルマに従うことにしたらしい。

「お前達を迎えに来る、必ずだ」
「誓う?」
「誓おう」

 短く、はっきりとした答えにソルマが幼女のように微笑む。
 言葉を続けた。

「次は、わたしの番ね」
「うむ?」

 何か尋ねたそうな雷角より先に、ソルマは口を開く。

「わたしも、貴方を待つわ」

 柔らかい笑顔で、ソルマが雷角をじっと見詰めた。
 薄紫の瞳が期待しているものが、何となく伝わってきて、その言葉を雷角は呟く。

「誓うのか」
「誓うわ」

 嬉しそうに、ソルマが笑う。
 溢れ出た感情に動かされたかのように、くるりと回った。
 それから、並べられている長椅子の上に座る。

「今夜は此処で寝ましょう。もう、夜なのだから」
「そうだな」

 堅い木製の長椅子であったが、リザードマンである雷角にしてみれば、羽毛がたっぷりと敷かれた寝台も同じである。
 亜人のソルマがどうなのかは不明であったが、本人が言い出したことであり、眠るのに支障は無いのだろう。
 その様に考えて、雷角は長椅子の上に寝転がった。

 狭い、人間用の長椅子だったが、何とか雷角の巨躯を収めることは出来た。
 頭の後ろに腕を回し、仰向けになって目をつぶる。
 長い尾の位置を定めるのに、少しばかり苦労したが、石の床や剥き出しの地面の上で眠るのと同じ要領で、自分の腹側に尾を置くことで解決した。

 そのまま、月が中天よりも傾くほどの時間が過ぎたが、気配を感じた雷角が目を開けるとすぐ隣にソルマが立っている。
 じっと、雷角を見下ろしているのであった。

「どうした」

 雷角が問うが、ソルマは黙したまま立っている。
 見えない妖精が通り過ぎるぐらいの時間を置いて、ソルマが口を開いた。

「一緒に寝ても良いかしら」

 落ち着いた声である。
 静かな表情のまま、雷角を見詰め続けていた。

「……好きにしろ」

 雷角の返答も短い。
 狭い長椅子で横になっているため、一緒に寝るとなると、リザードマンの上に亜人が重なる体勢になった。
 堅い鱗に覆われた、分厚い胸にソルマが自分の頭を預ける。

「ふうん」

 小さな発見をした子供のような声を、ソルマが出した。

「どうした」
「いえ、何でもないわ」
「そうか」

 暫し、沈黙が降りた。
 小さく身動ぎをして、ソルマがぽつりと言う。

「温かいのね、あなた」
「……まあ、な」

 どう返したものか分からず、雷角は曖昧に答えた。
 暗い礼拝堂の中で、ソルマが肩を揺らすのが伝わってくる。
 笑ったらしい。

「ねえ」
「何だ」
「こうしていると、わたしを抱きたくなる?」
「……」

 真意が分からず、雷角は返答に窮した。
 構わずに、ソルマは言葉を続ける。

「無理矢理だとか、諦めて抵抗しないことはあったけれど」
「……」
「今は、違うわ。変な感じ。あなたはわたしを抱きたい?」

 頬を雷角の胸板に密着させながら、ソルマが尋ねた。
 少しの沈黙の後、雷角が口を開く。

「お前はどうなのだ。俺に、抱かれたいのか?」

 雷角が問い返すと、今度は、ソルマが答えに詰まる番であった。
「わたしは……」
 答えようとして、自分の胸中を探るがそれらしいものは見当たらない。 自分が雷角に放った言葉を思い出す。
 上げるものなど何もない――。

 その言葉通り、己には欲望さえも残されていないのだろうか。 あの、野獣のような賊たちに、情欲までも奪われてしまったのだろうか。
 そんな筈はないと、雷角の鱗に覆われた顔を見る。 すると、小さく、心臓を刺すような痛みがあった。
 ああ。
 ああ、大丈夫だ。
 自分には、未だ、欲望がある。 救ってくれた者にすがろうとする、浅ましさが残っている。 壊され尽くしてはいないのだ。
「欲しいわ」
 それは、長い間忘れていた行為だった。
 望むということ。
「あなたが欲しい」
 願いを口にするなど、もうないのだと思っていた。 だが、そうではないのだ。

 そっと、雷角のごつごつした手がソルマの頭を撫でる。
 低い、はっきりとした声が、雷角から零れた。

「奇遇だな。俺も同じ事を思っていた」

 その言葉を聞いた途端、ソルマの瞳は大きく見開かれて、思わず、雷角の口に自分の唇を重ねていた。
 人間のものとは異なった感触が、ソルマの紅い唇に伝わる。

 ほっそりとした手が雷角の下腹に伸びて、人間で言えば臍に当たる箇所を撫でる。
 堅く、滑らかな鱗の感触が指先に伝わった。

 ソルマの柔らかな毛で覆われた耳が、緩やかに上下している。
 先端が二つに割れた雷角の舌が、ずるりとソルマの口腔に潜り込んだ。

 柔らかく舌に巻き付いてくる。
 大きな蛇が、小さな蛇を優しく締め付けているような感触だった。

「ん……」

 空気を求めて息を吸うと、一緒に雷角の唾液が咽喉に滑り込んでくる。
 ごくり、とそれを嚥下した。
 自分の体液とリザードマンの体液が混じり合った味がする。
 息を荒げながら、ソルマが雷角の舌を甘く噛んだ。

 武骨で、大きな手が、ダルマティカの上からソルマの胸を揉んだ。
 柔らかな肉の感触が雷角の手の中で形を変えていく。
 下から掬い上げるようにすると、重みを持った乳房が手に余った。

 両方の手で、雷角がソルマのたっぷりとした双丘を刺激し続ける。
 リザードマンと亜人の口は、密着したままだ。
 互いの体液を交換しながら、荒い呼吸を続けている。

 雷角がダルマティカの裾を上げて、ソルマの胸を外気に晒した。
 白い色をした円やかな乳房が露わになる。
 上向きのその先端が、僅かに尖っていた。

 爬虫類に独特の光沢を持った指が、それを抓む。
 小さく吐息を漏らして、ソルマの身体が反応した。
 背筋を少しだけ逸らせ、その所為で、雷角とソルマの唇が離れる。
 細い唾液の線が、リザードマンと亜人の口を繋いでいた。

 扇情的な曲線を描く乳房が、雷角の手の中で自在に形を変えている。
 たわわな肉の果実が形を歪める度に、ソルマの口から熱っぽい呼気が零れた。
 雷角が、爬虫類じみた長い顎を突き出して、双丘の片方を軽く噛む。
 長い舌で、乳輪とその中央にある堅いしこりを刺激する。

 は、は、と余裕のない息を吐き続けながら、ソルマの細い腕が雷角の腰をまさぐった。
 人であるならば生殖器の主張があるはずの場所は平坦なままである。
 代わりに、強固に閉じた裂け目のような器官があり、そこからずるりと這い出してきたものがあった。

 太く、赤黒く、堅固なそれが、雷角の男性器である。
 リザードマンの生殖器官は、普段は体内に収まっているのだ。
 しかも、人間のそれとは違って、二本も存在している。

 どきどきと、興奮に顔を赤らめながら、ソルマが二本の剛直に指を絡めた。
 両方の手を使って、リザードマンの陽根を上下に擦り始める。
 ぬちゃぬちゃとした感触が、ソルマの細い指先に伝わった。

 陽根の先端から零れた、粘ついた精が指を汚している。
 指先に纏わり付いているその精汁を、ソルマが自分の口元に運んだ。
 蕩けたような表情で、その指に舌を伸ばし、雄のにおいのする粘液を啜る。

 その青臭いにおいと、人のものとは違う雄の舌触りに、ソルマの子宮がぞくぞくと震えた。
 堪えかねて、ソルマが雷角の上に馬乗りになる。

「もう我慢できないわ。できないの。ねえ、これを頂戴」

 答を待たず、ソルマは自分の淫裂に雷角のものの先端をあてがった。
 興奮のため、赤く色付いた亜人の女性器は、意外なほど楚々としている。
 何人もの男達が好き勝手に蹂躙したはずだろうに、そんな痕跡など見受けられなかった。

 とろりとした愛液が肉の合わせ目から溢れ出ている。
 反り返る雷角の男根が、浅くソルマの体内に潜った。
 ソルマが一息に腰を下ろす。

 その入口は締め付けがきつかったが、始めの抵抗を抜けると、熱く爛れたような肉壁が雷角のものを迎えた。
 柔肉に入れなかった、片方の剛直が不満げにびくびくと震える。
 しかし、ソルマの方は、そちらに気を回す余裕などなかった。

「うそ……、こんなに深いところまで来るの? こんなに、こんなに……」

 譫言のように繰り返す程、雷角の肉槍はソルマの膣道を易々と踏破していた。
 どこまで進んでも、堅い陽根が留まる気配はない。
 ぐり、と弾力のある感触が、雷角の先端に伝わった。
 女の一番奥にあり、子を孕むべき場所の入口に到達したのである。

 痛いような、痺れるような快感が、胎内の中央からソルマの全身に一瞬で広がっていく。
 そこで止まらずに、雷角が更に自分の陽根を押し込んだ。
 子宮口に亀頭の先端が嵌まり込む。

「ふあ、あ、あっ」

 腰を捻って、ソルマが自分の中に入ってきたものの感触を確かめる。
 目尻に涙を浮かべ、小さく腰を揺すった。
 肉の襞が、それ自身に意志があるかのように、侵入してきた陽根に吸い付いている。

 わななきながら収縮すると、雷角とソルマの結合部から粘ついた愛液が零れだした。
 ソルマの腰が、上下に動き出す。

 射し込んだときと比べて、動きはゆっくりとしていた。
 雷角の陽根が余りに長大で、腰が抜けそうになっているのだ。
 先端の笠の部分や、人間では有り得ない表面の突起が、ソルマの内壁を刺激しながら動く。

 不意に、雷角が腰を跳ね上げた。
 ソルマの身体の動きと相俟って、雷角の陽根が子宮に突き刺さる。

 赤く燃える鉄の塊が、自分の腹を掻き混ぜているような衝撃がソルマの下腹部を襲った。
 然も、それは紛う可くもない悦びである。
 途方も無い快感であった。

 ソルマの中が、きつく締まる。
 リザードマンの生殖器を離すまいと、肉襞が主張するかのようだった。
 その締め付けが、雄の快楽を刺激してくる。

 肉欲を貪るための動きが、互いに同調してきた。
 雷角が己の剛直を叩き付けるのと、それを受け止めるソルマのうねるような腰が、淫らな音を立てる。
 
 ずっしりとした質感を持った二つの乳房が、重たそうに揺れた。
 先端は赤く充血していて、うっすらと浮いた汗が飛び散っている。

 腰の上でうねり続けている、ソルマの肉付きの良い腰を雷角が掴んだ。
 力を入れて、自分の腰とソルマの腰を密着させる。

 ぎちり、と女の身体の深い場所で音がした。
 陽根の先端部分が、先刻よりも深い位置まで、ソルマの子袋に貫入したのである。
 両手を握り締め、足裏を反らせて、ソルマは全身に走る快感を味わった。

 今まで体験したことのない、血と肉が焼き尽くされるような絶頂感がソルマを襲っている。
 びくびくと、筋肉が痙攣した。

 それに合わせて、ソルマの膣壁全体が、子宮の内側に侵入した雷角の亀頭を締め付ける。
 びくりと、雷角の陽根が跳ね上がった。
 ごりごりと、子宮の壁を削って男根の先端が太さを増し、金属が爆発したかのような勢いで、精汁が吐き出される。
 その熱さと勢いが、更にソルマの絶頂を高い所へ押し上げた。

 ひゅ、と高い笛の音に似た声が、ソルマの白い咽喉から零れる。
 子宮の中に、雷角の精液が満ちていく。
 量は多く、感触は人のものとは違っており、子袋の中が熔岩を注がれたように熱くなった。

 ずっしりと、胎が重くなる。
 暫くの間、射精と絶頂の余韻に浸って、ソルマはじっとしていた。
 肌が粟立っている。

 荒かった息が徐々に収まっていった。
 ん、と湿った吐息を紅い唇から漏らして、陽根を銜え込んだ腰を引き上げる。

 ごぽり、とねちっこい音と一緒に、ソルマの女性器から愛液と精液が混じったものが溢れ出た。
 ソルマの子宮内に収まりきらなかった分が、逆流したのだ。
 その感触さえ快感を呼び起こしたのか、ソルマの背筋が、羽毛の先端でなぞられたかのように微かに震える。

 胎内から抜かれた雷角の陽根は、まだ硬度を保ったまま、そそり立っていた。
 それに手を添えて、ソルマが身を屈める。

 唾液でてらてらと光る唇から舌を伸ばして、亀頭の先端に舌を這わせた。
 雄と雌の性汁でどろどろになったものを、丁寧に舐め取る。

 頬に堪ったそれを、吸い上げた。
 口の中に、苦いような、酸いような、生臭い香りがひろがる。
 咽喉を鳴らして、ソルマは自分と雷角の体液を呑み込んだ。

 雷角が、ソルマの頭に手を置いて、童女にするかのように、撫でる。
 その感触が嬉しくて、亜人の女は熱心にリザードマンの生殖器をしゃぶり続けた。
 咽喉の奥まで使って、陽根をしごく。

 暫くして、すっかり体液が拭われた陽根を口から吐き出した。
 上目遣いで雷角を見る。

「まだ堅い……。続ける……?」
「お前が満足するまで、幾らでも」

 その言葉に、ソルマの目に悦びの色が浮かぶ。
 淫蕩な光ではなく、まるで、父親と遊ぶことを約束した、幼子のような瞳であった。
 リザードマンと亜人は、再び一つになった。
 一つになって、分かれて、また一つになって、そして、朝を迎えたのであった。

 リザードマンの一行が、バムブック砦を出立したのは、空が白よりも青みのほうが強くなる頃である。
 雷角もソルマにも、後朝の別れを感じさせる気配は微塵もなかった。

 淡々と、雷角の指示を受けて、リザードマン一行を見送る。
 暫くの間は跳ね橋を上げておくように、雷角はソルマに伝え、七百体のリザードマンはバムブックの砦を後にした。
 聳え立つ天守を背後に、フリューゲルが雷角に問い掛ける。

「あの亜人たちを、どうする積もりだ」
「カマールを抑えたら何処かの街に呼び寄せる。亜人は役に立つからな」

 これは、リザードマン達がタブロタの土地に居座るだけでなく、民をも支配することを前提としていたが、それを非難する気はフリューゲルにはなかった。
 あの惨状を人間が為すのなら、リザードマンに統治を任せた方が良いのではないか。
 そんな胡乱な考えさえ、若い領域君主の胸中には湧いてしまうのだ。

 彼らの侵撃は、密かに、そして確実に続く。
 本格的な砦が三つ、防柵で周辺を囲った山賊の集落が二つ、一週間の内に陥落した。
 生き残ったものは皆無である。

 鬼気迫る勢いで、リザードマンの戦士が彼らを皆殺しにしたのであった。
 落とした砦と集落の中で、生きた亜人を飼っていたのは、実に四つだ。
 残りの一つでは、亜人たちは全員、息絶えていた。

 苛酷である。
 亜人にとっての地獄は、ここ、タブロタであるようであった。

 凶賊を殺し、砦を落とし、次の標的を求めて、七百からのリザードマンが黙々と山間を進む。
 朝だというのに厚い雲が頭上を覆い、空気には纏わり付くような重さがあった。
 そこへ、先行していた斥候から新たな報がもたらされる。

「何?」

 戻ってきた斥候の報告を聞き、雷角は低く唸る。
 俄には信じがたい内容であったからだが、茶色っぽい鱗に包まれたその斥候は、自分の報告を正確に繰り返した。

「この先の城塞都市にて、戦闘が勃発しております。攻めているのは完全武装の人間が約一千、応じているのは亜人のみが四百ほどです」
「亜人のみだと?」
「はっ」

 高い城塞に囲まれた街の外で、戦闘が繰り広げられているらしいのだが、防衛側は亜人だけだというのが斥候の報告である。
 人間はそれなりの戦闘経験がある一団らしく、騎兵や、板金鎧に身を包んだ重装歩兵までいたとのことであった。
 一方の亜人は、防具などは殆ど無く、武器はピッチフォークが精々で、動きは素人のそれらしい。

 防衛戦であるなら、その都市の住人も加わっているべきであり、戦闘員が亜人だけというのが雷角には納得し難かった。
 しかし、それよりも重要な、決定せねばならないことが雷角の胸中にはある。

 捨て置くか、討つか。

 この二つである。
 先回りをするかのように、氷甲が口を開いた。

「事情は良く分からんが、亜人共を放っては置けねえ。討つべきだ」

 利や賢しさからは外れた主張を、氷甲はした。
 亜人を救うべき理由を説明してもいなかったが、言語化できるほど明瞭な根拠が氷甲の中に有るわけでもない。

 ただ、納得しがたいものがあったので、それを口にしたという風情であった。
 対して、反論したのは屠流である。

「時期が早い。無視すべきだろう」

 屠流が言っているのは、カマール領内でのリザードマンの行動指針に関わることであった。
 奇襲性を保ち、気付かれることなく領内に点在する武装集団を殲滅する――
 これが、リザードマンの戦略の根幹であった。

「我らが討滅した勢力は、僅かに五つ。この地には、未だに十指に余る騎士団が健在なのだ。表に出る機とは言えまい」

 屠流が言葉にしたとおり、カマールに残る武装勢力だけで、まだ二桁を数えていた。
 ここで表立って動くことで彼らが同盟関係を結び、更にはタブロタ各地から軍が派遣されることにでもなれば事である。
 如何に精強なリザードマンとは言え、七百体で一つの国家を相手取るのは厳しい。

 氷甲と屠流の主張を吟味するかのように、雷角が目を瞑った。
 呼吸一つ分の沈黙の後、雷角が目を開く。

「人間どもを討つ」
「む」
「おう」

 唸ったのは、濃緑の鱗を保つ屠流である。
 喜色を浮かべて応じたのは、厳寒期の凍土に似た鱗の氷甲であった。

「良いのか」

 重ねて尋ねたのは屠流であったが、声に攻めるような調子は無い。
 だが、意図を確認する要は感じたのだろう。

「良い」

 簡潔に雷角は答え、更に言葉を続けた。

「人間同士の争いなら、関与するところでは無い。奴らが互いに食い合うのを見ているのも一興だ。だが、亜人では話が違ってくる」

 亜人と人間の違いとは、リザードマンが勢力拡大のために採った方式に因っている。
 北部の山岳域に街道を通すため、リザードマンが活用したのは、自由商人や遍歴職人と言った漂泊の民であり、亜人たちであった。

 亜人に対しては、単純な労働力としてだけではなく、永住を目的とした植民までも行っている。
 北部山岳域の街道周辺には、既に亜人たちの集落が幾つも出来上がっているのだ。

 そして、リザードマンと亜人の関係も一方的なものではない。
 単なる庇護対象や被支配者としてのみ亜人が存在するのではなく、リザードマンにとって、亜人は農事に携わる生産者であると同時に、何よりも戦友であった。

「ここで亜人を見捨てれば、亜人の心を我らから遠ざけることとなろう。それは黒旺陛下の意向にそぐわぬ。陛下の大望成就のため、ここは攻勢こそが取るべき策よ」

 リザードマンの首魁である黒旺の大望とは、新国家の樹立である。
 それも、リザードマンだけではなく、亜人も獣人も人間も、あらゆる種族を民と為すという、前代未聞の国であった。
 荒唐にして無稽である。
 しかし、その夢想とも言える野望に、雷角達も共鳴しているのである。

 面白そうではないか。

 そう言う思いがある。
 自分たちが主と仰ぐ存在が壮大な夢を掲げ、心震えずには居られなかったのも、共通しているのだ。

「良かろう」

 屠流が頷く。
 氷甲が、嬉しそうに口の端を吊り上げた。
 雷角と氷甲、屠流の三者の意見が一致したことで、七百に余るリザードマンの進路は決まった。

 縫うように山襞を進んでいく。
 目的地がその先にある都市であり、そこを攻めている人間と戦うと言うことは、配下のリザードマンには知らされている。
 押し殺した熱気のようなものが、リザードマン全体を覆っていた。

 然程の時を置かずに、都市を囲む高い城壁がリザードマンの視線の向こうに現れる。
 クレヴェルと呼ばれる、タブロタでも中規模の都市であった。
 その周辺には戦塵が舞い、何より、怒号と喊声が満ち溢れている。

「報告の通りだな」

 小さく呟いたのは雷角である。
 この時代、タブロタの街は僅かな平地ごとに点在しており、その間を人が踏み固めた道と道が繋いでいた。
 領主による治安維持能力も万全とは言い難かったため、多少なりとも金があれば街を城壁で囲い、余裕の無い村でもせめて防柵を設置する。
 そして、壁や柵の向う側に、耕作地としての畑が広がっているのであった。

 今、人間と亜人が、そのような畑の上で戦っているのである。
 正確に言えば、戦っていると言うよりは狩り立てられていると表現すべきであった。
 勿論、狩人は人間たちであり、獲物は亜人である。
 鈍い金属光沢を見せる長剣を翳して、鎧を着込んだ人間が、次々と亜人を斬り伏せていった。

「騎兵が三百、歩卒が七百と言った所か。重装歩兵が半分は居るな」

 一瞥して、屠流が判じる。
 距離がかなりあったことと、糸杉や樅の根元にリザードマンが身を伏せていたため、人間も亜人も新たな勢力の接近に気付いていない。
 何より、人間は虐殺に酔っており、亜人は恐慌に駆られていて、周囲を見遣る余裕などなかった。

 雷角の尖った瞳が一層細められ、遠方で繰り広げられている殺戮劇を確認する。
 隣には、武装したフリューゲルがいた。

「良いのか」

 雷角が尋ねる。
 これから、人間と戦うことになるのだが、それに対する心情を確認したのであった。

「構わん」

 フリューゲルの返答は短い。
 因みに、肥大した巨体の持ち主であるフラピェーニエは、雷角たちの、より後方で控えていた。
 戦闘力として全く期待できないからだ。

「自分の領地を守るため、貴殿らに協力すると言ったのはわたしだ。況して、眼前の非道、許すわけにはいかん」

 断言するフリューゲルの表情に、雷角の口角が僅かに上がる。
 しゅう、と息を吐いた。

「では行こうか。タブロタ騎士の実力、見せて貰おう」

 それから先に生じたのは、人間にとっては悪夢であり、亜人にとっては驚異と評すべき事態であった。
 圧倒的攻勢にあったはずの人間の後背を突いて、異形の一軍が突如、出現したのである。

 雄叫びが上がった。
 天が震え、大地を鳴動させるほどの怒号である。
 重く垂れ籠めた雲が、その鬨の声で割れていくようであった。

 砂埃を上げて、七百体ものリザードマンが突進してくる。
 先陣を切っているのは、屠流の率いる部隊であった。

 進撃するのに最適な経路が、屠流の眼にははっきりと映っている。
 光り輝く蛇が、鎌首を敵陣の奥にまで突っ込んで、その身体を伸ばしているかのようだった。

 駆け抜ける。
 深緑の颶風と化して、屠流とその部下が戦場を貫いた。
 擦れ違い様、並み居る歩兵の手脚から派手な血飛沫が噴き出す。

 分厚い板金鎧でも、関節の部分は自由度を確保するためにチェインメイルが用いられているのだが、その部分をリザードマンが刃で抉ったのだ。
 信じがたい速度と、早業である。

 混乱と混迷が、戦場を支配していた。
 千人以上いた人間は亜人を追い立てるばかりであり、先刻まで、頭の中にあるのはこれから略奪する城塞都市のことだけであった。
 突如、血臭と断末魔の叫びが戦場を満たしても、何が起きているのか、精神の理解が追い付いていない。
 自分のすぐ隣の人間が、リザードマンの利刀によって腕を切り落とされても、敵に襲われているのだと分からないのだ。

 ただ、混乱だけがある。
 次に襲い掛かったのは、氷甲とその配下であった。

 リザードマンの基準から見ても、巨漢と評すべき体躯の持ち主が手にしているのは、恐ろしく巨大な剣である。
 両手剣と、単純極まりない名称であるが、その長大な刀身から生み出される戦闘力は絶大であった。
 柄から伸びた刃根本が特徴的なこの大剣は、重量と硬度と遠心力によって、相対するもの全てを破壊する。

 狼狽えて、右往左往するばかりの人間の群れに、氷甲は無造作に近付いていった。
 次の瞬間、ごう、と大気が震える。
 手にした両手剣を、氷甲が思い切り横薙ぎに払ったのだ。

 消し飛んだ。
 三人の人間が、氷甲の膂力と両手剣の質量によって、上半身を吹き飛ばされたのだ。
 ぼ、とも、ご、ともつかぬ短い音が、彼らが現世に残した最後の音であった。

 一時も休まず、氷甲は進み続ける。
 鋼の刃が空気を裂く度に、完全武装の歩兵が、粘土で出来た人形のように砕け散っていく。

 内臓が千切れ跳ぶ。
 脳漿が宙を染める。
 粉々になった骨が、高く空に飛んで、それから落ちて泥に混じる。

 砕いて、砕いて、砕いて、進む。
 氷甲に率いられて、リザードマンの一団が進んでいく。
 軍事的な常識を越えて、その進軍は迅速であった。

 屠流のような、突破を目的とした動きではないにも関わらず、氷甲の歩みは無人の野を行くかのように淀みない。
 要因は氷甲が仕留める対象にあった。

 どの様な集団、群れであれ、中核となるような固体、人物が存在する。
 動物の群れでもリーダーとなる固体がおり、体系化された軍事組織とは言い難い野盗騎士団にも、隊長クラスの指揮官は存在していた。

 それを、氷甲は狙い打ちにしたのである。
 通常なら長々とした観察と、細々とした分析によって判明する集団の要というものを、氷甲は殆ど瞬時に見抜くことが出来るのだ。

 組織行動に於ける中心人物。
 頼りになる戦闘者。
 そいつの隣に居れば、生き延びられると信じられている幸運の持ち主。

 氷甲の一撃は、そんな人間を確実に捉え、破壊する。
 砕くのは只の一人の人間ではなく、他人を率い、鼓舞し、支えるような集団の急所なのだ。
 そこを撃ち抜かれたら、どんな戦闘集団も、迷子になった羊の群れのようなものだ。

 後は威嚇の為に得物を振り上げ、蹴散らすだけである。
 だから、氷甲の侵撃は止まらない。

 屠流が切り裂き、氷甲によってばらばらにされた千人の兵を、完全に磨り潰す役を果たすのは、雷角とその部下達であった。
 雷角の武装は、扱い慣れたシミターとラウンドシールドである。
 リザードマンとしては、一般的と言って良い。

 奇襲を受け、蹂躙された人間が何とか立ち直ろうとするその瞬間に、雷角の部隊は切り込んだ。
 胸甲と籠手で上半身を固め、グリーブで脚を覆った歩兵の集団を前にして、雷角の表情に変化は無い。

「な、何だ、貴様らは!」

 間の抜けた問いを、兵の一人が発する。
 するり、と実体を持たない影のように、雷角がその男に近付いた。

「敵だ」

 音も無く雷角がシミターを振り下ろすと、水面を通るかのように、刃が男の半身を擦り抜ける。
 声を発した男の表情が、固まった。

 凍り付いたその表情のまま、男の身体が斜めにずれる。
 右肩から臍に掛けて、鎧ごと両断された身体がゆっくりと滑り落ちていった。
 切断面から血が噴き出し、内臓が零れる。

 はらわたが地面に落ちるその前に、雷角は動いていた。
 驚愕で未だ硬直している別の兵士に切りつけて手首を素早く落とし、返す刀で両隣にいた二人の首を刎ね跳ばす。
 遅まきながら対応しようと、長剣や広刃剣を構えだした兵士達の間を、するすると雷角が通り抜けていった。
 兵士の腕が落ち、脚が断たれ、頭が割られていく。

 雷角の動きには、極端なまでに無駄がなかった。
 一つか二つの動作で、相手を追い詰め、致命傷を与えるのである。
 そして、雷角の脳裏には今の戦場を俯瞰した図がはっきりと浮かんでいた。

 屠流の率いる部隊が縦横に軍の庭を駆け、それによってばらけた敵兵を氷甲とその配下が打ち砕いている。
 後退し続ける亜人を追って、無秩序に広がっていた人間の軍勢には、陣容らしきものは既に無い。

 だが、それだけに完全包囲は難しく、騎兵が撤退を決め込んで四方に逃げれば、これを追うことは難しいだろう。
 当初の予定よりも随分と早く、自分たちの存在を露呈させる野戦を仕掛けたものの、リザードマンの侵攻を知る者を極力抑えねばならない、という点に変わりは無い。
 可能ならば、騎兵も含めた人間を全て捕えるか、全滅させておきたい。

 捕える?

 不意に、雷角は自分の思考の流れに苛立った。
 この戦場で果てたばかりの亜人の死体が、尖った瞳に折り重なって映っている。

 手脚を斬り飛ばされた死体もあれば、腹を騎馬で踏み潰された死体もあった。
 薄汚れた麻のチュニックが、血や内臓に塗れて、赤黒く染まっている。
 立ち向かったのか、頭をこちらに向けている死体もあれば、逃げる背中を抉られて、倒れ臥している死体も見えた。
 死体が握り締めているピッチフォークは、農具をそのまま持ち込んだ代物で、とても戦闘に耐えられる硬度や頑健さを具えているようには見えない。

 戦って、戦士が死ぬのは良い。
 敗れて、兵士が死ぬのは定法だ。

 だが、この亜人は戦士か?
 これが、戦いか?
 そうではない。
 そうではなくて、これは一方的な屠殺に過ぎない。

 手首に巻いたダルマティカの切れ端が、風に揺れた。
 雷角の脳裏に、腰よりも長く伸びた黒髪が特徴的な、亜人の姿が浮かぶ。
 磨かれた玉のように美しい藤色の瞳が、こちらを見詰めている。

 空が白むまで抱いた女が見せた、あの童女のような笑み。
 何を失ったのだろう、何を捨てたのだろう、何が壊され、何を奪われたのだろう。
 熱と質量を持った何かが、雷角の胸奥から溢れ出しそうになった。

「石視、洞陣、瘴旗、岩崩!」

 大音声で、配下の名を呼ぶ。
 屈強な影が、四つ、雷角の背後に現れる。
 その中の、石視と呼ばれたリザードマンは、全身を水晶混じりの鉱石のような鱗で覆われていた。
 手にしているのは巨大な鎚矛と、中央に突起を持つアスピスと呼ばれる円形の盾である。

「石視、敵の右側面に二つに分かれた騎兵が居る。潰せ」
「はっ」
「洞陣と瘴旗は、左から回り込んで敵をこちらに追い立てろ。氷甲が居るはずだ、連携を取れ」
「御意」
「お任せあれ」
「岩崩は俺と来い。騎兵、歩兵、区別なく平らげ、進むぞ」
「承知」

 配下に指示を出しながらも、雷角は眼前の兵を倒し続けていた。
 逃げ出す機も、立ち直る間も、人間に与えてやるつもりは雷角には無い。

 その傍らには、馬から下りたフリューゲルの姿もあった。
 騎乗していないのは、徒歩が基本のリザードマンと足並みを揃えるためである。

 だが、当時のタブロタに於いて、馬上の主であることは貴族階級の証明でもあった。
 詰まり、地上で戦うとは、傭兵や農兵と同じ立場で戦うという意味を持つ。
 フリューゲルの決意の表れであった。

 戦局は、雷角が意図し、指示したとおりに動いていた。
 右翼に広がりつつあった騎兵の一団は、石視の部隊が当たるを幸いに薙ぎ倒している。

 左翼に向かった洞陣と瘴旗の隊は、順当に氷甲とその部下に合流し、背後に回ることに成功していた。
 狐を猟師の前に追い立てる犬のように、人間たちを雷角たちが待ち構える場所へと押し込んでいく。
 包囲から逃れようとする騎士は、屠流の部隊の標的となり、討たれていた。

 遂に、逃げ場をなくした騎兵と歩兵の集団が、雷角が率いる部隊と衝突する。
 秩序だった動きもなく、命に対する執着だけをぎらつかせて、叫び、狼狽し、のたうち回っている人間が殆どであった。
 だが、そんな中でも統制を失わずに行動している、僅かばかりの騎士がいた。
 包囲網を抜けるため、逆に雷角達に突撃を仕掛けるため、馬を走らせている。

 その騎兵の一人が、兜のバイザーを上げ、目を見開いた。
 全身を包むのは板金鎧、左手にはカイトシールドを掲げ、馬上槍を構えた完全武装の騎兵である。
 馬の腹を叩き、足を止めた。

「フリューゲルなのか? この様な場所で、何をしているのか」

 声を発した。
 戦場の喧騒に掻き消されぬよう、怒鳴るような声量である。

「その声はムラヴェイか。それは私の問いだ。この虐殺に、貴公も加わったのか」

 フリューゲルの言葉に、ムラヴェイと呼ばれた騎士は兜の下で顔を顰める。
 まるで、不協和音を耳にした音楽家のような表情であった。

「虐殺? 不当な蓄財を騎士である我らが得るのは、正しい行いだぞ」
「戦い方を知らぬ亜人を殺すのが、正しいのか」
「亜人の命がどうだというのだ。そこを退け、フリューゲル。リザードマンの囲を抜け、我は再起を図らねばならん」

 バイザーを下ろし、馬上槍を脇に抱えるようにして構える。
 鎧の胸甲に設えられたランス・レストに槍を固定した。

 フリューゲルもそれ以上語ろうとはせず、広刃剣の切っ先をムラヴェイに向ける。
 馬上のムラヴェイは、地上で剣を構えるフリューゲルを見下ろしながら、己の勝利を確信していた。

 何故なら、攻防のどちらに於いても、騎兵は歩兵を上回るからだ。
 鞍上という高所に居るため、フリューゲルの長剣は届きにくく、逆に、ムラヴェイが突撃を仕掛ければ、人馬の重量がそのまま威力となる突きを防ぐことは困難である。
 ただ、槍の穂先に貫かれるだけだ。

 一方のフリューゲルは、自身が全く落ち着いていることに驚きを感じていた。
 ほんの少し前まで、騎兵であったのだ。
 歩兵と騎馬の戦力差は、痛いほど分かっている。

 だが、目の前のムラヴェイに対して微塵も圧力を感じなかった。
 軽いな、とフリューゲルは思う。
 何に比してかと自問すれば、答は直ぐに浮かんだ。

 リザードマンの将である、黒旺だ。
 亜人も含めた千の兵で、五千に届かんとするタブロタの軍を打ち破った戦術家であり、途轍もなく巨大なハルバードを片手で軽々と扱う、無双の戦士でもあった。

 首落としの野の戦いでは、フリューゲルと一騎打ちを行っている。
 あのリザードマンの将と比べて、目の前のムラヴェイの何と軽佻なことか。

 全身を鎧われた人馬が、砂埃を上げながら、フリューゲルに向かって進んでくる。
 迫る槍の穂先を、フリューゲルが見詰めた。

 自分の眉間が、殺意と破壊力の標的となっているのを、フリューゲルは感じている
 それが実際に頭蓋を砕く寸前に、フリューゲルが僅かに身を捻った。
 するりと、鋼鉄製の槍が顔面のすぐ横を通り過ぎていく。

 空気を裂く音と、ムラヴェイの槍が殺めたであろう亜人の血のにおいが、同時にフリューゲルへ届いた。
 それを断ち切るように、両手で握り締めた広刃剣を下方から跳ね上げる。
 鋼板が裂け、肉と骨が潰れ、太い血管がぶつりと千切れる感触がフリューゲルの両手に伝わった。

 高く、槍を握ったままの右腕が、両断されて空に跳んでいく。
 くるくると回る軌跡が、大量の血で宙に描かれた。

 兜の下のムラヴェイから、絶叫が絞り出される。
 だが、戦場ではありふれた類の叫びであり、すぐに狂騒に掻き消されてしまった。

 ムラヴェイ以外の騎士も、雷角配下のリザードマンの手によって、次々と討たれていく。
 死が、戦場を支配していた。

 当時のタブロタに於いて、戦死者というのは意外に少ない。
 それが、自分と軍馬に十全な武具を用意できるほどの貴族であれば、まず、死なないと言っても良い。
 騎兵は群を抜いて強力な戦闘単位であり、例え負け戦となっても、馬の脚で退却することが出来るからだ。
 また、敵の捕囚となったとしても、身代金目当てに生かされるのが普通である。

 だが、この戦いは違った。
 城塞都市の名から、クレヴェル殲滅戦と名付けられるこの戦いで、逃亡に成功した人間は、記録に残っている限りで、僅かに八名である。
 その内の五名は、撤退の際に負った傷が原因で数日後に死んでおり、生き延びたのは実質のところ、三人だけであった。

 鏖殺、の表現がそのまま戦となったような、死者の数である。
 血の混じった風のにおいが濃くなり、反比例して、叫びや馬の嘶きは少なくなっていった。
 ぽつり、と一滴の水が、絶命した騎士の兜に落ちる。

 朝から天を覆っていた黒雲から、最初の雨粒が零れたのであった。
 直ぐに続けて、無数の雨滴が降り注ぐ。

 戦は終わった。
 滝のように激しく降る雨が、全てを灰色に塗り潰していく。

 敵を壊滅させるという、最も極端な形の勝利を得たリザードマンに残されているのは、撤収だけである。
 しかし、鱗を持った戦士にとって、ただ立ち去るだけのことが非常に困難であった。

 何故なら、此処には傷付き倒れた亜人が、無数にいたからである。
 放置は出来ぬ、というなら彼らを安全な場所に運ばねばならない。
 そして、至近の安全な場所とは、クレヴェル城塞都市であった。

 リザードマンが怪我人を介抱しようとするが、意識を失い、倒れている者は兎も角、そうでない亜人には異様な巨躯を誇る戦士は脅威以外の何者でも無い。
 後退り、逃げようとする亜人を、リザードマンは問答無用で抱え上げ、そして城塞都市へと向かった。

 高い城壁を有する都市の城門は、固く閉ざされたままである。
 内部から閂が掛けられていることから、都市に誰かが残っていることは間違いなかった。

「おい! 開けろ! お前らの仲間の手当がしてえ!」

 豪雨の中、激しい雨声に負けぬ音量で叫んだのは、氷甲である。
 しかし、返答はなく、門が動く気配もなかった。
 声が届いていないのか、或いは、籠城の構えなのか。
 どちらにせよ、このままでは埒が明かないことは確かであった。

「屠流!」
「応」

 即座に屠流が城壁に走り寄り、勢いを殺さずに駆け上がる。
 ほぼ垂直に立てられた石の壁を、平地を行くが如く昇っていった。
 その姿が城壁の向う側に消えると、間を置かずに重い城門が音を立てて開いていく。

 こうして、クレヴェル城塞都市はリザードマンの手に落ちたのである。

 リザードマンの一団と、二人の領域君主が街に乗り込んだ結果、様々なことが判明した。
 第一に、城壁の外で抗戦していた者も含め、都市に残っているのは亜人だけであった。
 戦闘の生き残りも含めて、六百人に僅かに届かないぐらいである。

 彼らには指導者と呼べるような人物はおらず、今回の防衛戦も、戦術や作戦は一切無かった。
 亜人たちは皆、奴隷階級であり、本格的な戦いの経験があるどころか、小規模な戦闘さえ見たこともない連中である。

 そして、人間の住人は都市には一人も居なかった。
 フリューゲルによれば、クレヴェル城塞都市を治めていたのはリストヴァー伯という貴族であったが、その人物も街には居なかった。
 全員が、城塞都市を捨てて逃げ出していたからである。

 クレヴェル城塞都市を攻めていた騎士団の目的は、戦いそのものではない。
 狙いは、保安料という名目の金であった。

 騎士団の要求を、一旦は受け入れると街の人間は返答したのだが、金を払う期限の何日も前に、彼らは逃げ出したのである。
 金に宝石、家具や衣服を荷車に積み、夜陰に乗じて街を後にしたのだ。
 亜人を残したのは、完全に街から人影が絶えたなら、騎士団に不信感を抱かれる恐れがあると考えてのことである。

 そして、自分の主人に切り捨てられた亜人は、自衛のために已むなく絶望的な戦いを挑んだという訳であった。
 クレヴェル城塞都市を占領したリザードマンが、街の内情を把握したのは、騎士団を壊滅させて数時間が過ぎてのことだ。

 現在、黒旺は街の北部に位置する城にあって、氷甲や屠流と今後の方策について検討している。
 この城塞都市を治めていたリストヴァーの城であろうと思われ、かなり豪勢な造りをしていた。
 城塞都市内部の城である為か、元の持ち主の性格なのか、本格的な防御施設はなく、居住性を重要視していることが一目で分かる。

 周囲を回廊で囲まれ、その四隅には尖塔が建ち、中庭を越えた所にある天守は三階建ての壮麗なものであった。
 天守や回廊に使用されている柱は太く、廊下には絨毯が敷かれ、水晶と金箔で飾られた室内灯が壁に連なっている。

 雷角たちがいるのは、天守の最上階に位置する執務室であった。
 そこには書き物のための机があるのだが、脚や側面には聖典の一幕を再現した精緻な彫刻が施されており、頭上には貴重なガラスをふんだんに使用した天窓が並んでいる。
 今は、その天窓に激しい雨が叩き付けており、向こうに見えるのは黒々とした雲だけであった。
 晴れていれば清々しい陽光が射し込んで来るのであろうが、この荒天では唯々、陰鬱である。

 脇のチェストには年代物らしい蒸留酒が収まっていたが、所々隙間があり、どうやらこの街を出る際に持ち去ったようだ。
 廊下や客室にも長方形をした跡が残っており、壁に掛けられていた絵画の名残らしい。
 本格的に調べたわけでは無いが、結構な数の調度品が無くなっていた。

 財産となるものをなるべく多く運ぼうとした結果であろう。
 業と呼ぶべきか、努力と称するべきか、判断の分かれるところである。

 三体のリザードマンが額を突き合わせて、机の上に広げられた街の地図を睨んでいると、フラピェーニエが肥大した身体を震わせながら、どたどたと部屋に入ってきた。
 降り続ける雨の中走っていたのであろう、全身がずぶ濡れである

「どうしたよ、おっさん」

 氷甲が軽口を叩くと、フラピェーニエは大量の汗をかきながら、束になった羊皮紙を差し出した。
 かなり分厚い。

「こいつは?」

 当然の疑問を口にする屠流であったが、フラピェーニエは声を出さずに、喘息のように荒い呼吸を繰り返すばかりであった。
 余程急いで来たらしい。
 ぜえぜえと耳障りな呼吸音が徐々に収まっていき、どっかりとフラピェーニエが床に腰を下ろした。

「……証文よ、亜人のな」

 答えたフラピェーニエの顔には疲労の色が濃い。
 恐らく、街中を駆け回ったのだろう。

「証文だと?」
「うむ。これ有る限り、亜人は人間の所有物のままになる。必要かどうかは分からんが、この街の住人が戻ってきたとき、放置しては拙かろうと思うてな」
「ほう」

 雷角の声には率直な評価の響きがある。
 当時に於いても、後代に於いても、フラピェーニエの評価は、戦下手の有能とは言い難い君主というものであるが、一度の敗北で全ての能力を量ろうとするのは賢明ではないのだろう。

「やるじゃねえか」

 氷甲は言いながら、無遠慮にフラピェーニエの丸っこい肩を叩く。
 かなりの衝撃があったらしく、太りすぎの君主は痛そうに顔を顰めた。
 その表情に氷甲が、げらげらと笑う。

「どうかしたのか?」

 不思議そうな顔をして、執務室に入ってきたのはフリューゲルである。
 若い騎士は、具体的な街の現状と、負傷した亜人の状況を確認するため、今まで駆け回っていたのだ。
 フラピェーニエと同じく、この男も頭から爪先まで濡れ鼠である。
 

「何、領域君主もなかなかやると言うことだ。そちらはどうだ」
「思った以上に物資が残っていない。教会や聖堂はそのままだから、怪我人はそこへ寝かしているが」
「手当は順調か」
「リザードマンが良い働きをしている。正直、驚きだ」

 フリューゲルの言う通り、リザードマンは手負いの亜人を街へ運んだだけではなく、その治療まで行っていた。
 全てのリザードマンに医術の心得があるわけではないが、知識と技術を有した者は一定数存在し、その彼らが縦横に動いているのだ。

「凝り性の蠱術師殿がみっちり仕込んだからな」

 雷角の言う蠱術師とは、黒旺の王佐であり、リザードマンの軍師とも言うべき立場にある、牙蟲と名乗る男のことだ。
 蠱術と呼ばれる怪しげな術を使うが、牙蟲の知識や技術は常軌から逸し気味に広汎で、その中には医術、本草なども含まれている。
 亜人と協調することとなったリザードマンの中には、怪我や病の治療法を習う者が出ており、それが今回は役に立ったのだ。
 
「食糧はどうだ」
「多少は残っていたが、リザードマンと亜人を全て食わせるには心許ない」

 フリューゲルが調べたところ、街には肉や塩漬けの野菜などは殆ど残ってなかった。
 高価で希少な品と同様、持ち去られていたのである。
 亜人と合わせれば、この街には千三百の口があるわけで、これはかなりの問題であった。
 しゅ、と鋭い呼気を吐いて雷角が思考を巡らせる。

「落とした砦と野盗の集落には、食糧が貯め込んであったはずだ。それを回収する」
「ふむ」
「その際に、砦に残してきた亜人も連れてくる。あいつらにも真っ当な生活を送らせてやらねばな」

 意外に人道的な台詞を口にするが、雷角には自覚はなさそうであった。
 執務室に居る二体のリザードマンも、二人の領域君主も、それに異を唱えることはしない。

「なら、急ぐか。早くしねえと、食い物が腐る」

 今にも出て行きそうに、氷甲が言った。
 それを制して、屠流が口を開く。

「当面の食糧はそれで良かろう。だが、今後の我々はどう動く? それも決めねばなるまい」
「それだが、考慮すべき点が一つある。この街の住人が向かったのは『何処』だ」

 屠流の疑問を受けて発せられた雷角の言葉に、反応したのはフリューゲルであった。

「恐らく、南方のサドヴニク教会領であろう」
「教会領だと?」
「ああ。あそこは強力な神官戦士団を抱えているからな。ムラヴェイのような野盗騎士を遣り過ごした後は、教会に街の奪還を任せる積もりであったのだろう。リストヴァーの考えそうなことだ」
「そう言う輩か」
「そう言う輩だ」

 雷角が眼を閉じて、暫し、考えを巡らせる。
 この城塞都市の領主がフリューゲルの言葉通りの人間なら、それ程の間を置かず、神官戦士の一団がここにやって来ることになる。
 リザードマンと聖三位教会では、穏便な話し合いなど望めまい。

「拙速あるのみか」

 雷角が、大きくはないが、はっきりとした声で言った。
 天の底が抜けたかのように繁吹く雨が、一層、その勢いを増す。

 タブロタ国内の諸勢力が、侵攻したリザードマンに気付く前に拠点を築く、という策は、既に破綻してしまっている。
 城塞都市を囲んでいた騎士団はほぼ完全に壊滅していたため、彼らから情報が漏れる心配は無い。
 早急に此処を引き払えば、或いは隠密性を保ったまま行動が可能かも知れなかった。

 だが、クレヴェル城塞都市には六百人に及ぶ亜人がいる。
 彼らを見捨てることは難しく、かといって、彼らを連れて行軍することは更に難しかった。
 前者の困難は心情に因り、後者の困難は軍事的な理に因っている。
 こうなれば、城塞都市を手に入れたのがリザードマンであることが露見するのは、時間の問題であろう。

 だからこそ、雷角は素早い行動こそが打開策と看破した。
 最早、隠密索敵の時は過ぎ去った。

 動く。

 タブロタの地に、リザードマンの王たる黒旺の旗幟を高々と掲げるのだ。
 そして、東夷全土に声高らかに告げるのである。

 リザードマンがやって来たことを。
 戦い、破り、支配する、リザードマンの軍団がやって来たのだ。

「氷甲、屠流、これより我らはこの城塞都市を拠点とし、周辺を制圧する」
「応!」
「承知」
「支配領域の治安を確立するために遊撃部隊を編成する。フリューゲル、任せて良いか」
「何?」

 名指しされて、若い騎士が聞き返す。
 事も無げに、雷角は続けた。

「地理に明るく、戦闘力も戦術眼もある。貴様以上に相応しい者はいまい。無論、危険な任だがな」

 試すかのように、リザードマンに特有の眼光がフリューゲルを射貫く。
 昂然と、フリューゲルがその視線を受け止めた。

「危険を怖れる騎士などおらぬ。謹んで拝命しよう」

 迷いの無いフリューゲルの返答に、雷角は満足げに頷く。

「では行くぞ。伏しての戦いは終わった。これより、戦の鐘を鳴らす。盛大にな」

 雷角の言葉に偽りはなかった。
 この日、この時より、リザードマンの軍団が東夷全体にその名を響かせることになるのである。


                                                了        


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-モドル-